言い訳置き場
言い訳を書いていきます。誤字の報告などあればありがたいです。 ※唐突にみゅネタややぎゅにおの外の人のかけ算が混ざるのでご注意下さい。 日常はリンクのブログから。
2014'02.28.Fri
あと3日で2月が終わる。ジャンが避けているうちにアルミンはもう終わりと決めたのか、ジャンを見ることもしなくなった。それが無性に悔しかった。
たまたま通りかかった誰もいなくなった食堂で、勉強をしていたアルミンを見つけた。他に誰もいないことに気がつくとジャンは反射的に近づき、前の椅子に黙って座る。顔を上げることすらしなかったアルミンは、あまつさえ「エレン?」と声をかけ、ジャンは苛立ち任せに机の下で足を蹴った。臑にきれいに蹴りが決まって、アルミンは低くうめいて悶絶し、キッと目元をつり上げてこちらを睨む。しかしすぐにジャンだと気づき、はっとして肩をすくませた。どこか怯えているようにも見える仕草に舌を打ちそうになるのをどうにかこらえる。ジャンを見る目はどこかこわばっていた。それでどうしてジャンを好きなどと言ったのだろう。
「どうしたの?」
「別に」
「痛いよ」
「悪かったな」
端的に言葉を吐くと会話はそれだけで終わってしまい、お互い気まずくなって目をそらす。アルミンも勉強どころではなくなって、結果的に邪魔しただけになった自分にも苛立った。こうしたかったわけではない。かといって何をしたかったのかもう自分でもわからなかった。
ただ、アルミンと話をしたいと思っただけだ。
今までふたりきりで何の話をしていたのか、思い出せなくなってしまった。渇いたのどを潤そうと唾を飲む。アルミンが手持ちぶさたにペンをもてあそぶのをただ見つめた。どうしてこんなに自分が苛つかなければならないのだろう。
「あの」
アルミンの声がかすれていて、驚いて顔を上げればアルミンも戸惑ったように喉を撫でた。ジャンの視線に気づいて少し笑い、こほんと喉を鳴らした。
「あのね、最後の日だけ、話がしたいんだ」
どきり、としたきり、心臓が止まったような気がした。しかしジャンの心臓はどくどくと脈打ち、その存在を主張してくる。
2月は、まだ3日あるのだ。否、もう今日は終わったも同然だ。それでも、まだ明日だってあるというのに。
「もう……ジャンは飽きちゃったかもしれないけど、最後にするから」
明日だってあるというのに、ジャンにはそれを伝えることもできなかった。うるさい心臓を押さえつける術も、アルミンに気持ちを伝える術も、――何よりも、何を伝えたいのかも、ジャンにはわからなかった。
次の日、アルミンを目にしても、近づくことができなかった。アルミンはいつも通りで、ジャンもいつも通り過ごした。この1ヶ月はなんだったのかを考える。考えても、時間が過ぎるだけだった。声をかけることも、近づくこともできたはずなのに、それができなかったのは勇気がでなかったからだとは思いたくなかった。
時間が過ぎるのはあっと言う間で、夜になって、最後の朝になった。
「おはよう」
「……おはよう」
支度を終えたアルミンは、普段はそんなことをしないのに、ジャンに声をかけて部屋を出た。窮屈なベルトも体に合わせて、ジャンよりひと回りは小さそうなジャケット。寝癖なのか毛先が一部外側にはねている。
少しでも名残惜しいと思っているのだろうか。先に部屋を出ていったアルミンは余韻も残さなかった。
最後だからと言っても特別なことは何もない。今日までと同じように訓練をこなし、当番がある。
夜になるにつれてジャンは落ち着かなくなってきたが、アルミンを見るといつもと何も変わらない。
結局ジャンは何ができたのだろうか。恋人のふりと言いながら、ジャンがしたのは夜にふたりで話をしただけだ。アルミンからもらった焼き菓子は直ぐに食べてしまったが、考えてみればあのお礼もまともにしていない。何かお返しでもすればいいのかと思ったが、今更そんな時間もなかった。ジャンに後悔する暇も与えずに、2月は終わりへ近づいていく。
ここ数日で季節は一気に春に近づいた。昼間の日差しはあたたかく、夜でも震えるような寒さはない。早々にベッドにこもる人も減ったせいか、どこに行っても人の姿があった。食堂を覗いて諦めて、ジャンが他の場所を探し始めると前からアルミンがやってきた。ジャンを見るとアルミンはわずかに緊張を滲ませ、ジャンもつい喉を鳴らしたのはその緊張がうつったせいだと思いたい。
「倉庫も人がいたんだ」
「そうか」
「……少し寒いかもしれないけど外でもいい?」
「ああ」
ほっとしたように息を吐いたアルミンと兵舎を出た。さすがに少し風が冷たい。きっと外に出るような物好きは他にいないだろうから、そのままドアに寄りかかった。
「今日の訓練どうだった?」
「お前がビリだったやつか?」
「……ほんとに見られたくないところ見てるよね。持久走は正直辛いなぁ」
「お前は頭動かす以外はいつもダメじゃねえか」
「事実ですから否定はできません」
肩を揺らして笑うアルミンはこちらを見なかった。それでもいつも通りの当たり障りのない話に、いつも通り嬉しそうに笑う。ジャンのつまらない話でも自分の失敗の話でも。アルミンはこんな時間だけでよかったのだろうか。
話が座学に渡るとアルミンの話は止まらなくなってしまい、いつもならうっとうしくなって遮るのだが、今日はそうせず聞いていた。むちゃくちゃなようで理論的な彼の話は嫌いではなかった。子どもがおもちゃをみつけたように目を輝かせるアルミンを、かわいいと思い、手を取るとアルミンの口はぴたりと止まってしまった。
アルミンの手は冷えきってしまって、繋いでもその体温はあまりわからない。彼の体温はいつもどうだっただろうか。
アルミンを呼ぶ声がして、ふたりで視線を交わす。あれはエレンの声だ。どうしてあいつはいつも人の邪魔をするのだろう。思いながらつないだ手に力を込める。声はすぐに遠ざかったが、きっと場所を変えても探し続けているだろう。それはだんだんうるさくなるに違いない。
「はは……行かなきゃ駄目かな」
アルミンは苦笑混じりに肩をすくませた。幼馴染みの方が大事か、と悪態をつきそうになったが、アルミンが手をつなぎ返してきて飲み込んだ。指先が絡まり、訓練兵の手であることを今更実感する。毎日の努力と、自分の夢。きっとアルミンはまだ考えていることはたくさんあって、短い2月ではほとんど聞くことができなかっただろう。
「なあ、アルミン」
「何?」
「オレのどこが好きなんだよ」
それはアルミンが一度も口にしなかった。ジャンの問いにアルミンはちらりと視線をこちらに上げて、また困ったように笑った。
「……わからない」
「は?」
「ずっと考えてたんだけど、やっぱりわからなかった。不思議だね、それでも恋だって、わかるんだ。……君の声も、仕草も、優しいところも好きだった……ありがとう。1ヶ月、とても楽しかった」
小さく言葉をつむぐ唇に、震える手に、ジャンは応えることができたのだろう。ただこみ上げるものがあって、アルミンに顔を近づける。逃げようとしたがそれは背中側のドアに阻まれ、アルミンは驚いた目でジャンを見ていた。唇が触れそうなほど近づける。きゅっと唇の端がこわばり、アルミンの視線が泳ぐ。
唇に触れたら、何か変わるだろうか。
息を吐いて、アルミンから離れる。瞬きを繰り返したアルミンを笑って、絡めた指先を解いた。
「あとは本当の恋人としろ」
「……びっくりした。されるかと思った」
「しねぇよ」
「そうだよね。……ちょっと、惜しかったかな」
ふっと笑うアルミンに苦しくなる。それを隠してドアを開け、押し込むようにアルミンを中に入れた。エレンの声はまだ聞こえている。
「早くあのうるせえの黙らせろ」
「うん。……ジャンは?」
「後で戻る」
「……うん、そうだね」
不器用な笑顔を、こんな近くで見ることはもうないだろう。アルミンが離れるより早くドアを閉めて、ジャンはその場にしゃがみ込む。
2月は終わった。アルミンとの関係も終わった。ジャンは頼まれてつきあっていただけなのだから、ようやく解放されたのだとも言える。
もし2月でなければ、あと2、3日あれば、ジャンのこの胸のわだかまりの理由もわかったのだろうか。2月の寒さはアルミンの体温さえ忘れさせる。手のひらは自分の体温さえ感じない。
たまたま通りかかった誰もいなくなった食堂で、勉強をしていたアルミンを見つけた。他に誰もいないことに気がつくとジャンは反射的に近づき、前の椅子に黙って座る。顔を上げることすらしなかったアルミンは、あまつさえ「エレン?」と声をかけ、ジャンは苛立ち任せに机の下で足を蹴った。臑にきれいに蹴りが決まって、アルミンは低くうめいて悶絶し、キッと目元をつり上げてこちらを睨む。しかしすぐにジャンだと気づき、はっとして肩をすくませた。どこか怯えているようにも見える仕草に舌を打ちそうになるのをどうにかこらえる。ジャンを見る目はどこかこわばっていた。それでどうしてジャンを好きなどと言ったのだろう。
「どうしたの?」
「別に」
「痛いよ」
「悪かったな」
端的に言葉を吐くと会話はそれだけで終わってしまい、お互い気まずくなって目をそらす。アルミンも勉強どころではなくなって、結果的に邪魔しただけになった自分にも苛立った。こうしたかったわけではない。かといって何をしたかったのかもう自分でもわからなかった。
ただ、アルミンと話をしたいと思っただけだ。
今までふたりきりで何の話をしていたのか、思い出せなくなってしまった。渇いたのどを潤そうと唾を飲む。アルミンが手持ちぶさたにペンをもてあそぶのをただ見つめた。どうしてこんなに自分が苛つかなければならないのだろう。
「あの」
アルミンの声がかすれていて、驚いて顔を上げればアルミンも戸惑ったように喉を撫でた。ジャンの視線に気づいて少し笑い、こほんと喉を鳴らした。
「あのね、最後の日だけ、話がしたいんだ」
どきり、としたきり、心臓が止まったような気がした。しかしジャンの心臓はどくどくと脈打ち、その存在を主張してくる。
2月は、まだ3日あるのだ。否、もう今日は終わったも同然だ。それでも、まだ明日だってあるというのに。
「もう……ジャンは飽きちゃったかもしれないけど、最後にするから」
明日だってあるというのに、ジャンにはそれを伝えることもできなかった。うるさい心臓を押さえつける術も、アルミンに気持ちを伝える術も、――何よりも、何を伝えたいのかも、ジャンにはわからなかった。
次の日、アルミンを目にしても、近づくことができなかった。アルミンはいつも通りで、ジャンもいつも通り過ごした。この1ヶ月はなんだったのかを考える。考えても、時間が過ぎるだけだった。声をかけることも、近づくこともできたはずなのに、それができなかったのは勇気がでなかったからだとは思いたくなかった。
時間が過ぎるのはあっと言う間で、夜になって、最後の朝になった。
「おはよう」
「……おはよう」
支度を終えたアルミンは、普段はそんなことをしないのに、ジャンに声をかけて部屋を出た。窮屈なベルトも体に合わせて、ジャンよりひと回りは小さそうなジャケット。寝癖なのか毛先が一部外側にはねている。
少しでも名残惜しいと思っているのだろうか。先に部屋を出ていったアルミンは余韻も残さなかった。
最後だからと言っても特別なことは何もない。今日までと同じように訓練をこなし、当番がある。
夜になるにつれてジャンは落ち着かなくなってきたが、アルミンを見るといつもと何も変わらない。
結局ジャンは何ができたのだろうか。恋人のふりと言いながら、ジャンがしたのは夜にふたりで話をしただけだ。アルミンからもらった焼き菓子は直ぐに食べてしまったが、考えてみればあのお礼もまともにしていない。何かお返しでもすればいいのかと思ったが、今更そんな時間もなかった。ジャンに後悔する暇も与えずに、2月は終わりへ近づいていく。
ここ数日で季節は一気に春に近づいた。昼間の日差しはあたたかく、夜でも震えるような寒さはない。早々にベッドにこもる人も減ったせいか、どこに行っても人の姿があった。食堂を覗いて諦めて、ジャンが他の場所を探し始めると前からアルミンがやってきた。ジャンを見るとアルミンはわずかに緊張を滲ませ、ジャンもつい喉を鳴らしたのはその緊張がうつったせいだと思いたい。
「倉庫も人がいたんだ」
「そうか」
「……少し寒いかもしれないけど外でもいい?」
「ああ」
ほっとしたように息を吐いたアルミンと兵舎を出た。さすがに少し風が冷たい。きっと外に出るような物好きは他にいないだろうから、そのままドアに寄りかかった。
「今日の訓練どうだった?」
「お前がビリだったやつか?」
「……ほんとに見られたくないところ見てるよね。持久走は正直辛いなぁ」
「お前は頭動かす以外はいつもダメじゃねえか」
「事実ですから否定はできません」
肩を揺らして笑うアルミンはこちらを見なかった。それでもいつも通りの当たり障りのない話に、いつも通り嬉しそうに笑う。ジャンのつまらない話でも自分の失敗の話でも。アルミンはこんな時間だけでよかったのだろうか。
話が座学に渡るとアルミンの話は止まらなくなってしまい、いつもならうっとうしくなって遮るのだが、今日はそうせず聞いていた。むちゃくちゃなようで理論的な彼の話は嫌いではなかった。子どもがおもちゃをみつけたように目を輝かせるアルミンを、かわいいと思い、手を取るとアルミンの口はぴたりと止まってしまった。
アルミンの手は冷えきってしまって、繋いでもその体温はあまりわからない。彼の体温はいつもどうだっただろうか。
アルミンを呼ぶ声がして、ふたりで視線を交わす。あれはエレンの声だ。どうしてあいつはいつも人の邪魔をするのだろう。思いながらつないだ手に力を込める。声はすぐに遠ざかったが、きっと場所を変えても探し続けているだろう。それはだんだんうるさくなるに違いない。
「はは……行かなきゃ駄目かな」
アルミンは苦笑混じりに肩をすくませた。幼馴染みの方が大事か、と悪態をつきそうになったが、アルミンが手をつなぎ返してきて飲み込んだ。指先が絡まり、訓練兵の手であることを今更実感する。毎日の努力と、自分の夢。きっとアルミンはまだ考えていることはたくさんあって、短い2月ではほとんど聞くことができなかっただろう。
「なあ、アルミン」
「何?」
「オレのどこが好きなんだよ」
それはアルミンが一度も口にしなかった。ジャンの問いにアルミンはちらりと視線をこちらに上げて、また困ったように笑った。
「……わからない」
「は?」
「ずっと考えてたんだけど、やっぱりわからなかった。不思議だね、それでも恋だって、わかるんだ。……君の声も、仕草も、優しいところも好きだった……ありがとう。1ヶ月、とても楽しかった」
小さく言葉をつむぐ唇に、震える手に、ジャンは応えることができたのだろう。ただこみ上げるものがあって、アルミンに顔を近づける。逃げようとしたがそれは背中側のドアに阻まれ、アルミンは驚いた目でジャンを見ていた。唇が触れそうなほど近づける。きゅっと唇の端がこわばり、アルミンの視線が泳ぐ。
唇に触れたら、何か変わるだろうか。
息を吐いて、アルミンから離れる。瞬きを繰り返したアルミンを笑って、絡めた指先を解いた。
「あとは本当の恋人としろ」
「……びっくりした。されるかと思った」
「しねぇよ」
「そうだよね。……ちょっと、惜しかったかな」
ふっと笑うアルミンに苦しくなる。それを隠してドアを開け、押し込むようにアルミンを中に入れた。エレンの声はまだ聞こえている。
「早くあのうるせえの黙らせろ」
「うん。……ジャンは?」
「後で戻る」
「……うん、そうだね」
不器用な笑顔を、こんな近くで見ることはもうないだろう。アルミンが離れるより早くドアを閉めて、ジャンはその場にしゃがみ込む。
2月は終わった。アルミンとの関係も終わった。ジャンは頼まれてつきあっていただけなのだから、ようやく解放されたのだとも言える。
もし2月でなければ、あと2、3日あれば、ジャンのこの胸のわだかまりの理由もわかったのだろうか。2月の寒さはアルミンの体温さえ忘れさせる。手のひらは自分の体温さえ感じない。
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2014'02.17.Mon
思えば、2月に入ってから随分とアルミンのことを知った。これまでが知らなかっただけかもしれないが、元々ジャンとアルミンは特別親しいわけでもなく、かといっていがみ合っていたわけでもない。無関心だった、というのが一番近いだろう。
ただジャンはそれほど敏感ではなく、たまたまアルミンの視線に気づくことが多かったのだ。こちらを見ている。目が合う。そしてその意味がわからないほど野暮でもなかった。
恋人ごっこを初めてから、アルミンと視線が合うことが増えたように思う。
――というのも、自分が見ているからだという自覚はあった。ふとした拍子にアルミンはどうしているだろうかと気になって顔を上げると、アルミンは視線に気づいたかのようにジャンを見る。目が合うとはにかんで微笑み、恥ずかしそうに目を逸らすのだ。それがどうして、かわいくないといえるだろう。そのたび伝染したようにジャンも頬を熱くした。
アルミンは実技は苦手だがいつもあきらめなかった。バカなやつだと思っていたが、恋人だと思えばかわいいものだ。座学が得意なのは周知のことで、誰からも頼りにされていた。誰にもわけへだてなく接しているようで、目立たない程度にアルミンはジャンの隣にいる。
誰も知らないのだ。アルミンが、恋人といるときにどんな顔をするのか。
つなぐというよりは包むように触れたアルミンの手はいつも熱い。緊張が伝わってくるようなそれは嫌いではない。
恋人ごっこの場所はいつの間にか誰も来ることのない倉庫になった。火の気のないそこは寒かったが、こっそりと現れるアルミンと並んで木箱に腰掛けていると隣の体温が伝わってくるようだった。
「今日お前何もないところで転けてなかったか?」
「ちっ、違うよ!ブーツの底がはがれちゃって」
「ブーツ?ちゃんと直したか?」
「うん、ミカサに手伝ってもらった。器用なんだよミカサ」
「お前が不器用すぎるだけだろ」
「うう……返す言葉もございません」
ジャンが笑うとアルミンもすぐに笑った。しかしその眉が寄ったかと思えば、派手にくしゃみをする。ぶるっと身震いをするので寒いかと聞けば首を振った。
「寒いのは平気だよ。開拓地はさすがに堪えたけど」
寒いといったらそれを理由に肩でも抱いてやろうと思っていたのに、と少しがっかりする。
言われてみれば、アルミンは体力こそないがジャンよりもよほどたくましい。ジャンの出身も決して田舎ではなかったが、環境としてはアルミンのいた地区とは随分違ったのだろう。
「大人の人に随分言われたなぁ、子どもは訓練兵になれるからいいよなって」
「……戻されたやつもけっこういるけどな」
「僕だってぎりぎりだ。まだ大丈夫かなんて確信もない。諦める気はないけど」
アルミンが目指しているのは、幼馴染みと同じ調査兵団だった。わざわざ危険な壁の外に行き、いつ死んでもおかしくない。アルミンなんかあっという間に死んじまうんだろうなと思うといい気分ではない。
「お前やっぱり調査兵団やめれば?死ぬこたねえよ。技巧に推薦されたんだろ」
ジャンの言葉に返事はなく、どうしたのかと隣を見る。どこかぽかんと、ただ驚きだけを浮かべて、それからアルミンは困ったように眉を寄せて笑った。
「僕がどこに行こうと、ミカサは調査兵団に行くと思うよ」
「は?」
「ミカサもエレンも憲兵団を選ぶことはできるだろうけど、エレンは昔から調査兵団を目指してたし、ミカサがエレンから離れるとは思えないし」
「いや、オレはお前の話を」
「え?」
更に困惑を見せたアルミンに、ジャンの方が動揺する。
――なんでこいつ、自分が心配されてると思わないんだ。
言葉を探してアルミンを見て、すぐに気がついた。恋人のふりと言いながら、アルミンはジャンがアルミンのことを好きだとは思っていないのだ。恋人だろうがなかろうが、アルミンの思いは一方通行のままなのだ。
相手がほしいとは思わないのか?思わないから――ふりだけなのか。
アルミンはもう一度くしゃみをして、話していたことを忘れてしまったかのようにジャンを促した。
「そろそろ戻ろうか。明日も早いしね」
「……ああ」
体温はこんなにも、名残惜しんでみせるくせに。
それから数日、何となくつまらなくてアルミンを避けた。2月がもう終わることはわかっていたが、ジャンは気に食わないものを甘んじて受け入れるほど大人にはなれなかったのだ。
時々アルミンの寂しそうな顔を見たが、ジャンはうまく避けた。露骨な素振りは見せず、いつも誰かといただけだ。
ただジャンはそれほど敏感ではなく、たまたまアルミンの視線に気づくことが多かったのだ。こちらを見ている。目が合う。そしてその意味がわからないほど野暮でもなかった。
恋人ごっこを初めてから、アルミンと視線が合うことが増えたように思う。
――というのも、自分が見ているからだという自覚はあった。ふとした拍子にアルミンはどうしているだろうかと気になって顔を上げると、アルミンは視線に気づいたかのようにジャンを見る。目が合うとはにかんで微笑み、恥ずかしそうに目を逸らすのだ。それがどうして、かわいくないといえるだろう。そのたび伝染したようにジャンも頬を熱くした。
アルミンは実技は苦手だがいつもあきらめなかった。バカなやつだと思っていたが、恋人だと思えばかわいいものだ。座学が得意なのは周知のことで、誰からも頼りにされていた。誰にもわけへだてなく接しているようで、目立たない程度にアルミンはジャンの隣にいる。
誰も知らないのだ。アルミンが、恋人といるときにどんな顔をするのか。
つなぐというよりは包むように触れたアルミンの手はいつも熱い。緊張が伝わってくるようなそれは嫌いではない。
恋人ごっこの場所はいつの間にか誰も来ることのない倉庫になった。火の気のないそこは寒かったが、こっそりと現れるアルミンと並んで木箱に腰掛けていると隣の体温が伝わってくるようだった。
「今日お前何もないところで転けてなかったか?」
「ちっ、違うよ!ブーツの底がはがれちゃって」
「ブーツ?ちゃんと直したか?」
「うん、ミカサに手伝ってもらった。器用なんだよミカサ」
「お前が不器用すぎるだけだろ」
「うう……返す言葉もございません」
ジャンが笑うとアルミンもすぐに笑った。しかしその眉が寄ったかと思えば、派手にくしゃみをする。ぶるっと身震いをするので寒いかと聞けば首を振った。
「寒いのは平気だよ。開拓地はさすがに堪えたけど」
寒いといったらそれを理由に肩でも抱いてやろうと思っていたのに、と少しがっかりする。
言われてみれば、アルミンは体力こそないがジャンよりもよほどたくましい。ジャンの出身も決して田舎ではなかったが、環境としてはアルミンのいた地区とは随分違ったのだろう。
「大人の人に随分言われたなぁ、子どもは訓練兵になれるからいいよなって」
「……戻されたやつもけっこういるけどな」
「僕だってぎりぎりだ。まだ大丈夫かなんて確信もない。諦める気はないけど」
アルミンが目指しているのは、幼馴染みと同じ調査兵団だった。わざわざ危険な壁の外に行き、いつ死んでもおかしくない。アルミンなんかあっという間に死んじまうんだろうなと思うといい気分ではない。
「お前やっぱり調査兵団やめれば?死ぬこたねえよ。技巧に推薦されたんだろ」
ジャンの言葉に返事はなく、どうしたのかと隣を見る。どこかぽかんと、ただ驚きだけを浮かべて、それからアルミンは困ったように眉を寄せて笑った。
「僕がどこに行こうと、ミカサは調査兵団に行くと思うよ」
「は?」
「ミカサもエレンも憲兵団を選ぶことはできるだろうけど、エレンは昔から調査兵団を目指してたし、ミカサがエレンから離れるとは思えないし」
「いや、オレはお前の話を」
「え?」
更に困惑を見せたアルミンに、ジャンの方が動揺する。
――なんでこいつ、自分が心配されてると思わないんだ。
言葉を探してアルミンを見て、すぐに気がついた。恋人のふりと言いながら、アルミンはジャンがアルミンのことを好きだとは思っていないのだ。恋人だろうがなかろうが、アルミンの思いは一方通行のままなのだ。
相手がほしいとは思わないのか?思わないから――ふりだけなのか。
アルミンはもう一度くしゃみをして、話していたことを忘れてしまったかのようにジャンを促した。
「そろそろ戻ろうか。明日も早いしね」
「……ああ」
体温はこんなにも、名残惜しんでみせるくせに。
それから数日、何となくつまらなくてアルミンを避けた。2月がもう終わることはわかっていたが、ジャンは気に食わないものを甘んじて受け入れるほど大人にはなれなかったのだ。
時々アルミンの寂しそうな顔を見たが、ジャンはうまく避けた。露骨な素振りは見せず、いつも誰かといただけだ。
2014'02.10.Mon
夜になり、もうほとんどの女子が寮に戻っていった時間になると、食堂はすぐ入れ替わるように男子の姿が増える。寒さのせいもあって女子はあたためた部屋で一カ所に集まっていることが多いようだが、男は集まったところでむさ苦しいだけで誰も得をしない。ジャンもマルコたちと食堂で他愛のない話をしていると、いつかのようにミカサが顔を出した。探しているのはどうせエレンかアルミンだろうが、今はふたりともここにいない。ジャンの気持ちを知っている同期たちにせっつかれ、ジャンはやや浮かれているのを隠してミカサに近づいた。
「どうしたんだ?」
「……アルミンは部屋?」
「いや、あいつ今日風呂の当番だ。しばらく手は空かないと思うぜ」
「そう」
「なっ……何か用なら、伝えとくぜ」
言葉に反応してこちらを見たミカサの瞳にどきりとする。東洋の血が混ざっているのだというミカサの黒髪は誰よりも美しいが、瞳もまた同様だ。ジャンは他に東洋人を知らないが、きっと彼女より美しい人はいないに違いない。
「明日でいいから、今日のノートを貸してほしいと伝えて」
「ノート?」
「サシャに水をこぼされて、読めなくなった」
「あっ……じゃあ、オレのノートならすぐ貸せる!」
とっさの声はつい大きくなる。ミカサの表情は読めないが、黙っているので驚いているのかもしれない。
「あ〜……アルミンほどじゃねえが、オレもそうバカじゃないぜ」
我ながら自分が滑稽に見える。しかしミカサから目をそらすこともできなくなった。
「借りても構わないのなら助かる」
「……えっ」
「ノート、貸してもらえる?」
「……おっ、おう!あ〜、部屋にあるから取ってくる!」
話ができたと言うだけで浮かれすぎだ、とは思う。しかし胸の高鳴りは押さえきれず、ジャンは部屋へ急いだ。掴んだノートに変なことは書いていないか一応確認し、それを手に部屋を出るとミカサがもうそこで待っていた。さっきからうるさい胸を落ち着かせ、ジャンはミカサにノートを差し出す。
「読めないところがあったら言ってくれ」
「ありがとう。明日には返す」
「いや、いい、急がない」
「……あと、このノートを他の人に見せても構わない?復習を兼ねて、他の人もアルミンのノートを見たいと言っていたから」
「ああ、構わない」
「ありがとう。では、おやすみなさい」
「おやすみ……」
くるりと体を返して去っていく後ろ姿に、ほうと溜息をつく。どうしてあんなにいい女が、エレンなんかに執着しているのか、ジャンにはわからなかった。憲兵団に入ることなど彼女の力ではたやすいことで、狙えばかなりの地位まで上がることができるだろう。それが調査兵団を選ぶなどと、ジャンには無駄だとしか思えない。あんな生き急いでいるだけの男にどんな魅力があるというのか。
「ジャン」
「うおっ!」
余韻に浸っていたところに名前を呼ばれ、ジャンはびくりと肩を揺らした。振り返ると呼んだのはアルミンだ。当番は終わったらしい。ジャンを見る目が揺れて、どうしたのかと近づけば遠慮がちに服の裾をつままれる。
「アルミン?」
「いっ、今は、僕が恋人だよね?」
不安げな声にひやりとした。同時に、こいつオレのこと好きなんだ、と頭をよぎる。これは、嫉妬だ。アルミンが初めて見せたそれは、間違いなく嫉妬だった。ジャンはそれを実感として知っている。
ジャンが何も言えずにいると、アルミンははっとして手を離した。なかったことにするように、その手を背中に隠す。その目元は今にも泣きそうで、しかしアルミンは泣かなかった。
「ごめん」
小さな声が自分を責める。
「ごめん、違う、ごめん。……僕が言ったんだ、君は僕を恋人だと思わなくていい。ごめん、忘れて……」
逃げようとした手を反射的に捕まえる。驚いたアルミンはどこか青い顔でジャンを見た。
「いい、悪かった」
「え」
「今月だけだろ。……ちゃんとやるよ、お前の恋人」
「……あ」
「だからとりあえず弁解させろよ。浮気じゃなくて、偶然だから」
アルミンが真剣だとわかっているのに、ふとしたときに忘れてしまう。その罪滅ぼしのつもりはないが、できるだけのことはしようと思った。ジャンにはアルミンの気持ちはわからない。ほしいものはほしいもので、ひと月だけ、思い出だけなんて意味がない。それでもアルミンがそれでいいと言うのなら、つき合ってやろうと思うぐらいには情がわいていた。
アルミンが何も言わないので不安になる。言葉通り、ジャンは恋人だと思わない方がいいのだろうか。しかし改めてアルミンを見れば、顔を真っ赤にして一点を凝視している。ジャンがアルミンを引き留めるために取った手を。
「あ、悪い、痛かったか」
「……違うよ、バカ」
ジャンはすぐに手を離したが、顔をひきつらせたアルミンはそれだけ言って、また黙り込んでしまった。
――アルミンに触れたのは初めてだったと思い出したのは、ベッドに入ってからだった。
その頃からアルミンは忙しくなった。抜き打ち――とは名ばかりの、座学テストの日が近づいていたからだ。闇討ちのような全くの不意打ちでテストをしても、悲惨な結果になることは教官たちもわかっているのだろう。ひっそりとテストの日程が風の噂で流れてから、コニーを始めとして成績の危ういやつらはこぞって成績上位者を捕まえていく。その中でもアルミンは先生としても優秀で、こんなときは引っ張りだこだった。ジャンは出鼻をくじかれたような気持ちだったが、ジャンにもどちらかと言えば頼られる側で、時間を持て余すような暇はない。むしろ教師代としていくつかの当番交代を成立させた。テストが終われば、ジャンには自由な時間が増える。
今日もジャンが顔を出したときにはもう、アルミンは数人に取り囲まれていた。その隣をしっかりエレンが陣取っている。どうせ壁の外ですぐくたばるんだから時間の無駄じゃないか、と言ってやろうかとも思ったが、アルミンの邪魔をするだけだと思いとどまった。
「ジャン!よかった、待ってたんだ」
マルコに手を引かれて首を傾げた。何かやらかしただろうかと思ったが、テーブルに集まっている面々は一様に泣きそうな顔をしている。
「なんだ?」
「今日の課題見た?」
「まだ開いてねえ」
「やばい」
その言葉の意味をすぐに理解し、ジャンは慌ててテーブルの上の誰かのテキストをひっつかんだ。焦る指先でなぞりながら文字を追う。ちょっとした応用だ、と笑っていた教官の顔を思い出し、ジャンは血の気が引くのを感じていた。これはとてもわかりやすく、テスト勉強の妨害だ。難しいと言うよりは意味がわからない。思わず本を立てたまま膝をつく。恨めしげにページを睨むが、それが変わることはない。
「それね」
すっとジャンの肩越しに伸ばされた手が、別のページを開いてある設問を指先で叩く。
「これと、次のページの問いが混ざった応用だと思う」
耳に馴染む声は涼しげに、しかしすぐに離れていった。ありがとう、と誰かが礼を言った声もどこか遠くに聞いて、ジャンは指が示した問いと課題を見比べた。頭の中でそれをつなげていく。
「流石アルミンだね」
「アルミン?」
マルコの声にやっと気づいた。ジャンが見たときにはもうアルミンはテーブルに戻っていて、今日の課題以前のレベルの問題を教えている。
「よし、やろうか」
マルコに肩を叩かれて改めて椅子に座り直す。自分のテキストを開きながら、またアルミンを見た。
――ほんとに頭いいやつなんだな。
あの小さい頭で考えて、どう考えたらジャンを好きになるのだろう。
馬鹿もひっくるめて知恵を出し合い、その日の課題はどうにかそれらしいところまでは理解した。きっと教官とてできるとは思っていないだろう。完璧を求めなかったジャンたちは早々に切り上げて、頭の痛いことから自らを解放し、それぞれ就寝の準備を始める。アルミンに教わっていた同期も戻ってきているのを何気なく見ていたが、ジャンが着替えを終えてもアルミンの声がしなかった。しばらく様子をうかがったが誰かが気にする声もなく、ジャンはこっそりと部屋を出る。
案の定、アルミンはまだ他には誰もいない食堂で丸い頭を抱えたコニーの前に座っていた。頭を抱えたいのはアルミンの方だろう。ジャンが黙ってアルミンの隣に座るとびくりと肩をはねさせてこちらを見たが、口を開くのはコニーの方が先だった。
「ジャン!助けてくれ!」
「アルミンに教えられてわからねえなら諦めろ」
「そんなこと言うなよ〜」
「ほらコニー、ここまではわかったんだからやっちゃおう」
アルミンの指先がテキストを叩く。さっきジャンたちにヒントを与えたように。それを追うようにジャンもテキストをのぞき込んだ。ジャンから見れば何がわからないのかわからないような問題でもコニーはつまずくが、これは多少は仕方ないかもしれない。ジャンも一緒になってああだこうだと口を挟めば、コニーはようやく理解しはじめたようだ。調子よくペンが走りかけ、アルミンは机に突っ伏した。額を机に押しつけて、だらりと手を垂らして肩の力を抜く。
「コニー、今日はここまでにしよう……僕もう眠い」
「おう」
疲れました、と全身で語り、アルミンは深く息を吐いた。ジャンは無造作に垂らされた手を見る。油断しきったそれに手を伸ばした。緩く丸められた指の間に手を滑り込ませて様子をうかがえば、小さく肩を揺らしたような気がしたがそれ以上わかりやすい反応はなく、ただ机に隠れたままそっと握り返された。
「できたっ!アルミン、あってるか!?」
コニーの声にアルミンは顔を上げ、ノートを見てうなずいた。コニーは立ち上がってガッツポーズをする。本番まで覚えてなきゃ意味ないからな、とジャンが言えばすぐにふてくされて、アルミンを見るが彼だってジャンと同じはずだ。
「おいコニー、お前先に戻れよ」
「なんで?」
「アルミンにお茶ぐらい飲ませてやれよ。馬鹿につきあうの疲れるんだからな」
ジャンが追い出すようにあしらえば、コニーはからかわれているのだと思ったのか舌を出して食堂を出ていった。アルミンの荷物を持っていく辺り、憎めない。
ふたりきりになった食堂で、ジャンはアルミンを見る。コニーがいなくなってから、アルミンは石像のように硬直したままだった。手のひらから伝わるジャンの体温には、メデューサと呼ばれる人を石にする力を持った化け物と同じ能力でもあるのだろうか。
「……お茶いるか?」
「……いい、大丈夫……ありがとう」
答えるアルミンの声はかすれていたが、ジャンはそれ以上何も言わなかった。横顔を見るとどことなく赤く、頬も緩んでいるようなので嫌ではないはずだ。
例えば、どんなことをすれば、この期間限定の恋人は満足するのだろうか。あんな嫉妬を見せておきながら、期限がきたらジャンから離れていくというのだろうか。
それは少し、惜しい気がした。
「どうしたんだ?」
「……アルミンは部屋?」
「いや、あいつ今日風呂の当番だ。しばらく手は空かないと思うぜ」
「そう」
「なっ……何か用なら、伝えとくぜ」
言葉に反応してこちらを見たミカサの瞳にどきりとする。東洋の血が混ざっているのだというミカサの黒髪は誰よりも美しいが、瞳もまた同様だ。ジャンは他に東洋人を知らないが、きっと彼女より美しい人はいないに違いない。
「明日でいいから、今日のノートを貸してほしいと伝えて」
「ノート?」
「サシャに水をこぼされて、読めなくなった」
「あっ……じゃあ、オレのノートならすぐ貸せる!」
とっさの声はつい大きくなる。ミカサの表情は読めないが、黙っているので驚いているのかもしれない。
「あ〜……アルミンほどじゃねえが、オレもそうバカじゃないぜ」
我ながら自分が滑稽に見える。しかしミカサから目をそらすこともできなくなった。
「借りても構わないのなら助かる」
「……えっ」
「ノート、貸してもらえる?」
「……おっ、おう!あ〜、部屋にあるから取ってくる!」
話ができたと言うだけで浮かれすぎだ、とは思う。しかし胸の高鳴りは押さえきれず、ジャンは部屋へ急いだ。掴んだノートに変なことは書いていないか一応確認し、それを手に部屋を出るとミカサがもうそこで待っていた。さっきからうるさい胸を落ち着かせ、ジャンはミカサにノートを差し出す。
「読めないところがあったら言ってくれ」
「ありがとう。明日には返す」
「いや、いい、急がない」
「……あと、このノートを他の人に見せても構わない?復習を兼ねて、他の人もアルミンのノートを見たいと言っていたから」
「ああ、構わない」
「ありがとう。では、おやすみなさい」
「おやすみ……」
くるりと体を返して去っていく後ろ姿に、ほうと溜息をつく。どうしてあんなにいい女が、エレンなんかに執着しているのか、ジャンにはわからなかった。憲兵団に入ることなど彼女の力ではたやすいことで、狙えばかなりの地位まで上がることができるだろう。それが調査兵団を選ぶなどと、ジャンには無駄だとしか思えない。あんな生き急いでいるだけの男にどんな魅力があるというのか。
「ジャン」
「うおっ!」
余韻に浸っていたところに名前を呼ばれ、ジャンはびくりと肩を揺らした。振り返ると呼んだのはアルミンだ。当番は終わったらしい。ジャンを見る目が揺れて、どうしたのかと近づけば遠慮がちに服の裾をつままれる。
「アルミン?」
「いっ、今は、僕が恋人だよね?」
不安げな声にひやりとした。同時に、こいつオレのこと好きなんだ、と頭をよぎる。これは、嫉妬だ。アルミンが初めて見せたそれは、間違いなく嫉妬だった。ジャンはそれを実感として知っている。
ジャンが何も言えずにいると、アルミンははっとして手を離した。なかったことにするように、その手を背中に隠す。その目元は今にも泣きそうで、しかしアルミンは泣かなかった。
「ごめん」
小さな声が自分を責める。
「ごめん、違う、ごめん。……僕が言ったんだ、君は僕を恋人だと思わなくていい。ごめん、忘れて……」
逃げようとした手を反射的に捕まえる。驚いたアルミンはどこか青い顔でジャンを見た。
「いい、悪かった」
「え」
「今月だけだろ。……ちゃんとやるよ、お前の恋人」
「……あ」
「だからとりあえず弁解させろよ。浮気じゃなくて、偶然だから」
アルミンが真剣だとわかっているのに、ふとしたときに忘れてしまう。その罪滅ぼしのつもりはないが、できるだけのことはしようと思った。ジャンにはアルミンの気持ちはわからない。ほしいものはほしいもので、ひと月だけ、思い出だけなんて意味がない。それでもアルミンがそれでいいと言うのなら、つき合ってやろうと思うぐらいには情がわいていた。
アルミンが何も言わないので不安になる。言葉通り、ジャンは恋人だと思わない方がいいのだろうか。しかし改めてアルミンを見れば、顔を真っ赤にして一点を凝視している。ジャンがアルミンを引き留めるために取った手を。
「あ、悪い、痛かったか」
「……違うよ、バカ」
ジャンはすぐに手を離したが、顔をひきつらせたアルミンはそれだけ言って、また黙り込んでしまった。
――アルミンに触れたのは初めてだったと思い出したのは、ベッドに入ってからだった。
その頃からアルミンは忙しくなった。抜き打ち――とは名ばかりの、座学テストの日が近づいていたからだ。闇討ちのような全くの不意打ちでテストをしても、悲惨な結果になることは教官たちもわかっているのだろう。ひっそりとテストの日程が風の噂で流れてから、コニーを始めとして成績の危ういやつらはこぞって成績上位者を捕まえていく。その中でもアルミンは先生としても優秀で、こんなときは引っ張りだこだった。ジャンは出鼻をくじかれたような気持ちだったが、ジャンにもどちらかと言えば頼られる側で、時間を持て余すような暇はない。むしろ教師代としていくつかの当番交代を成立させた。テストが終われば、ジャンには自由な時間が増える。
今日もジャンが顔を出したときにはもう、アルミンは数人に取り囲まれていた。その隣をしっかりエレンが陣取っている。どうせ壁の外ですぐくたばるんだから時間の無駄じゃないか、と言ってやろうかとも思ったが、アルミンの邪魔をするだけだと思いとどまった。
「ジャン!よかった、待ってたんだ」
マルコに手を引かれて首を傾げた。何かやらかしただろうかと思ったが、テーブルに集まっている面々は一様に泣きそうな顔をしている。
「なんだ?」
「今日の課題見た?」
「まだ開いてねえ」
「やばい」
その言葉の意味をすぐに理解し、ジャンは慌ててテーブルの上の誰かのテキストをひっつかんだ。焦る指先でなぞりながら文字を追う。ちょっとした応用だ、と笑っていた教官の顔を思い出し、ジャンは血の気が引くのを感じていた。これはとてもわかりやすく、テスト勉強の妨害だ。難しいと言うよりは意味がわからない。思わず本を立てたまま膝をつく。恨めしげにページを睨むが、それが変わることはない。
「それね」
すっとジャンの肩越しに伸ばされた手が、別のページを開いてある設問を指先で叩く。
「これと、次のページの問いが混ざった応用だと思う」
耳に馴染む声は涼しげに、しかしすぐに離れていった。ありがとう、と誰かが礼を言った声もどこか遠くに聞いて、ジャンは指が示した問いと課題を見比べた。頭の中でそれをつなげていく。
「流石アルミンだね」
「アルミン?」
マルコの声にやっと気づいた。ジャンが見たときにはもうアルミンはテーブルに戻っていて、今日の課題以前のレベルの問題を教えている。
「よし、やろうか」
マルコに肩を叩かれて改めて椅子に座り直す。自分のテキストを開きながら、またアルミンを見た。
――ほんとに頭いいやつなんだな。
あの小さい頭で考えて、どう考えたらジャンを好きになるのだろう。
馬鹿もひっくるめて知恵を出し合い、その日の課題はどうにかそれらしいところまでは理解した。きっと教官とてできるとは思っていないだろう。完璧を求めなかったジャンたちは早々に切り上げて、頭の痛いことから自らを解放し、それぞれ就寝の準備を始める。アルミンに教わっていた同期も戻ってきているのを何気なく見ていたが、ジャンが着替えを終えてもアルミンの声がしなかった。しばらく様子をうかがったが誰かが気にする声もなく、ジャンはこっそりと部屋を出る。
案の定、アルミンはまだ他には誰もいない食堂で丸い頭を抱えたコニーの前に座っていた。頭を抱えたいのはアルミンの方だろう。ジャンが黙ってアルミンの隣に座るとびくりと肩をはねさせてこちらを見たが、口を開くのはコニーの方が先だった。
「ジャン!助けてくれ!」
「アルミンに教えられてわからねえなら諦めろ」
「そんなこと言うなよ〜」
「ほらコニー、ここまではわかったんだからやっちゃおう」
アルミンの指先がテキストを叩く。さっきジャンたちにヒントを与えたように。それを追うようにジャンもテキストをのぞき込んだ。ジャンから見れば何がわからないのかわからないような問題でもコニーはつまずくが、これは多少は仕方ないかもしれない。ジャンも一緒になってああだこうだと口を挟めば、コニーはようやく理解しはじめたようだ。調子よくペンが走りかけ、アルミンは机に突っ伏した。額を机に押しつけて、だらりと手を垂らして肩の力を抜く。
「コニー、今日はここまでにしよう……僕もう眠い」
「おう」
疲れました、と全身で語り、アルミンは深く息を吐いた。ジャンは無造作に垂らされた手を見る。油断しきったそれに手を伸ばした。緩く丸められた指の間に手を滑り込ませて様子をうかがえば、小さく肩を揺らしたような気がしたがそれ以上わかりやすい反応はなく、ただ机に隠れたままそっと握り返された。
「できたっ!アルミン、あってるか!?」
コニーの声にアルミンは顔を上げ、ノートを見てうなずいた。コニーは立ち上がってガッツポーズをする。本番まで覚えてなきゃ意味ないからな、とジャンが言えばすぐにふてくされて、アルミンを見るが彼だってジャンと同じはずだ。
「おいコニー、お前先に戻れよ」
「なんで?」
「アルミンにお茶ぐらい飲ませてやれよ。馬鹿につきあうの疲れるんだからな」
ジャンが追い出すようにあしらえば、コニーはからかわれているのだと思ったのか舌を出して食堂を出ていった。アルミンの荷物を持っていく辺り、憎めない。
ふたりきりになった食堂で、ジャンはアルミンを見る。コニーがいなくなってから、アルミンは石像のように硬直したままだった。手のひらから伝わるジャンの体温には、メデューサと呼ばれる人を石にする力を持った化け物と同じ能力でもあるのだろうか。
「……お茶いるか?」
「……いい、大丈夫……ありがとう」
答えるアルミンの声はかすれていたが、ジャンはそれ以上何も言わなかった。横顔を見るとどことなく赤く、頬も緩んでいるようなので嫌ではないはずだ。
例えば、どんなことをすれば、この期間限定の恋人は満足するのだろうか。あんな嫉妬を見せておきながら、期限がきたらジャンから離れていくというのだろうか。
それは少し、惜しい気がした。
2014'02.09.Sun
「アルミン」
ミカサの声にどきりとして、反応したのはアルミンよりもジャンの方が早かった。そのあまりにもわかりやすい自分に呆れて、流石に恥じてジャンはすぐに視線を外す。アルミンは少し笑い、ジャンに断ってミカサの元へ向かった。
アルミンとふたりでいるところに誰かが来たことは初めてではない。人目を避けはしても結局は宿舎だ。完全にふたりきりに慣れるような場所などは早々に本当のカップルが陣取っている。
何を話しているのだろうか、とジャンはこっそりふたりを振り返った。訓練生活も一年を過ぎれば、鍛えられた肉体は性差を感じないことも多い。兵士としての能力の高いミカサはなおさらで、あいにくジャンはお目にかかったことはないが、噂によると彼女の腹筋は少し鍛えた程度の男では話にならないほど立派であるらしい。そのミカサと並ぶとともすればアルミンの方がよほど女らしく見える。
「わかった、エレンにも伝えておくね」
「お願い。探したけれど見つからなくて」
「多分ライナーたちといると思う」
「アルミンはここで何をしていたの?」
「ジャンと話をしてたんだ」
「そう……ここは寒いから、早くあたたかくして寝て」
「ありがとう、ミカサも体冷やさないようにね。おやすみ」
「おやすみなさい」
いつもクールなミカサが、わずかだが頬を緩めたような気がした。あれをそばで見るには、ジャンはどれほどの努力がいるのだろうか。走っても走っても、ジャンはミカサの視界に入らない。
ミカサと別れて戻ってくるアルミンをじっと見る。考えてみれは、告白した分ジャンよりもアルミンの方が男らしいと言えるのかもしれない。
「……それは嫌だな」
「何?」
「何でもない。ミカサなんて?」
「……気になる?」
「あ〜……」
目を細めたアルミンからそっと目をそらした。頭では、今はアルミンが「恋人」だとわかってはいるのだ。演じきれないジャンを冗談混じりだが責めるように、アルミンは最近こうしてジャンをからかった。
「ミカサがお世話になった人に手紙を書くから、もしあれば一緒に送るって」
「ふうん……」
「訓練兵になったときに知らせたきりだから、エレンにも何か書かせよう」
「あいつ手紙なんて書けるのか?」
「それは言い過ぎ」
アルミンは肩を揺らして小さく笑う。ミカサもアルミンも、エレンのような男のどこがいいのだろうか。以前簡単に聞いたときには、エレンとは幼馴染みであると言うだけではなく、ヒーローでもあるらしい。ジャンにはひねくれた正義感にしか見えなくても、それに引かれる者がいる。それもまたジャンにとっては気に食わないことだった。自分の言葉の力を、知らずに使う者は無責任だ。
「……そういえば、お前、オレのことあいつらにも言ってないのか」
もし話していればあのエレンが黙ってないだろう。それはジャンの思った通りで、アルミンはただ肩をすくめた。
「僕だって、何でも全部話すわけじゃないよ」
「気づきそうにもないもんな」
「ははっ、そうだね。僕だって自覚したときは驚いた」
「オレのどの辺りが優等生のお気に召したんだか」
「それは秘密。恥ずかしいから」
「オレのお願いでも?」
「うん。ジャンのお願いでも、教えてあげない」
笑うアルミンを、かわいいと思わないわけではない。先日の休みにはアルミンを避けるように実家に帰ったが、後で考えてみれば、共に過ごせそうな休みは他にはなかった。賢いアルミンはそのことにもう気づいているのだろうか。少しの罪悪感がジャンの態度を少し緩める。誰だって、好きな人との時間は大事だろう。
「寒いね、もう戻ろうか」
それでもアルミンは、あっさりとその時間に区切りをつける。恋人のふりと言いながら、ふたりの間に恋人らしいことなど何もなかった。
ふたりでいても、部屋にいても、アルミンの態度は変わらない。ただ、少し匂わすような会話があるかないかと言うだけだ。アルミンがそれでいいのかはわからない。ジャンはどこまで踏み込んでいいのかわからずに、ジャンは頷くしかなかった。
第104期訓練兵名物となりつつあったカップルが、先日喧嘩をしたらしい。普段は鬱陶しいほどの仲睦まじさだが、毎日そうというわけではない。たまの喧嘩も同期にしてみればいつものことなので気にせずにいたが、今回はいつもとは違うようだった。いつまで経ってもふたりは険悪なままで、周囲がそれにつき合うのも疲れてくるほどだ。男子一同はこのまま別れちまえ、とのろけに飽き飽きしていたが、女子の方は違ったらしい。
その日寮の部屋に戻ってきた彼氏の方は、今まで見たことがないほど表情を緩めて帰ってきた。否、あれは、彼女とつきあうことになった日と同じ表情だ。それはもう、誰が見たって彼らが仲直りしたのだ、してしまったのだとひと目でわかるほどにやけている。
「聞いてくれよ!」
運悪く捕まったマルコの助けを求める視線から、ジャンは他の同期同様巻き込まれる前に早々に逃げ出した。マルコには悪いが、のろけを聞かされるぐらいならあとでマルコに恨まれる方がましだった。断片的に焼き菓子がどうだと聞こえたから、話の内容も想像に難くない。
「あ、ジャン」
特に当てもなく部屋を出たジャンは、アルミンに呼ばれて振り返った。姿を見ないと思っていたが、どこに行っていたのだろう。
「あー、あの、ちょっと話さない?」
「いいけど」
なぜか改まった様子のアルミンが少しひっかかったが、それ以上気にせずにアルミンと並んで歩いた。食堂はカードゲームに興じる数人がいて、アルミンを見ると困ったように眉を下げた。
「ふたりがいいな……」
小さく告げる声にうっかりどきりとする。アルミンが自分に話をする以上のことを求めたことはないが、まさか、と少しだけ頭をよぎった。もし何か、もっと恋人らしいことをと求められたとき、自分はうまく拒めるのだろうか。
「……あの、すぐ終わるから、ちょっとだけ外でもいい?寒いのはわかってるんだけど」
「あ、ああ」
アルミンに促されて宿舎の外に出た。ドアを開けた瞬間身を切るような風にさらされて身震いする。アルミンがすぐだと言うから上着も取らずにきたが、これは一瞬であっても油断するべきではなかった。夜に目を凝らしてよく見れば雪がちらついていて、体を抱いてアルミンを見た。鼻を赤くして白い息を吐くアルミンは、やはり震えてジャンを見上げた。
「さっぶ!」
「うわぁ、ごめん」
「どうした?」
「あげる。これ渡したかっただけ」
早口で言い切って、アルミンはジャンの腕に何かを押しつけた。その包みを慌てて受け取る。アルミンの指が触れた気がしたが、冷たすぎてよくわからない。
「え?何?」
「みんなに内緒」
赤い顔でアルミンはジャンを残して中へ戻っていった。風にさらされたままジャンはぽかんと立ち尽くした。しかしすぐに寒さがジャンを現実に引き戻し、ジャンもすぐに宿舎に戻った。
外と比べられれば風がなないだけましと言うレベルの廊下でジャンは押しつけられたものを改めた。油紙の包みを開くとほんのりバターの香りが広がる。まだあたたかさの残るショートブレッドだ。とは言え包まれているのは3つだけ。何も言われなかったが、渡されたということは食べてもいいということなのだろうか。周りに誰もいないことを確認してそれを口に運ぶ。さっくり砕けた菓子のほのかな塩気が口に広がった。ひとつをあっという間に食べてしまい、少し考え、隠し持っていても他の誰かに食べられてしまう想像しかできなかったので、残りも食べてしまう。
決して食料に余裕はないが、兵士は体を作るためにも比較的多く支給を受けている。食事当番の時に少しちょろまかす程度のことはバレなくて、というよりはよほどでない限り目をつぶってくれているのか、女子はたまにこうして菓子の類を作っているようだ。アルミンもそれを誰かにもらって、分けてくれたのかもしれない。随分とかわいらしいことをする。
水がほしくて食堂に寄れば、マルコも逃げてきていたところだった。今は部屋に戻ったアルミンが捕まっているらしい。助けてやろうかと思ったが、ジャンがマルコに捕まってしまった。
「まったく、惚れた腫れたは勝手だけど、自分たちだけでやってほしいよね」
「無事仲直りしてたわけ?」
「そうみたい。女子が仲直りさせようと、お菓子焼いたんだって。なんかアルミンまで巻き込まれてたみたいだよ」
「アルミン?」
「なんて言ってたかなぁ、古い文献に、二月に恋人に贈り物をするイベントのことが書いてるんだって。贈り物は花とかお菓子とかあるみたいだけど……アルミンがそのことを教えたら、ついでに手伝わされたみたい。さっき初めてお菓子作った、って言ってたよ」
「……へえ」
胃の辺りを意識する。
じゃあ、あれは。あの赤い頬は、寒さのせいではなかったのかもしれなくて。
「……わかりにくいんだよ」
「何?」
「なんでもねぇ」
ミカサの声にどきりとして、反応したのはアルミンよりもジャンの方が早かった。そのあまりにもわかりやすい自分に呆れて、流石に恥じてジャンはすぐに視線を外す。アルミンは少し笑い、ジャンに断ってミカサの元へ向かった。
アルミンとふたりでいるところに誰かが来たことは初めてではない。人目を避けはしても結局は宿舎だ。完全にふたりきりに慣れるような場所などは早々に本当のカップルが陣取っている。
何を話しているのだろうか、とジャンはこっそりふたりを振り返った。訓練生活も一年を過ぎれば、鍛えられた肉体は性差を感じないことも多い。兵士としての能力の高いミカサはなおさらで、あいにくジャンはお目にかかったことはないが、噂によると彼女の腹筋は少し鍛えた程度の男では話にならないほど立派であるらしい。そのミカサと並ぶとともすればアルミンの方がよほど女らしく見える。
「わかった、エレンにも伝えておくね」
「お願い。探したけれど見つからなくて」
「多分ライナーたちといると思う」
「アルミンはここで何をしていたの?」
「ジャンと話をしてたんだ」
「そう……ここは寒いから、早くあたたかくして寝て」
「ありがとう、ミカサも体冷やさないようにね。おやすみ」
「おやすみなさい」
いつもクールなミカサが、わずかだが頬を緩めたような気がした。あれをそばで見るには、ジャンはどれほどの努力がいるのだろうか。走っても走っても、ジャンはミカサの視界に入らない。
ミカサと別れて戻ってくるアルミンをじっと見る。考えてみれは、告白した分ジャンよりもアルミンの方が男らしいと言えるのかもしれない。
「……それは嫌だな」
「何?」
「何でもない。ミカサなんて?」
「……気になる?」
「あ〜……」
目を細めたアルミンからそっと目をそらした。頭では、今はアルミンが「恋人」だとわかってはいるのだ。演じきれないジャンを冗談混じりだが責めるように、アルミンは最近こうしてジャンをからかった。
「ミカサがお世話になった人に手紙を書くから、もしあれば一緒に送るって」
「ふうん……」
「訓練兵になったときに知らせたきりだから、エレンにも何か書かせよう」
「あいつ手紙なんて書けるのか?」
「それは言い過ぎ」
アルミンは肩を揺らして小さく笑う。ミカサもアルミンも、エレンのような男のどこがいいのだろうか。以前簡単に聞いたときには、エレンとは幼馴染みであると言うだけではなく、ヒーローでもあるらしい。ジャンにはひねくれた正義感にしか見えなくても、それに引かれる者がいる。それもまたジャンにとっては気に食わないことだった。自分の言葉の力を、知らずに使う者は無責任だ。
「……そういえば、お前、オレのことあいつらにも言ってないのか」
もし話していればあのエレンが黙ってないだろう。それはジャンの思った通りで、アルミンはただ肩をすくめた。
「僕だって、何でも全部話すわけじゃないよ」
「気づきそうにもないもんな」
「ははっ、そうだね。僕だって自覚したときは驚いた」
「オレのどの辺りが優等生のお気に召したんだか」
「それは秘密。恥ずかしいから」
「オレのお願いでも?」
「うん。ジャンのお願いでも、教えてあげない」
笑うアルミンを、かわいいと思わないわけではない。先日の休みにはアルミンを避けるように実家に帰ったが、後で考えてみれば、共に過ごせそうな休みは他にはなかった。賢いアルミンはそのことにもう気づいているのだろうか。少しの罪悪感がジャンの態度を少し緩める。誰だって、好きな人との時間は大事だろう。
「寒いね、もう戻ろうか」
それでもアルミンは、あっさりとその時間に区切りをつける。恋人のふりと言いながら、ふたりの間に恋人らしいことなど何もなかった。
ふたりでいても、部屋にいても、アルミンの態度は変わらない。ただ、少し匂わすような会話があるかないかと言うだけだ。アルミンがそれでいいのかはわからない。ジャンはどこまで踏み込んでいいのかわからずに、ジャンは頷くしかなかった。
第104期訓練兵名物となりつつあったカップルが、先日喧嘩をしたらしい。普段は鬱陶しいほどの仲睦まじさだが、毎日そうというわけではない。たまの喧嘩も同期にしてみればいつものことなので気にせずにいたが、今回はいつもとは違うようだった。いつまで経ってもふたりは険悪なままで、周囲がそれにつき合うのも疲れてくるほどだ。男子一同はこのまま別れちまえ、とのろけに飽き飽きしていたが、女子の方は違ったらしい。
その日寮の部屋に戻ってきた彼氏の方は、今まで見たことがないほど表情を緩めて帰ってきた。否、あれは、彼女とつきあうことになった日と同じ表情だ。それはもう、誰が見たって彼らが仲直りしたのだ、してしまったのだとひと目でわかるほどにやけている。
「聞いてくれよ!」
運悪く捕まったマルコの助けを求める視線から、ジャンは他の同期同様巻き込まれる前に早々に逃げ出した。マルコには悪いが、のろけを聞かされるぐらいならあとでマルコに恨まれる方がましだった。断片的に焼き菓子がどうだと聞こえたから、話の内容も想像に難くない。
「あ、ジャン」
特に当てもなく部屋を出たジャンは、アルミンに呼ばれて振り返った。姿を見ないと思っていたが、どこに行っていたのだろう。
「あー、あの、ちょっと話さない?」
「いいけど」
なぜか改まった様子のアルミンが少しひっかかったが、それ以上気にせずにアルミンと並んで歩いた。食堂はカードゲームに興じる数人がいて、アルミンを見ると困ったように眉を下げた。
「ふたりがいいな……」
小さく告げる声にうっかりどきりとする。アルミンが自分に話をする以上のことを求めたことはないが、まさか、と少しだけ頭をよぎった。もし何か、もっと恋人らしいことをと求められたとき、自分はうまく拒めるのだろうか。
「……あの、すぐ終わるから、ちょっとだけ外でもいい?寒いのはわかってるんだけど」
「あ、ああ」
アルミンに促されて宿舎の外に出た。ドアを開けた瞬間身を切るような風にさらされて身震いする。アルミンがすぐだと言うから上着も取らずにきたが、これは一瞬であっても油断するべきではなかった。夜に目を凝らしてよく見れば雪がちらついていて、体を抱いてアルミンを見た。鼻を赤くして白い息を吐くアルミンは、やはり震えてジャンを見上げた。
「さっぶ!」
「うわぁ、ごめん」
「どうした?」
「あげる。これ渡したかっただけ」
早口で言い切って、アルミンはジャンの腕に何かを押しつけた。その包みを慌てて受け取る。アルミンの指が触れた気がしたが、冷たすぎてよくわからない。
「え?何?」
「みんなに内緒」
赤い顔でアルミンはジャンを残して中へ戻っていった。風にさらされたままジャンはぽかんと立ち尽くした。しかしすぐに寒さがジャンを現実に引き戻し、ジャンもすぐに宿舎に戻った。
外と比べられれば風がなないだけましと言うレベルの廊下でジャンは押しつけられたものを改めた。油紙の包みを開くとほんのりバターの香りが広がる。まだあたたかさの残るショートブレッドだ。とは言え包まれているのは3つだけ。何も言われなかったが、渡されたということは食べてもいいということなのだろうか。周りに誰もいないことを確認してそれを口に運ぶ。さっくり砕けた菓子のほのかな塩気が口に広がった。ひとつをあっという間に食べてしまい、少し考え、隠し持っていても他の誰かに食べられてしまう想像しかできなかったので、残りも食べてしまう。
決して食料に余裕はないが、兵士は体を作るためにも比較的多く支給を受けている。食事当番の時に少しちょろまかす程度のことはバレなくて、というよりはよほどでない限り目をつぶってくれているのか、女子はたまにこうして菓子の類を作っているようだ。アルミンもそれを誰かにもらって、分けてくれたのかもしれない。随分とかわいらしいことをする。
水がほしくて食堂に寄れば、マルコも逃げてきていたところだった。今は部屋に戻ったアルミンが捕まっているらしい。助けてやろうかと思ったが、ジャンがマルコに捕まってしまった。
「まったく、惚れた腫れたは勝手だけど、自分たちだけでやってほしいよね」
「無事仲直りしてたわけ?」
「そうみたい。女子が仲直りさせようと、お菓子焼いたんだって。なんかアルミンまで巻き込まれてたみたいだよ」
「アルミン?」
「なんて言ってたかなぁ、古い文献に、二月に恋人に贈り物をするイベントのことが書いてるんだって。贈り物は花とかお菓子とかあるみたいだけど……アルミンがそのことを教えたら、ついでに手伝わされたみたい。さっき初めてお菓子作った、って言ってたよ」
「……へえ」
胃の辺りを意識する。
じゃあ、あれは。あの赤い頬は、寒さのせいではなかったのかもしれなくて。
「……わかりにくいんだよ」
「何?」
「なんでもねぇ」
2014'02.05.Wed
ドアが開くと、迎えてくれたのはふたりの笑顔だった。客人であるマルコはその贅沢な歓迎に笑顔を返し、母親に抱かれた娘の頬に手を伸ばす。それは予想以上の柔らかさで男の指先を受け、ドレスの手触りを思い出させた。娘はくすぐっそうに、しかし拒まず笑みをこぼす。
「久しぶり、メアリー。見ない間に随分お姉さんになったね」
「だって、メアリー。よかったね」
「アルミンも相変わらず元気そうでよかった」
「毎日この子に振り回されて、疲れている間もないよ」
どうぞ、と促され、マルコは部屋に招かれた。久しぶりに訪れる友人夫婦の家は何も変わらず……とはならず、あちこちに娘のためのものが増えている。まだ結婚の予定も相手もいないマルコには少しまぶしい光景だ。
「よう、ちょっと久しぶりだな」
「久しぶり、ジャン。今日のシェフはジャンですか」
台所から親友が顔を出す。比較的なんでもこなしてしまう彼は嫌味なことに努力している妻よりも料理がうまい。何度かそれで喧嘩をしているのを知っている身としては、結果的にはアルミンにとっても育児は随分楽だろう。
もうできているからとマルコは先にテーブルに座らされた。手伝うように言われたアルミンも台所に行ってしまい、マルコは手持ち無沙汰に部屋を見る。ふと小さな女の子がこちらをじっと見ていることに気づいて、笑いかけて手招きをした。彼女はぱっと花が咲くように笑い、小さな手足を動かしてマルコの膝までやってくる。
「わかるかな?マルコです」
「あう」
「マルコ。よろしくね」
幼い手を取って握手をする。わからないなりに何かおもしろかったのか、メアリーは笑い声を上げた。
ジャンの料理はある意味では男の料理で、簡単に言えばアルコールがよく合った。と言うよりはジャンは初めからそのつもりだったようである。必然的にマルコも飲まされ、料理と酒を楽しんだ。先日まで仕事で海外にいたマルコは、決して口に合わなかったわけではないが、やはり慣れた料理というのは嬉しいものだった。
「メアリー、おいで」
上機嫌のジャンに呼ばれて、娘は彼の膝に引き寄せられる。子どもが嫌いだと聞いたこともなかったが予想以上の子煩悩で、昔からジャンを知っていると面白い。膝に乗せた娘に額を寄せて、紅葉のような手でぴたぴたと頬を叩かれている。
「そんなんじゃメアリーがお嫁に行くとき大変じゃない?」
「誰にもやらねー」
「すぐそれだ」
ジャンの言葉はおきまりらしく、アルミンはあきれた素振りをしながらも笑っている。あの悪人面が父親なら挨拶にくるまだ見ぬ旦那様はさぞ怯えることだろう、と考えて、マルコも思わず口元を緩めた。
「メアリー、パパにちゅーして」
ジャンが頬を指させば、娘は愛らしい唇でそれに応える。へらへら笑ってジャンが娘を抱きしめるのにさすがに驚けば、アルミンも苦笑していた。
「なんかジャンが変なこと教えちゃったんだよね」
「あんなジャン見たらみんな驚くだろうなぁ」
「お義母さんは大笑いしてた」
「だろうね」
「あーもー誰にもやらねー。パパが一生養う。メアリー、パパと結婚しような」
「あーあ、出来あがっちゃって」
アルミンは立ち上がって台所に向かった。すぐに水を持って戻ってきて、ジャンから娘を引きはがして代わりにグラスを押しつける。
「だってな、お前、あんなにかわいいんだぞ」
「はいはい」
「うーん、見てはいけないものを見た気分」
マルコが今まで知らなかった親友の姿は、恥ずかしいほどだが憎めない。父親から解放された娘はテーブルに興味を持ったので、マルコは慌ててひっくり返されそうになった皿を捕まえた。アルミンは酔っ払いに絡まれて適当になだめている。
でもまあこれほどかわいければ仕方ないか、と思うほどに、彼らの子どもは愛らしい。マルコをじっと見上げる瞳は宝石のように輝いて、無垢な視線はくすぐったいほどだ。
ふと、ちょっとした悪戯心がわいてくる。
「メアリー、オレにもちゅーして」
先ほどジャンがそうしたように、マルコも彼女に頬を見せた。賢いメアリーはにこりと笑い、柔らかいそれでマルコに祝福を贈る。しっとりと柔らかいキスは人を魅了するには十分だ。
笑って顔を上げれば、――彼らの両親が、目を丸くしてこちらを見ている。これはさすがに怒られるだろうか、と先に謝れば、アルミンがまだ戸惑いを残したまま首を振った。
「人見知りはしないんだけど、さすがにそれはエレンにもおじいさまにもしなかったんだよね」
「お前いつの間にメアリーたぶらかしたんだよ……」
「え〜、挨拶しかしてないよ」
マルコの前で、メアリーばかりが何も知らずに笑っている。マルコが困ってメアリーを見たが、無邪気な、意味の取れない言葉が返ってくるだけだ。
「パパ以外には初めてのキスになっちゃったねぇ。マルコのお嫁さんにしてもらう?」
「オレは許さねえからな!」
「久しぶり、メアリー。見ない間に随分お姉さんになったね」
「だって、メアリー。よかったね」
「アルミンも相変わらず元気そうでよかった」
「毎日この子に振り回されて、疲れている間もないよ」
どうぞ、と促され、マルコは部屋に招かれた。久しぶりに訪れる友人夫婦の家は何も変わらず……とはならず、あちこちに娘のためのものが増えている。まだ結婚の予定も相手もいないマルコには少しまぶしい光景だ。
「よう、ちょっと久しぶりだな」
「久しぶり、ジャン。今日のシェフはジャンですか」
台所から親友が顔を出す。比較的なんでもこなしてしまう彼は嫌味なことに努力している妻よりも料理がうまい。何度かそれで喧嘩をしているのを知っている身としては、結果的にはアルミンにとっても育児は随分楽だろう。
もうできているからとマルコは先にテーブルに座らされた。手伝うように言われたアルミンも台所に行ってしまい、マルコは手持ち無沙汰に部屋を見る。ふと小さな女の子がこちらをじっと見ていることに気づいて、笑いかけて手招きをした。彼女はぱっと花が咲くように笑い、小さな手足を動かしてマルコの膝までやってくる。
「わかるかな?マルコです」
「あう」
「マルコ。よろしくね」
幼い手を取って握手をする。わからないなりに何かおもしろかったのか、メアリーは笑い声を上げた。
ジャンの料理はある意味では男の料理で、簡単に言えばアルコールがよく合った。と言うよりはジャンは初めからそのつもりだったようである。必然的にマルコも飲まされ、料理と酒を楽しんだ。先日まで仕事で海外にいたマルコは、決して口に合わなかったわけではないが、やはり慣れた料理というのは嬉しいものだった。
「メアリー、おいで」
上機嫌のジャンに呼ばれて、娘は彼の膝に引き寄せられる。子どもが嫌いだと聞いたこともなかったが予想以上の子煩悩で、昔からジャンを知っていると面白い。膝に乗せた娘に額を寄せて、紅葉のような手でぴたぴたと頬を叩かれている。
「そんなんじゃメアリーがお嫁に行くとき大変じゃない?」
「誰にもやらねー」
「すぐそれだ」
ジャンの言葉はおきまりらしく、アルミンはあきれた素振りをしながらも笑っている。あの悪人面が父親なら挨拶にくるまだ見ぬ旦那様はさぞ怯えることだろう、と考えて、マルコも思わず口元を緩めた。
「メアリー、パパにちゅーして」
ジャンが頬を指させば、娘は愛らしい唇でそれに応える。へらへら笑ってジャンが娘を抱きしめるのにさすがに驚けば、アルミンも苦笑していた。
「なんかジャンが変なこと教えちゃったんだよね」
「あんなジャン見たらみんな驚くだろうなぁ」
「お義母さんは大笑いしてた」
「だろうね」
「あーもー誰にもやらねー。パパが一生養う。メアリー、パパと結婚しような」
「あーあ、出来あがっちゃって」
アルミンは立ち上がって台所に向かった。すぐに水を持って戻ってきて、ジャンから娘を引きはがして代わりにグラスを押しつける。
「だってな、お前、あんなにかわいいんだぞ」
「はいはい」
「うーん、見てはいけないものを見た気分」
マルコが今まで知らなかった親友の姿は、恥ずかしいほどだが憎めない。父親から解放された娘はテーブルに興味を持ったので、マルコは慌ててひっくり返されそうになった皿を捕まえた。アルミンは酔っ払いに絡まれて適当になだめている。
でもまあこれほどかわいければ仕方ないか、と思うほどに、彼らの子どもは愛らしい。マルコをじっと見上げる瞳は宝石のように輝いて、無垢な視線はくすぐったいほどだ。
ふと、ちょっとした悪戯心がわいてくる。
「メアリー、オレにもちゅーして」
先ほどジャンがそうしたように、マルコも彼女に頬を見せた。賢いメアリーはにこりと笑い、柔らかいそれでマルコに祝福を贈る。しっとりと柔らかいキスは人を魅了するには十分だ。
笑って顔を上げれば、――彼らの両親が、目を丸くしてこちらを見ている。これはさすがに怒られるだろうか、と先に謝れば、アルミンがまだ戸惑いを残したまま首を振った。
「人見知りはしないんだけど、さすがにそれはエレンにもおじいさまにもしなかったんだよね」
「お前いつの間にメアリーたぶらかしたんだよ……」
「え〜、挨拶しかしてないよ」
マルコの前で、メアリーばかりが何も知らずに笑っている。マルコが困ってメアリーを見たが、無邪気な、意味の取れない言葉が返ってくるだけだ。
「パパ以外には初めてのキスになっちゃったねぇ。マルコのお嫁さんにしてもらう?」
「オレは許さねえからな!」
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