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言い訳置き場

言い訳を書いていきます。誤字の報告などあればありがたいです。 ※唐突にみゅネタややぎゅにおの外の人のかけ算が混ざるのでご注意下さい。 日常はリンクのブログから。

2025'03.15.Sat
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2013'09.05.Thu
「アルミン、今日は帰るんだろ」

「ん……うー、眠い。まぶたが上がらない。ジャンがキスしてくれないと起きられない」

「何言ってんだ」

笑いながらもうとうとしていたアルミンのそばに膝をつき、髪に隠れた頬に唇を当てる。ちらりとこちらを見た目は満足していなくて、髪をかきあげて頭を抱きながら改めてキスを落とした。

ジャンの部屋で夕食を食べた後、洗い物をしている間にアルミンはソファーで丸くなってしまっていた。帰る時間まではと思い起こさずにいたが、構った方が正解だったのかもしれない。アルミンの手が首の後ろに回され、ねだられるままに何度かキスを繰り返す。

「……ほら、明日1限だろ。送るから」

「もういっかい」

「馬鹿」

甘えるアルミンの額を指で弾く。つまらなさそうに離れていったアルミンはまだ眠そうでもあり、いつもよりもずっと幼く見える。流されてしまいそうになるが、優秀な学生をそそのかすわけにはいかない。

アルミンを助手席に乗せて夜の道を走る。アルミンの家に向かうのはもう慣れた道だが、まだ家族に会ったことはなかった。恥ずかしいから、といつも少し離れたところで降ろしている。

運転中もアルミンはかくかくと振動に合わせて頭を揺らしていた。きっとまた本を読んで夜更かしでもしていたのだろう。疲れているなら無理してこなくていいといつも言ってはいるのだが、少しでも顔を見たいと言うのでつい許してしまう。ジャンも嬉しいので強くは言わないが、こうも無防備な姿を見せられるとどこまで手を出していいのか考えてしまう。

いつもの場所に車を止めた頃にはアルミンはすっかり眠ってしまっていた。頭が傾いて窓に当たっている。途中でぶつけはしなかっただろうか。

「アルミン、着いたぞ」

小さく声をかけたぐらいではアルミンは身動きもしなかった。静かな寝息をたてて眠る姿に思わず頬を緩める。お互い仕事や学校があってなかなか一緒に眠ると言うことはできない。あまり見られない様子は貴重で起こしてしまうのが惜しくなり、シートベルトを外して身を乗り出す。

力なく投げ出された手を取ると、眠っているいるせいだろうがいつもより温かい。手を離して腿を撫で、こちらに向いた首筋に顔を埋めた。コロンも何もつけていないはずだがどこか甘い匂いがして、子どものようだと笑ってしまう。それがくすぐったかったのか、アルミンが薄く目を開けた。かすれた声がジャンを呼ぶ。

「着いたぞ」

「うん……」

「起きねえと連れて帰るぞ」

「……じゃあ、ジャンと一緒に帰って、一緒に寝る」

「してえなぁ」

アルミンの手がジャンの手に重なった。甘えるように鼻を寄せられ、至近距離で目を合わせる。まだ夢心地のアルミンを前に我慢できるほどジャンはできた男ではなかった。

「ジャーン、ん」

「あー、クソ」

唇をそのまま押しつけた。重ねた指先を絡め、キスを交わすと盛り上がってきてしまう。甘い声のこぼれる唇に軽く歯を立てた。緩くほどけた唇を吸うと舌先に誘われる。

「……ジャン」

「……これ以上は……ヒッ!」

「えっ?」

視界に飛び込んだ顔にアルミンから離れた。暗い窓の外に浮かんだ顔を振り返り、アルミンも悲鳴を上げる。ふたりの様子を見てその顔は離れていったが、ジャンの心臓はばくばくとうるさいままだ。

「な、何だ今の」

「……お……おじいちゃん」

「えっ!」

「うわぁ〜見られたぁ〜」

アルミンは顔を覆って足をばたつかせたが、ジャンはそれどころではない。焦って窓の外を見るがすでに影はない。

「うー、帰りたくない」

「そういうレベルかよ……」

「家には一応言ってはいるんだ、つき合ってる人がいるって……」

「……俺、挨拶した方がいいか?」

「いいよ!恥ずかしい!」

「でもな……」

「……送ってくれてありがとう、ジャン。今日は帰る」

「ああ……」

「……好きだよジャン」

柔らかい唇が頬に触れる。はにかんでアルミンは逃げるように車を降りていったが、ジャンはシートに体を沈めて深く溜息をつく。

「……あ〜……ちゃんとするか……」

男とはいえ、夜遅くまで息子を引き留めているのだ。アルミンは気にしていないようだが、ジャンにしてみればそうも行かない。

「……はぁ、なんだこれ」

まさか男にここまで入れ込むとは思っていなかった。最後に唇が触れた頬を撫でる。

「……帰したくねぇなぁ」
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2013'09.04.Wed
「あちーな、クソ」

拭っても拭っても汗をかく。誰にでもなく、ジャンは苛立って呟いた。今日は特別気温も高く、陽射しも目を開けていられないほど眩しい。

それでも今日も訓練はあるし、鬼のような教官は顔色ひとつ変えずいつもと同様に叫んでいる。この鬱陶しい戦闘服も脱ぎ捨ててしまいたいが、それすらも許されないこの訓練に一体どんな意味があるのかと思うと嫌になってくる。ましてやこの暑さの中での対人訓練はすなわち誰かに触れるということであり、立っているだけでも暑いというのに人の体温を近くに感じることは更に暑苦しく思えた。せめてライナーやベルトルトのようなむさくるしい相手を避けたいところだが、クリスタやアニのような女を相手にするのも少し考えるものがある。尤も、対人に関して言えばアニは別の意味で相手をしたくなかった。

教官の怒声が飛んだ。少し焦って振り返るが、怒られているのはコニーのようだ。この暑さでもいつもと変わらずふざけていたらしい。一体どんな五感をしているのだろう。脳に直接叩き込まれるような指導を受けているコニーの側に少し疲れた様子のアルミンを見つけ、丁度いいとばかりに近づいた。彼ならばまだ少しは見た目も涼しげで、馬鹿みたいに真面目ではあるが今の様子では真剣に取り組んでくることはないだろう。

「お前は回避か、優等生は違うな」

「はは……コニーは元気だね。僕も暑さはそんなに苦手じゃないんだけど、さすがに今日は暑いなぁ」

苦笑を浮かべてアルミンは汗を拭い、うっとうしいのか前髪をかき上げる。露わになった額にも汗が浮いていたが、今日のこの暑さで汗をかいていない者などいないだろう。教官だって涼しい顔をしているが、あの長いジャケットの下は汗だくに違いない。そんなことを思っていると地面に沈んだコニーから教官が視線を外し、慌てて見た目だけでもアルミンに構える。

「おい、俺はもうこれ以上消耗したくない。形だけつき合え」

「……色々思うところはあるが、僕も今日は辛い。賛成だ」

「よし」

ジャンより、と言うよりこの訓練兵の中で体力面は劣っていると言ってもいいアルミンは真面目にやりたくとも体力がついていかないのだろう。動きを確認するような振りで、勢いなくアルミンに向かっていく。アルミンも了解しているので、伸びてきた手を受け流して形だけの抵抗を見せた。

「ったく、このクソ暑い中で何やらせんだ」

「暑くても寒くても巨人は待ってくれないからね」

「まだ立体起動の方がましだぜ」

「そうかもね。地面からの照り返しも暑くて嫌になるよ。あまりいい思い出もない」

「思い出?」

「真夏の炎天下、家に帰ったら家族が出かけてて鍵がかかって入れなかったことがある。2時間ぐらい待ったよ」

「そりゃ災難だ」

「更に災難だったのは、いじめられっこに追いかけられていたってこと。家に逃げたのに家の前で捕まって殴られた」

「お前いじめられっこだったのか、似合うじゃねえか」

「嬉しくないよ」

掴まれた腕を引かれたがすぐに返して振り払う。その間に間合いに入りこまれて体を引いた。動きは悪くないが、それはいじめられっこだった経験からなのか、それともここに入ってから鍛えられたものだろうか。

薄い体を見れば、なるほど、確かにいじめられっこと聞けば納得できる。つい悪戯心を出して、アルミンが油断したところに手を伸ばして肩を掴んだ。その力の強さにアルミンがはっとしたときにはもう遅い。引き倒すように力を込めて、バランスを崩したアルミンの足を払った。そのまま崩れ落ちないように腕を取って、背中に回して地面に組み伏した。

「ぐっ……」

「軽いなお前」

「ずるい……」

抵抗する気力もないのか、アルミンは額をつけて溜息をついた。笑って手を離し、引っ張り起こすと額に砂がついている。うんざりした顔をするのでまだからかいたくなってしまうが、これ以上は本気で怒られそうだ。

「でもお前、体は柔らかいんじゃないか」

「ああ、うん。昔からそうだけど、ミカサにつき合ってストレッチしてたらもっと柔らかくなった」

アルミンが体を前に倒すとその手のひらが地面に着いた。べろりとめくれたジャケットの下は汗をかいていて、シャツから肌が透けて見える。これが女ならば絶景だが、アルミンは残念だが男である。男らしいとは無縁とはいえ、男は男だ。しかし思わず手を伸ばし、両手でその腰を掴む。

「ひっ!何!?」

「ほっせぇ。女みてぇだな。尻はちいせえけど」

「ちょっと、離して!」

アルミンの正面、頭側にジャンが立っているので顔を上げられないらしい。身動きがとれないのをいいことにベルトを弾くとふくらはぎの辺りを叩かれた。手を離してやるとアルミンはやっと体を起こし、頭に血が上ったせいか少し顔が赤い。

「気にしてるのに……」

拗ねたような表情はかわいく見えなくもない。額を指してやると不思議な顔で手を当てて、砂がついていることに気がついて慌てて払い落としていた。

「どうしたらジャンみたいに背が伸びるんだろう」

「とりあえず早く寝たらいいんじゃねえの。遅くまで本読んでるじゃねえか」

「その説は根拠が乏しい。僕らの中で一番寝るのが早いコニーが証拠」

「違いねえ」

「それに暑いから寝苦しくて」

「まあな、それは同感だ」

最近は夜でも気温が下がらず、ましてや男ばかりの部屋ではとても快眠と言うわけにはいかない。シャツの胸元を引いて風を送る。

「あー、早く終わんねえかな」

「暑いねえ……」

はあ、と息を吐くアルミンの横顔が思いがけず色っぽい。どきりとしたあと、暑さでおかしくなったのかと頭を振った。



*



食堂の片づけの当番だった。最後のひと仕事を終わらせると、同じく当番だった仲間がオレンジを持ってくる。あまりがあったようだ。その場でこっそり分け合って、半分を手に部屋に帰る。

今日もやはり熱帯夜と言えるほどの暑さだ。動くと暑い、といわんばかりに、疲れた訓練兵たちは既に半裸でベッドに転がっている者が多い。窓辺だけが明るくて、見るといつものようにアルミンが火の側で本を読んでいる。

近づくとジャンに気づいて顔を上げた。額に汗が浮いている。小さな蝋燭の火でも暑いだろうが、月明かりだけでは本を読めるほど明るくはない。そうまでして読みたいものか、とやや呆れながら、オレンジをひと房唇に押しつける。

「ん」

「これしかないからこっそりな」

「……ありがと」

開いた口にオレンジを押し込み、ジャンも自分の口に放り込む。さわやかな酸味はいくらか暑さを和らげるような気がした。

「……オレンジは体温は下げるんだって。少しは涼しくなるかもね」

「それも本の知識か?」

「ううん、じいちゃんが言ってた。よく暑くて眠れないってわがままを言ったから、僕をなだめる嘘かもしれないけどね」

残りを渡そうとしたが、アルミンの視線はまた本に戻っている。仕方なくまたその口まで運んでやると、無意識のように口を開けた。食べてからはっとしたようにアルミンが顔を上げる。小さな炎に照らされた頬が赤く見えた。

「早く寝ろよ」

「あ、ごめん、明るいよね」

「汗かいてるぞ。蝋燭が暑いんだろ」

「あ、うん……そうする」

アルミンはジャンから視線を外し、頬に手を当てた。暑さを忘れるほど読書に集中していたのだろうか。勉強家の気持ちは理解できねえな、思いながら立ち上がる。慌てたようにアルミンがジャンを見上げた。

「あの、オレンジ、ありがとう」

「……気まぐれだよ」

かわいく見えたのは炎の加減だろうか。それともやはり、暑さのせいかもしれない。体温を下げるはずのオレンジの効果もなくて、ベッドに横になってからしばらく、窓辺の蝋燭が気になって眠れなかった。
2013'09.03.Tue
それはまったく予定にない雨だった。アスファルトの地面にぱたぱたっと斑点ができ、雨だ、と思った瞬間には土砂降りだった。いつもと変わらない帰り道になるはずだった丸井と仁王は、あっという間に濡れ鼠になっていくお互いを見てしばし呆然とする。これは何の冗談だろう。痛いほどの雨に肩を叩かれ、仁王が溜息をつく。

「……ゲリラ豪雨とはよう言ったもんじゃ」

「こんだけ濡れちゃ焦る気にもなんねーぜ」

ブン太は深く溜息をつき、ラケットバッグを担ぎ直して歩き出した。その重い足取りに合わせるように仁王もゆっくりついてくる。

「部活だけでよかったのう。教科書持っとったら悲惨じゃあ」

「お前普段から教科書持ってねぇじゃん」

「ピヨッ」

「バッグ明日までに乾くかな〜」

昼間は口を開けば文句を言いたくなるほどの快晴で、雨の気配など全くなかった。今年も例に漏れず異常気象からは逃れられず、この夏は苦労した。これが過ぎても「女心と秋の空」というやつがくるのだから、困った話である。

濡れながらだらだら歩いていたふたりだが、ふと仁王が言葉を切る。空を見上げたその仕草につられるように丸井も顔を上げると、耳に届いたのは何かを転がすような雷の音。それは思ったよりも近い。どきっとした丸井が仁王を見ると、その背後で空が光る。

「やべっ!」

周りに屋根のある場所がない。視線を巡らすより早く、仁王に手を引かれ慌ててついていく。こんな季節、ちょっと雨に濡れたぐらいでは風邪もひかないが、雷は別だ。こんなに近くで鳴っていてはのんきに歩いているわけにはいかない。

「にお」

「こっち」

思わぬところで手を引かれ、転けそうになるも持ちこたえる。丸井を振り回すように走る仁王が向かったのは公園だ。

アスファルトから一転して砂を踏み、滑りながら仁王が駆け込んだのは電話ボックス。ふたりでぶつかるように転がり込み、丸井は仁王に抱き止められる。顔を上げた先にある仁王の顎は上を向いて、前髪をかき上げながら外をうかがう様子はなかなか絵になっていて卑怯なほどだ。体を起こすと仁王が残念、とからかってくるので、同じように額に張りつく髪をあげて鼻で笑う。その背後で雷が鳴り、仁王の視線が外に向いたのがおもしろくない。



そもそもひとり以上入ることを想定されていない電話ボックスは狭く、邪魔なラケットバッグを足下に下ろしてもふたりの距離はあまり変わらなかった。しかし更に雨が強くなったことは壁を叩く音の大きさでよくわかる。外が白くぼやけて見えるほどの強い雨だ。壁にもたれて仁王を見る。伸ばした髪の毛先からぽたぽたと滴が滴っているのが目につくが、仁王は気にしていないようだった。しかし丸井の視線には気づき、目を細めて笑う。

「見つめるほどイイ男?」

「バーカ。俺の方がイイ男に決まってんだろ」

「うん、確かにセクシーじゃな」

冷えた指先が頬を撫でる。雨が伝うようなくすぐったさに背筋がぞくりと粟立った。顎先まで下がった指はついと上を向き、自然と顎が上がる。キザな奴、思いながらも近づく仁王の唇を受け入れた。静かな唇は雄弁で、誘われていることがわかっても逃げることができない。冷たい唇を温めるようにすり合わせ、吸いついて温度を上げる。

離れていった唇は満足したように口角を上げ、仁王は壁に寄りかかった。やや物足りなさの残る丸井が視線で訴えると、気づいた仁王はわざとらしく首を傾げる。

「これ以上したら我慢できんでここで脱がすけど構わん?」

「……バカじゃねーの」

こんなにも色気を放つ仁王のそばにいたらムラムラするに決まってる。仁王も同じように思っているように言うが、あんな軽口では信用できない。期待してもいいのか疑えばいいのか、いつも丸井は考える。



仁王には大切なものが多い。意外とちっぽけなものを大切にしていたかと思えば、それを見捨てるのか、と思うようなものを気にもかけない。足下のラケットバッグに視線を向けると、仁王もつられたようにそれを見た。三年使い込んだバッグは決してきれいなものではないが、仁王はきっとこれからも使い続けるだろう。

「……もっと悔しいと思っとったな」

「……俺は負けるなんて考えたこともなかった」

「お前さんは強いな」

「仁王は負けると思ってたのかよ」

「極端じゃのー。誰だって、勝つか負けるか、どちらかじゃ。そんなもん、結果が出るまで誰にもわからん」

「……悔しくないのか」

「んー……羨ましいとは思ったな。運命の女神を惚れさせたのはあいつらやったってことじゃ」

悔しくないわけがない。仁王がどれほどの努力をしたのかは、見せてもらえなかったので丸井は知らない。それでも、悔しくなかったなんてことはあり得ない。試合の後、仁王は誰にも会わなかったのだ。きっと取り繕えないほど、悔しかったのだ。

仁王の側に手を突いて睨みつける。おどけた表情をした仁王に苛立ちながらも何も言わずにそうしていると、笑ってキスをされた。

「済んだ話じゃ」

雨に紛れていても、仁王は何も言ってくれない。初めて、自分が仁王と一緒に泣きたかったのだと気がついた。
2013'09.02.Mon
「ミカサならジャンともお似合いね!」

そんな言葉を時々聞いた。

同じアカデミーで学ぶジャンというその男を、ミカサはよく知らなかった。幼なじみのエレンの喧嘩相手であること、貴族を目指す男であること、成績は優秀であること。その程度だ。強いてもうひとつ上げるのならば、アカデミーに入って初めてミカサに声をかけてきた男でもあった。

「きれいな黒髪だな」

その言葉に自分は何と答えただろうか。適当に社交辞令として礼ぐらいは言ったかもしれない。入学まで惰性で伸ばしていたその髪は、訓練の邪魔になるので切ってしまった。次にジャンに会ったときにはもう、誉めてもらった髪は短くなっていたはずだ。



この国は壁で守られている。その外は魔物がはびこる危険な世界だ。アカデミーで生き抜く術を学んだものは外へ行くことができる。ミカサは壁外に行きたいというエレンの昔からの夢につき合って入学を決めた。それはミカサ個人の目標がないと言うことでもある。エレンは時々鬱陶しそうにしているが、ミカサは無鉄砲なエレンを止めることが自分のするべきことだと思っていた。

アカデミーに入学する者の目標は壁の外だけではない。優秀な成績をおさめ、壁の外で成果をあげた者は貴族の地位を得ることができる。貴族に必要なものは栄光と、それを受け継ぐもの。つまりは後継者だ。よって新しく貴族の位に昇格したものは同時に伴侶を探し始め、すでに貴族であるものたちもまた同様に、子を成すと同時に良縁を探し始める。



幼い頃両親をなくしたミカサは、エレンの家族として引き取られた。公から見ると兄弟という扱いである。

ミカサ自身は興味はないが、貴族になるに十分な実力を持っていた。しかしそれはミカサの望むところではなく、なるのならばエレンを主とした貴族家系でなければ困る。しかし今の実力のままならば、評価をされるのはミカサの方が先になるだろう。だからミカサは、いつかそうなるより先に、結婚しようと思っていた。いつでもエレンのサポートに回ることができる位置にいることを許してくれる者と一緒になろうと。

「ジャン!またミカサに負けたのか」

「うるせえ」

仲間にからかわれて、ジャンはからからと笑い飛ばした。しかしそのあとふっと悔しそうな顔を見せたのを、離れていたミカサは見てしまう。あれはきっと、他人には見られたくない姿だろう。

「ミカサ、どうしたの?」

「いや……行こう」

幼なじみのアルミンに促され、ミカサはきびすを返した。

ジャンは貴族を目指す男だ。それは周知の事実で、エレンと揉めるきっかけになることも多い。どちらかが悪いということはなく、ただ考え方の違いだ。それを冷静に話し合えないだけだ。

ジャンが夫であれば、彼を制してミカサがエレンについていくことは可能だろう。そんなことを考える。

「ミカサは強いな」

そう言って笑う男は、心の中で何を考えているのだろう。自分を意識していることぐらいはわかる。ミカサとジャンが噂になっていることも知っているはずだ。正面切って、ふたりがいるところで話題にされたこともある。そのときもジャンは、笑い飛ばしただけだった。貴族になれてからの話だろう、と。

だからミカサは、いつかジャンと結婚するのだと思っていた。ジャンはこのままいけば貴族になるだろう。ミカサは自分が貴族になる気はない。エレンを立てるためには自分が貴族になることを避けなければならない。ミカサにはそういう生き方しかできなかった。



「アルミン、その本はどうしたの?」

「外に行きたいという話をしていたら、ジャンが貸してくれたんだ。ジャンの家は昔は貴族だったから、古い本が多いみたい。嬉しいな、図書館の本はあらかた読んでしまったから」

親しいのかと聞くと少し困った顔をした。しかし本を抱きしめたアルミンは嬉しそうだ。勤勉なアルミンはアルミンやエレンと違い、知識欲から壁の外に憧れている。よく学ぶから教師にも好かれ、学友にも頼りにされている。ジャンも頼っている姿を時々見かけた。エレンと喧嘩している様は気に食わないが、本当はもっと冷静な気のいい男なのだろう。

初めは、その程度だった。



自主連の最中、訓練に使っていた弓の弦が切れた。まだ練習を続けるつもりだったが断念し、ミカサは片づけを始める。

「おい、どうした」

「……ジャン」

通りかかったジャンに声をかけられて振り返る。とたんにぎょっと目を見開いたジャンが、慌てたようにハンカチを出してミカサの頬を押さえた。

「何?」

「何じゃねぇよ!切れてるぞ!」

「ああ……多分今、弦が」

「切れたのか。気をつけろよ。とりあえず医務室行ってこい」

「でも」

「片づけて置いてやるから。きれいな顔してるんだから、あんまり傷つけるな」

「……ありがとう」

素直にハンカチを押さえて場を離れる。医務室に行くと思っていた以上に傷は深いらしく、担当者が大慌てで治療をした。

こっぴどくしかられた後、訓練場に戻ってみるとまだジャンがそこにいる。声をかけると笑顔で弓を掲げて見せた。

「弦張っといた。使いにくければ調整する」

「ありがとう」

「……あれ、お前か?」

ジャンの視線の先を追うと、使っていた的がある。頷くとやや悔しげな顔をしたあと、お前にはかなわねえな、と笑った。

「お前らはすげえやつらだな。三人そろえば、壁の外をどこまででも行けそうだ」

「ジャンだって、とても優秀な生徒」

「まあ表面はな」

「……どういうこと?」

「最近は、もう貴族なんてのもどうでもいいんだ。元々親が強く言ってたことだしな」

「……もう、貴族にならないということ?」

「なれるならなるが、その後は知らん」

ジャンが矢を取り、直したばかりのミカサの弓を構える。その凛々しい姿と真摯な目は、貴族として兵を率いるのにふさわしい。そうなるべきだと、周りの誰もが思っているはずだ。ジャンなら兵を無駄死にさせないだろう。ジャンなら胸を張ることのできる成果をあげるだろう。ジャンなら、立派な夫に――

ジャンが放った弓は、中央を少しずれて的に当たった。震える弦の音を聞いて息を詰める。的を見つめるジャンが知らない人のように見えた。

「ちょっと張りすぎたか。いや、お前は変な癖もないし大丈夫か?まあ直すなら言ってくれ。あ、今日は休めよ!」

「ジャンは」

「んー?」

「貴族になるのだとばかり」

「……貴族になって、時々回ってくる魔物退治の順番の時だけいいとこ見せて、あとは毎日安全なところで遊んで暮らす。そういう生き方も、まあありだろうな」

それはジャンがずっと言っていたことだ。エレンとの喧嘩の原因でもある。ミカサが戸惑っている様子をジャンが笑った。

「お前、どうせ耳にタコができるぐらい聞いてんだろ?」

ジャンが語ったのは、アルミンが見たいと願う外の世界。くつくつと肩を揺らす男にただただ困惑する。こんな風に笑う男だっただろうか。

「あんなに無邪気だと、見せてやりたくなるじゃねえか」

そんなに無邪気に笑う男を、ミカサは知らない。



ジャンに何か変化が起こったことはすぐにわかった。アルミンを探すジャンと、ジャンから逃げるアルミンを見かけることが増えたのだ。アルミンに聞いても理由は教えてくれない。喧嘩をしたわけでもないようで、ミカサはさっぱり意味がわからなかった。



廊下の窓から見える中庭に、アルミンを見つけた。真っ赤になって俯いたアルミンに、木陰に隠れていた誰かが手を伸ばす。そっと触れただけでアルミンは弾かれたように顔を上げた。その口が開く。ジャン、

「ミカサ!どうした?」

「……なんでも」

エレンに呼ばれて窓に背を向ける。なぜだか脈が乱れた。それを隠して、食事に向かうエレンについていく。

「アルミン先に行くって言ってたけど、席取れてるかな」

「……さあ、また途中で先生に捕まっているかも」

「だよなー、いつもそうだもんな」

横目で見た窓の外に、もうアルミンの姿はなかった。



どうして私は、自分がジャンと結婚するのだと思っていたのだろうか。ミカサは誰にも言わず自問する。アルミンは依然ジャンから逃げていたが、距離が近づいているのは明白だった。

「好きだ」

どうしてジャンは、アルミンが好きになったんだろうか。どうして私は、隠れて告白を聞いているのだろうか。どうして私は、悲しいのだろうか。

震えるアルミンの声を最後まで聞けずに走り出した。ジャンに借りたハンカチを返せていないことが、頭から離れなかった。
2013'09.02.Mon
小学校最後の夏休みの宿題も終わってしまった。もうこれはいつものことで、兵助にとって夏休みは時間を持て余しながら過ごす日々でしかなかった。

厳密に言うならば、あとは毎日書く絵日記と自由研究だけが残っている。去年は自由研究に手作りで豆腐を作ったが、今年はそれだけに限らず、市販の豆腐との比較研究をするつもりであった。今はまだ防腐剤について調べている途中で、豆腐好きの兵助にとっては心苦しいが豆腐が駄目になっていく経過を観察中である。



毎日暑さを更新していく炎天下。静かに汗をかきながら、兵助は縁側で昼寝をしていた。日の当たらない場所にさえいれば風のよく通る縁側は絶好の昼寝の場所で、実際隣には猫がだらしなく四肢を伸ばしている。明るいところで見れば茶色がかって見える真っ黒な猫は、この春学校帰りに兵助が見つけた猫だった。見つけたというよりは黒猫が兵助を見つけたというべきか、野良猫にしては人懐っこく兵助の足元に絡みついてきて、どうしたものかと思いながらそのまま帰宅したところ、家人がねずみに困っているから丁度いい、などと言うのでそのまま飼うこととになった。名前は勘右衛門という。時代劇の好きな祖父がつけたものだ。

「兵助ー!山行こうぜ!」

縁側までやってきて大きな声で兵助を呼んだのは、虫取り網を担いだ幼馴染の八左ヱ門だ。幼馴染というが、この地区に子どもは兵助と八左ヱ門しかいない。学校にはもう少し集まるが、あとはお盆の時期ににわかに増える程度だ。兵助の家でももうすぐいとこが子どもを連れて帰省してくることになっている。

「兵助ー、寝てんの?」

「いや、起きてる。八左ヱ門、宿題は?」

「今日の分は終わらせた!」

「ほんとか?つき合うと俺までおばちゃんに怒られるからな」

「いいんだよ、明日やる」

「ほんとかよ」

夏の太陽のように笑う幼馴染を笑い飛ばす。家の奥の親に八左ヱ門と山に言ってくると叫び、兵助も今朝ラジオ体操から帰ってから縁側に置いたままだったサンダルを引っ掛けて、太陽の下に飛び出した。家の裏に回り、そこから山へ登っていく。山と言ってもさほど気が密集しているわけでもない明るい山で、何より兵助の祖父の持つ山だ。昔からの遊び場なので、今更富める者は誰もいない。

「もうすぐ赤ちゃん来るからさー、蝉捕まえてみせてやろうと思って」

「赤ちゃん蝉好きかなぁ……」

八左ヱ門の家にも親戚が帰省してくる。兵助のいとこはもう名前を言えるぐらいには大きいが、八左ヱ門のいとこは少し前に生まれたばかりだ。まだ赤ちゃんを見たことがないという八左ヱ門は夏休みに入る前から興奮していた。

去年の夏にはまだ赤ちゃんだったいとこのことを思い出す。ふるふると桃のように柔らかいほっぺたはいい匂いがした。猫の肉球のように柔らかい手が蝉に触ることを考えて、兵助は少し顔をしかめる。

「やっぱり蝉は赤ちゃんは好きじゃないと思う」

「じゃあ何が好きかな。ざりがに?」

「もっと駄目だ!」

「めだかは?」

「うーん、めだかぐらいならハサミもないし、いいんじゃないか」

「じゃあめだかにする」

虫取り網はこの瞬間、魚を取る網になる。引き返してバケツだけ取ってきて、蝉の大合唱の中をどんどん登っていくと小さな池がある。もっと小さいときにはこの池に落ちたこともあるが、小六にもなってそんなみっともないことはしない。何よりも、もうこの池の底に足が着くぐらいに背が伸びていることを知っている。

水面に浮いた水草を少しどけてから、水が穏やかになるのを待った。水草の上にいた蛙が飛び込んできて、驚いた八左ヱ門が尻餅をつく。更にこけたときに手をついたところに渇いた菱の身が落ちていて、しばらく痛みに悶える八左ヱ門を見て笑った。

「そういや、兵助自由研究やった?」

水面を覗き込むと、ぷくぷくと小さな波紋が生まれている。よく見るとそれはめだかが水面に上がってきている証拠だ。影で逃がさないように八左ヱ門が網を構える。

「まだ途中。八左ヱ門は?」

「俺、朝顔の観察」

「去年もそれやってたな」

「去年はへちま」

「兵助だってどうせ豆腐だろ?」

「お前の三日坊主の観察日記と一緒にすんなよ」

「よっ!」

八左ヱ門が網を振った。水面の水を弾いて、集まっためだかを一網打尽にしてしまう。生き物を捕まえることに関しては兵助は八左ヱ門にかなわない。実際一振りでめだかを五匹とおたまじゃくしも一緒に捕まえて、小さなバケツは既に満員御礼の様相だった。

「あ、俺自由研究おたまじゃくしの観察にしようかな」

「そっちの方がまだいいんじゃないか?変化もあるし」

「何食うんだっけ」

「去年はご飯やってたはず」

「あー、そうだ。ご飯とかパンとかやってた」

そのあとも二匹ほどおたまじゃくしを捕まえて、準備をしよう、と山を下りた。途中甲高い鳥のような声がして振り返ると、八左ヱ門が鹿だ、と言う。

「うちさー、こないだじいちゃんが軽トラで鹿とぶつかりそうになってさ」

「鹿とぶつかると大変らしいね」

「な、車の方が壊れるってよ」

兵助の家の前まで戻ると、庭先で誰かがうずくまっている。その前では猫の勘右衛門が腹を撫でられて喉を鳴らしていた。猫だから許されるが、これが犬なら番犬にもならない。足音で気づいて顔を上げたのは、近所の中学生のお姉さんだ。

「あ、伊賀崎さんちの」

「兵助くんお帰り。おばあちゃんいてはる?」

「畑出てる」

「そっか……うちのばあちゃんが、きゅうり持って行けって。縁側に置いてるから」

「ありがとう」

隣で八左ヱ門が緊張しているのがわかる。隣の家の伊賀崎さんちの孫兵は、元々かわいい子ではあったが中学に入ってからはぐっと背も伸び、すごくお姉さんになった。ふたつ上なだけなのにひどく大人に見えるが、兵助は八左ヱ門ほど緊張はしない。昔から風呂にも一緒に入ったことがあるようなつき合いだ。

「ねえ、勘ちゃん人懐っこすぎるよ」

「女の人は特に好きだから」

「毛だらけになっちゃった」

孫兵も動物は好きだから、すり寄ってこられて思わず抱きあげたのだろう。部活で学校に行っていたのか、セーラー服には勘右衛門の黒い毛が少し目立つ。

「八左ヱ門、何とったの?」

「めっ、めだか!あとおたまじゃくし!」

バケツを突き出すと勢いで少し水がはねた。しかし孫兵は嫌な顔もせずそれを覗き込み、へえ、と感心してみせる。

「全部八左ヱ門がとったんだ」

「兵助下手だもんね」

「ざりがに釣りは俺の方が得意だよ」

比べられるとつい張り合う。笑う孫兵に撫でられて、妙に子ども扱いをされた気がして首を振った。

「それにしても、夏休みは始まったばかりなのに、君たちは勘ちゃんに負けないぐらい真っ黒だね」

孫兵に笑われて、八左ヱ門と顔を見合わせる。大体は学校のプールの授業のせいだ、と言いたいが、毎日走り回っているのでそれだけではないだろう。孫兵は毎日自転車通学だというのに驚くほど白く見えて、中学生が大人に見えるのはそのせいだと思った。それでもよく見ると、素足のふくらはぎ辺りには靴下の日焼跡が残っている。白く見えるのは自分たちが黒いだけかもしれない。



孫兵が帰ってしまうと勘右衛門はさっさと縁側に戻ってしまう。人懐っこいので男の人も嫌いではないが、わかりやすぐらい女の人の方が好きだ。

昼も過ぎてしばらくすれば日差しの暑さもピークになり、さすがに外で遊ぶのもうっとうしくなる。八左ヱ門はおたまじゃくしとめだかを置いてくるために一度家に帰った。縁側に置かれたビニール袋にはたっぷりきゅうりが入っていて、台所まで持って行ったが誰もいない。どうやら母親もどこかで昼寝中だろうか、と思えば、仏壇の前で盆の準備に奮闘中だった。お供えの中にメロンを見つけて、いつ食べられるのかと期待する。

電話が鳴ったので忙しい母親に代わって出ると、泣き声交じりの八左ヱ門だ。どうやら宿題が終わっていないのがばれたらしい。さっさと終わらせておけばいいのに、と毎年思うが、毎年八左ヱ門は同じことを繰り返している。

八左ヱ門が来られなくなり、兵助は再び時間を持て余した。ひとりでゲームをしてもいいがあまり気が乗らない。また勘右衛門と昼寝でもしていようか、と思っていると、庭の方で車の音がする。父親はまだ帰ってこないし、畑に行った軽トラックは庭の方には回ってこない。

「おじちゃんだ!」

ばっと縁側から顔を出す。その後ろから母親も覗き込んだ。庭に止まった青い車は、いとこのうちの物で間違いない。車から降りてきた女性が、続いて小さな女の子を下ろす。去年までずっと抱っこされていた赤ちゃんが、写真で見ていた通り、自分の足で歩いていることに言葉にできない感動を覚えた。

「いらっしゃい、早かったのね」

「お姉さんこんにちは。もう聞いて下さいよ、うちの人すっごい急かすんですよ。出てきたのだってすごく早かったんだから」

「遅くなるほど道が混むだろうが」

しかめっ面の男も降りてくる。おじちゃんと呼ぶと怒るのだが、関係性としてはそれで間違いはない。母の弟だ。その奥さんと娘。今日から数日、大家族になる。

「兵助くん久しぶり〜。はい、ご挨拶」

「タカちゃん大きくなったわねー」

「よく食べるんですよー」

母の手によって靴を脱がされた女の子が、兵助を見て微笑んだ。勘右衛門に負けない人懐っこさだ。

「……ねえおばちゃん、タカちゃん蝉好き?」

「蝉?うーん、近くで見たことないんじゃないかな」

「とってきたら喜ぶかな」

「やめてよ!あんたこの前に家の中で逃がして大変なことになったじゃない!」

「俺じゃないよ、八左ヱ門だよ」

「男の子だなぁ」

「立ち話してないで入れよ」

「えらっそうに」

この家では女が強いということは兵助は既に理解している。不満そうにしながらも叔父が車から荷物を全部おろしてから、仏壇の前に手を合わせにいった。兵助は小さな手を取って合わせてやりながら、静かな鐘の音が響くのを聞く。

「兵助、このきゅうりどうしたの?」

「さっき孫兵姉ちゃんが持ってきた」

「すっごいいっぱい。どうしようかなー、伊賀崎さんち茄子は作ってたもんなー」

「にゃんにゃん!」

どこからか勘右衛門がやってきて、叔父のそばを通り過ぎて叔母にしなやかな体を摺り寄せた。おしめで膨らんだ不格好なお尻で歩く小さな女の子はすぐに黒猫を見つけ、母親に抱きついていって猫を撫でる。

「君が噂の勘ちゃんか〜!ほんとに人懐っこいねえ」

くたくたと柔らかい体で懐いていく姿に罪はないが、叔父が触っても叔母にばかりすりついている姿を見ると複雑だ。

お茶を入れて持ってきた母親が、一緒にビニール袋を提げて持ってくる。それを兵助に渡した。

「伊賀崎さんちに持って行って来てくれる?」

「これ何?」

「トマト」

ビニール袋にはいくつかみずみずしいトマトが入っている。きゅうりのお礼だ。よく冷えた麦茶を一気に飲み干して、袋を持って立ち上がる。

「勘ちゃん、孫兵姉ちゃんち行く?」

にゃあん、と甘えるような声で鳴いて、勘右衛門も立ち上がる。その様子に母親が笑い、訳がわからずにいる叔母たちに説明していた。

庭に出ると勘右衛門は大人しくついてくる。兵助を追い抜いたり追い越したり、寝転がったりしながらもそう離れずについてくるので賢いのだとは思う。

隣と言ってもうちの畑を伊賀崎さんの畑を挟んだ先、その家に向かう。開け放してある玄関から声をかけると、楽な格好に着替えた孫兵が顔を出した。

「これ、母さんが持って行けって。きゅうりありがとう」

「あ、トマト嬉しいな。うちのカラスにやられちゃって。勘ちゃんも来たの」

ぐるぐる喉を鳴らして孫兵に甘える勘右衛門に、連れてこなければよかったかなと少し後悔する。どうしてだかこの猫は、家人よりも孫兵の方が好きらしい。猫の頭をぐりぐりと撫でて、少し待ってて、と言い残して孫兵は中に入って行った。トマトの代わりにチューペットを持って帰ってくる。歩きながらパキン!と折って、その片方を兵助にくれた。

「はい」

「ありがと」

「暑いね。勘ちゃんも毛皮が暑そうだなー」

「こいつ寝るとき張りついてくるからもっと暑いよ」

「夏でも?」

「夏でも」

「変な子」

勘右衛門は孫兵にあごを撫でられて気持ちよさそうに目を細める。そのうちくたりと力を抜いて、土間に寝てしまったのを面白がって孫兵が腹を撫でた。

「なんでこんなに女の人が好きなんだろう。猫でもわかるのかな」

「わかるのかもね」

「来年の自由研究、猫にしようかな」

「兵助くん、来年は自由研究ないじゃない」

「……そうか」

孫兵に言われて思い出す。小学校の夏休みは今年が最後だ。来年からは中学生で、孫兵みたいに夏休みでも学校に行くことになるのだろう。

「中学は自由研究ないの?」

「ないよ。代わりにお勉強がたくさん」

「ふーん……」

アイスをかじって外を見る。高い夏の空は毎年同じなのに、来年の自分は全く違う気持ちで見上げるのかもしれない。

「猫はいいなぁ」

思わず零した言葉に孫兵が笑ったのが、妙に恥ずかしかった。
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