忍者ブログ

言い訳置き場

言い訳を書いていきます。誤字の報告などあればありがたいです。 ※唐突にみゅネタややぎゅにおの外の人のかけ算が混ざるのでご注意下さい。 日常はリンクのブログから。

2024'05.04.Sat
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2015'05.11.Mon
ジャン・キルシュタインは電子書籍を恨んでいる。



とん、とわざと音をたててアルミンの前に皿を置いた。アルミンはそれに気づいて顔を上げ、ジャンに笑いかける。今日の昼食はバジルソースとベーコンのパスタだ。最近は細目のパスタにはまって、今日もそれを使っている。彩りに混ぜたトマトの赤も鮮やかで、我ながらよくできた。

アルミンはいただきますとフォークを手にし、そして片手に電子書籍を持ち直す。

取り立てて行儀だとか礼儀だとかに口うるさいわけではない。アルミンが今忙しく、少しの時間も惜しんでいることも知っている。ただやはり、食事時ぐらいは顔を上げてほしいと思うのだ。

紙媒体の資料を見ているときはもう少しましだ。それが借り物ならばさすがのアルミンも汚さないように食事の時には開かない。自分のものならば開きはするが、食べながらでは集中できないようであまりしない。しかし電子書籍の場合は別だった。手のひらに収まる媒体、ワンタッチでできるページ送り。ちょっとソースがとんだぐらいでは気にしない。

とはいえ、もくもくと手と口を動かすアルミンを見ながらの食事ももう慣れた。こんなもんだと思ってしまえばどうといはうことはない。

「あ」

アルミンが手を止めたのは、皿に集中せずとも巻き取れるパスタがなくなった頃だった。ようやく資料から意識を離して皿を取り、アルミンはぱちりとまばたきをする。

「ベーコン入ってた」

「……入ってるよ」

「気づかなかった」

半ば無意識の食事では口に入っていなかったのかもしれない。フォークにベーコンやトマトを突き刺して口に運び、アルミンはうん、と頷く。

「おいしい」

夜は手羽先にしよう、とジャンは決めた。両手を使わなければ食べないものにする。一日ぐらいはそんな日があってもいいはずだ。

「あっチーズも入ってた」

「ほんっと作りがいのねえやつ……」

「おいしいよ」

「はいはいありがとよ」


PR
2015'02.17.Tue
ジャン・キルシュタイン様



先日の葬儀ではろくな手伝いもできずにすまなかった。キルシュタイン氏の親友でありながら、葬儀に遅れた私を許してほしい。しかし葬儀でのジャンの立派な姿はしかとこの目に焼きつけた。今日の手紙は、あの日君に伝えることのできなかったことについての懺悔の手紙だ。

キルシュタイン氏の治めていたこの地は、とても広大で豊かな土地だ。そしてこの大地の女神に育てられたキルシュタイン氏もまた、君の知るとおり器の大きな男だった。同時に頑固でもあった。息子である君の方が氏について詳しいと思うかい?それは同封したノートを見てから判断してほしい。

昔、そう、君の親友が亡くなった年、君はもうひとつ別れがあったことを覚えているだろう。忘れているはずがない。君は毎日馬にまたがり、教会へ行き、彼女の幸せを祈っているのだから。同封したノートは、君の父親のその時の日記だ。遺品の整理をしているときに、生真面目な彼がきちんとつけていた日記の一冊がなかったことに気づきはしなかったか?これは私がキルシュタイン氏から預かっていたものだ。あの年に起きた事件を記録せずにはられず、しかし君へ真実を伝えることのできなかった、父の言葉だ。

許してやってほしい。この日記は、彼なりの君への愛だった。







キルシュタイン氏の日記



今日は本当ならシガンシナからジャンの友人が来るはずだったが、昨日のうちに、体調を崩したと手紙が届き、予定が延期になった。暇を持て余した息子はしばらく屋敷の中でくすぶっていたが、やがて気持ちを切り替えたのか、使用人を捕まえて馬に乗りに行っていたようだ。というのも、私のところにはやはり友人のフロイデンベルクがきていたので、ジャンが屋敷を出ていたことも知らなかったのだ。

ジャンが慌ただしく屋敷に戻ってきたのは昼食の前だった。自分の馬に見知らぬ馬車を引かせていて、何事かと問う間もなく、ジャンはさっさと侍女にベッドを作らせて馬車からひとりの女性を抱き上げて私の前を横切っていった。だらりと垂れた手はぎょっとするほど青白く、死体ではないかと思ったことを記憶している。

馬車からはまた別の見知らぬ女性が降りてきた。細い金髪の、庇護欲を誘う女性で、私を見て頭を下げた。

話を聞くと、彼女たちは急ぐ旅の途中だという。その道中、馬を走らせていたジャンが勢いよく飛び出し、驚いた向こうの馬が暴れて馬車が倒れてしまったらしい。先ほど運び込んだのはそのときのショックで気を失ってしまった、彼女の妹だという。医師であるフロイデンベルクは急いで息子を追い、私は息子のしでかしたを慌てて詫びたが、彼女はそれよりも気にかかることがあるようだった。聞けば妹は元々病気がちで、この急ぐ旅に耐えられるかわからないのを、屋敷に頼れる人もいなかったので無理を押して連れてきていたのだという。

私は愁いを帯びた表情の彼女に、妹さんがよくなるまでうちに滞在してはどうかと申し出た。連れは御者がひとりいるだけのようで、彼は顔つきもいかめしく体格もがっしりしていたが、しかし3人きりの旅は病人を抱えていては大変だろうと思ったのだ。息子の失礼のお詫びわかねてそう言ったのだが、美しい姉は首を横に振った。旅は本当に急ぐのだという。

そのとき、妹さんが目を覚ましたとジャンが彼女を呼びにきた。ジャンを怒るのは後にして、彼女と共に客間に向かった。青白い顔の妹さんは気付けのブランデーのおかげかさっきよりは少しは顔色もましになり、ベッドで体を起こすこともできていた。都合よく医者がいたことを私は神に感謝した。きっとあのご婦人方の行いがいいのだろう。

姉は涙を浮かべて妹にすがり、ジャンが改めて謝った。私も続くが、彼女たちにとっての何よりの不幸は旅を続けられないことだった。少し悩んだ末に、姉の方は私たちを見て、妹を残して旅を続けたいから、ここで預かっていてくれないかと言った。わけあって身分は明かせないが、決して怪しいものではない、帰りに必ず迎えにきます、と涙ながらに告げる姉は美しく、また、まだ具合は万全ではないだろうに妹も頭を下げ、これ以上姉たちのたびを自分のこの忌々しい体のために遅らせることはできないから、と切実に頼んだ。見知らぬ地でひとりになるのはさぞ勇気のいることだろう。それでもそうしなければならないという彼女たちの真摯さ、また、罪悪感もあるのだろう、ジャンからもそうするようにと頼まれた。元より、父子ふたりの生活だ。女性がひとり増えると花が増えるだけである。私は快くそれを聞き入れた。

私が承諾するやいなや、よほど急いでいたと見え、姉は妹を抱きしめて頬にキスをしたなり、今から発つと言って部屋を出てしまった。あまりの急いた様子に逃げた馬の代わりはうちの馬屋から貸すことになり、長旅にも耐えうる愛馬との別れをジャンはやや渋る態度を見せたものの、責任感がわがままを許さなかったのか、すぐに彼を馬車ごと見送った。

そうして、今日から我が屋敷に家族が増えた。彼女の名は、アルミン・アルレルト。



*



アルミンはその病弱な体のせいで、なかなか朝から起きてくることができないようだった。侍女が何度か呼びに行ったが昼になりようやく居間へやってきて、体がなかなか言うことをきかず、いつもこうだから気にしないでくれとのことだった。朝から墓守か何かのように廊下をうろうろしていたジャンはようやく安心して椅子に座ってくれた。この辺りは農家ばかりで、若者は日中畑が忙しく、ジャンは年の近い友人というものがあまりいない。更に女性ともなればよけいに落ち着かないのだろう。アルミンはチョコレートを少し飲んだだけで、今日はまたベッドに戻ってしまった。

そのときのジャンの表情は、我が息子ながら情けないものだった。彼なりに新しい家族に領地を紹介するか、体調が悪いのなら朗読でもしようかといろいろ考えていたらしい。

昨日は泊まってくれたフロイデンベルクは一日アルミンの様子を見て、何か重大な病気ではなく、体が極端に弱いだけだと判断した。特に貧血がひどいのだと彼女はいい、無理をしないように、特にジャンには無理をさせないようにと言い聞かせて帰っていった。

アルミンは夕食のときには顔を出した。ジャンはそのときにもし明日体調が悪くなければ、馬で周りを案内すると約束を取り付けていた。シガンシナからの友人が来られなくなり時間を持て余しているのだろう。

アルミンをよく見ると、彼女の姉とは少しも似ていなかった。同じ金色の髪だがその色味はまた違った色をしていたように思う。姉の方はどこか目の覚めるような美しさがあったが、彼女は失礼ながらそこまでの魅力は備わっていないようだった。それでもジャンにとっては新鮮な友人になるだろう。

夜の祈りの挨拶を断られてしまったジャンが最近では見せない子どもらしさであった。
2015'01.25.Sun
手にしたときからすでに新品とはほど遠かったその本は、一気に風化してしまったように思えた。

それは大学生の頃、憧れの人がただ憧れであった頃に手にしたものだった。かつて理解しきれないまま辞書と首っ引きで読んだその本を開く。古書店を巡り歩いて探し、無数の人の手に渡ったであろう貫禄のあるこの本のすべてを、未だわからずにいる。

あの人が好きだと言った本を開いて、そこに何を見ていたのか、うまく思い出せない。

「あ……」

ページの端に、散らばる小さな穴。知らぬ間に、何ページも紙魚に食われている。途端に言いようのない虚無感に襲われて、アルミンは本を閉じた。もう開かないようにと、深く奥にしまい込んだ。



「お疲れ様です」

帰りの電車で出会った顔にアルミンは少しうんざりした。最近知り合った大学生は、こちらが応える気がないのを知りながら、何かとちょっかいをかけてくる。

「……君、週末に遊ぶ友達もいないの?」

「今日は帰るように言われてるんで」

屈託のない笑みを向けてくるのはジャン・キルシュタイン。そのフルネームを知るより早く、アルミンは行きずりも同然の彼に抱かれた。誘ったのはアルミンだ。何も弁解する気はない。一度離れてしまったものがもうこの手に戻らないとわかり、近くのものに縋ったのだ。彼が悪いわけではないが勢いに任せた自分の行動を忘れてしまいたいのに、ジャンはアルミンを気に入ってしまったようである。最寄りの駅を知られているということが厄介だ。

とはいえ、ジャンは話しかける以上のことはしてこなかった。電車が一緒になれば声をかけてくるが、アルミンが持ってきた本を開けばそれきり黙る。

――その、妙に物わかりのいいところも、アルミンの神経を逆撫でするのだった。

アルミンにはとても好きな人がいた。きっとあれ以上の恋をしないだろう。あの人の前で、必死で物わかりのいい振りをしていた自分の滑稽な姿を思い出す。精一杯背伸びをして、理解もできない本を開いて。

席が空いたのでジャンを無視して座り、本棚から適当に引き抜いてきた文庫本を開く。不規則に揺れる電車の中で、集中できないまま文字を追った。通勤の電車の中ではずっと本を読んでいたが、最近では読みたいという気持ちよりもジャンの視線から逃げたいという気持ちの方が強い。

後ろめたいのだ。相手に嘘をつかれていたのをいいことに、そこにつけこんだのはアルミンだ。そのくせ踏み込まれそうになると逃げ出した。

電車が次の駅で止まり、アルミンの隣の人が立ち上がった。そうかと思えば気づいたジャンがすぐに座り、ねぇ、とアルミンに問いかける。

「今度飯でも行きません?」

「……君とつき合う気はないよ」

「アルミンさん、ハンジ・ゾエの本読んでましたよね」

電車の中で読む本は、いつもカバーをかけているわけではない。何を読んでいるのかを知られていても不思議はないが、あまり気持ちのいいものではなかった。もしくは以前彼と会ったときに自分が口にしていたのかもしれない。アルミンは本から顔を上げなかった。

「新刊出るの知ってます?」

「……知らない」

「もらったんだけどオレあの人の苦手なんですよね。いりません?まあそのうち本屋に並びますけど」

「……待つからいいよ」

「今回は主人公が老人なんですよ。エルヴィン・スミスの『杖をつく人』読みました?あれのパロディなんです。タイトルは『杖を折る人』。出版社違うんで名言はしてないみたいですけど、読めばわかるって。興味があるなら差し上げますけど」

「……そんなことしていいの?」

「信頼できる人ならいいって言われてるんで」

少しだけ首を動かしてジャンを見た。目が合うと見透かしているとでも言いたげにジャンが笑う。

ハンジ・ゾエの作風は独特で、決して洗練された文章ではない。しかし世界観は突飛で理不尽で衝撃的でありながら説得力があり、彼女にしか描くことができないだろう。ジャンが言うようにあれを人を選ぶもので、アルミンは好きだったが彼女のファンと出会ったことがなかった。

一方、エルヴィン・スミスは大衆的な作家であると言えるだろう。時に時勢を反映して現代を風刺し、時には異世界を描く、読者の幅も作風の幅も広い作家だ。パロディ元の本はアルミンの好きな本のひとつだった。日常に混じる表現しがたい違和感を描いたもので、ジャンルのとらえがたいものである。

――エルヴィン・スミス。それはかつてアルミンが憧れ、慕い、今もなお、愛しいと思う人である。大学時代の教授を慕っていると言えばいい思い出のようだが、実際はもっと肉感的で、ただれたものだった。体の関係はあった。しかしエルヴィンにとっては、それだけだった。彼が何も言わずに突然大学を辞めて姿を消し、数年後にエルヴィン・スミスの処女作が発表された。次々と発行される著作の中にエルヴィンを見つけることは簡単で、アルミンは縋るように読み続けた。それが彼であることは作品からはっきりとわかったが、何もすることはできなかったのだ。

今でも好きなのかと問われると、正直なところはわからない。執着だと言われたら頷く。変化を恐れているのだと言われたら頷く。エルヴィンに誘われたら、頷くだろう。ジャンに誘われたら――それはまだ、頷けない。

返事をしないまま最寄り駅について、アルミンは何ページも進まなかった本を閉じて電車を降りた。ドアが閉まる前に振り返ると、ジャンは小さく手を振っていた。



*



大人になればもっと自然にできると思っていたことのほとんどは、アルミンにとってはまだ難しい。

終電間際の駅に着いて、アルミンはつまらない酒の席でこわばっていた頬をようやくほぐした。駅のホームの売店はとっくにシャッターを下ろしていて、自動販売機で水を買う。柔らかいペットボトルを握って何度もべこりと鳴らした。

社会は疲れる。無駄が多いと感じる。同僚との恋愛話に興じるのも、上司の大声をかわすのも慣れた。慣れたけれど、こなすのはつらく、スマートで物静かな男を思い出させる。

エルヴィンは素敵な男だった。本心を見せてくれない以外には――否、見せてくれていると思っていた。どこか感じるミステリアスさを追求しなかったのは、それを察していたからかもしれない。

アルミンは子どもだった。背伸びでは大人に追いつけないほどに。

思い出にしてしまいたいのに、声も体温も、体が覚えているのだ。

「アルミンさん?」

振り返るとジャンが立っていた。大学生らしいラフな服装が無性に羨ましくなる。アルミンが学生の時は必死だった。エルヴィンの隣に立つにふさわしい女であるようにと、外見も振る舞いも、いつでも意識していた。

「珍しいですね、こんな時間に。お仕事……ですか?」

少し迷いを見せたのは、アルミンが酒気を帯びているからだろう。会社の飲み会は仕事といえば仕事だ。学生に言ってわかるだろうか、と思ってから自嘲する。いつの間にか、自分は随分大人ぶっている。時が止まったようなふりでいたけれど、時間は誰にも平等だった。

「……ホテル行く?」

半ば無意識に口にのぼった言葉でぎょっとしたのはアルミンよりもジャンだった。あからさまに目を泳がせたがすぐに平静を装ってアルミンに視線を戻す。

「……酔った勢いってやつですか?」

「そうかもね」

肩をすくめてジャンを見上げた。ジャンは少し考えたが、やがてアルミンの手を取った。そのまま手を引かれて改札に戻り、駅を出る。ジャンの足が向かうのは繁華街だ。足取りはゆっくりと、しかし会話もない。自分たちがどう見えるのかが気になった。

少し辺りの雰囲気が怪しくなった辺りでジャンは足を止めた。もう数百メートル先には派手な装飾の看板のホテルが並んでいるのに、ジャンは困ったようにアルミンを見て、ゆっくり手を離す。

「ごめん、やっぱ無理」

「え?」

「一瞬それでもいいかと思ったけど、こういうのは違う。あんたがどんな男が好きか考えて俺なりに振る舞ったけど、やっぱりできねぇよ」

ジャンの言葉をすぐには理解できなかった。アルミンが何も言わないのをジャンはどう解釈したのかはわからないが、彼はアルミンを見て、息を吸って胸を反らす。

「俺はあんたの彼氏面したいんだ。だから、こういうのは違う」

耳に慣れない言葉にぎょっとする。しかし恥じたように頭をかくジャンを見て、アルミンは思わず頬を緩めた。

きっとアルミンも、エルヴィンにそう伝えればよかったのだ。

こらえきれず笑い出したアルミンにジャンはむっとしたようだった。こんなにも表情豊かだとは知らなかった。

「……送るから帰りましょう」

不機嫌そうなその声が愛しく思えて、アルミンは黙って手を取った。

紙魚はもう、恋の味を知っている。悔しいけれど、おいしいのだ。
2014'10.20.Mon
田舎が涼しいなどと誰が言ったのだろう。確かに都会の気温の高さだけではない暑さと、その質は違う。しかしそんなものは些細な違いでしかなく、暑いものは暑いのだ。

額から頬にかけて流れていく汗を拭うことも諦め、ジャンは火照って熱い体を引きずるように炎天下を歩き続けた。

中学は地元の公立へ進んだので、中学3年生の今年、ジャンは初めて受験を経験することになった。毎日の遊ぶ時間は勉強時間へと変わっていき、さほど無理のない志望校とはいえ、ジャンも受験生としてそれなりに振る舞っている。塾へは行かず、近所の大学生が家庭教師をしてくれて日々勉強をしていた。そんな彼も夏休みに入り、2週間ほど忙しくなるということで家庭教師を休むことになった。ジャンにはよくわからないが、授業の一環で合宿のようなものがあるらしい。まだ高校生活すら経験していないジャンには想像もできなかった。

ジャンは立ち止まり、汗を拭う。駅を出て20分で汗だくだ。ペットボトルをバッグから引っ張り出し、完全に温くなった水を喉に流し込む。昔は駅から出ていたはずのバスはいつの間にかかなり本数を減らしていて、タクシーを呼ぶほどの金は持たされていなかった。ジャンをひとりで送り出した母親を恨みながら再び歩き出す。張りつくサンダルも重たい荷物も不快でしかない。

ジャンが今向かっている先は、いわゆる「本家」と呼ぶものだった。とはいえ、ジャンの祖父の実家、という、ジャンからしてみれば遠縁だ。次男坊の祖父は婿に行くという形で家を出た。幼い頃に葬式でジャンも本家へ行ったことはあるらしいが記憶はほとんどなく、今でも本家については詳しく知らない。祖父は本家を嫌っていたようで、ジャンには何も教えてくれなかった。

そんなジャンがなぜ本家へ行くことになったのかといえば、件の大学生のせいである。家庭教師がいなくなるということで浮かれたジャンを察した母親が、本家なら涼しいから受験勉強にぴったりだ、と言い出したのだ。地元の図書館は勉強禁止で、塾の集中講義も定員だ。ひとりでも勉強するというジャンの主張はあっさりと否定され、あれよあれよという間に行くことになってしまったのだった。

本家までは一本道だ。しおれた野菜のようにうなだれていたジャンは顔を上げる。立派な門を構えた、武家屋敷を思わせる本家は、ジャンを圧迫するような威圧感があった。木戸を開ければ石畳が続き、その先に母屋がある。鍵もかかっていなかったので庭へ入り、母屋の戸の前に立つ。玄関に立つだけでもこの家が広いことはよくわかった。庭は夏の暑さを喜ぶように木々が枝を伸ばしている。ジャンには名前までわからないが、立派な木ばかりだ。どこか鬱蒼としているのは、手入れが行き届いてないからだろうか。この広さなら家の人間だけでは難しいのかもしれない。木々のせいか少し涼しくなったような気がして、ジャンは息を吐き、呼び鈴を鳴らす。待った時間は少しで、からりと戸が開いた。

――刹那、ジャンは息を飲む。

ジャンの視界に飛び込んだのは、艶やかな黒髪を風に遊ばせ、菖蒲柄の浴衣を涼しげに着こなした美女だった。ひゅっと喉を鳴らし、硬直するジャンに気を止めた様子もなく、彼女は紅を刷いた唇を開く。

「ジャンね?」

「あっ、はいっ!ジャン・キルシュタインです、初めまして!短い間ですがよろしくお願いします!」

「いらっしゃい。私はミカサ・アッカーマン。この家の長女です。お疲れでしょう、中へ」

「お、オジャマシマス」

まるでこの暑さを感じていないかのように汗ひとつかいていない女は、一歩引いてジャンを中へ招き入れた。石のたたき、ぎしりと板の鳴る廊下を抜ける。廊下は少し心細くなるぐらい薄暗く、縁側に出たときは少しほっとした。この部屋を使うように、と通されたのは、中庭に面した和室だった。とはいえジャンの幼い頃の記憶が確かなら、この家には応接間を除くと畳の敷かれた和室しかない。間取りまでは覚えていないが全体的に古臭く、少々広すぎるがいかにも「おばあちゃんち」といった雰囲気だった。部屋には文机と布団が用意されている。障子戸を開け放すと風のよく通る部屋だった。

「疲れたでしょう、休んでいて。お茶を出すから」

「あ、ありがとうございます」

ぴんと背筋を伸ばしてミカサが部屋を出ていく。ジャンはその背中を見送って、緩む口元を隠しきれなかった。この2週間、あの美女とひとつ屋根の下ということは、思春期の少年が気持ちを高揚させるには十分すぎる餌だ。母親と家庭教師に課せられた課題は2週間では足りないほどどっさりと出されたが、少しは頑張れそうだ。

荷物を放り出し、畳の上に直接腰を降ろす。どっと疲労が感じられ、ジャンはそのまま横になって四肢を伸ばした。涼しい風が汗をかいた体を舐めていく。古い家屋はジャンの住むマンションと違ってよく風を通すのかもしれない。

蝉の鳴き声までもどこか涼しげに聞こえて耳を澄ませた。あれは蜩だろうか。いつもはクーラーを聞かせた部屋の中で聞く蝉の声でさえ鬱陶しいと思うのに、周りの環境が変わるだけで聞こえ方が変わる気がするのは、ジャンが単純だからなのだろうか。目を閉じて耳を澄ませ、胸いっぱいに息を吸いこむ。畳の匂いはどこか懐かしさを感じさせた。

蝉の声に交じる葉擦れの音、どこかで風鈴の音もする。小さく木の軋む音が混じり、続いて名前を呼ばれて慌てて体を跳ね上げた。

丸盆に湯呑みを乗せたミカサが障子の向こうから顔を出し、だらしない姿を見せたことを恥じて正座に座り直す。ミカサは特に気にしていないようで、静かに膝をついて文机に湯呑みを置いた。その上を湯気が揺れているのを見て息を詰める。時々家族と食事に出かけた先でも、夏だというのに熱い茶を出されることがある。母親などは冷え症だか何だか知らないが、ジャンにしてみれば理解できない。冬場にこたつでアイス、とはわけが違うのだ、しかしミカサ相手には何も言えず、素直に礼を言う。

「お手洗いは玄関から入って、この部屋に来るときに曲がったところを曲がらずまっすぐ。もうすぐ父が戻るので私は夕食の支度をしている。できたらまた呼びに来るので、それまで自由に」

「何か、手伝いを」

「いいえ。あなたは勉強をしに来たのだから」

「わ、わかりました」

「それと……庭の奥には、行かないように」

「え?あ、はい」

静かな声にはどこか迫力があった。ジャンが戸惑っている様子にミカサも少し考え、丸盆を抱いて庭へ視線を向ける。

「古い蔵がある。少し崩れかけていて、危険」

「わかりました」

そういえば昔も近づくなと言われていた場所があった気がする。あの頃は珍しいものばかりのこの家の中で遊ぶだけで忙しく、庭へ出た記憶はない。そう言われると少し興味がわくが、つまらない怪我をしてしまうのは避けたいところだ。

来たときと同じように、かすかに廊下を軋ませながらミカサは去っていく。どこか甘い匂いが残っている気がして、ジャンは再び畳に倒れ込んだ。そのままぼんやりと庭を眺める。庭の隅にはオレンジの鮮やかな百合が群れて咲き誇り、夏らしく庭を彩っている。

若く見えるが、幾つぐらいだろうか。ミカサを脳裏に浮かべてジャンは口元を緩めた。

クーラーの効いた部屋とは違うが、少し日の落ちた夕方はここへ来るまでの道のりが嘘のように涼しい。朝の気温にも期待ができそうだ。今回は2週間だが、ここで成果を出せば今度も勉強を口実に来ることができるかもしれない。

よし、と気合を入れて体を起こす。そうとなれば勉強あるのみだ。リュックをひっくり返すような勢いで問題集とノートを取り出す。一緒に携帯が飛び出して、着いたら連絡するように母親から散々言われていたことを思い出した。やる気が削がれたような気がしたが、後でうるさく言われるのも面倒だ。渋々番号を呼び出し、家に電話をかける。いまどきろくろくゲームもできない古い機種は、母親が昔買ったが使いこなせずに諦めたものだった。中学に入ったときにジャンは入学祝いとして自分の携帯を買ってもらっていたが、今年の春ごろ、うっかり風呂に落としてしまっていた。修理費の額に母は黙り込み、そして彼女は自分の携帯をジャンに与えた。当然抗議したが、少々ゲーム依存気味であったジャンを母親は見逃していなかったらしく、受験生にはこれで十分、と言い切られてしまったのだ。どうにか次の模試の結果次第で新しいものを手に入れる算段をつけたので、その意味でも勉強を真剣にやらねばならない。

好都合なことに電話は留守電につながって、簡単にメッセージを残してジャンはすぐに携帯を手放した。蜩の声を聞きながら文机の前に腰を据える。元々集中力はある方だ。まずは自分の特異な科目から。縁側から入る風も蝉の声も、すぐに意識しなくなった。



ジャンが手を止めたのは、問題が解けなくなったからでも夕食に呼ばれたからでもなかった。むっと青臭い匂いが部屋に流れ込んできたのだ。顔を上げたジャンの目に、薄暗い庭が映る。その奥にぼんやりと白く浮かぶものがあってぎょっとした。よく目を凝らすとそれは白い百合で、ほっと息を吐く。どうやらこの濃厚な香りは百合の匂いであるようだ。さっき寝転んで庭を見たときに目についたオレンジの百合は逆側で咲き誇っている。気づけば蝉は気配を消し去って、代わりに別の虫の声がしている。よくわからないが鈴虫のような類だろう。

きしり、と気の軋みが規則正しく聞こえ、ジャンは背筋を伸ばした。予想通りミカサが縁側から顔を出す。

「夕食ができた。こちらに運ぶこともできるけれど」

「いえ、行きます」

慌てて立ち上がってついていく。ミカサは後ろ姿も美しい。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花――とは美人を表す言葉だが、まさにこの物憂げに頭を垂れて歩く姿は美しい。

連れて行かれたのは台所から続く広間だった。やはり畳の部屋には大きなテーブルがあり、夕食が並べられている。しかしジャンはそれよりも、上座に座る男に視線が吸い寄せられて息を詰めた。ジャンも大概だが、その男はジャン以上に目つきが悪かった。まるでこちらを射抜くような視線だ。少し隈の浮いたような目元も黒の着流しもその怖さをその怖さを煽るばかりで、ジャンはミカサにすすめられるまま斜向かいに座るが、体が強張ってしまった。正面にミカサが座っても緊張はほぐれない。

「お前がジャンか」

低い声にジャンはびくりと背を正す。

「はっ、はいっ、ジャン・キルシュタインです、お世話になります」

声が情けなく上擦っている。視線もそちらに向けられずにいると溜息が聞こえ、一層身をすくめた。

「脅かそうとしてんじゃねえ。俺は家長のリヴァイ・アッカーマン。ミカサの父だ。まあそう顔を合わすこともない、楽にしろ」

「は、はい。宜しくお願いします」

そうは言われても、平気で人を殺すんじゃないかと思ってしまうほどその目つきは鋭い。食事の味もろくろくわからず、ジャンは食事を飲み込んだ。

しかし食事の後に風呂に、と案内されて、現金なジャンは気を持ち直す。浴室に並ぶ2種類のシャンプーはどちらがミカサのものか一目瞭然で、それだけでジャンを盛り上げるには十分だった。

風呂を出て部屋に戻ると蚊帳が釣ってあった。時代錯誤なそれにもにわかにテンションが上がり、ジャンは蚊帳を跳ね上げて中に入る。干された布団に飛び込むと湯上りの身体には熱く感じるほどで、結局すぐに蚊帳を出た。机の側には火のついた蚊取り線香。経験と知らないジャンでも懐かしいと感じるのは、単にドラマや漫画などの影響なのだろうか。

庭を見るとまだ空には若干の明るさが残っている。百合の白さに誘われるように、ジャンは縁側に置かれたままのつっかけに足を通して庭に降りた。まだ明るいうちに蔵を見てやろうという気になったのだ。危険だとは言われたが、遠目に見るぐらいはいいだろう。ミカサの視線が送られていた方に足を進める。

ふとぼんやりと白い影が浮かんだ気がして目を凝らした。人影だ。白地の浴衣を着たその人は、色の抜けたような髪をしている。それを人だと認識した途端ジャンの足は止まった。この家に、他に人間がいるという話は聞いていない。どっと汗が吹き出す。

しかし瞬きのあとにはその白い人影は消えていて、ジャンはゆっくり息を吐いた。後に残るのは庭に群れて並ぶ白い百合で、きっとこの家の雰囲気がジャンにおかしな妄想を見せたのだろう。部屋に戻ろうか、と庭に視線を巡らせ、その向こうに小さく明かりが見えていることに気がついた。戻るべきだろうか、と思いながらも、ジャンは好奇心に負けて足を進める。

明かりを漏らしているのは蔵だった。それがミカサが昼間言ったものかどうか決めかねているのは、それが危険というほど朽ちているようには見えなかったからだ。ましてやその窓から明かりが漏れている。それに近づいてみると窓には布でも掛けてあるようで、わずかな隙間があるだけだ。しかし中を覗くには十分で、ジャンはそっと踵を上げて中を覗きこむ。

――金色の目と、視線が合った。

ばっと窓から顔を引き剥がし、ジャンは数歩後ずさった。逃げられなかったのは、咄嗟に体が動いてくれなかったからだ。

「誰だ」

低い、しかし若い声が蔵から漏れる。あの眼の持ち主だろうか。ミカサもリヴァイも瞳は黒で、ジャンは何を見たのだろう。

「誰だか知らねえけどここからすぐに出ろ、ここにはいちゃいけない」

蔵の声は強い。ジャンはごくりと息を飲み、再び蔵を覗く。金の目はジャンをしっかり見据えた。黒い髪の男だった。

「この家には化け物がいる。出会う前に、ここから出ろ」
2014'10.07.Tue
「寒い!」

まるでジャンが悪いかのようにこちらを睨みつけるアルミンに、さすがにジャンも呆れることしかできなかった。アルミンはそのジャンの反応にも不満げだが、今は何を言っても無駄だろう。

「お前10月でそんなこと言ってたらこれからどうすんだ」

「寒いものは寒いんだ!」

「お風呂が沸いておりますが」

これ以上何も言わせまいとジャンが遮れば、アルミンはぱっと顔を輝かせた。外出していたジャンも急に気温の下がった今日は少々堪えて、油断して薄着で出たので寒いという感覚はわかっている。ついでにアルミンがこうして子どものようなわがままを言う相手も選んでいることもわかっているので、許してしまっていた。アルミンのことはふたりで暮らし初めてからは更にわかるようになってきて、甘えられているのなら素直に甘やかしてやろう、と思ってしまったのがジャンの惚れた弱みというやつだ。しかし次の言動は全くの予想外で、ジャンはその場で硬直する。

「入ってくる!ジャン大好き!」

ぎゅっ、とジャンの胸に顔を埋めるように抱きついて、アルミンは爆弾を落として無責任に風呂へと飛んでいった。玄関でアルミンを迎えた姿のまま硬直していたジャンは、水音が聞こえてきた頃になってようやくぎこちなく動き始める。

玄関の鍵を閉め、台所へ戻ってコンロの火を止めた。それからカーディガンを脱ぎながら浴室に向かい、すでに水音のなくなった浴室の前で下着まですべて脱ぎ捨て、声もかけずにドアを押し開けた。

「わーっ!?何!?」

「誘ったのはお前だろうが!」

「何が!?何で!?」

ジャンに驚いたアルミンは浴槽から飛び上がらんばかりだったが、ジャンは押さえ込んで無理矢理浴槽に入り込んだ。アルミンの抵抗などものともせず、背後から胸に抱き込んで浴槽につかる。しかし単身用のアパートよりは広い部屋とはいえ、決して家族用ではない。浴槽までは数人での入浴を想定してはいないのだ。簡単に言えば狭い。

「ちょっと、ジャン!狭いからやだって!」

「くっつけばいいだろうが」

「僕はゆっくり入りたいの!」

「ゆっくりしてていいぜ」

アルミンの腹に腕を回してがっちり押さえ込み、濡れたうなじに舌を這わせた。背を震わせたアルミンに気づかない振りをしながら唇を当て、緩やかに吸う。

「ジャン、だめ……」

「何が?」

「跡……」

「つけてねえよ」

触れるだけのキスを繰り返し、湯の中でアルミンの腹を撫でる。気持ちばかりジャンを押し返そうとする手は確かにまだ少し冷たくて、その手を取って握り込んだ。あたためるように指を絡める。するすると指先を撫でるとアルミンはぐっと息を飲んだ。

「さ……誘ったって、何」

「誘っただろうが」

「してないよ!」

「大好きってなんだよ」

「は?そんなこと……あ、いや、あれはありがとうって意味で」

アルミンはどうやら無意識に口にしたらしい。アルミンはもごもごと言い訳しようといているが、ジャンはお構いなしにうなじから肩胛骨へと唇をすべらせ、ここなら構わないだろうと歯を立てた。

「じっ、ジャンッ!」

「何」

「こ、ここは、やだッ」

「寒いんだろ?あったかいところでいちゃいちゃしようぜ」

「だから、狭いって!」

「だからもっとくっつけばいいだろ」

絡めた指先を離して再び腰を引きつける。不意をつかれたアルミンはジャンの胸に倒れ込んだ。起きあがろうとしたアルミンは、それに気づいたようで、唇を震わせてジャンを振り返る。

「当たってますけど……」

「当ててんだよ」

背中に唇を当てたままささやいて、指先は浮力に任せて肌を撫でる。身をすくませたアルミンに頬を緩め、抵抗を諦めた体を抱きしめた。



*



洗面所に置いたカップに歯ブラシが2本。明るい朝のその光景にようやく見慣れたが、それでもジャンはすこしにやりとしてしまう。自分の方を手にして歯を磨いていると、やがてアルミンが起きてきた。まだ少し寝ぼけ眼だが、ジャンに挨拶をして隣に立つ。ジャン同様に歯ブラシを取り、磨きながらジャンを見た。

「あのさぁ」

「何?」

「カップもう一個置くか、歯ブラシ立て買っていい?」

「……なんで?」

「だって口濯ぐときジャンの歯ブラシ邪魔なんだ」

「あ、はい、そうですね」

思い描いたふたり暮らしの、多少のすれ違いは想定内だ。アルミンの肩に残したキスマークを見下ろして、些細なことは譲歩することにした。これから、日々は作られるのだ。
[1] [2] [3] [4] [5] [6
 HOME : Next »
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
最新CM
[08/03 mkr]
[05/26 powerzero]
[05/08 ハル]
[01/14 powerzero]
[01/14 わか]
バーコード
ブログ内検索
アクセス解析
アクセス解析

Powered by Ninja.blog * TemplateDesign by TMP

忍者ブログ[PR]