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言い訳置き場

言い訳を書いていきます。誤字の報告などあればありがたいです。 ※唐突にみゅネタややぎゅにおの外の人のかけ算が混ざるのでご注意下さい。 日常はリンクのブログから。

2025'03.15.Sat
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2014'01.25.Sat
大抵は髪を褒めておく。毎日会うなら変わったことにも気づいてやる。あとは目が大きいとか唇の形がきれいだとか、ネイルやデコレーションされたアイテムでもいい。褒められて嫌な気になるタイプなら、それはジャンとは合わないだけだ。

「髪染めた?」

「わかる?」

「ちょっと赤っぽくなったな。いいじゃん、似合うぜ」

ジャンが褒めると向かいに座った彼女は笑った。わかんねえよ、とぼやく隣の男友達に、だからあんたはモテないの、と返すのも上機嫌だ。空き時間を作るのが嫌で適当に入れた授業で知り合った友人たちは、普段一緒に過ごす友人とはまた違った気安さがある。それはある意味では飾らなくてもよくて、ある意味では自分を好きに偽ることができるからかもしれない。

「それにしても、ジャンがいてくれて助かったな。グループ発表って言われてどうなるかと思ったけど」

「ほんと。ジャンがまとめてくれたお陰だよ」

「お前らがサボり過ぎなんだよ」

わざと露骨に顔をしかめて笑いあう。

年度末、試験の代わりのグループ発表があった。適当に割り振られた三人の班は、ジャンの知らないふたりだったが、人見知りをする質でもないのでそれなりにこなすことができた。ただ、資料作成の都合で交換した連絡先は、今日の打ち上げと称した飲み会以降には使われなくなるだろう。

間もなく頼んだ一杯目の飲み物が運ばれてきた。それぞれ手に取って、お約束の合図でグラスを鳴らす。

「「乾杯!」」

ジャンは酒に弱いわけではないが決して強くはない。続けて飲めば酔いも回る。かといってそれで大失敗したことがあるわけでもないので、今日も大して押さえることなく何も気にせず飲んでいた。

ふと、追加の酒を探してメニューを辿る指先に目が行った。女らしい丸みを帯びた指、その爪の先は淡い水色を基調に彩られている。手を伸ばしてそれを取ると、彼女はびくりと顔を上げてジャンを見た。その頬がほのかに赤いのは、アルコールのせいだけだろうか。

「ジャン?」

「きれいだなと思って」

「あ、うん、ありがとう」

「こういうのって幾らぐらいすんの。あ、下世話な話でごめんな」

「そんなに高くないよ」

半ば聞かないまま彼女の話に相づちを打ち、ジャンが思い出していたのはミカサのことだった。ずっと片思いをしている相手への気持ちは、彼女に恋人ができても尚、風化することなくジャンを苛む。不治の病とはよく言った。この柔らかい手よりはもう少し筋張ったミカサの手の感触を、ジャンは知らない。グラデーションにそって爪をなぞる。

ミカサの桜色の小さな爪を思い出す。彼女がとても丁寧に、薄くベージュのマニキュアを塗っていることを、あの無粋な彼氏様は知っているのだろうか。自分の手が女らしくないのを気にして、せめて少しでも美しくあろうとしているのは、全てひとりの男に向けられた思いの証拠だ。

「でも男の人って、ネイル嫌いな人多くない?」

「まぁ、オレも派手すぎるのはどうかと思うけど。かわいいよ、似合ってる」

指の腹を合わせる。それを滑らせて節を数え、水掻きを爪の先でくすぐる。目の前の彼女が唇を噛んだ。



ずっと触ったり甘えるようなことを言ったりしていた。頭のどこかではひどく冷静な自分が見下していた。気まずげなもうひとりの班員とはさっさと別れて、酔いざましにひと駅歩くと言う彼女を送ると言い張って一緒に歩いた。

絡めた指先はあたたかい。ジャンの話に相づちを打ち、ときには大袈裟なほどリアクションをする彼女に合わせてジャンも道化た。

誰かと手をつないで夜道を歩いて、酔いに任せて言葉を選ぶ。これはただの道化だ。

きらきらとしたアイシャドウの光るまぶたが持ち上がって、まつげを揺らしてジャンを見上げる。甘ったるい視線をもらうことにはすっかり慣れてしまって、ジャンは何も感じない。



こんなにも、簡単なのに、どうして一番欲しいたったひとりはジャンを見てもくれないのだろう。



もうジャンからは使うことのない連絡先からは、もしかしたら連絡が来るかもしれない。それを受けたときに気が向けば、二度目があるかもしれない。それはないだろうとどこかで思いながら。

ミカサだってどこにでもいる女の子のはずなのに。そんなことを思いながら、ふっくらとあたたかい女の手をもてあそぶ。
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2014'01.19.Sun
それは特に考えた行動だったわけでもなく、誰に「これを使って何か一芸」と言われたわけでもなかった。ただ性とでもいうのだろうか、机の上に面白いものがあれば手に取らないわけにはいかないかった。衝動とも反射とも言える行動で、深い意味は、全くなかった。日常におけるちょっとした小ネタのようなものだ。だから、「嫌です」と、返されると思っていた。

「光、こっち向いて」

謙也が声をかけると、財前は何ですか、と体ごと謙也に向き直った。その予想外の行動に一瞬戸惑ったが、手の中に隠したそれを使うチャンスであることはこの四天宝寺中で鍛えられた勘は見逃さなかった。

「両腕こっちに出して」

「はぁ」

また何かしょーもないことを、とでも言いたげに、それでも財前は思った以上に素直にその両腕を謙也に向けた。一瞬も疑う余地を与えずに、謙也はそれを素早く財前の両手に引っ掛ける。

カシャン!

軽い音は刑事ドラマとはいかなかったが、姿ばかりがそれらしかった。

財前は両腕を拘束したそれを見て、眉を潜めて謙也を見る。

「悪趣味……」

「似合うやん」

それはおもちゃの手錠だった。いかにもおもちゃですとばかりにぴかぴかした銀色のそれはさほど重さもなかった。それでも確かに財前の両手を捕まえて、財前にいつも通りのつまらなさそうな顔をさせている。

どうするのだ、と言いたげに財前が両手を突き出した。言葉のない仕草は子ども染みて見え、謙也は生暖かい何かに首筋を撫でられたような心地になった。

「あっ、何してんお前ら!それコントの小道具やのに!」

「あ、すまんユウジのか。外したって」

「アホ、鍵は教室や!このいらんことしぃ!」

どうも虫の居所が悪いのか、ユウジはふたりを睨んで部室を出て行った。怒るぐらいなら大事な小道具、それもこんなに面白いものを、部室に放置しないでおけばいいのだ。

「ほんま、謙也先輩いらんことしいですね」

「どうもすいません」

部活も終わり、制服に着替え終えていた財前は特に急ぐようもなかったようで、パイプ椅子に腰かけて手持無沙汰に手首のおもちゃを鳴らした。ちゃちなおもちゃはしゃらしゃらと軽い音をさせ、すぐに財前の興味を逃れたようだった。

「先輩、俺のバッグから携帯とって下さい」

「何でやねん。取れるやろ」

「いらんことしたの先輩でしょ」

「あーもう、わがままな後輩やで」

「優しい先輩で嬉しいっすわ」

およそ感情のないセリフを笑い飛ばし、謙也は財前のロッカーに近づいた。開いたままのバッグからは彼の使い慣れた携帯電話がもう見えていて、それを手にして財前を振り返る。

部室には謙也と財前のふたりだけ。財前の両手は手錠が拘束し、しかしいつも不遜な振る舞いをする彼はこの状況にあっても微塵も同様を見せない。世間を恨むでもなく期待するでもなく、無感情に見える視線は当てもなく部室のドアを見ている。謙也が一歩近づくとその視線はこちらを向いた。意志と言うよりも惰性で向けられたそれはこんな状況でも「いつも通り」だ。

ふと、胸の内がざわめく。それはちょっとした、悪戯心だ。

財前の携帯は彼が座ったままでは手の届かない机に置いた。それを見ていた財前はやや眉を寄せたが抗議もせず、謙也が何をしようとしているのか黙って見守っていた。

部室の中には他に面白そうなものは見当たらず、謙也は机の上に置かれていた誰かが買い出しに行ってきてそのままにしていたスーパーのビニール袋を手に取る。それを細く束ね、財前の足元にしゃがみ込んだ。蹴られないだろうか、と思うとやや不安になって財前を見上げたが、彼は無表情の中にもどこか笑っているように見える。静かに喉を鳴らし、謙也はビニール袋で財前の片足をパイプ椅子に縛りつけた。

「謙也先輩って、変態なんすね。浪速のスピードスターやなくて浪速の変態やん」

「アホか」

「だって、にやにやしてますよ」

「してへんわ」

鼻を鳴らしてもう片方も別のビニール袋で同様に拘束してしまう。立ち上がって改めて財前を見ると、謙也を見上げて口角を上げた。

「後輩しばりつけて、どうないしはりますん?」

「……せやなぁ、めっちゃ生意気やし、どうしたろかなぁ」

「やーらし」

楽しげに眼を細めて財前は謙也を見上げた。足首を動かしてみて簡単には外れないことを確認し、財前はパイプ椅子に深く座った。手首の間に鎖を弄ぶ。

「俺、どうされんの?」

ゆっくりと発音をする唇は、きっと熱い。

今、財前の運命を握っているのは自分だった。謙也が拳を固めて腕を振り降ろせば彼は抵抗もできず殴られるだろう。謙也が足を彼に向けて振り切れば見えていても避けられないだろう。謙也が両手で彼の首を押さえつければ彼は声も出せないまま息を止めるだろう。

「ねえ、けんやせんぱい」

鼓膜までがひどく遠い。謙也の目に映るのは、声を出すために薄く開けられた唇のあわいばかりだ。



「あったでー!」

ユウジの声に謙也は飛び上がって胸を押さえた。慌てて振り返るが、そこに立つユウジをしばらく認識できない。財前が小さく笑う声ではっと我に返る。

「ほれ、外したるから腕出せ」

「おっ、俺やる!俺が外したい!」

ユウジの手からおもちゃの鍵をひったくり、謙也はユウジを近づけないように財前を隠すように前に立つ。何やねん、とややいぶかしがるユウジに何を言ってもボロが出る気がして、謙也は何も言えない。ただ、財前が笑っている声だけが耳に届く。

「先輩、はよ外して下さいよ」

楽しげなその声は、とても言葉通りには聞こえなかった。どぎまぎとして振り返ると彼はいつも通りのつまらなさそうな顔をしている。ただ、その口元だけはひどく楽しげなままだった。
2014'01.17.Fri
客観的に自分を見るならば、モテる、と言っていいのだと思う。上司には嫌々対応する女性社員もジャンには率先してコーヒーを入れてくれたし、ジャンの弁当が母親が作ったものから妻が作ったものに変わったことに目ざとく気づくぐらいには意識されていた。カフェのオープンテラスに座れば視線をもらい、同僚や友人からは結婚してからでも合コンに誘われ、同じ安物を着てもそこらの男とは違って見えるスタイルを維持している。

それは当然、そうでなければ困るのだ。それは生まれついてのものではなく、ジャンが意識して作り上げた自分だった。

美しく聡明な彼女の隣に立つにふさわしい自分に、と。ともすればつまらない男よりも女に人気のあった彼女も結局はひとりの女で、今はつまらない男の妻である。

それにしても、不毛な恋をしていた。微塵もジャンを意識しなかった女のことなど、彼女が好きな相手とつき合い始めたときにさっさと諦めていればよかったのだ。それなら、――それなら、もっと早く、自分に向けられる視線の中に、ひときわ真摯なものが紛れていることに気づいたかもしれないのに。



早く帰りたいと思ったときに限って電車にトラブルが発生しているような気がして、ジャンは世の中を恨みながら駅構内を歩いていた。と言っても早く帰りたくない日など、結婚してから一度もない。優しい妻とおいしい料理が待っている。ついでに今日は金曜日、少しばかり羽目を外してもいい日だ。先週一緒に選んだ酒など飲みながら体を温め、ついでにそのままアルコールに身を任せたっていい夜なのだ。

復旧はするのだろうか、いっそ別の路線で回った方が早いだろうかと人の流れを伺っていると、ふと目の前を花束を抱えた人が横切った。どこか緊張した面持ちで花束を抱えた男は、これからどこに行くのだろうか。ピンクのリボンなら女だろうなぁ、と冷やかし混じりの視線を送り、ジャンは彼が来た方を見た。そういえば、この駅には小さいが花屋がある。構内に響くアナウンスを聞けば、電車はまだ動きそうにない。特にあてもなくジャンは花屋へ足を向けた。

冬の寒さに彩りで競うのは、華やかに着飾った女性ばかりではないらしい。店先の視覚を楽しませる鮮やかさは春が恋しくなるほどだった。花言葉どころか花の名前も知らないが、単純に美しいと思う。何気なく見ていただけだったが、店員に声をかけられ、ジャンは改めて花を見回す。

「プレゼントですか?」

「いや……」

花なら正月の花が、この寒さのお陰でまだ鮮やかさを保っている。妻は以前生け花を少し教えてもらったのだという。じゃんにはわからないが、同じくお茶もお花もたしなんだ母がほめていたからうまいのだろう。少し考えたが、ジャンは店員を振り返った。

「……あの、適当に作ってもらっていいですか」

「はい。お誕生日ですか?」

「いや、……何でもない日です」

口にしてから、店員の驚いた顔に、そういうことにしておけばよかったと後悔する。しかし流石の客商売、店員はすぐに笑顔に戻った。三千円ほどの予算でさほど大きくない花束が、駅ナカらしい素早さで作られる。以前繁華街で見た花屋とは大違いだな、などとこっそり思う。結婚するまでは上司がときどき連れていってくれる店につき合ったこともあるが、今は飲み会すら許されるなら出たくないほどだ。それを遅れた時間を取り戻すようだと親友は言う。意識してはいないが、その通りなのかもしれない。

花束ができた頃には電車は復旧していたようだが、駅の中は電車が止まっていた分待ちぼうけを食らっていた人で溢れている。ジャンは花束を受け取って、さっさとタクシー乗り場へ向かった。



タイミングがよかったのか、さして待たずにタクシーに乗ることができた。乗ってしまえば家まではすぐだ。

ドアの鍵は閉めておくように言ってある。マンションの入り口はオートロックだが、安心だと信じきることはできない。鍵を開けて中に入ると、ドアの音で気がついたらしい足音が近づいた。

「ただいま、アルミン」

「お帰り……それどうしたの?」

靴を脱ぎかけ、それより先にアルミンに花束を渡した。困惑する彼女に笑いかける。

「アルミンに」

「えっ、何の日?」

「なんでもないけど」

「え〜、何それ……」

困ったようにそれを受け取ったアルミンだが、隠そうにもその頬が少し緩んでいることに気づいてつついてからかった。しかしアルミンははっとして、すぐにジャンの手を握る。

「冷たい。部屋あったまってるから入って」

「ああ」

着替えている間にアルミンはキッチンで花を花瓶に生けていた。鼻歌を歌いながらと上機嫌で、怒ることはないだろうと思ってはいたがどこかほっとして隣に立つ。丁寧にはがされた包装はやはり丁寧に畳まれてそばに置かれていた。

「きれい、ありがとう。でも急にどうしたの?」

「電車止まってて時間潰しに冷やかしてたら店員に声かけられてな」

「ふふ、じゃあ何でもない日のお祝いだ」

「何それ」

「知らない?ディズニー映画の、『不思議の国のアリス』の中の歌。何でもない日のお祝いのティーパーティーにアリスが巻き込まれるんだけど、お母さんが好きでよくおやつの時間に歌ってた。子どもの頃だからわからなかったけど、贅沢したおやつだったのかも」

「ふうん」

「僕も好きだな、何でもない日。僕の何でもない日は、誰かの特別な日なんだよ」

アルミンが頭を傾けて、小さな頭がジャンの胸にもたれ掛かった。その恐ろしくかわいい仕草に抱き寄せようと手を回そうとしたが、一瞬早くアルミンはジャンから離れてしまう。

「ご飯にしよう!」

「ああ……」

どうしてこうも、かわいいのだろう。ジャンがアルミンに告白したときは信じてもらうまでが一苦労で、その頃から考えるとこうして身を預けてもらうなど夢のような話だった。

花はテーブルに置かれ、アルミンはそれを見ながら上機嫌で箸を進める。

「毎日誰かのお誕生日だったり、記念日だったりするんだと思うと不思議だな」

「……お前、オレらがつき合い始めた日も覚えてないだろ」

「さぁ、どうでしょう?」

いたずらっぽく笑うアルミンに苦笑を返す。優秀な彼女が覚えていないことはないはずだが、およそ記念日ということにほとんど頓着しなかった。きっと意識しているのは結婚記念日ぐらいではないだろうか。

「不思議だなぁ」

「何が」

「今日は、何でもない日だけど、僕もケーキ買ってきてたんだ。だからジャンがお花買ってきてびっくりした」

「……へぇ」

「誰かのお誕生日みたいだね」

「そうだな」

そうか、とふと食事中のアルミンを見る。いつか、家族が増えれば、また特別な日が増えるのだ。ジャンの母親はまめな人で、息子がいい年になった今でも誕生日にはメールを寄越す。いやがることはわかっているはずだから半ば嫌がらせではないかと思っているが、「息子」には「母親」の気持ちを理解することはできないものなのかもしれない。

「あ、でも」

「何?」

晩酌のグラスを指先で弾き、アルミンはジャンを見上げて笑う。昔は見せなかった女らしい表情は、もしかしたらジャンが気づかなかっただけで他の誰かは見ていたのかもしれないと思うとやや不愉快だ。しかしそれはまた、ジャンがどきりと胸を鳴らすのとは別の話である。

「何でもない日じゃないかもしれない」

「何かあったか?」

「何もないけど、今の僕にとっては毎日が特別な日だから」

――それを、アルミンが狙っているのか、無意識なのかはもはやどうでもいい。えもいわれぬ色気にあおられてぐっとこみ上げるのと、幼少期のこととはいえいじめた過去と、何やら諸々に襲われてジャンはただ言葉を失った。

「……オレも」

「便乗はずるいよ」

アルミンが声を上げて笑った。すねて見せようとしたがジャンもつられて笑ってしまう。

これが毎日になったのだ。それがじわじわこみ上げて思わず顔を覆う。

「ジャン?」

「何でもない……」

「変なの」

ころころ笑うアルミンは、何を考えているのだろう。

――ああ、もう。

君のいない日々が思い出せない。
2014'01.12.Sun
「巨人ってどれぐらい大きかったの?」

「色々いたなぁ。三メートルぐらいから、……五十メートル」

「五十メートル?」

「ああ、壁よりでかかった」

ジャンは聞けば教えてくれた。わかることしか教えられない、と自分の憶測の範囲のことは何も言わなかったが、それでもアルミンの好奇心を満たすのには十分だった。

「ジャンはどうして調査兵団に入ったの?」

「……さぁな。気づけば入っちまってた」

「……調査兵団は、勇敢な兵士だって」

「ハッ、まさか。臆病者ばかりだったぜ」

「ジャンも?」

「……お前、ほんとに物怖じしねぇな」

ジャンは時々、アルミンを見て呆れた顔をする。まるで昔からアルミンを知る親戚のようだ。実際の親戚はアルミンの追求に嫌そうな顔をすることがあったが、ジャンはいつも苦笑をこぼすだけだった。

「まあ、そうだな、オレもそうだったかもな」

「泣いた?」

「……お前、泣き虫だろう」

ジャンに指摘されて唇を噛んだ。仕返しだとばかりに笑った彼を睨んだが、そんなときばかりは視線も彼の体を突き抜けるかのようでまるで手応えがなかった。

「何が怖い」

「……いじめっ子」

「ははっ」

「あと、にんじんと、お化け」

「オレもお化けだぞ」

「ジャンは怖くないよ」

「……そうか」

「うん」

ジャンは屋上に行けば決まってそこにいる。他の場所には行けないのかと聞いたことがあったが、行けないわけではないらしい。教室の後ろに立って授業を聞いていたこともあるのだという。今は行かないのかと聞けば、もう飽きたのだと言っていた。ジャンはこの学校ができる前からここにいるらしい。

「ジャンはどうして、ここにいるの?」

「……この場所な、昔は、訓練兵の兵舎があったんだ」

「ここで死んだの?」

「いや、壁外だ。……壁外って言ってもお前にはわかんねえよな、お前が生まれたときにはとっくの昔に壁なんてなくなってたんだから」

「でも僕、壁のあった場所知ってるよ。お父さんが連れていってくれたんだ。ぐるっと回ったよ」

「……そうか、マルコが」

「壁まですっごく遠いんだよ。お尻が痛くなるまで車に乗って、大きな岩を見に行ったんだ。知ってる?エレンの岩。公園の真ん中にあるやつ」

「ああ、知ってる」

「一番向こうの壁はそれよりもっと遠いんだよ。……それでも、人がもっと遠くに行こうとしたのはどうして?壁の中も、僕は十分広いと思うんだけど」

「……そうだよな。オレだって、自分が住む街だけで十分だったはずなんだ。……人間ってのは、欲張りだな」

「そうなの?」

「ああ。今のままでは満足できなくなっちまうんだ。……だから、歩くより早い馬車ができて、馬車よりも早い自動車ができた。お前、馬に乗ったことあるか?」

「お父さんがいつか乗せてくれるって。……でも、僕は自動車、好きだけど。ジャンは嫌い?」

「そうだな。多分オレも、乗れば好きになる」

「乗ったことない?」

「ないな。ここから出たことがねえ」

「行けないの?」

「さあ、試したこともない」

「どうして?」

「……死んでてもな、怖いことはあるんだ」

「……何が怖いの?」

ジャンは答えてくれなかった。家族が心配するから早く帰れ、と促され、アルミンはしぶしぶ立ち上がる。最近放課後は毎日のように屋上に通っていて、帰りの遅くなったアルミンに両親が首を傾げているのは事実だった。

最近できた友達と遊んでいる、と答えたアルミンを一応信じてはいるようだが、いじめっ子に何かされているのではないかとやや疑っているようだ。いつもアルミンを助けてくれるエレンは祭りのための練習が忙しい。アルミンがジャンのところにくる理由のひとつはいじめっ子と帰る時間をずらすためでもあるので、両親の推測は逆とも言えたし、正しくもあった。



帰宅して夕食後、父の書斎をノックすると笑顔で迎えてくれた。その部屋は見るたびに本が増え、まだアルミンには難しいものが多かったが、小さい頃から遊び場にしていたアルミンはこの部屋で文字を学んだ。

「お父さん、今日は何のお勉強?」

「もうすぐお祭りだからね、お父さんはみんなに歴史の話をするんだ。だからその準備だよ」

「お父さん、もう知ってるのに」

「そうだね。でももし、間違いしていたら困るから」

「お父さんなら大丈夫だよ」

「ありがとう。アルミンも聞きにきてくれるかい?」

「僕が知らない話する?」

「うーん、しないかも」

父は笑ってアルミンを膝に抱き上げて本を開いた。小さな文字の並ぶ分厚い本をエレンは嫌うが、アルミンは早く読めるようになりたいと思っている。まだ難しい言葉がわからないことが多くて、ひとりではなかなか読むことができなかった。

「そうだ、ねえお父さん、訓練兵の話を教えて」

「訓練兵?」

「僕の学校、訓練兵の兵舎だったんだって」

「よく知ってるね、誰に聞いたの?」

「えーと、先生」

「珍しい、知ってる人がいるんだね。そうだな、今はずっと遠くにあるけど、訓練兵の兵舎と訓練場は、昔はこの辺りにあったんだ。と言っても建物も残っていないから記録だけのことだけど、でも……そうだな、おじいちゃんのうちのある辺りと比べて、この辺はおうちが新しいのはわかる?」

「えー、うちもぼろだよ」

「はは、そう言われると困ったな。そうだな、じゃあ、今度エレンが出るお祭りがあるだろう?」

「うん」

「あのお祭りがこの地区で行われるのは、あの英雄たちがこの場所で訓練をしていたからだと言われているからなんだ」

「英雄たちが訓練をするの?」

「そりゃあするさ。英雄たちだって、アルミンと同じ、人間だ」

「……そんなすごい人と一緒って言われても、わからないな」

「そうだね、お父さんも信じられないよ。だけどきっと、彼らだって初めから強かったわけではないはずだ。泣いたり、苦しんだりしただろう」

「絵本にはそんなこと、書いてなかったけど……」

「うーん……そうだね、アルミンはもしかしたら怒るかもしれないけれど……子どもには難しくて、わからないだろ?」

「……まあね」

ふてくされるアルミンを父は笑った。アルミンの体はまだ父の体にすっぽり収まるほどしかなくて、お菓子がたくさん食べられないのと同じように、言葉もたくさん入らないのだと言うことは渋々ながら認めている。

「怒らないで。アルミンは賢いから、きっとすぐにわかるようになるよ」

「……お父さんも怖いもの、ある?」

「そりゃああるよ」

「お母さん?」

「……そうだね、時々怖いね」

父を見上げると困ったように笑った。その表情は子どもには読みとれないほど複雑で、ジャンのことを思い出す。

「……ねえお父さん」

「なんだい」

「お化けの怖いものって、何だと思う?」

「お化けかぁ……そうだなぁ、もしかしたらアルミンがお化けが怖いみたいに、お化けもアルミンが怖いのかもしれないよ」

「えーっ!僕怖くないよ!」

「もしかしたらだってば。お父さんもお化けのことはわからないなぁ。どうしたの?お化けの話でも聞いた?」

「ううん」

お化けの友達ができた、とはなんとなく言えなくて、父親もそれ以上聞かなかった。



祭りの日が近づいた。エレンは興奮の中にも疲労を見せていたが、父親はそれを懐かしそうに見ていた。

「立体起動装置か……懐かしいな」

アルミンの話を聞いてジャンは両手を見下ろした。その下からアルミンが手をかざし、重ねて見上げるとジャンが笑う。決して触れない手を合わせるように掲げてくれるジャンにアルミンも笑い返した。

「ジャンの手は大きいね!」

「お前はちっせえなぁ」

「すぐ大きくなるよ!お父さんも大きいんだから!」

「どうかなぁ?お前は小さいままって気がするぜ」

「何でわかるのさ!」

「さぁ?」

「ジャンは何歳?」

「あ?……あ〜……オレ、髭生えてるか?」

「ううん」

「……死んだときの姿じゃねえのか」

「鏡見たことないの?」

「写らねえ」

「へぇ、面白い」

「オレ、幾つぐらいに見える?」

「ん〜、お兄さんって感じ。おじさんではないかな」

「……まあ、この兵舎にいるってことは、オレは訓練兵時代の姿なのかもな」

「どうして?」

「……オレが聞きてえよ」

「ねえ、どうしてジャンはお化けになったの?」

「それもオレが知りてえな」

ジャンは苦笑して背を伸ばした。空を仰ぐ姿を見上げる。背の高い彼に並ぶと自分がまだまだ小さいのだと思い知る。父ぐらいはあるだろうか。そんなに高くないのかもしれない。

彼はどんな人だったのだろう。

「ねえ、一緒にお祭り行こうよ。エレンかっこいいんだよ!」

「いいよ、オレは」

「怖いの?」

「……お前、その性格って子どもの頃からなんだな」

「何のこと?」

「ハァ……マルコもちゃんと教育しろよな」

「ね、お祭りの日迎えにくるね」

アルミンが笑いかけると、ジャンは笑い返してくれた。それを約束してくれたのだと決めつけて、アルミンはいつも以上に祭りの日を待ちわびていた。



祭り当日、約束通りジャンを迎えに屋上に行くと、彼は呆れた顔をした。街全体が言葉通りお祭り騒ぎで、喧噪かここまで聞こえている。

「行こう、ジャン!」

「……オレほんとにここから出たことねえんだよ」

「大丈夫だよ。ね、早く!エレンの出番がきちゃう!」

手を引けないのがもどかしい。アルミンが足を踏み鳴らせば、ジャンは深く息を吐く。と言ってもその空気の流れがわかるわけではない。わかったよ、とぼやくように言ったジャンに気をよくして、アルミンは階段に向かった。ジャンは滑るように足を動かし、アルミンの隣を移動する。ブーツのつま先が交互に動くのを見て、嬉しくなってジャンを見た。苦笑する彼がアルミンに向ける視線が子どもに対するものだとわかったが、今日は気づかなかったことにした。

通りは人で溢れていた。賑やかな喧噪は街を大いに盛り上げ、人々の表情を見ているだけでも浮き足立つ。

学校の門を抜けてもジャンは確かにアルミンの隣を歩いていた。どこか心細い様子のジャンにいい気になって、アルミンは上機嫌で街を歩く。

まっすぐ立体起動装置のデモンストレーションの会場に向かえば、そこは既に多くの人で溢れていたが、どうにか人の合間をくぐってアルミンはよく見える位置を確保した。隣のジャンは人も突き抜けてしまうので、場所を必要としない。少し羨ましくなって彼を見上げれば、同じようにアルミンを見下ろしている。

「お前、大丈夫か?」

「うん。……まあ、こんなときは小さいのも悪くないよ」

「ははっ、違いない」

そう肯定されるといささか気に食わないが、否定はできないので仕方ない。大きな歓声が上がり、アルミンは正面を見た。

ガスをふかす音が心地よく響き、大きい鳥の影が横切る――否、空を舞うのは少年兵だ。風を受けたマントが広がり、ブレードが反射する。飛び交う少年兵の中で一際目を輝かせているのが、アルミンの幼馴染みのエレンだった。そう教えようとほとんど隣の少年と重なって頭だけになっているジャンを見たが、彼はまっすぐエレンを見ていた。

「ジャン?」

「……相変わらず、調子に乗るとガスふかしすぎるんだな」

「何が?」

「……あいつらみんななってねえな」

「そう?みんな上手だよ!すごく練習するんだ」

「オレはもっとうまく飛べた。……まあ、そうか。飛べなくたって、お前らは食われねえもんな」

アルミンはデモンストレーションから目を離さないジャンから目を離せなくて、ずっと彼を見上げていた。

――そうか。この人は死んでるんだ。

今更そんなことに気がついた。あまりにも優しいから、忘れていた。
2014'01.11.Sat
初めて「彼」を見たのはアルミンがもっと幼い日、夏の天体観測の夜だった。その日の夜に流星群が見られると数日前から町のあちこちで繰り返され、どこか浮き足立った夏休み。アルミンが通うことになる学校が屋上を解放することになり、父親に連れられて見に行った夜のことだ。

何も遮るもののない夜空を見上げ、感嘆の声を上げる。父親が知人を見つけて立ち止まったことにも気づかず、アルミンはふらふらと足を進める。さっと空を切るように横切った流れ星に集まった人が声を上げ、アルミンも父を振り返って初めてはぐれたことに気がついた。代わりにそこに立っていたのは、ひとりの兵士だった。ずいぶん若いように思った。短く切った髪は兵士らしい。瞳の色がわかったのは、彼がアルミンを見て目を見開いたからだ。柔らかな榛色はどこか懐かしい。

「アルミン」

父の声に振り返る。少し焦った様子の彼はすぐにアルミンの手を取った。兵士は父の姿を見て更に驚いた顔をした。父の知り合いだろうかとも思ったが、それには若すぎるように思う。何か言いたげに口を開いた後、兵士はすぐに背を背けた。その背に広がる翼を見た気がして、アルミンは目をこする。

「アルミン、どうしたの?眠くなっちゃった?」

「ううん、違うの」

父に抱き上げられてその首にすがりつく。背の高い父に抱かれると視界がうんと高くなって少し怖い。ほら、と促されて夜空を見上げる。それが合図のように、ひとつ、またひとつと星が降り始めた。

「お父さん、流れ星はどこに落ちるの?」

「どこだろうね、よく見ててごらん」

「拾いに行こうよ」

「そうだね。どこまででも、壁を越えていけるのだから」

その夜があまりにも美しく、父が優しかったので、アルミンは兵士を見たことなど忘れてしまっていた。「自由の翼」を見るまでは。



「アルミン!見ろよ、衣装届いたんだ!」

その日、幼馴染みのエレンは祭りの衣装を身につけてアルミンの家にやってきた。もうすぐ大昔の兵士をたたえる祭りがある。それはこの国に伝わる伝説が関わっている一大行事だ。

――昔むかし、人類は巨人の恐怖におびえて暮らしていた。人類は身を守るために何重もの壁を築き、その中で暮らしていた。しかし巨人は時には知恵を使って壁を破壊し、人間たちを食らった。そんな中、勇敢な兵士たちが立ち上がり、襲いかかる巨人に向かっていったのだ。それは何年にもわたる長い戦いで、幾人もの兵士が命を落とした。しかし人類はついに巨人を追いつめ、最後の一匹まで倒し、人類は自由を手に入れた。

その兵士たちは、調査兵団と呼ばれていたらしい。この祭りの時期になると選ばれた子どもたちが、兵士たちが巨人と戦うために使っていたという「立体軌道装置」の練習を始める。祭りの儀式の中の、デモンストレーションのためだ。引き継がれた伝統の中でも、子どもたちが何よりも憧れるものだった。

幼馴染みのエレンはアルミンよりも少し年上で、ようやく体もできてきた今年、遂に「調査兵団役」に選ばれた。適正の必要な立体軌道装置は誰でも扱えるものではない。ひとえに、努力を怠らなかったエレンが自ら掴み取ったものだ。

――エレン。それは、英雄の名だ。巨人の最後の一匹を倒したと伝えられている英雄の名を冠したエレンは、いつどんなときも自分の信じた道を突き進む。今度もまたそうだ。

「すごい、かっこいいね!」

ミニチュアの兵士の制服を着たエレンは誇らしげに胸を張った。幼馴染みを応援していたアルミンも自分のことのように嬉しく、手を叩いて喜んだ。

「おや、エレン、よく似合ってるね」

アルミンたちの声を聞きつけて、アルミンの父が顔を出した。父も昔「調査兵団役」をやったことがあるのだという。難しい立体軌道装置を誰よりも早く使いこなしたのだと今でも祖父母の自慢で、エレンも何度もコツを聞きにきていた。

「どう?似合う?」

「ああ、エレンにはやっぱり自由の翼がよく似合う」

「自由の翼?」

「アルミン知らねえのか?調査兵団は憲兵たちとはエンブレムが違うんだぜ!」

さっと彼が背を見せた。アルミンの視界一杯に広がるのは、一対の翼。アルミンの知る憲兵は、馬の横顔か薔薇の花だ。しかし、どこかで見たことがある。何で見たのか考えて黙り込むアルミンをどう解釈したのか、エレンはいいだろ、と自慢げに胸を張った。

「アルミンももう少し大きくなったら『調査兵団』を目指そうぜ!オレが教えてやるからさ!」

「僕はいいよ。エレンみたいに早く走れないし、喧嘩も弱いもん」

「……エレン、また誰かと喧嘩したの?」

「えっ、えーっと……アルミン!黙ってろって言っただろ!」

「あ、ごめん」

「エ〜レ〜ン〜」

「ごめんなさいっ!」

父から逃げるエレンを笑いながら、アルミンは自由の翼をじっと見る。確かに見た記憶があるものだ、と考え、間もなく思い出した。あの、流星群を見た夜だ。

背の高い兵士の背中に広がる翼。あの夜会った兵士は、調査兵団のエンブレムを背負っていた。

「ねえ、お父さん」

「何?アルミン」

暴れるエレンを簡単に羽交い締めにしてしまった父は、そのままでアルミンを見た。びくともしない父の拘束に、エレンが諦めたように身を委ねている。

「あのね、調査兵団って今はいないの?」

「……うん。彼らの仕事は壁の外の調査だったから、壁のない今はもう、彼らはいないんだ」

父はどこか寂しげに笑い、エレンをおろす。ソファーに座った父について、アルミンとエレンもその両側に座った。幼いアルミンにはまだ具体的に父の仕事はわからないが、古いことをたくさん知っている。今日も何か話してくれるのだろうか、とエレンと一緒に父を見上げた。

「そうだな……調査兵団は、とても勇敢な人たちだ。エレン、君が名前をもらった、あの英雄も、とても勇気のある強い人だったんだ」

「でも、そいつも死んじゃったんだろ?」

「ははっ、そりゃあ人はいつかは死ぬさ。……彼が戦いの最中で死んだのか、或いは生き延びたのか……それはいろんな話があって、まだわからない」

「他にはどんな人がいたの?」

「アルミンもエレンも、絵本で名前を知ってるだろ」

「リヴァイ兵長!」

「ミカサ!」

「そうそう。……勇敢な人が協力して、巨人を倒したから今の僕らの生活がある。だからね、エレン、君はこの翼に恥じないように生きなさい」

ぽん、と背を叩かれたエレンは背筋を伸ばした。父は同じように、アルミンの背にも手を添える。

「君たちには英雄の血が流れている。強き者、正しき者、導く者――だからねエレン、力が強いのは喧嘩の為じゃない」

「はぁい」

話が説教に変わってエレンが飛び上がった。アルミンは父と笑う。ここ数年でぐんぐんと背を伸ばしたエレンに兵士の衣装はよく似合っていて、アルミンは素直にかっこいいと思った。父に伝えると、彼は笑ってアルミンの肩を抱く。

「父さんはアルミンにも似合うと思うなぁ」

「だって僕、背も低いもの。エレンも苦労したのに、立体軌道装置なんて怖くてできないよ」

「残念だなぁ」

父は笑って肩を揺すった。

エレンの背中を大きく見せる、エンブレム。自由の翼が目にやきついて離れない。



きっと本か何かで見たものとあの夜の記憶が混ざっていたのだろう、と自分の中で結論づけた。調査兵団がひとりもいないなら、あの夜アルミンがみた兵士は兵士ではないか、或いはただの見間違いだ。確かめることはできないが、何となくそのままではいられなくてアルミンは学校の屋上に上がった。あの日流星群を見た場所だ。

屋上は寒く、いつも人気がないらしい。アルミンも授業以外で上がるのはあの流星群の夜以外は初めてだ。ドアを開けるとそこに見えるのは何もないただ広いスペースで、こんなに広かっただろうか、と少し怖じ気づいた。

突然の羽音に飛び上がった。鳥が目の前を横切っていったのだ。音もなく残ったのは、宙に漂う小さな羽。風にあおられて踊るそれを目で追って、屋上に視線を巡らせた。そして。

――その先に、翼を背負った兵士がいた。

小鳥が彼に近づき、しなやかな腕が小鳥に伸びる。まるで操られるかのように鳥は彼に近づいたが、すいっとその指先から逃げていった――否、彼の指が、小鳥の体を突き抜けた。

アルミンが声を挙げたのか、または足下を鳴らしたのか、気配を感じた彼が振り返った。何気ないその表情は、アルミンを見て凍り付く。

――そしてアルミンは、やっと気づいた。彼が背負う翼の向こうが、透けて見えることに。

呆然として身動きをとれずにいるアルミンとは対照的に、彼はきょろきょろとせわしなく辺りを見回した。そして他に誰もいないことがわかると、恐る恐る、と言った様子でアルミンに近づいてくる。まるで吠える犬の前をこっそり通ろうとするかのように。

「オレが、見えるのか?」

それは、優しい声だった。今にもかすれて消えそうな声をしっかり聞き取って、アルミンは彼を見上げて頷く。それを見た彼は、深く溜息をついた。その透けた腹には空気も吸い込めないようで、肩が上下しただけだったが。

「あ〜……悪いもんじゃない、オレは」

「お兄さん、調査兵団?」

アルミンの口から飛び出たのは、自分でも思ってもみない言葉だった。ただ、彼を怖いとは思わなかったし、知りたいことは確かにそのことだった。驚いた顔をした彼は、少しの間考えるようにあごを撫で、笑った。その笑顔はどこかで見たような、いたずら小僧のようで、少し悲しげでもあった。

「そうだ。お前たちの未来を作った、調査兵様だ」

「じゃああなたがエレン?」

「……二度とその名前で呼ぶんじゃねぇ」

その次は、この世のすべてを憎むようなしかめっ面だった。

「いいか、オレは……一度で覚えろ。ジャン・キルシュタインだ」

「ジャン・キルシュタイン?」

「そうだ。……アルミン?」

「えっ、なんで僕の名前を」

「父親の名前は、マルコ」

「すごい!なんでもお見通しなの!?」

「ははっ、まさか。知ってることしか知らねえよ。……ほら、予鈴だ」

「え?」

彼が言った途端に予鈴が鳴った。驚いて見上げれば、彼はまた笑っている。

「あ、あの、ジャン、また後できてもいい?ここにいる?」

「さあな」

からかうような口調で言ったその人は、ちゃんとそこで待っていてくれた。
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