言い訳置き場
言い訳を書いていきます。誤字の報告などあればありがたいです。 ※唐突にみゅネタややぎゅにおの外の人のかけ算が混ざるのでご注意下さい。 日常はリンクのブログから。
2015'01.14.Wed
嫌がる声も無視してカメラアプリのシャッターを押そうとして、菅原ははたと手を止めた。スマートフォンを持つ手を下ろして月島を見る。
「月島、眼鏡変えたんだな」
見上げた横顔でようやく気がついた。菅原の言葉に反応した月島がハンガーを手にしたままこちらを見下ろす。正面から見るとあまりわからないのは以前と同じ黒のセルフレームの眼鏡だからだが、横から見ると目を隠すラインが太くなっていることに気がついたのだ。
「変えたっていうか、変えざるを得なくて。つるが折れたんです」
「つるってどこ?」
「……ここです」
腰掛けたベッドの片側が沈む。そう思ったときにはもう、月島の唇がこめかみに触れていた。ベッドに片膝をついた月島が半ば菅原に影を作り、離れて菅原を見下ろす視線をぎこちなく見上げる。指先から力が抜けてスマートフォンが落下して、ラグ越しに鈍い音を立てた。月島がハンガーにかけていたジャケットがどこに消えたのか、そんなことを考えようとしても、菅原の顔は熱を集め、今月島にされたことばかりが頭を占める。月島はいつも通りのポーカーフェイスで菅原を見下ろしていた。
「菅原さん」
月島の声でばちっと我に返る。菅原のあからさまな動揺に呆れたように月島は少し首を傾け、菅原が口を開くより早く唇を塞いだ。一瞬のキスに菅原はまたすべてを奪われて、ただ目を見張る。
「あなた、僕がただの後輩だと思ってたでしょう」
「な、何、言って」
「後輩に東京案内してもらってる気分じゃなかったですか?」
「そんなこと」
そんなことはない。見知らぬ町をふたりで歩いたあのわくわく感は、そうではなかった――そう、言い切れなくて、菅原は言葉を続けなかった。久しぶりに会ったせいだろうか。触れ方を忘れている。感じ方を忘れている。距離感を忘れている。
「別に、言いたいなら幾らでも好きなだけ僕をかっこいいと言ってくれていいです。僕は久しぶりにあなたに会うからそれなりに時間もお金もかけたんだ、そう思ってもらわなきゃ困る」
「あ、うん」
「だからそこらの女と同じように僕を見ないでくれますか」
どきりとした。それが否定できなかった。
戸惑っていると肩を押され、油断していた体は後ろに倒れた。慌てて起きあがろうとした頃には半ばのしかかられていて、のぞき込まれて両手で顔を隠す。自分は今どんなみっともない顔をしているのだろう。
「違うんだ、俺、ほんとは月島のことあんまり考えないようにしてて」
「……知ってましたけど」
「その……月島が、東京がすごく楽しいんじゃないかって」
「楽しんでますけどね」
「だから……」
「だからってあなたに会いたくないとは言ってない」
息を飲む。月島はずるい。いつもはっきり言わないくせに、こんなときばかりストレートに向けてくる。
「今日楽しみにしてたんで、顔見せてくれますか」
「俺……」
「どうせもっと恥ずかしい顔してもらうんで、気にしなくていいですよ」
「……え?」
指の隙間からわずかに視線を向ければ、月島は今日一番の笑みを向けていた。
「あの、月島クン」
「ちょっと怒ってます」
「うっ、わぁあッ」
*
目が覚めて、見知らぬ天井に一瞬迷い、すぐに状況を思い出す。隣に人の気配を感じながらも菅原はそちらを見ることができなくて、現実の代わりに天井を見つめた。
天井の照明に、星が飾られている。小さいオーナメントが無造作に引っかけるように垂れていた。統一感のある室内の中で少しだけ子どもっぽく見えて、まだ眠る月島の横顔を見る。死んでいるんじゃないだろうかと思ってしまうほど静かだ。思わず指先を伸ばして鼻息を確かめる。生死を確認して改めてじっと見ているとこめかみに小さな傷跡があることに気がついた。こんな傷はあっただろうか。もう治ってはいる薄い傷跡は、このまま消えないかもしれないと思わせる。
突然高い電子音が鳴り響き、菅原は跳ね起きて音源を探す。しかし菅原より先に布団から伸びた手がベッドサイドの目覚まし時計を止めた。月島がこちらを見る前に、菅原は布団に潜り込む。今更逃げるつもりはないが、まだ覚悟はできていない。
「おはようございます」
「……」
「すいません、アラーム消すの忘れてました、起こしましたね」
寝起きのかすれた声が謝るのを寝たふりで流すわけにはいかず、菅原は渋々顔を出す。月島は目元をこすり、まだ少し眠そうだった。
「……おはよう。……大丈夫、アラームより先に起きてた」
「それで人の顔観察してたんですか」
「……性格悪い」
「知ってます。何か発見ありました?」
「……こめかみの傷」
月島は少し考え、唸るようにああ、と低く声を吐きながら指先を傷跡に這わせた。触れてわかるのだろうか。思わず手を伸ばすと明け渡すように月島は手を離し、菅原の指先にかすかな凹凸が触れる。
「眼鏡が折れたときにぶつかって」
「えっ!?」
「練習で、ゴーグル忘れた日に運悪くチームメイトとぶつかったんです」
「なっ、そんな危ない……俺聞いてないし……」
「わざわざ言わないでしょ。傷跡は残ったけど、ちょっと血が出たぐらいで」
「言ってよ」
「……じゃあ」
「う、わ」
するりと背中に手が回り、抱き寄せられて自分たちがまだ裸だと実感する。焦って引き離そうとするも月島に逃がす気は少しもなく、がっちり脚まで絡みとられた。
「うっとうしいぐらい連絡してきていいですよ」
「……うっとうしいんだろ」
「いいですよ」
月島は小さくあくびをして、菅原の胸にすり付けるように頭を寄せた。もぞりと丸くなる姿は大型犬を思わせる。眠いのだろうか、と思ってから、月島越しに目覚まし時計を見た。デジタル数字が刻むのはまだ6時過ぎだ。
(あれ……?)
菅原は新幹線のチケットを早めに予約して、到着は12時頃だと伝えていた。アラームをセットしたままだというのなら、月島は昨日6時に起きたのだろう。
「月島、もしかして昨日午前中に用事あった?」
「ん、ないですよ。掃除してただけ……」
少しずつ声が小さくなり、月島が更に顔を深く沈める。熱がじわりと菅原にうつり、菅原も恥ずかしくなった。
本当は。
本当は、月島が東京へ行ってほしくないと思ったことがある。例え戯れでも、それを拒まれたらと思うと口にはできなかった。
天井を見上げると、星が朝日を受けて瞬いていた。
「月島、眼鏡変えたんだな」
見上げた横顔でようやく気がついた。菅原の言葉に反応した月島がハンガーを手にしたままこちらを見下ろす。正面から見るとあまりわからないのは以前と同じ黒のセルフレームの眼鏡だからだが、横から見ると目を隠すラインが太くなっていることに気がついたのだ。
「変えたっていうか、変えざるを得なくて。つるが折れたんです」
「つるってどこ?」
「……ここです」
腰掛けたベッドの片側が沈む。そう思ったときにはもう、月島の唇がこめかみに触れていた。ベッドに片膝をついた月島が半ば菅原に影を作り、離れて菅原を見下ろす視線をぎこちなく見上げる。指先から力が抜けてスマートフォンが落下して、ラグ越しに鈍い音を立てた。月島がハンガーにかけていたジャケットがどこに消えたのか、そんなことを考えようとしても、菅原の顔は熱を集め、今月島にされたことばかりが頭を占める。月島はいつも通りのポーカーフェイスで菅原を見下ろしていた。
「菅原さん」
月島の声でばちっと我に返る。菅原のあからさまな動揺に呆れたように月島は少し首を傾け、菅原が口を開くより早く唇を塞いだ。一瞬のキスに菅原はまたすべてを奪われて、ただ目を見張る。
「あなた、僕がただの後輩だと思ってたでしょう」
「な、何、言って」
「後輩に東京案内してもらってる気分じゃなかったですか?」
「そんなこと」
そんなことはない。見知らぬ町をふたりで歩いたあのわくわく感は、そうではなかった――そう、言い切れなくて、菅原は言葉を続けなかった。久しぶりに会ったせいだろうか。触れ方を忘れている。感じ方を忘れている。距離感を忘れている。
「別に、言いたいなら幾らでも好きなだけ僕をかっこいいと言ってくれていいです。僕は久しぶりにあなたに会うからそれなりに時間もお金もかけたんだ、そう思ってもらわなきゃ困る」
「あ、うん」
「だからそこらの女と同じように僕を見ないでくれますか」
どきりとした。それが否定できなかった。
戸惑っていると肩を押され、油断していた体は後ろに倒れた。慌てて起きあがろうとした頃には半ばのしかかられていて、のぞき込まれて両手で顔を隠す。自分は今どんなみっともない顔をしているのだろう。
「違うんだ、俺、ほんとは月島のことあんまり考えないようにしてて」
「……知ってましたけど」
「その……月島が、東京がすごく楽しいんじゃないかって」
「楽しんでますけどね」
「だから……」
「だからってあなたに会いたくないとは言ってない」
息を飲む。月島はずるい。いつもはっきり言わないくせに、こんなときばかりストレートに向けてくる。
「今日楽しみにしてたんで、顔見せてくれますか」
「俺……」
「どうせもっと恥ずかしい顔してもらうんで、気にしなくていいですよ」
「……え?」
指の隙間からわずかに視線を向ければ、月島は今日一番の笑みを向けていた。
「あの、月島クン」
「ちょっと怒ってます」
「うっ、わぁあッ」
*
目が覚めて、見知らぬ天井に一瞬迷い、すぐに状況を思い出す。隣に人の気配を感じながらも菅原はそちらを見ることができなくて、現実の代わりに天井を見つめた。
天井の照明に、星が飾られている。小さいオーナメントが無造作に引っかけるように垂れていた。統一感のある室内の中で少しだけ子どもっぽく見えて、まだ眠る月島の横顔を見る。死んでいるんじゃないだろうかと思ってしまうほど静かだ。思わず指先を伸ばして鼻息を確かめる。生死を確認して改めてじっと見ているとこめかみに小さな傷跡があることに気がついた。こんな傷はあっただろうか。もう治ってはいる薄い傷跡は、このまま消えないかもしれないと思わせる。
突然高い電子音が鳴り響き、菅原は跳ね起きて音源を探す。しかし菅原より先に布団から伸びた手がベッドサイドの目覚まし時計を止めた。月島がこちらを見る前に、菅原は布団に潜り込む。今更逃げるつもりはないが、まだ覚悟はできていない。
「おはようございます」
「……」
「すいません、アラーム消すの忘れてました、起こしましたね」
寝起きのかすれた声が謝るのを寝たふりで流すわけにはいかず、菅原は渋々顔を出す。月島は目元をこすり、まだ少し眠そうだった。
「……おはよう。……大丈夫、アラームより先に起きてた」
「それで人の顔観察してたんですか」
「……性格悪い」
「知ってます。何か発見ありました?」
「……こめかみの傷」
月島は少し考え、唸るようにああ、と低く声を吐きながら指先を傷跡に這わせた。触れてわかるのだろうか。思わず手を伸ばすと明け渡すように月島は手を離し、菅原の指先にかすかな凹凸が触れる。
「眼鏡が折れたときにぶつかって」
「えっ!?」
「練習で、ゴーグル忘れた日に運悪くチームメイトとぶつかったんです」
「なっ、そんな危ない……俺聞いてないし……」
「わざわざ言わないでしょ。傷跡は残ったけど、ちょっと血が出たぐらいで」
「言ってよ」
「……じゃあ」
「う、わ」
するりと背中に手が回り、抱き寄せられて自分たちがまだ裸だと実感する。焦って引き離そうとするも月島に逃がす気は少しもなく、がっちり脚まで絡みとられた。
「うっとうしいぐらい連絡してきていいですよ」
「……うっとうしいんだろ」
「いいですよ」
月島は小さくあくびをして、菅原の胸にすり付けるように頭を寄せた。もぞりと丸くなる姿は大型犬を思わせる。眠いのだろうか、と思ってから、月島越しに目覚まし時計を見た。デジタル数字が刻むのはまだ6時過ぎだ。
(あれ……?)
菅原は新幹線のチケットを早めに予約して、到着は12時頃だと伝えていた。アラームをセットしたままだというのなら、月島は昨日6時に起きたのだろう。
「月島、もしかして昨日午前中に用事あった?」
「ん、ないですよ。掃除してただけ……」
少しずつ声が小さくなり、月島が更に顔を深く沈める。熱がじわりと菅原にうつり、菅原も恥ずかしくなった。
本当は。
本当は、月島が東京へ行ってほしくないと思ったことがある。例え戯れでも、それを拒まれたらと思うと口にはできなかった。
天井を見上げると、星が朝日を受けて瞬いていた。
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2015'01.07.Wed
小春を駄目にしてしまいたい。
小春の後ろ姿を見送って、ユウジは机に上体を倒した。回転した世界で見る小春も学生服がよく似合っていて最高にかわいい。その視線の先にいる財前と謙也などかすんで見える。財前を腕の中に抱きこんで、謙也はその手を両手に挟んで擦っている。大方指先が冷たいとでもわがままを言ったのだろう。時に恋人と言うより祖父と孫かとつっこみたくなるほど謙也は財前に甘く、目に入れても痛くないどころか目潰しをされても怒るまい。いや怒るかもしれない、かわいい光が見られへんくなるやんか、みたいなそんな理由で。
「ほんで、練習試合もう月末なんで、できれば早めにデータほしいんですけど」
「任しといて〜、ちゃんと対策含めてまた渡すわ」
「すいませんね、受験生やのに」
「あらあら、光はアタシをなんやと思ってるの?」
「変態」
「おい」
鋭い低音を向けられても財前は少しも気にしない。そういえばとまた別の話題を引っ張り出して、小春を引き留める。謙也はその間話題に入るでもなくひたすら財前に奉仕を続けていて、ふたりの指紋はなくなってしまうのではないだろうかと思うほどだった。
財前は荷物ひとつ持つのも自分では満足にほとんどしない。三年が部活を引退してからも謙也は財前が部活を終えるまで図書館で勉強して待っていて、財前を自転車の後ろに乗せて帰る。朝も勿論謙也は迎えに行くので、財前は謙也とつき合い出してから自分の足で通学路を通ったことは数えるほどしかないだろう。来年からは学校が別れることになるが、そうなったらどうするのかと聞いたら謙也は何を聞かれたのかわからないと言った様子で首を傾げた。
「ちゅーわけで、白石先輩に伝言お願いします」
「ええけど、なんで謙也くんやなくてアタシなん?」
「何回か言ったんですけどこの人全然役に立てへんくて」
「教室帰ったら忘れんねんもんー、俺光と受験勉強でいっぱいやから白石とかどうでもええやん」
「俺のお願い事もきけへん悪い子なんですわ」
「ちゃんとしつけときー」
「えー、お仕置きされたい人どうやってしつけたらええんかわかりませんわ」
ちらりと財前が視線をあげれば、謙也はふいと視線を外した。不器用に口笛など吹いている。
あのふたりは、本当は違うらしい。
ユウジはずっと、財前が謙也をいいように使っているのだと思っていた。つき合っているのだから確かに年齢は関係なくなるかもしれないけれど、だからといって甘えると言うには度を超えていて、それは主従関係と思えるほどだ。しかし小春は違うのだと言う。あの関係を作ったのは謙也の方で、財前が謙也なしにいられないようにしているのだという。
それがそうなら、きっと恐ろしい。それは、謙也が手を離せば終わりだということだ。
財前の視線がこちらに向いた。目が合っても無視していたら小春が振り返って、ユウジに手を振る。それに頬を緩めると小春も笑った。
小春を駄目にしてしまいたい、か?
小春が自分なしでは立てなくなることを考えて、その背中を見る。姿勢よく伸びた背筋。財前にほどほどにしときや、と声をかける甘い音。
謙也が光を引っ張るようにして教室を離れていき、小春がユウジのところへ帰ってくる。自分たちがユウジから小春を奪ったくせに、謙也はきっと小春が光るとの時間を奪われたなどと考えているのだ、腹立たしい。
机に頬をつけたままのユウジの視線に合わせるように小春が覗き込んで、その笑みに頬が緩むのが抑えられない。
「結局一問も解いてないやないの」
「おう。ずっと小春見てたわ」
「もう、今日の目標まで遠いわぁ。この章終わらせるんやろ」
「おう」
小春が前の席に座り直してユウジも顔を上げる。開いたままの問題集はユウジの体重でしっかり開かれて主張してくるが、もはやユウジの目には映らない。
「卒業アルバムの部活の写真撮り、いつにするか蔵リンと相談しといて〜やって。もうそんな時期やねんなぁ」
「あっほんまか。めっちゃおもろい写真撮ってもらわんとなぁ」
「去年の先輩ら、絶対バスケ部に負けとるもんなぁ」
「去年のバスケ部ずるいでなぁ、顧問でドリブルはあかんで」
「うちらもオサムちゃんつこてなんかやろか」
笑う小春に見とれているとユウジの視線に気づき、もう、と指先が問題集を叩く。
「こっち見なさい」
「でも俺の目は小春が見たいって言うんやぁ」
「あーかーん」
ぺしんと額を叩かれてめろめろになる。ユウくんやっぱり電子辞書やめて紙の辞書にしぃ、なんて言葉にただうんうん頷いた。ちゃんと聞いとる?とユウジを見た小春の手を取って、ぐいと自分の胸に引き寄せた。
「小春!」
「何よ」
「好きや!」
一氏またやっとるんか、なんて言いながら、教室に担任が入ってくる。それも無視して小春を見つめていると、小春はぱちりと一度瞬きをして、また笑った。
小春に駄目にされたい。
もう駄目なのかもしれない。小春がいないと世界の色が違うのだ。
小春の後ろ姿を見送って、ユウジは机に上体を倒した。回転した世界で見る小春も学生服がよく似合っていて最高にかわいい。その視線の先にいる財前と謙也などかすんで見える。財前を腕の中に抱きこんで、謙也はその手を両手に挟んで擦っている。大方指先が冷たいとでもわがままを言ったのだろう。時に恋人と言うより祖父と孫かとつっこみたくなるほど謙也は財前に甘く、目に入れても痛くないどころか目潰しをされても怒るまい。いや怒るかもしれない、かわいい光が見られへんくなるやんか、みたいなそんな理由で。
「ほんで、練習試合もう月末なんで、できれば早めにデータほしいんですけど」
「任しといて〜、ちゃんと対策含めてまた渡すわ」
「すいませんね、受験生やのに」
「あらあら、光はアタシをなんやと思ってるの?」
「変態」
「おい」
鋭い低音を向けられても財前は少しも気にしない。そういえばとまた別の話題を引っ張り出して、小春を引き留める。謙也はその間話題に入るでもなくひたすら財前に奉仕を続けていて、ふたりの指紋はなくなってしまうのではないだろうかと思うほどだった。
財前は荷物ひとつ持つのも自分では満足にほとんどしない。三年が部活を引退してからも謙也は財前が部活を終えるまで図書館で勉強して待っていて、財前を自転車の後ろに乗せて帰る。朝も勿論謙也は迎えに行くので、財前は謙也とつき合い出してから自分の足で通学路を通ったことは数えるほどしかないだろう。来年からは学校が別れることになるが、そうなったらどうするのかと聞いたら謙也は何を聞かれたのかわからないと言った様子で首を傾げた。
「ちゅーわけで、白石先輩に伝言お願いします」
「ええけど、なんで謙也くんやなくてアタシなん?」
「何回か言ったんですけどこの人全然役に立てへんくて」
「教室帰ったら忘れんねんもんー、俺光と受験勉強でいっぱいやから白石とかどうでもええやん」
「俺のお願い事もきけへん悪い子なんですわ」
「ちゃんとしつけときー」
「えー、お仕置きされたい人どうやってしつけたらええんかわかりませんわ」
ちらりと財前が視線をあげれば、謙也はふいと視線を外した。不器用に口笛など吹いている。
あのふたりは、本当は違うらしい。
ユウジはずっと、財前が謙也をいいように使っているのだと思っていた。つき合っているのだから確かに年齢は関係なくなるかもしれないけれど、だからといって甘えると言うには度を超えていて、それは主従関係と思えるほどだ。しかし小春は違うのだと言う。あの関係を作ったのは謙也の方で、財前が謙也なしにいられないようにしているのだという。
それがそうなら、きっと恐ろしい。それは、謙也が手を離せば終わりだということだ。
財前の視線がこちらに向いた。目が合っても無視していたら小春が振り返って、ユウジに手を振る。それに頬を緩めると小春も笑った。
小春を駄目にしてしまいたい、か?
小春が自分なしでは立てなくなることを考えて、その背中を見る。姿勢よく伸びた背筋。財前にほどほどにしときや、と声をかける甘い音。
謙也が光を引っ張るようにして教室を離れていき、小春がユウジのところへ帰ってくる。自分たちがユウジから小春を奪ったくせに、謙也はきっと小春が光るとの時間を奪われたなどと考えているのだ、腹立たしい。
机に頬をつけたままのユウジの視線に合わせるように小春が覗き込んで、その笑みに頬が緩むのが抑えられない。
「結局一問も解いてないやないの」
「おう。ずっと小春見てたわ」
「もう、今日の目標まで遠いわぁ。この章終わらせるんやろ」
「おう」
小春が前の席に座り直してユウジも顔を上げる。開いたままの問題集はユウジの体重でしっかり開かれて主張してくるが、もはやユウジの目には映らない。
「卒業アルバムの部活の写真撮り、いつにするか蔵リンと相談しといて〜やって。もうそんな時期やねんなぁ」
「あっほんまか。めっちゃおもろい写真撮ってもらわんとなぁ」
「去年の先輩ら、絶対バスケ部に負けとるもんなぁ」
「去年のバスケ部ずるいでなぁ、顧問でドリブルはあかんで」
「うちらもオサムちゃんつこてなんかやろか」
笑う小春に見とれているとユウジの視線に気づき、もう、と指先が問題集を叩く。
「こっち見なさい」
「でも俺の目は小春が見たいって言うんやぁ」
「あーかーん」
ぺしんと額を叩かれてめろめろになる。ユウくんやっぱり電子辞書やめて紙の辞書にしぃ、なんて言葉にただうんうん頷いた。ちゃんと聞いとる?とユウジを見た小春の手を取って、ぐいと自分の胸に引き寄せた。
「小春!」
「何よ」
「好きや!」
一氏またやっとるんか、なんて言いながら、教室に担任が入ってくる。それも無視して小春を見つめていると、小春はぱちりと一度瞬きをして、また笑った。
小春に駄目にされたい。
もう駄目なのかもしれない。小春がいないと世界の色が違うのだ。
2014'12.28.Sun
小さな手に引っ張られて向かったリビングは賑やかだった。兄に頼まれて1枚にまとめたクリスマスソングのCDが流れていて、テレビの脇には昨日両親に連れられて甥が選んできたクリスマスツリーの箱がある。一緒にやろう、と甥が財前を呼びにきたのは、要するに、彼の両親、つまり財前の兄とその嫁が、少年の世話を押しつけたということだろう。3歳の甥の背丈よりも高いツリーにややうんざりしながらも、ここまで来て甥が解放してくれるはずもない。
仕方なく包装を剥がして箱を開けるとプラスチックの葉を窮屈そうに広げたツリーが現れた。甥が引っ張りあげるのを押さえて土台を組み、ツリーも立ててやる。甥は嬉しそうにオーナメントの類を取り出し、CDに合わせて歌いながら飾りつけを始めた。「あわてんぼうのサンタクロース」から「We wish you a marry christmas」まで、うろ覚えのあやふやなまま気にせず歌われる歌はいかにも楽しそうだ。
「ひかるもして!」
「はいはい」
手のひらに押しつけられるオーナメントを枝にかけていく。財前がもっと小さい頃にうちにあったツリーはもっと小さくて机におけるようなものだったが、あれはどうしたのだろうか。
「あんなー、サンタさんにおてまみかいてん」
「へー。何書いたん」
何かを下さいと書いたようだが子どもの言葉は聞き取れず、財前はそうなんやぁ、と聞き流した。
財前のところにサンタクロースが来ていたのはそう長い期間ではない。年の離れた兄が喧嘩の拍子に弟にサンタクロースの正体をばらし、そのことを両親に確認すると兄が怒られ、財前は謝られた。その年から、クリスマスプレゼントは自己申請制になり、去年は財前が言い出すまで親は促しもしなかった。今年もきっとそうだろうから、早めに買ってもらえそうな値段を予想してほしいものを決めなくてはならない。
目の前ではしゃぐ甥のような気持ちを、いつまで感じていたのか思い出せなかった。
*
昼間は友達とカラオケで、家に帰って家族で夕食。中学生のクリスマスイブならこんなもんだろう。日が落ちてから解散して家に帰ると甥が朝からのハイテンションのままで、早々に電池切れしそうだと思えば案の定ケーキの前にはほぼ眠っていた。意地でホールケーキにナイフが入るところまでは起きていたが、ふた口ほどで母の隣で完全に寝てしまっている。大体予想がついていたので財前は自分のものには手をつけず、甥の食べかけの皿を引き寄せた。兄嫁の手作りのそれは甥好みにフルーツがふんだんに使われている。財前の母は料理もお菓子づくりも得意ではないので、手作りのケーキを食べたのは兄夫婦と同居を初めてからが初めてだ。それは誰が作ってもそうなるものなのか、兄嫁が得意なのか、市販のものとかざりつけの技術は違えども味が劣るとは思わなかった。
少しずつ、世界が広くなる。子どもだけでカラオケに行けるようになったり、サンタクロースの正体を知ったりする。家族は今更財前が思春期だからと兄夫婦は年が明けてしばらくしたらこの家を出ることになった。気にしないと言えたらよかったのかもしれないが、もしかしたら自分も反抗期がくるかもしれない。
「光もはよ寝ぇや〜」
「はぁい」
適当に聞き流し、寝る支度をすませて自室に入る。パソコンをつけると3時間は動けなくなることを知りながらもほぼ習慣化してしまっていた。
インターネットの世界は広い。生憎財前はまだ親によってフィルターをかけられているのでその世界はまだ区切られている。
しかしそのインターネットの世界も現実と同じようにクリスマスを満喫していて、それは悲喜こもごも、財前に理解できたりできなかったりという話で溢れている。
いつか財前もクリスマスを彼女と過ごしたり、彼女がいないことを嘆いたりするのだろうか。今はまだぴんとこない。女の子はかわいいと思うし、触れたいと思うことがないわけでもない。しかし一緒に遊んだりはしゃいだりする相手として異性を選ぶ自分が想像できなかった。
パソコンを切って布団に潜り込んでからも携帯を手にしていて、我ながら依存症である自覚はある。しかし携帯に触れたまま気づけば寝ているという毎日に慣れてしまっていて、その日も変わらず同様だった。
「ひかる、ひかる!」
クリスマスの朝、財前を起こしたのは甥の興奮した声だった。小さな手が毛布を引き剥がし、露骨に不機嫌な財前に怯みもせず、サンタクロースからのプレゼントらしい見慣れないおもちゃを振りかざしている。はいはいよかったなとあしらって再び布団に潜ろうとするも、彼はまだ財前を解放する気はないようだ。
「ひかるはなにもろたん?」
「あ〜?」
甥にとって、財前はまだ彼と同じ「子ども」のカテゴリーであるらしい。どう説明したものか、放棄して寝ようとした財前は甥の追撃にあってまたも遮られる。
「なあ、はよあけて!」
開けるも何も。渋々甥を見ると彼はその小さな目で、財前の枕元を凝視していた。赤いリボンのかかったプレゼントに、財前は眠気も飛んで硬直する。分かりやすくサンタクロースやプレゼントの舞う包装紙は届くはずのない「サンタクロースからの贈り物」のようにそこに鎮座していて、半身を起こして手に取るがまだ思考ができなかった。
「あら、光もええ子にしとったからちゃんとサンタさん来たんやねぇ」
様子を見に来たらしい母が財前の部屋を覗き、財前はやっと理解した。この家にはふたりの子どもがいて、ひとりにはサンタクロースがプレゼントを置いたのにもうひとりには何もない、なんてことは、甥の世界では有り得ないのだ。
あけて、と甥に促され、孫に甘いおばあちゃんにも見守られながら無造作にリボンをほどいて包装紙を破る。現れたのは、テニスボールだった。財前は思わず溜息をつく。期待したわけではないが、それでももう少し、夢のあるものでよかっただろうに。
「わぁっ、よかったなぁ!ひかる、てにすすきやもんな!」
「……せやな」
ボールをなくしたことを、誰にもまだ言っていないはずだった。おそらく部活用に紛れてしまって、見分けられる印もなかったのでそのうちちょろまかしてやろうと考えながら忘れている。だからしばらく帰宅後の自主連は気が向いたときに走っているだけで、ラケットを持って出ることはなかったから、察することは容易だろう。
しかし、自分がテニスを一生懸命しているのだと思われることは、妙に気恥ずかしい。
少しずつ世界は広くなって、もっともっと未来にば財前がサンタクロースになることもあるのかもしれない。そのときはもっといいものをプレゼントしよう。誰にでもなく誓い、テニスボールを握りしめた。
仕方なく包装を剥がして箱を開けるとプラスチックの葉を窮屈そうに広げたツリーが現れた。甥が引っ張りあげるのを押さえて土台を組み、ツリーも立ててやる。甥は嬉しそうにオーナメントの類を取り出し、CDに合わせて歌いながら飾りつけを始めた。「あわてんぼうのサンタクロース」から「We wish you a marry christmas」まで、うろ覚えのあやふやなまま気にせず歌われる歌はいかにも楽しそうだ。
「ひかるもして!」
「はいはい」
手のひらに押しつけられるオーナメントを枝にかけていく。財前がもっと小さい頃にうちにあったツリーはもっと小さくて机におけるようなものだったが、あれはどうしたのだろうか。
「あんなー、サンタさんにおてまみかいてん」
「へー。何書いたん」
何かを下さいと書いたようだが子どもの言葉は聞き取れず、財前はそうなんやぁ、と聞き流した。
財前のところにサンタクロースが来ていたのはそう長い期間ではない。年の離れた兄が喧嘩の拍子に弟にサンタクロースの正体をばらし、そのことを両親に確認すると兄が怒られ、財前は謝られた。その年から、クリスマスプレゼントは自己申請制になり、去年は財前が言い出すまで親は促しもしなかった。今年もきっとそうだろうから、早めに買ってもらえそうな値段を予想してほしいものを決めなくてはならない。
目の前ではしゃぐ甥のような気持ちを、いつまで感じていたのか思い出せなかった。
*
昼間は友達とカラオケで、家に帰って家族で夕食。中学生のクリスマスイブならこんなもんだろう。日が落ちてから解散して家に帰ると甥が朝からのハイテンションのままで、早々に電池切れしそうだと思えば案の定ケーキの前にはほぼ眠っていた。意地でホールケーキにナイフが入るところまでは起きていたが、ふた口ほどで母の隣で完全に寝てしまっている。大体予想がついていたので財前は自分のものには手をつけず、甥の食べかけの皿を引き寄せた。兄嫁の手作りのそれは甥好みにフルーツがふんだんに使われている。財前の母は料理もお菓子づくりも得意ではないので、手作りのケーキを食べたのは兄夫婦と同居を初めてからが初めてだ。それは誰が作ってもそうなるものなのか、兄嫁が得意なのか、市販のものとかざりつけの技術は違えども味が劣るとは思わなかった。
少しずつ、世界が広くなる。子どもだけでカラオケに行けるようになったり、サンタクロースの正体を知ったりする。家族は今更財前が思春期だからと兄夫婦は年が明けてしばらくしたらこの家を出ることになった。気にしないと言えたらよかったのかもしれないが、もしかしたら自分も反抗期がくるかもしれない。
「光もはよ寝ぇや〜」
「はぁい」
適当に聞き流し、寝る支度をすませて自室に入る。パソコンをつけると3時間は動けなくなることを知りながらもほぼ習慣化してしまっていた。
インターネットの世界は広い。生憎財前はまだ親によってフィルターをかけられているのでその世界はまだ区切られている。
しかしそのインターネットの世界も現実と同じようにクリスマスを満喫していて、それは悲喜こもごも、財前に理解できたりできなかったりという話で溢れている。
いつか財前もクリスマスを彼女と過ごしたり、彼女がいないことを嘆いたりするのだろうか。今はまだぴんとこない。女の子はかわいいと思うし、触れたいと思うことがないわけでもない。しかし一緒に遊んだりはしゃいだりする相手として異性を選ぶ自分が想像できなかった。
パソコンを切って布団に潜り込んでからも携帯を手にしていて、我ながら依存症である自覚はある。しかし携帯に触れたまま気づけば寝ているという毎日に慣れてしまっていて、その日も変わらず同様だった。
「ひかる、ひかる!」
クリスマスの朝、財前を起こしたのは甥の興奮した声だった。小さな手が毛布を引き剥がし、露骨に不機嫌な財前に怯みもせず、サンタクロースからのプレゼントらしい見慣れないおもちゃを振りかざしている。はいはいよかったなとあしらって再び布団に潜ろうとするも、彼はまだ財前を解放する気はないようだ。
「ひかるはなにもろたん?」
「あ〜?」
甥にとって、財前はまだ彼と同じ「子ども」のカテゴリーであるらしい。どう説明したものか、放棄して寝ようとした財前は甥の追撃にあってまたも遮られる。
「なあ、はよあけて!」
開けるも何も。渋々甥を見ると彼はその小さな目で、財前の枕元を凝視していた。赤いリボンのかかったプレゼントに、財前は眠気も飛んで硬直する。分かりやすくサンタクロースやプレゼントの舞う包装紙は届くはずのない「サンタクロースからの贈り物」のようにそこに鎮座していて、半身を起こして手に取るがまだ思考ができなかった。
「あら、光もええ子にしとったからちゃんとサンタさん来たんやねぇ」
様子を見に来たらしい母が財前の部屋を覗き、財前はやっと理解した。この家にはふたりの子どもがいて、ひとりにはサンタクロースがプレゼントを置いたのにもうひとりには何もない、なんてことは、甥の世界では有り得ないのだ。
あけて、と甥に促され、孫に甘いおばあちゃんにも見守られながら無造作にリボンをほどいて包装紙を破る。現れたのは、テニスボールだった。財前は思わず溜息をつく。期待したわけではないが、それでももう少し、夢のあるものでよかっただろうに。
「わぁっ、よかったなぁ!ひかる、てにすすきやもんな!」
「……せやな」
ボールをなくしたことを、誰にもまだ言っていないはずだった。おそらく部活用に紛れてしまって、見分けられる印もなかったのでそのうちちょろまかしてやろうと考えながら忘れている。だからしばらく帰宅後の自主連は気が向いたときに走っているだけで、ラケットを持って出ることはなかったから、察することは容易だろう。
しかし、自分がテニスを一生懸命しているのだと思われることは、妙に気恥ずかしい。
少しずつ世界は広くなって、もっともっと未来にば財前がサンタクロースになることもあるのかもしれない。そのときはもっといいものをプレゼントしよう。誰にでもなく誓い、テニスボールを握りしめた。
2014'12.26.Fri
「寒い〜おかん〜寒い〜」
「珍しいな、敦士がそんな寒がっとんの」
夕食の支度に台所に立つ光に寄り添ってくる息子はかわいらしいが、いかんせん既に母親の身長を抜いた男子高校生だ。あまりぐいぐいと体を寄せられるとかわいさよりも鬱陶しさが勝る。
確かに寒いがそれは冬だからという寒さで、今日は昨日と同じでとりわけ寒いわけではない。ふと思い当たって光は眉を寄せ、魚をさばく途中のまま敦士を見上げた。
「敦士、ちゅーしたるからおでこ出して」
「えっ何?やったー」
微塵も母親離れする気配を見せない男子高校生は無邪気に前髪をかきあげて光に額を向けた。その額に唇を当て、確信する。
「敦士、熱あるやん」
「え?」
「あ〜もう、布団入ってあったかくしとって」
「え〜?ないよぉ」
「あります〜。ええからはよ」
「はぁい」
心配性やなぁ、などと思っているのだろう、敦士はへらへら笑いながら部屋へ向かう。母親が子どもの心配をしなくてどうするのだ。
途中の料理もそのままに、光は手を洗って支度をする。敦士の父の実家が病院だ。孫に甘い家であるから混んでいても最優先しかねないが、一応電話をかけながら保険証を探す。
「……あっ、どうも〜光です〜。……ほんまに、毎日寒くてやんなりますわ。あのですね、敦士が熱っぽくて……あ、今から計ります。……あ〜、ちょっと待って下さいね」
財布を開けたまま敦士の部屋に向かえば、彼は大人しく布団に潜り込んでいた。額を撫でてやるとやはり平素より熱を持っている。
「敦士、友達誰かインフルエンザかかった子おった?」
「……あっ」
「……おったみたいです。はい、一応検査お願いしますわ。……はい、いや連れていきます。はい、はい、すいません〜お願いします〜。ほな〜」
「誰?」
「病院かけたらおばあちゃん出はった。混んでるから診察時間後に看てくれはるって。それまで寝とり」
「俺元気やのにぃ」
「おかんの言うこと聞かれへん?」
「寝ます」
頭まで毛布を引き上げた息子を笑い、毛布越しに頭を撫でた。
*
「てな訳で、敦士インフルエンザやったんで謙也さんしばらく実家帰っとって下さい」
「……え?」
玄関で愛しい妻が謙也を迎えてくれたと思ったら、続いたのは冷たい言葉だった。光はマスクを引き下げて謙也を見る。
「だから」
「あ、ちゃう、わかったけど!ええやん、俺も手洗いうがい気をつけたらええんやろ」
「あんた毎日どんだけの受験生に会うねん」
「……た、たくさん……」
謙也の経営する塾は個人塾ながら人気もあり、この時期は冬期講習もある。謙也自身がかからなくても謙也を介してうつることは十分ありえることだ。
「謙也さんが行くことは伝えてます。はいこれ、何日か着替え詰めてるんで、足りんもんあったら持ってくから連絡下さい」
「光様が足りひんのですけど……」
「我慢のあとのご馳走はおいしいやろ?」
「ううっ……せめて敦士の顔見せてや。起きてる?」
「さっきトイレに起きとったから、多分」
医者の息子である謙也は手洗いうがいの理想的な方法は仕込まれている。敦士もまた同様に医療関係者直々に教わっているはずなので風邪を引くのは珍しい。途中のリビングでマスクを掴み、謙也が部屋に入ると敦士は体を起こしてスポーツドリンクを飲んでいるところだった。
「ただいま」
「あ〜お帰り〜。おとんごめんなぁ〜」
「珍しいなぁ。しんどいやろ」
「めっちゃ熱上がった」
ベッドに寄って首筋に触れると平素よりかなり熱い。少し汗ばんだ肌には触れる謙也の冷えた手が心地いいのか、敦士は目を細めた。
「うう、医者の孫やのにぃ」
「医者の孫は医者の孫やで」
「でも〜」
「熱上がってからずっとそれ言ってんねん」
笑いながら入ってきた光は楽しげにベッドに腰を下ろし、敦士の額の冷却シートに触れた。それをはがして新しいものと交換する。
「血は争えへんなぁ。ねぇ謙也さん」
「……何の話ですか」
「敦士が5歳ぐらいのときやった?風邪ひいて『医者の息子やのにぃ』ってめそめそしとったん。同じ顔で同じこと言いよって、おもろいからやめてほしいわ」
「記憶にございません」
光は謙也を振り返って笑う。いまいちぼんやりしているのか敦士のリアクションはない。光がペットボトルを取り上げて肩を押せば素直に横になってベッドに潜り込む。
「しんどい……」
「予防注射もしてんのになぁ。まぁ運が悪いこともあるわ。おかん独り占めでラッキーって思っとき」
「そんな元気がほしい……」
光はけらけら笑い、敦士の頬を撫でて立ち上がる。
「ほななんかあったら呼びや」
「んー」
「ワンコでええからな。携帯ここな」
「んー」
毛布にくるまって鼻をすする息子は体は大きくともやはりまだ子どもなのだと実感する。謙也も促されて光と一緒に部屋を出た。
「ほな光も気ィつけてな」
「わかってますって。医者の息子の嫁ですよ」
「ただの塾講師の嫁やんけ。……なんか嬉しそうやし」
「……わかります?」
光は顔半分がマスクに隠れたままでもわかるほどにやりと笑う。わからないはずがない。そのマスクは伝染を防ぐためだが、表情を隠すためでもあるだろう。
「弱ってる敦士かわいくて」
病床の息子に悪いと思いながらも、普段手の掛からない彼の世話を焼けるのが嬉しいようだ。
ほらほら夕食も向こうで食べてな、と光に追い出されるように見送られ、閉まったドアの前で謙也は着替えを抱えた。
息子はかわいいし、あの辛そうな様子は心配だ。それでも、目を細めて笑う光を思う。
「独り占め、ええなぁ……」
*
自分自身がしばらく熱を出していないので、いまいち感覚を忘れている。光が寝る前に敦士を見に行くと起きていて、何をするでもなくぼんやり天井を見ている。生憎光は風邪となればここぞとばかりにパソコンの前に座っていたので、寝込んでいる人間にどうしてやればいいのかわからない。
「どない?熱下がらんなぁ」
撫でるように額や首筋を触れるとやはりまだ熱い。しかし辛そうな様子が少しましになっているので安心する。
「しんどない?」
「大丈夫。寝すぎてだるい」
「しんどかったら添い寝したろと思ったのに」
元気そうなのでからかえば、敦士はきょとんと目を丸くして、すぐに首を振る。
「おかんにうつったら困るもん。おかんがこんなしんどいの嫌や」
「あ、うん……ほな、お休み。でもしんどくなったら気にせんと起こしや」
「うん。眠ないけど頑張って寝るわ〜。お休み」
「お休み……」
最後に額をひと撫でして、光は部屋を出た。ポケットをまさぐって携帯を取り出し、ほとんど無意識に電話をかける。呼び出し音がしばらく続き、ようやく出た声は不快を露わにしたものだった。しかし今の光にとってそんなことはささいなことだ。
「あのね、うちの敦士って天使やなぁと思っとったんですけど、ほんまに天使やったんです。いや夜中とかどうでもええんで聞いて下さい。敦士が」
無言で切られた通話に一瞬反応できず、光はディスプレイを眺めて考える。しかしすぐに寝室に向かいながら電話をかけ直し、やはり長い呼び出し音の後、ドスの利いた声が聞こえたがやはり構わすず口を開いた。
「それで、敦士の話なんですけど」
『もうお前の息子が天使なんは知っとるから!』
「ほらユウジ先輩も敦士が天使やって思うでしょ?さっきの敦士の話聞いて下さいよ」
『光が敦士のことを天使やと思ってることは知っとるけど俺にとっては悪魔や』
ぷつり、とまた一方的に通話は途切れた。再度かけ直すが電源を切られている。舌打ちをして光もベッドに潜り込むが、妙に高ぶって気持ちがおさまらなかった。
「珍しいな、敦士がそんな寒がっとんの」
夕食の支度に台所に立つ光に寄り添ってくる息子はかわいらしいが、いかんせん既に母親の身長を抜いた男子高校生だ。あまりぐいぐいと体を寄せられるとかわいさよりも鬱陶しさが勝る。
確かに寒いがそれは冬だからという寒さで、今日は昨日と同じでとりわけ寒いわけではない。ふと思い当たって光は眉を寄せ、魚をさばく途中のまま敦士を見上げた。
「敦士、ちゅーしたるからおでこ出して」
「えっ何?やったー」
微塵も母親離れする気配を見せない男子高校生は無邪気に前髪をかきあげて光に額を向けた。その額に唇を当て、確信する。
「敦士、熱あるやん」
「え?」
「あ〜もう、布団入ってあったかくしとって」
「え〜?ないよぉ」
「あります〜。ええからはよ」
「はぁい」
心配性やなぁ、などと思っているのだろう、敦士はへらへら笑いながら部屋へ向かう。母親が子どもの心配をしなくてどうするのだ。
途中の料理もそのままに、光は手を洗って支度をする。敦士の父の実家が病院だ。孫に甘い家であるから混んでいても最優先しかねないが、一応電話をかけながら保険証を探す。
「……あっ、どうも〜光です〜。……ほんまに、毎日寒くてやんなりますわ。あのですね、敦士が熱っぽくて……あ、今から計ります。……あ〜、ちょっと待って下さいね」
財布を開けたまま敦士の部屋に向かえば、彼は大人しく布団に潜り込んでいた。額を撫でてやるとやはり平素より熱を持っている。
「敦士、友達誰かインフルエンザかかった子おった?」
「……あっ」
「……おったみたいです。はい、一応検査お願いしますわ。……はい、いや連れていきます。はい、はい、すいません〜お願いします〜。ほな〜」
「誰?」
「病院かけたらおばあちゃん出はった。混んでるから診察時間後に看てくれはるって。それまで寝とり」
「俺元気やのにぃ」
「おかんの言うこと聞かれへん?」
「寝ます」
頭まで毛布を引き上げた息子を笑い、毛布越しに頭を撫でた。
*
「てな訳で、敦士インフルエンザやったんで謙也さんしばらく実家帰っとって下さい」
「……え?」
玄関で愛しい妻が謙也を迎えてくれたと思ったら、続いたのは冷たい言葉だった。光はマスクを引き下げて謙也を見る。
「だから」
「あ、ちゃう、わかったけど!ええやん、俺も手洗いうがい気をつけたらええんやろ」
「あんた毎日どんだけの受験生に会うねん」
「……た、たくさん……」
謙也の経営する塾は個人塾ながら人気もあり、この時期は冬期講習もある。謙也自身がかからなくても謙也を介してうつることは十分ありえることだ。
「謙也さんが行くことは伝えてます。はいこれ、何日か着替え詰めてるんで、足りんもんあったら持ってくから連絡下さい」
「光様が足りひんのですけど……」
「我慢のあとのご馳走はおいしいやろ?」
「ううっ……せめて敦士の顔見せてや。起きてる?」
「さっきトイレに起きとったから、多分」
医者の息子である謙也は手洗いうがいの理想的な方法は仕込まれている。敦士もまた同様に医療関係者直々に教わっているはずなので風邪を引くのは珍しい。途中のリビングでマスクを掴み、謙也が部屋に入ると敦士は体を起こしてスポーツドリンクを飲んでいるところだった。
「ただいま」
「あ〜お帰り〜。おとんごめんなぁ〜」
「珍しいなぁ。しんどいやろ」
「めっちゃ熱上がった」
ベッドに寄って首筋に触れると平素よりかなり熱い。少し汗ばんだ肌には触れる謙也の冷えた手が心地いいのか、敦士は目を細めた。
「うう、医者の孫やのにぃ」
「医者の孫は医者の孫やで」
「でも〜」
「熱上がってからずっとそれ言ってんねん」
笑いながら入ってきた光は楽しげにベッドに腰を下ろし、敦士の額の冷却シートに触れた。それをはがして新しいものと交換する。
「血は争えへんなぁ。ねぇ謙也さん」
「……何の話ですか」
「敦士が5歳ぐらいのときやった?風邪ひいて『医者の息子やのにぃ』ってめそめそしとったん。同じ顔で同じこと言いよって、おもろいからやめてほしいわ」
「記憶にございません」
光は謙也を振り返って笑う。いまいちぼんやりしているのか敦士のリアクションはない。光がペットボトルを取り上げて肩を押せば素直に横になってベッドに潜り込む。
「しんどい……」
「予防注射もしてんのになぁ。まぁ運が悪いこともあるわ。おかん独り占めでラッキーって思っとき」
「そんな元気がほしい……」
光はけらけら笑い、敦士の頬を撫でて立ち上がる。
「ほななんかあったら呼びや」
「んー」
「ワンコでええからな。携帯ここな」
「んー」
毛布にくるまって鼻をすする息子は体は大きくともやはりまだ子どもなのだと実感する。謙也も促されて光と一緒に部屋を出た。
「ほな光も気ィつけてな」
「わかってますって。医者の息子の嫁ですよ」
「ただの塾講師の嫁やんけ。……なんか嬉しそうやし」
「……わかります?」
光は顔半分がマスクに隠れたままでもわかるほどにやりと笑う。わからないはずがない。そのマスクは伝染を防ぐためだが、表情を隠すためでもあるだろう。
「弱ってる敦士かわいくて」
病床の息子に悪いと思いながらも、普段手の掛からない彼の世話を焼けるのが嬉しいようだ。
ほらほら夕食も向こうで食べてな、と光に追い出されるように見送られ、閉まったドアの前で謙也は着替えを抱えた。
息子はかわいいし、あの辛そうな様子は心配だ。それでも、目を細めて笑う光を思う。
「独り占め、ええなぁ……」
*
自分自身がしばらく熱を出していないので、いまいち感覚を忘れている。光が寝る前に敦士を見に行くと起きていて、何をするでもなくぼんやり天井を見ている。生憎光は風邪となればここぞとばかりにパソコンの前に座っていたので、寝込んでいる人間にどうしてやればいいのかわからない。
「どない?熱下がらんなぁ」
撫でるように額や首筋を触れるとやはりまだ熱い。しかし辛そうな様子が少しましになっているので安心する。
「しんどない?」
「大丈夫。寝すぎてだるい」
「しんどかったら添い寝したろと思ったのに」
元気そうなのでからかえば、敦士はきょとんと目を丸くして、すぐに首を振る。
「おかんにうつったら困るもん。おかんがこんなしんどいの嫌や」
「あ、うん……ほな、お休み。でもしんどくなったら気にせんと起こしや」
「うん。眠ないけど頑張って寝るわ〜。お休み」
「お休み……」
最後に額をひと撫でして、光は部屋を出た。ポケットをまさぐって携帯を取り出し、ほとんど無意識に電話をかける。呼び出し音がしばらく続き、ようやく出た声は不快を露わにしたものだった。しかし今の光にとってそんなことはささいなことだ。
「あのね、うちの敦士って天使やなぁと思っとったんですけど、ほんまに天使やったんです。いや夜中とかどうでもええんで聞いて下さい。敦士が」
無言で切られた通話に一瞬反応できず、光はディスプレイを眺めて考える。しかしすぐに寝室に向かいながら電話をかけ直し、やはり長い呼び出し音の後、ドスの利いた声が聞こえたがやはり構わすず口を開いた。
「それで、敦士の話なんですけど」
『もうお前の息子が天使なんは知っとるから!』
「ほらユウジ先輩も敦士が天使やって思うでしょ?さっきの敦士の話聞いて下さいよ」
『光が敦士のことを天使やと思ってることは知っとるけど俺にとっては悪魔や』
ぷつり、とまた一方的に通話は途切れた。再度かけ直すが電源を切られている。舌打ちをして光もベッドに潜り込むが、妙に高ぶって気持ちがおさまらなかった。
2014'12.25.Thu
恋人はサンタクロース、なんて歌詞の歌があるらしい。その全容は知らないので、兵太夫はそれに共感することも憤慨することもできなかったが、少なくともそのワンフレーズは、兵太夫の今の状況を言い表すのにふさわしい言葉だった。
クリスマスを一緒に過ごす相手がいるはずの伊助が予定がないというので追求すれば、彼氏殿はひとり身の集まる男子会なるものに出席するらしい。馬鹿らしいと思うが男のよくわからない感覚で、恥ずかしいという理由で彼はまだ周囲に彼女がいることを隠しているらしかった。それでいいのかと伊助に問えば、別に構わない、と少しも残念そうにしなかった。兵太夫は伊助のような大人にはなれない。クリスマスはサンタクロースになる恋人と、派手な喧嘩をしたばかりだった。
「反省してるならさっさと謝ればいいのにー」
「……他人事だと思って」
「他人事だもん」
けらけら笑う三治朗を睨んでも、彼女には少しもダメージはない。
クラスメイトと一緒に賑やかにケーキを作って、紅茶を入れてのささやかなクリスマスパーティも、楽しくないわけではない。それでも折に触れて思い出す団蔵の姿に、兵太夫はつい眉を潜めた。
団蔵をつき合い始めて初めてのクリスマスだ。だというのに、配送業を営む彼の家では団蔵も貴重な働き手で、クリスマス当日にプレゼントを届けたいと思う人の分だけ彼らは忙しくなる。そのことは説明されると理解はできるが、誰かの休みの日にも働く人はいるのだと思ってもいなかった自分を馬鹿にされたようでもあり、素直に頷くことができなかった。
だから、自分が悪いことはわかっている。
何度目かの鬱々とした気分に襲われた兵太夫を遮るように、チャイムが鳴った。家の人である伊助が立ち上がり、三治朗とそれを見送る。
「僕はクリスマスはみんなと騒ぐ方が楽しいけどなー」
「選択肢があって選ぶのと、一方的に選択肢を奪われるのは別だろ」
「さー、ぼくはまだお子様だからわかりませーん」
けらけらと笑う三治朗がわかっていてからかってきているのだ。それにうまく言い返す言葉が見つからないのが悔しい。
伊助が戻ってきたと思えば、兵太夫を呼んだ。なぜ自分だけが呼ばれたのかわからずに首を傾げるが、とにかく玄関へ行くように言われて更にわけがわからない。
暖房で暖まった部屋を出て渋々玄関へ向かう。しかし玄関に立つ人物を見て、兵太夫は脚を止めて硬直した。安っぽい、赤いサンタ帽を被ったその人は、兵太夫を見て気まずげに頭をかく。
「な……何?」
「あー、一回家行ったんだけど、伊助んちって言われて。……なんでそんな遠いんだよ。こいよ」
その声に尻込みするが、それを悟られたくなくて必死で顔を引き締めて足を進める。足に馴染まないスリッパのように、この空気はぎこちない。
「ん」
「えっ」
差し出されたのはしっかりとした紙袋だった。百貨店の地下にある、兵太夫の好きな洋菓子店のロゴがプリントしてある。視線に促されて恐る恐る手を伸ばしてそれを取ると、中にリボンがちらりと見えた。
「なんか、女の好きそうなもんわかんねえから」
「えっ、何これ」
「だから、クリスマスプレゼント」
ぶわっと熱が上がる。きっと隠せていない。兵太夫が熱くなるのに少し遅れて、団蔵も低く呻きながらマフラーを緩めた。
「あ〜……だからその……悪かった。俺ももっと早く言えばよかったです。すいませんでした。だから仲直りしてくれよ」
どこか拗ねたような、そんな顔でそんなことを言われたら、断ることができるはずがない。どうしたらこれ以上この男の前で強がることができるのか、兵太夫は奥歯を噛んだ。
「こ……こんな……今もらっても困るのに」
「あー、ごめん」
「まぁ、もらっとくけど」
「どっちだよ」
「……団蔵、荷物引き取りもやってるよね」
「してるけど、……何?」
怪訝そうな声にわざとはっきり声を出す。
「ぼく8時以降には家に帰ってるからうち寄って。荷物出すから」
「担当の方じゃないからいつになるかわかんないけど」
「いつでもいい。全部仕事終わってからでいいよ。……団蔵あてだから」
一瞬、団蔵が硬直する。しくじったか、と思ったが、団蔵は黙ったままのそりとマフラーを巻き直した。マフラーで顔の半分が隠れたが、表情は隠しきれていない。兵太夫は自分があんなに緩んでいないことをただ願う。
できるだけ早く行きます。その言葉に、兵太夫もただ頷くことしかできなかった。
クリスマスを一緒に過ごす相手がいるはずの伊助が予定がないというので追求すれば、彼氏殿はひとり身の集まる男子会なるものに出席するらしい。馬鹿らしいと思うが男のよくわからない感覚で、恥ずかしいという理由で彼はまだ周囲に彼女がいることを隠しているらしかった。それでいいのかと伊助に問えば、別に構わない、と少しも残念そうにしなかった。兵太夫は伊助のような大人にはなれない。クリスマスはサンタクロースになる恋人と、派手な喧嘩をしたばかりだった。
「反省してるならさっさと謝ればいいのにー」
「……他人事だと思って」
「他人事だもん」
けらけら笑う三治朗を睨んでも、彼女には少しもダメージはない。
クラスメイトと一緒に賑やかにケーキを作って、紅茶を入れてのささやかなクリスマスパーティも、楽しくないわけではない。それでも折に触れて思い出す団蔵の姿に、兵太夫はつい眉を潜めた。
団蔵をつき合い始めて初めてのクリスマスだ。だというのに、配送業を営む彼の家では団蔵も貴重な働き手で、クリスマス当日にプレゼントを届けたいと思う人の分だけ彼らは忙しくなる。そのことは説明されると理解はできるが、誰かの休みの日にも働く人はいるのだと思ってもいなかった自分を馬鹿にされたようでもあり、素直に頷くことができなかった。
だから、自分が悪いことはわかっている。
何度目かの鬱々とした気分に襲われた兵太夫を遮るように、チャイムが鳴った。家の人である伊助が立ち上がり、三治朗とそれを見送る。
「僕はクリスマスはみんなと騒ぐ方が楽しいけどなー」
「選択肢があって選ぶのと、一方的に選択肢を奪われるのは別だろ」
「さー、ぼくはまだお子様だからわかりませーん」
けらけらと笑う三治朗がわかっていてからかってきているのだ。それにうまく言い返す言葉が見つからないのが悔しい。
伊助が戻ってきたと思えば、兵太夫を呼んだ。なぜ自分だけが呼ばれたのかわからずに首を傾げるが、とにかく玄関へ行くように言われて更にわけがわからない。
暖房で暖まった部屋を出て渋々玄関へ向かう。しかし玄関に立つ人物を見て、兵太夫は脚を止めて硬直した。安っぽい、赤いサンタ帽を被ったその人は、兵太夫を見て気まずげに頭をかく。
「な……何?」
「あー、一回家行ったんだけど、伊助んちって言われて。……なんでそんな遠いんだよ。こいよ」
その声に尻込みするが、それを悟られたくなくて必死で顔を引き締めて足を進める。足に馴染まないスリッパのように、この空気はぎこちない。
「ん」
「えっ」
差し出されたのはしっかりとした紙袋だった。百貨店の地下にある、兵太夫の好きな洋菓子店のロゴがプリントしてある。視線に促されて恐る恐る手を伸ばしてそれを取ると、中にリボンがちらりと見えた。
「なんか、女の好きそうなもんわかんねえから」
「えっ、何これ」
「だから、クリスマスプレゼント」
ぶわっと熱が上がる。きっと隠せていない。兵太夫が熱くなるのに少し遅れて、団蔵も低く呻きながらマフラーを緩めた。
「あ〜……だからその……悪かった。俺ももっと早く言えばよかったです。すいませんでした。だから仲直りしてくれよ」
どこか拗ねたような、そんな顔でそんなことを言われたら、断ることができるはずがない。どうしたらこれ以上この男の前で強がることができるのか、兵太夫は奥歯を噛んだ。
「こ……こんな……今もらっても困るのに」
「あー、ごめん」
「まぁ、もらっとくけど」
「どっちだよ」
「……団蔵、荷物引き取りもやってるよね」
「してるけど、……何?」
怪訝そうな声にわざとはっきり声を出す。
「ぼく8時以降には家に帰ってるからうち寄って。荷物出すから」
「担当の方じゃないからいつになるかわかんないけど」
「いつでもいい。全部仕事終わってからでいいよ。……団蔵あてだから」
一瞬、団蔵が硬直する。しくじったか、と思ったが、団蔵は黙ったままのそりとマフラーを巻き直した。マフラーで顔の半分が隠れたが、表情は隠しきれていない。兵太夫は自分があんなに緩んでいないことをただ願う。
できるだけ早く行きます。その言葉に、兵太夫もただ頷くことしかできなかった。
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