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言い訳置き場

言い訳を書いていきます。誤字の報告などあればありがたいです。 ※唐突にみゅネタややぎゅにおの外の人のかけ算が混ざるのでご注意下さい。 日常はリンクのブログから。

2024'05.04.Sat
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2013'11.03.Sun
「おはよう。帰り何時だった?」

「おはよう。12時過ぎてたな」

「全然気づかなかった」

笠井が寝てから帰宅し、起きるより早く支度を済ませている三上に舌を巻く。もう慣れてはいたが、相変わらずてきぱきした人だ。朝食を済ませて皿を片づけている三上を見てあくびをする。

「ああ、そうだ」

笠井の前を横切ろうとして三上は足を止めた。

「誕生日おめでとう」

「どーも」

そういえば、今日は笠井の誕生日だった。

三上の隣で過ごすようになってから、もう10年以上経つ。お互い今更誕生日やクリスマスなどのイベントごとをいちいち恋人らしくこなしてはいられない。身も蓋もない言い方をするなら、ネタが尽きた。三上も言葉だけ残して台所に消える。

「……あ、お皿置いてていいよー、後で俺一緒に洗うから」

「洗う気なかった」

「そーですか」

「パン焼くか?」

「うん」

三上がトースターを開ける音を聞きながら、笠井は奥の部屋に向かった。

男ふたりには不釣り合いな一戸建て。広く取った部屋の1階は笠井のピアノ教室のための部屋だ。壁のカレンダーを見ながら今日の生徒を確認する。祝日なので休みの子がほとんどだ。それ以外は夕方まで、いつもと何も変わらない1日だ。

「布団でも干そうかな」

「焼けたぞー」

「あざーっす」

カレンダーを弾いてリビングに戻った。無造作に食パンを皿に乗せ、三上は笠井と入れ替わるように2階の部屋に上がっていく。冷蔵庫から取り出したマーガリンといちごジャムをべたりと塗って、牛乳をマグに注いで朝食だ。

もう三十路も前になれば、誕生日もさして特別なものでもない。2、3年かに1度ぐらい思い出したように友人が思い出したようにメッセージをくれる以外には、律儀な三上がひと言くれるのがここ数年のパターンだった。誕生日を祝ってもらって無邪気に喜ぶような年でもない。

「じゃあ俺行くからー」

「はーい」

玄関からの声に、食パンを手にしたまま一応見送りに行くと、三上はそれを見て顔をしかめた。行儀の悪さを怒るのかと思いきや、三上が笠井の腹を摘んだので叩き落とす。

「お前絶対肉ついた」

「ついてない!」

「ケーキでも買ってやろうかと思ってたけどやめるわ」

「ケンタのチキンがいい」

「デブ」

「遅刻しろ!」

三上を見送り、笠井はざくざくとトーストを食べながら台所に戻る。怒りのまま咀嚼しながら、そっと腹を撫でた。明らかに昔より柔らかいことは自分でもわかっている。しかし三上が言っているのは、きっと自分がまだ毎日サッカー漬けで走り回っていた頃のことだ。あれから何年経っていると思っているのだろう。

「……走ろうかな」

朝食を済ませて部屋に戻ると、忘れていた携帯に友人からメールが来ている。祝いと一緒に久しぶりに食事でも、という誘いだ。少し迷って、例と一緒に、その前に走りに行かないか、と送ってみる。現役のサッカー選手にどこまでついていけるのかはわからない。送ったメールにやや後悔しながらも、返事がくる前に笠井は着替えを始めた。ああ見えてもまめな三上は、きっと笠井のリクエストに応えたものを買って帰ってくるだろう。
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2013'09.22.Sun
「もうやだ」

「……やだって言われても」

「もう嫌だ。無理です。耐えられない。笠井くんが優しく抱きしめて頑張って下さいって言ってくれないと俺はもうキーボードを叩けない」

「じゃあ諦めて単位落とすんですね」

「鬼かッ」

背後でだらだらしている笠井を睨みつければ、きょとんとしたあと、にっこりと笑う。

「かわいい恋人になんてことを。レポートが終わらなくてデートドタキャンされて、それでもレポートが終わるまで健気に待ってくれてるなんて、俺なら絶対手放しませんよ」

「……すみませんでした」

「いいえ、慣れてますから」

澄まして麦茶を飲む笠井を見て、三上は肩を落とす。そう言われてしまえばその通りなのだ。確かに昨日中に終わらせておく予定だったレポートを今日まで引きずっているのは自分のせいで、揚句徹夜で早朝まで続けていたらいつの間にか眠っており、笠井には何も連絡をしていなかった。待ち合わせしていた時間になっても現れない三上を待つことはせず、すぐに三上のアパートにやってきた笠井はもったいないほどよくできた恋人である。

「ほら、もう1時ですよ。メール提出とはいえ2時までなんでしょ」

「ぐうう……」

「もー、どうせほとんどできてるんでしょ?あと一息じゃないですか」

「まとまんねえんだよ」

「行き当たりばったり」

「うるせえ」

「……ははっ」

「何だよ」

「三上先輩、いっつも変わんないね」

「はぁ?」

「何してるときでも、一回投げ出そうとしますよね」

「……そうか?」

「諦めるでしょ」

「……」

「でも、諦めてからやる気に火が着くの。違います?」

笠井はひどく楽しげだ。改めて言葉にされると何と返せばいいのかわからない。それは自分でもうすうす感じていたことで、要するに負けず嫌いなのだろうと思う。しかしわかった風の笠井は気に食わない。

三上が再びパソコン向き直ると笠井は大人しくなった。さっき三上のスマートフォンを奪っていったのでゲームでもしているのだろう。本人は未だに古い携帯で粘っている。

頭の中に浮かんでいた結論をどうにか言葉にまとめ、後は数度確認した。字数を勘違いしていないことを確認し、最後に忘れてはいけないひと仕事。教授へのメールにレポートのファイルがちゃんと添付されているかを確認した後、送信ボタンを押した。ぱっと画面が切り替わり、メールが正しく送信されたことを知らせる。メール提出と言う素晴らしい仕組みを作り上げた文明に感謝して、大きくガッツポーズを決めた。

どうだ、とばかりに笠井を振り返れば、いつの間にか床に転がって丸くなっている。顔を隠すように小さくなってしまっているが、これは完全に寝入ってしまっているだろう。そっと腕をどけてみると、予想通り気持ちよさそうに眠る笠井に溜息をついた。悪いのは自分だ。わかっていても、少々不満は残る。頬をつついたり肩を叩いたりしてみるが起きそうにもない。

諦めて、一息つこうと立ち上がる。ずっとクーラーをかけていた室内では夏であることも忘れていたが、窓越しに蝉の鳴き声が聞こえてくる。麦茶を入れて部屋に戻り、笠井の側にしゃがんでむき出しの足に触れた。クーラーですっかり冷えてしまって冷たくなっていて、タオルケットを引っ張って下半身にかけてやる。

開いたままのパソコンで、笠井が見たいと言っていた、今日見に行く予定だった映画の時間を調べた。レイトショーもあることを確認する。辺りを探し、笠井が持ったままであることを思い出してその手からスマートフォンを取り返した。

身動きひとつせず眠る姿は昔から変わらない。レイトショーに間に合う頃に起こせばいいだろう。手放していた間の着信などを確認しながら、三上も隣に横になる。



これから夏が始まる。友人たちとはバイトの合間の遊びの予定をいろいろたてたが、笠井とは何の約束もしていない。笠井からも特に何も言ってくることはなく、改めてどこかにと思っても、今更特別笠井と行きたいと思うような場所もなかった。なんだかんだとつき合いは長く、ネタが尽きた、とでもいうのかもしれない。

きっとこの夏も季節など関係なく、どちらかの家でこうしてだらけていることがほとんどになるような気がした。

それとも、言わないだけで笠井は何か思っているのだろうか。言葉の足りない男だと知ってはいるが、三上はいつも見逃してしまう。

何か夏らしいことに誘おうか。

特に何も思いつかないまま、三上もゆっくりと眠りに落ちていった。
2013'08.31.Sat
「……あれは待機してるな」

「してますねぇ」

談話室で本を読む辰巳の背中を見ながら、三上と笠井は顔を見合わせた。本に集中しているようでありながら、談話室に誰かが入ってくるたびにわずかに肩が揺れる。笠井が先輩に対してかわいいなぁ、などとこぼしても、三上はそれをとがめなかった。

辰巳が談話室で本を読んでいることは珍しくない。どんな環境でも本に集中できる辰巳は、冷暖房が必要な時期には共有スペースにいるエコな男だ。だから今日ここにいることも不自然ではないのだが、さっきからページが進んでいる気配がない。今日辰巳がここにいるのは、本を読むためではないだろう。

「うーん、あの辰巳先輩からここまで集中力を奪うとは」

辰巳が待っているのは、夏休みで帰省中のあの人だ。今日戻るとの連絡は三上たちも受け取ったが、誰よりも一番待ち望んでいるのは辰巳だろう。

「ただいま!」

辰巳が肩を震わせる。待ち望んでいたその人が、談話室のドアを大きく開けて入ってきた。辰巳の背中を見てもそわそわとしているのは見て取れるが、すぐに立ち上がろうとはしない。そんな辰巳に気がつかず、彼は三上に気づいてこちらにやってきた。

「ただいま。元気にしてたか?」

「盆の間だけじゃねーか」

「笠井も戻ってたんだな。仲良くしてたか?」

「お前は親戚のおっさんか」

「お帰りなさい、キャプテン」

帰ってきたその人、渋沢は、三上が顔をしかめるのも気にせず笠井に笑いかけた。寮でも部員たちをまとめる渋沢は、恐らく実家でも兄弟たちにつきまとわれただろうが、そんな疲れは微塵も見せない。三上も笠井も辰巳がどう動くのかが気になって横目で観察するが、渋沢は実家でリフレッシュできたのか、にこやかに実家での話をしている。次第に肩を落とす辰巳に見かねて、三上が小声で教えてやった。

「ああ、そうだった。辰巳!」

振り返った渋沢が呼ぶと、辰巳はぱっと顔を上げる。その少年らしい目の輝きに、三上が吹き出しそうになったのを笠井が慌てて抑えた。そうする笠井も笑うのをこらえて唇を噛んでいる。こちらにやってくる辰巳は心なしか早足で、笠井はぐっと俯いた。

「渋沢お帰り」

「ただいま。休み前に話してたことなんだが」

「あ、ああ」

「ちゃんと探したら見つかった。祖父に聞いたら、もういらないから辰巳にあげてくれって」

「か、貸してもらえるだけで」

「好きな人が持っている方が喜ぶだろうからって」

「あ、ありがとう!」

「今度私物と一緒に送ってもらうから、届いたら知らせるよ」

「ありがとう!」

「……なぁ、何の話?」

笑いをこらえながら三上が聞く。尤も、聞かずとも大体は予想がついているのだが。

「辰巳が探していた本のシリーズが実家にあったんだ」

「……そんなことだろうな」

「キャプテンのおじいさんも本が好きなんですか?」

「いや、まったく読まないということはないが辰巳ほど好きでもない。シリーズが揃ってるのは本棚に並べるためだ。見栄っ張りなんだよ。ああ、だからあまり状態がよくないかもしれないが」

「読めるならなんでも!」

「はは、家族も誰も読まないから、処分できて助かるよ」

辰巳の常日頃では見られない勢いにも渋沢は驚かないようだった。三上はもう耐えきれず、うずくまってしまっている。

「あ、そうだ、図書館に行かないと」

「そうなのか、気をつけてな」

肩の荷が下りたようにすっきりした辰巳は、渋沢に見送られて談話室を出ていった。笠井も手を振って、いつもはたくましいはずのかわいい背中を見送る。

「ほんとに辰巳は本が好きだなぁ」

「そ、そうですね」

そういうレベルなのだろうか。笠井には病気に見える。

「たっだいま〜!」

「あ、中西先輩お帰りなさい」

談話室に入って来るなり、中西は荷物を放り投げた。涼しい!とそのままソファーに倒れ込む。笠井が近づくと、中西の額に浮いた汗が外の暑さを物語っていた。確かに日中の一番暑い時間帯だ。こんな中辰巳は出ていったのか、と苦笑する。

「あ、ねえ辰巳は?俺出迎えてねって帰る時間メールしたんだけど」

「あー……」

「図書館に行ったぞ」

笠井が言い淀む助けになったのかわからないが、部屋に戻りかけた渋沢が代わりに答えた。えーっ、と頬を膨らませる中西に、今まで堪えていた三上がついに笑い声を上げる。

「中西、お前ついに本に負けてやんの!」

「……笠井、俺と三上どっちが好き?」

「中西先輩です!」

ふふん、と笑って見せた中西とは対照的に三上には悔しさがにじみ、笠井に恨みのこもった視線が飛んでくるが無視をする。

「どうした辰巳、忘れ物か」

談話室を出たばかりの渋沢の声に廊下を振り返った。出ていったはずの辰巳が戻ってきている。

「辰巳!俺を思い出して帰ってきてくれたんだね!」

「いや、図書カード忘れた」

ろくに中西を見ずに、辰巳は部屋へ向かっていく。中西が言葉を失った。三上の笑い声が大きくなるのを笠井が慌てて抱え込む。



再び辰巳が寮を出る頃には、三上の笑い声は悲鳴に代わっていた。
2013'05.10.Fri
「藤代選手だ」

人波から聞こえた声に藤代は耳聡く反応する。ぱっと振り返って声の主を確認し、目が合った相手が動揺したのを見て笑って手を振った。やめなよ、隣の笠井は眉をひそめる。

「また人だかりになったらどうするの」

「大丈夫でしょ」

「どうでもいいけどひとりのときにして!」

「はいはい」

「今日は遅刻できないんだからね!先輩の結婚式に遅れるなんてとんでもない!」

「はいはい」

のんきに笑う藤代を引っ張って式場へ向かう。慣れない正装のはずなのに藤代はよく着こなしていた。生まれもって持っているものの差はずるい。もう何度も着たスーツ姿で歩く笠井はどう見えているのだろう。元恋人の結婚式に行くように見えるだろうか。



純白のウエディングドレスは笠井にだって着られないことはないだろう。限りなく犯罪的ではあるかもしれないが、着てはいけないということはない。しかしそれは一体誰が得をするのだろうか。笠井が尊厳を失うだけである。

花嫁を見ながら気もそぞろでそんなことを考えているのは、きっと笠井だけだ。

祝福される新郎新婦。勿論笠井も祝うつもりできたのだ、恨み言を言うつもりもない。ただ、笑顔の三上が眩しくて。

タキシードを着こなした三上の姿に涙がにじむ。嫌いで別れたわけではないのだ。若い熱が冷めてお互い大人になった。それだけのことだった。そう思っているのは、三上だけだということだった。

藤代に引っ張られて三上のそばに連れて行かれる。見上げた三上は嬉しそうで、笠井は思わず涙をこぼした。数々の思い出が走馬燈のように蘇る。不器用に気持ちを交わしたこと、つまらないことで喧嘩をしたこと、初めてキスをしたこと。こんなにも鮮やかに思い出すことができるのに、二人のこの先には何もない。



「笠井、おい」

かすれた声で名前を呼ばれ、ゆっくりと目を開けた。隣を見ると三上が大きなあくびをして、低くうなって枕に突っ伏す。今のは夢だとすぐに理解した。顔を伏せたままの三上が手探りで笠井の腹を撫でている。時計を見上げると針は5時を指していた。三上の起きる時間だ。あくびをかみ殺しながらこっちを見た三上はまだ視線がどこか虚ろだ。

「泣きながら寝てるからよ、起こしてやった方がいいかと思って」

そう言われて初めて自分が泣いていることに気がついた。目を拭って三上を見る。あやすようにぽんぽんと腹を叩く手は重そうだ。

「どんな夢見てたんだよ」

「あー……思い出せない」

「ふぅん」

三上が目を閉じた。うとうとしかけたのを見計らったかのように、目覚まし時計が鳴り出す。三上は手を伸ばしてそれを止め、渋々と行った様子で体を起こす。

「寝てろ」

笠井が体を起こそうとすると制されて、三上は足を引きずるように寝室を出ていった。階段を降りる足音が頼りなく、毎日のことながら落ちやしないか心配になる。今日は練習試合の日だったか。コーチも何かと忙しい。言われたとおりに寝ようとしたが目が冴えて、朝食ぐらい用意してやろうとベッドを出る。洗面所で顔を洗う音を聞きながら台所に入った。

ふたりで暮らし始めて何年経つだろうか。住宅街の端とはいえ、戸建ての家に男がふたり。そこにピアノを持ち込んで教室を開いたが、よくこんな怪しいところに通わせる親がいたものだ、と他人事のように考える。最も、好奇心もあるだろう。今も生徒は埋まっている。

フライパンを火にかけて卵とベーコンを取り出す。相変わらず料理は三上の方がうまいが、さすがにこの程度は慣れた。熱されたフライパンにベーコン、続いて卵を落とせば、じゅう、といい音がして食欲を誘う。裸足の足音をさせて三上が洗面所を出てきた。さっきよりは目に力が戻っている。

「焦がすなよ」

「うるさいなぁ、じゃあ食べなくていいですよ」

「いる」

コーヒーを入れる三上を振り返ると、後頭部に寝癖が残っている。引っ張って指摘してやるとしかめっ面で洗面所に戻っていった。

――こんな生活を何年も続けているのに、今更あんな夢を見るんだな。我ながら情けない。フライパンに水を差してふたを閉める。いつかあの夢のようになるのだとずっと覚悟していたのに、気がつけば三十路は目の前だ。人生の半分以上を共にして、常に平穏な日々というわけでもなかった。今度こそ、ということは何度となく訪れたのに、結局こうして一緒にいる。そのたび元の鞘に戻ったか、などと言われてきたが、果たして自分たちま元々つがいとなれるものなのだろうか。そんなつまらないことを考えているとフライパンの音は聞こえなくなり、はたと気づいて蓋を開けたときにはベーコンの端が焦げている。知らんぷりを決め込んで皿に移した頃三上が戻ってきた。何か言いたげであったが、笠井が三上を見ないので黙ってトースターにパンを投げ込む。

「あ、俺今夜いないから、晩飯お好きにどうぞ」

「あー、今日だっけ?先生のコンサート」

「うん。多分打ち上げもつきあうと思うから」

「俺も多分反省会という名の飲み会」

「毎度お勤めご苦労様です」

「飲み会で思い出した。中西からメール来てた」

「中西会久しぶりだ」

「根岸が東京出てくるんだと」

「えー、会いたいなぁ」

焼けたパンと皿を手に三上は台所を出る。主婦の憧れかどうかは知らないが、笠井は特に興味のないカウンターキッチンから三上を見ながら、笠井はパンにするかご飯にするか迷っている。

きっと、こんな家にいるから離れることのないまま今日まで来てしまったのだ。ここは三上の母方の実家だった家だ。結婚してから家を出て、その両親、三上の祖父母は優雅にハワイで暮らしているらしい。東京にいるなら使ってほしいと三上が頼まれ、なんやかんやで一緒に住むことになってしまった。男ふたりの生活にミスマッチな二階建ての住宅。馴染んでしまえば居心地もよく、三上と共にというよりはこの家と共にという選択かもしれない。

「……ご飯にしよう」

「あ?」

「何でもー」

セットしていた炊飯器を開ける。つやつやの白米を見ると俄然食欲が沸いてきて、時間はあるからと鮭を焼くことにする。その間に三上は朝食を終えてしまった。食器はそのままカウンターで受け取ると、三上はすぐに部屋に向かう。

「中西会いつー?」

「忘れたー」

あとで確認しておこう。飲み会をしようと言い出すのは大体中西だ。それぞれ家庭を持つ者も増えてきて、集まる人数は毎回違う。いつだったか藤代と渋沢が揃ったときに居酒屋を選んだのは大失敗で、この家に逃げてきてやり直したことがあった。今回はどうだろうか。相変わらず海外にいる親友も、帰国したときは律儀に連絡をくれる。今帰ってきていたはずだ。

そこまで考えて、今朝の夢を思い出した。思わずグリルを見たまましかめっ面になる。睨んだって焼けねえぞ、背後からの声にそのままの表情で振り返った。すっかり支度のできた三上が笑う。

「じゃあ行ってくる」

「行ってらっしゃーい」

新婚でも夫婦でもないので玄関まで見送りはしない。ドアの音を聞きながら魚をひっくり返す。

この先も、一体いつまでこんな生活をするのかと思いながら暮らすのだろうか。男と女ならもう何年も前に結婚しているのかもしれない。

魚が焼けると味噌汁がほしくなったが、今日は土曜日、あまりのんびりしていると午前中の教室が始まってしまう。あまり練習をしてこない子だが、そのせいなのかいつも早めに来るのだ。少し焦ったが、三上に合わせて起きたのでまだ早朝なのだと思い出す。テレビをつけるとスポーツニュースの時間だった。サッカーの話題は大体誰かしら知っている名前が出てくる。

「いただきます」

久しぶりに走りに行こうか。どうやら天気もよさそうだ。
2013'05.02.Thu
「調子いいみたいね」

「……そうですね」

思わず仏頂面で答えると教師は笑った。無表情でピアノを引いていたことは意識していたので間違いない。そうとなると、先の言葉は笠井の表情ではなく、その指先から紡がれる音楽によって判断されたものだ。きっと今の環境の中で笠井の音から感情や気分を読みとるのはこの音楽教師だけだが、例え一人だろうが心を覗かれることはいい気持ちではない。笠井が手を止めると音楽教師はわざとらしく残念がってみせた。

「笠井くんはほんとにむらっけのある子ねぇ」

「……そんなのわかるの先生だけですよ」

「またまた、自分でもわかるくせに。エッロい音出しちゃって」

「先生それセクハラだよ」

「詳しく聞いてもいいってことかなぁ?」

「何も言いません」

笠井は手を止めたまま、ピアノのふたを閉めた。それは笠井にできる唯一の抵抗だ。音楽教師はただ笑って、楽譜の何ヶ所かにシャーペンでチェックを入れる。

「この辺り気をつけて」

「はぁ〜い」

「恋もがんばって」

「はいはい」

笠井の投げやりな返事を聞きながら音楽教師は音楽室を出ていった。笠井は学校のピアノを借りているだけで、あの音楽教師から直接教わっているわけではない。教わっている先生は別にいる。もしかしたらその先生も笠井の音を聞いてわかるのかもしれないが、音楽教師とは違って真面目でお堅い人だ、からかうようなことは言わないだろう。

気を取り直して再びピアノを弾き始める。鍵盤を叩く自分の指先を見た。昨日爪を切ったばかりの丸い指先。正確には切ってもらったばかり、だ。頬が緩んで音が変わる。鍵盤は正確に音を響かせるのに、どうしてこうも違って聞こえるのだろう。

「何にやにやしてんの」

「ヒッ」

ドアの音と同時の声に椅子の上で跳ね上がる。廊下から顔を覗かせてこちらを見ている三上こそにやにやしていて、笠井はピアノの陰に隠れるように背を丸めた。

「丸見えですけど」

肩を揺らして笑いながら三上が近づいてくる。さっきまで昨日のことを思い返していたタイミングで三上の顔を見ると表情を作れない。くるりと体を返して顔を背ける。何だよ、笑いながら三上は笠井を突き飛ばすように無理やり同じ椅子に腰掛けた。顔をのぞき込もうとしてくるが更に逃げる。気配だけで笑ったのがわかったが何も言葉は出てこなかった。

「毎日毎日よくやるな」

「……何しにきたんですか」

「俺のために何か弾いてもらおうかと思って」

「はぁ?」

「ピアノのために爪切ってやったじゃん」

「先輩が無理矢理やったんじゃん……」

「何でもいいから弾けよ」

ゆっくり振り返ってうつむいたまま上目で三上を見る。前髪の間から見える顔はにやにやしていて憎たらしい。あんたのために弾いたって、あんたはその思いがわからないじゃないか。三上に手を取られ、指先を鍵盤に載せられる。

「……せめて退いてくれます?」

「はいはい」

三上が腰を上げたので座りなおした。真横に立つ三上は体温が感じられそうなほど近い。

深呼吸をすると胸が震える。その震えが指先にまで伝わりそうで、一度強く握った。そして覚悟を決めて鍵盤に触れる。音がつながり音楽になる。隣で三上が笑った。

「何で校歌なんだよ」

「何でもいいって言ったじゃないですか」

できるだけお堅い生真面目な、そんな音になるように。やはり三上は気づかないが、自分ではどこか浮ついているように聞こえてくる。

三上の手が肩に触れた。弾いてて、囁かれたので手は止めない。それでも抵抗のつもりでうつむいたが、顔を寄せられて額がぶつかる。そのまま抵抗を続ければ、諦めたように額に唇が触れた。ああ、間違えた。乱れる音楽。手を止める。ゆっくり息を吐いて三上を見た。

「先輩、ピアノ弾けます?」

「いや。鍵盤ハーモニカぐらいしか触ったことねぇな」

三上の手が遠慮もなく鍵盤に触れた。ドレミファソラシド、と順に鳴らす指先。この人がピアノを弾いたらどんな音になるのだろうか。落ち着いた人だから、気分で音が変わることはないかもしれない。それでも聞きたいと思った。

「俺、先輩のピアノ聞きたいな」

「じゃあ教えろよ。笠井先生」

「俺が?」

「隙アリ」

油断した隙にキスが降る。体をかたくすると三上に肩を叩かれた。楽しんでいるのだろう。悔しい。

「邪魔するなら出てって下さいよ!」

「邪魔しなきゃいてもいーの?」

「……出てって下さい」

「はいはい。何時まで?」

「5時まで」

「昇降口にいるわ」

ぽんと笠井の背を叩いて三上は音楽室を出ていった。その後ろ姿がドアの向こうに消えて、肩の力を抜く。待っててくれなんて頼んでいない。

「……置いて帰れないかな」

ようやく練習を再開するが、浮ついた自分を隠すことができなかった。
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