言い訳置き場
言い訳を書いていきます。誤字の報告などあればありがたいです。 ※唐突にみゅネタややぎゅにおの外の人のかけ算が混ざるのでご注意下さい。 日常はリンクのブログから。
2014'06.16.Mon
マルコお誕生日おめでとう!マルコが素敵な1年を過ごせますように、メアリーから愛を込めて。
誕生日当日に届いていたポストカードは、少女らしい丸みを帯びた文字に似合わないシンプルなバースデーカード。花の女子高生である彼女がそれを選ぶ姿を想像してマルコは頬を緩めた。毎年あの手この手と趣向を凝らして誕生日を祝ってくれるのは親友の娘で、おかげでマルコは中年に足を踏み入れた今でも密かに誕生日を楽しみにしていた。
仕事に行く前に覗いた郵便受けに届いた祝いの言葉を手帳に挟み込み、マルコは今日も仕事へ出かけていった。いい年をして独り身のマルコだが、寂しいと思ったことはない。ここ数年は確かメアリーが来てくれて、一緒にディナーに行ったのだ。連絡があるかもしれないとスマートフォンには気にして目をやり、仕事も早く終わらせようと一日の計画を立てる。
本当は、今年は祝ってもらえないかもしれないと思っていた。マルコがメアリーから告白を受けたのは、まだ新生活も落ち着かない春のことだった。マルコが思っていたよりも遙かに大人だった少女はこちらの胸も苦しくなるような告白をしてくれた。それでも親子ほど年の離れた少女に、軽率な態度をとることはできない。きちんと彼女を振るのもまた、大人の役目だと思ったのだ。聡明な彼女は理解してくれたのか、少し気まずい期間もあったが今は以前と変わらず親しくしている。
――そう思っていたのは、マルコだけだったのかもしれない。
仕事が終わる頃になってもメアリーからの連絡は入らなかった。初めは彼女に何かあったのだろうかと心配になったが、帰りの電車に揺られながらはたと気がつく。
彼女には、もうわざわざマルコの誕生日に会いに来る理由がないのだ。
ちょうど止まった駅でマルコは電車を降りた。外はまだ明るいが、マルコはまっすぐ駅直結の百貨店へ足を向ける。ひとりの食事には慣れていたが、誕生日にひとりでディナーはなんとなく気恥ずかしい。奮発して総菜や酒でも買って帰ろう、と、賑やかな地下に降りていく。
誕生日をひとりで過ごすのは何年ぶりだろうか。柄にもなく寂しいなどと思ってしまう。腹周りが気になって最近控えていた揚げ物と、いいものが入っていると店員におすすめされた重めのワイン。ついでだからとチーズなどにも手を伸ばし、思っていたよりも重たい荷物を抱えて店を出る頃には辺りは暗くなっていた。
随分と、贅沢な生活をしていたのだと、今更気がついた。きっとマルコが誰かと家庭を築くことを望まなかったのは、満たされていたからだ。マルコを気にかけてくれる人がいて、無条件に愛を与えてくれた。どうして特別ではないなどと思えたのだろう。
これはいよいよ、流行の婚活とやらを検討するべきだろうか。
勿論本気でそんなことを考えたわけではない。マルコはもう腕の中のワインとチーズのことだけを考えて、浮かれたふりでマンションのエントランスを駈け上がる。
と、ガラスの自動ドアの前で立ち尽くしている少女を見つけて足を止めた。マルコが考えるより早く、足音で気づいた少女が振り返る。意志の強い瞳がマルコを射抜く。
「……メアリー」
「あっ……あの、その、たまたま……じゃなくて……びっくり……ええと、違うの」
困ったように視線をさまよわせる彼女は、もうとっくに終わっていただろうに学校帰りの制服姿だ。夏服は初めて目にする。まぶしい白い二の腕に思わず目を細めた。
「マルコ?」
「ああ……びっくりしただけ。カードありがとう」
「今日届いた?」
「うん、届いたよ」
「よかった」
メアリーは頬を綻ばせた。生まれたときからメアリーを知っているが、彼女の笑顔は変わらない。
「来るなら連絡してくれたらよかったのに。学校忙しかった?」
「ううん、あの――違うんだけど」
いつもははきはきとした彼女らしからぬ淀みが気になる。名前を呼べばうつむいてしまって、何か悪いことをしただろうかと焦った。
「あの……あのね、マルコ、お誕生日おめでとう」
「ありがとう。もうめでたい年じゃないけどね」
「ううん、私来年だって、10年後だって……」
メアリーは口を閉じた。困ったようにマルコを見上げ、首を傾げる。
「あのね、おめでとうって、直接言いたかっただけなの。……あんまり、出しゃばらないようにしたかったんだけど、何でもない日にできなかったな」
最後はひとり言のようにつぶやいて、メアリーは制服の裾を引っ張った。お嬢様学校などと囁かれる私立の女子校のセーラー服はマルコが思春期に憧れたものと変わらない。メアリーによく似合っている。
どんな思いで、彼女は今日ここまできたのだろう。
「じゃあ、帰るね」
「えっ」
「パパに何も言ってないから、早く帰らないと怒られちゃう」
「おっ、送る!ちょっと待ってて」
「いいよ、子どもじゃないもん」
「子どもじゃないから、だよ」
「……うん」
また困らせたようだが、マルコは気持ちが焦るばかりで何もフォローできなかった。メアリーをエントランスに残し、急いで車のキーを取りに行く。もどかしく鍵を開けて部屋に飛び込み、マルコはしゃがみ込んで顔を覆った。
本当はもう、気づいている。
――彼女をただの、友人の娘だと思っていない。
深く溜息をつき、重い体を持ち上げる。
願うのは、彼女の幸せ。いつか彼女が経験する本当の恋を、応援しようと誓うのだ。
誕生日当日に届いていたポストカードは、少女らしい丸みを帯びた文字に似合わないシンプルなバースデーカード。花の女子高生である彼女がそれを選ぶ姿を想像してマルコは頬を緩めた。毎年あの手この手と趣向を凝らして誕生日を祝ってくれるのは親友の娘で、おかげでマルコは中年に足を踏み入れた今でも密かに誕生日を楽しみにしていた。
仕事に行く前に覗いた郵便受けに届いた祝いの言葉を手帳に挟み込み、マルコは今日も仕事へ出かけていった。いい年をして独り身のマルコだが、寂しいと思ったことはない。ここ数年は確かメアリーが来てくれて、一緒にディナーに行ったのだ。連絡があるかもしれないとスマートフォンには気にして目をやり、仕事も早く終わらせようと一日の計画を立てる。
本当は、今年は祝ってもらえないかもしれないと思っていた。マルコがメアリーから告白を受けたのは、まだ新生活も落ち着かない春のことだった。マルコが思っていたよりも遙かに大人だった少女はこちらの胸も苦しくなるような告白をしてくれた。それでも親子ほど年の離れた少女に、軽率な態度をとることはできない。きちんと彼女を振るのもまた、大人の役目だと思ったのだ。聡明な彼女は理解してくれたのか、少し気まずい期間もあったが今は以前と変わらず親しくしている。
――そう思っていたのは、マルコだけだったのかもしれない。
仕事が終わる頃になってもメアリーからの連絡は入らなかった。初めは彼女に何かあったのだろうかと心配になったが、帰りの電車に揺られながらはたと気がつく。
彼女には、もうわざわざマルコの誕生日に会いに来る理由がないのだ。
ちょうど止まった駅でマルコは電車を降りた。外はまだ明るいが、マルコはまっすぐ駅直結の百貨店へ足を向ける。ひとりの食事には慣れていたが、誕生日にひとりでディナーはなんとなく気恥ずかしい。奮発して総菜や酒でも買って帰ろう、と、賑やかな地下に降りていく。
誕生日をひとりで過ごすのは何年ぶりだろうか。柄にもなく寂しいなどと思ってしまう。腹周りが気になって最近控えていた揚げ物と、いいものが入っていると店員におすすめされた重めのワイン。ついでだからとチーズなどにも手を伸ばし、思っていたよりも重たい荷物を抱えて店を出る頃には辺りは暗くなっていた。
随分と、贅沢な生活をしていたのだと、今更気がついた。きっとマルコが誰かと家庭を築くことを望まなかったのは、満たされていたからだ。マルコを気にかけてくれる人がいて、無条件に愛を与えてくれた。どうして特別ではないなどと思えたのだろう。
これはいよいよ、流行の婚活とやらを検討するべきだろうか。
勿論本気でそんなことを考えたわけではない。マルコはもう腕の中のワインとチーズのことだけを考えて、浮かれたふりでマンションのエントランスを駈け上がる。
と、ガラスの自動ドアの前で立ち尽くしている少女を見つけて足を止めた。マルコが考えるより早く、足音で気づいた少女が振り返る。意志の強い瞳がマルコを射抜く。
「……メアリー」
「あっ……あの、その、たまたま……じゃなくて……びっくり……ええと、違うの」
困ったように視線をさまよわせる彼女は、もうとっくに終わっていただろうに学校帰りの制服姿だ。夏服は初めて目にする。まぶしい白い二の腕に思わず目を細めた。
「マルコ?」
「ああ……びっくりしただけ。カードありがとう」
「今日届いた?」
「うん、届いたよ」
「よかった」
メアリーは頬を綻ばせた。生まれたときからメアリーを知っているが、彼女の笑顔は変わらない。
「来るなら連絡してくれたらよかったのに。学校忙しかった?」
「ううん、あの――違うんだけど」
いつもははきはきとした彼女らしからぬ淀みが気になる。名前を呼べばうつむいてしまって、何か悪いことをしただろうかと焦った。
「あの……あのね、マルコ、お誕生日おめでとう」
「ありがとう。もうめでたい年じゃないけどね」
「ううん、私来年だって、10年後だって……」
メアリーは口を閉じた。困ったようにマルコを見上げ、首を傾げる。
「あのね、おめでとうって、直接言いたかっただけなの。……あんまり、出しゃばらないようにしたかったんだけど、何でもない日にできなかったな」
最後はひとり言のようにつぶやいて、メアリーは制服の裾を引っ張った。お嬢様学校などと囁かれる私立の女子校のセーラー服はマルコが思春期に憧れたものと変わらない。メアリーによく似合っている。
どんな思いで、彼女は今日ここまできたのだろう。
「じゃあ、帰るね」
「えっ」
「パパに何も言ってないから、早く帰らないと怒られちゃう」
「おっ、送る!ちょっと待ってて」
「いいよ、子どもじゃないもん」
「子どもじゃないから、だよ」
「……うん」
また困らせたようだが、マルコは気持ちが焦るばかりで何もフォローできなかった。メアリーをエントランスに残し、急いで車のキーを取りに行く。もどかしく鍵を開けて部屋に飛び込み、マルコはしゃがみ込んで顔を覆った。
本当はもう、気づいている。
――彼女をただの、友人の娘だと思っていない。
深く溜息をつき、重い体を持ち上げる。
願うのは、彼女の幸せ。いつか彼女が経験する本当の恋を、応援しようと誓うのだ。
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2014'05.25.Sun
ジャンアル♀+捏造娘、ライクリ含むよ。
「ああ、そうだ」
店員として会計をしている最中に、ユミルは釣り銭を渡しながらアルミンを見た。顔見知りではあるが今はあくまでも客と店員で、ユミルがそうしたことはあまりしないので珍しい。彼女の同僚がやや顔をしかめたことも気にせずに、ユミルは事も無げに口にする。
「結婚したわ」
「誰が?」
「私」
「えっ!?」
アルミンが驚くよりも先に声を上げたのは、ユミルの隣に立つ店員だった。ユミルの腕を掴んで何か言いたげに口を開くが、はっとアルミンに気づいて手を離した。アルミンも聞きたいことは沢山あるが、何よりも動揺している店員が気の毒になる。
「ユミル、あとで詳しく聞かせて!」
「ああ、もうそのうち上がるんだ。ライナーの店に寄るんだが」
「先に行って待ってる!」
商品を受け取り、アルミンは足早に本屋を後にした。高校の時からの友人であるユミルは自由な人で、およそ社会の仕組みとは馴染まない生き方をしている。高校を卒業してから半分以上は海外で暮らしているのではないだろうか。一所に落ち着くのは性に合わない、と言っていた彼女が、一体どうした心境の変化だろう。
――いや、それよりも、相手は一体誰なんだ!
ユミルの浮いた話などこれまで聞いたことがない。アルミンは事情を聞けそうな人を求めて、共通の友人であるライナーが店長をつとめるカフェバーへ急ぐ。少し重たいドアを押し開けて中に入ると、カウンターの中にライナー、その前にベルトルトの姿がある。ライナーが気づいて挨拶をするその返事ももどかしく、アルミンは簡単に挨拶をしてベルトルトの隣に座った。彼もやはり高校時代からの友人だ。立派な体格に似合わず少し気が弱いように感じることもある。普段は大学の研究室に引きこもっている彼が出てきていることは珍しいが、アルミンはそれどころではなかった。
「ねえライナー」
「いつものでいいか?」
「うん。それよりも、ユミルのこと知ってる?」
「ユミル?あいつまだ国内で資金調達中だろ?」
「そうじゃなくて、ユミルにはさっき会ったんだ。そのときに、彼女に結婚したって聞かされて」
「はぁっ!?」
ライナーの声が大きくなり、彼はすぐにはっとして声を潜めた。どういうことだ、と静かに聞かれるが、アルミンもただ首を振る。
「そもそもつき合ってる人がいることも知らなかった。ライナーは?」
「いや、オレも初耳だ」
アルミンに水を差し出しながら、ライナーは動揺を隠せていないようでグラスは濡れている。しかしアルミンもそれを気にすることなく手に取った。
「クリスタは?何も言ってなかった?」
「いや、何も……ユミルにはしょっちゅう会ってるはずだが」
ライナーの妻はユミルの親友だ。過去にはつき合っているのではないかと噂されるほどの関係であったので、彼女が知らなければ誰も知らないだろう。
「あっしまった、お迎え」
動揺のあまり忘れていたが、買い物の帰りに幼稚園に娘を迎えに行く予定だったのだ。アルミンは慌てて携帯を取り出し、家にいるはずの夫へ連絡する。娘を溺愛している彼は少しも嫌がらず、それどころか喜んでお迎えを頼まれてくれた。その間にライナーがコーヒーを入れてくれる。
「それはなんだ、どういうことだ」
「僕もわからない。ユミルは仕事中だったし、結婚したとだけ聞かされて」
「わからんやつだな……こっちに帰ってきてたのは先月か?それなら旅先で知り合ったってこともないか」
「どうだろう……ユミルの交友関係が全くわからない」
ユミルはアルバイトで資金を貯めて海外に旅行に行き、金が尽きれば帰ってくるということを繰り返している。結婚をした、ということは、その生活もやめるのだろうか。どれほど考えても結局は彼女が来るまでは何もわからず、ユミルを待つ時間がもどかしい。
グラスの氷が半ば溶けた頃、やきもきするアルミンたちの前にようやくユミルが現れた。ユミルの挨拶はあっさりしたもので、こちらの気持ちなど気にも留めずに大きな体をちぢこませているベルトルトの背中を叩いてその隣に座る。
「あー、つっかれた!あれから店長に捕まっていろいろ聞かれてよ、なんか書類も書かされて」
「ユミル、その結婚の話を詳しく聞きたいんだけど」
「あ、書類に書かなきゃなんねぇからベルトルさんちの住所教えてくれよ。家電も引いてたよな」
「う、うん」
「あとなんだったかな、振込先の名義変更か。めんどくせぇな」
「ユミル、……え?」
ユミルを追求しかけ、アルミンははたと気づいて間に挟まれたベルトルトを見上げた。アルミンの視線から逃げるように顔を逸らしたベルトルトは、しかしライナーの視線とぶつかって俯く。
「ベルトルト、どういうことだ?」
「何?ベルトルさん言ってねえの?」
ユミルが隣の肩を叩いてくつくつ笑う。
「これが旦那様だよ」
ユミルの言葉から一拍。ライナーがすうと息を吸う。
「言えよ!オレとアルミンの話聞いてただろ!?」
「だ、だってあの状況で言ったら僕が問いつめられるじゃないか」
「当たり前だ!」
ベルトルトの幼馴染みであるライナーはアルミン以上の衝撃だろう。カウンター越しではまどろっこしくなったのか、店の奥に姿を消したと思えばすぐにエプロンを引きちぎるように外してカウンターから出てくる。ベルトルトを捕まえて開いているテーブルに押し込む姿を、ユミルはげらげら笑い飛ばした。アルミンは状況を理解しきれずに頭を抱える。
「えーっと……まず、ユミルがベルトルトとつき合ってたなんて知らなかったよ」
「そりゃあ先月からだしな」
「……は?」
「帰ってきてからだから丁度1ヵ月ぐらいか」
「なんでそれで結婚……」
「借りてたアパートがさぁ、大家さんが年だからもう潰すって言っててよ。流石にこっちでホテル暮らしはコスパ悪すぎるし、ベルトルさんちに転がり込んでたんだ。荷物なんてあってないようなもんだしな」
「な、なんか途中を省略された気がするけど」
「そしたらベルトルさん来年海外の大学で教える予定あるらしくてさ、妻って名目なら便乗してついていけるかと思って」
「う、うーん」
どう控えめに聞いてもユミルの都合に合わせて強引に押し切ったようにしか聞こえない。ライナーに問いつめられるままこちらには聞こえない小さな声で返しているベルトルトを振り返り、アルミンは精一杯頭を働かせる。明るいニュースであるはずなのに真っ青になっているベルトルトを見て、ユミルはにやりと笑った。そしてアルミンにも同じように笑いかけ、顔を寄せて小声で囁く。
「片思いが得意なのは自分だけだと思うなよ」
「えっ」
ユミルはそれ以上何も言わず、ライナーの代わりに出てきた店員に飲み物と軽食を注文した。瞬きを繰り返すアルミンを見て、ユミルは再び笑う。アルミンはゆっくり溜息をついた。
「久しぶりにこんなにびっくりした」
「そりゃ何より」
「……それ、ベルトルトは知ってる?」
「さあな。10年後ぐらいに聞いてみるわ」
「……おめでとう。お幸せに」
「どーも」
まもなく出てきたサンドイッチとコーヒーを受け取るユミルはいつもと何も変わったところは内容に見える。アルミンは自分の夫がかなりのロマンチストであったことは理解しているので、みんながそうだとは当然思っていない。それでも、結婚と言うものはこれほどあっさりしたものだっただろうかと考えてしまう。
賑やかな客が入ってきて視線を向ける。アルミンに気づいて駆け寄ってくるのは娘のメアリーだ。続いて入ってきたジャンがすぐメアリーを捕まえる。
「ジャン、ごめんありがとう」
「いや。でも急にどうした?」
アルミンに声をかけてから、ジャンはユミルに気づいてやや眉をひそめた。仲が悪いわけではないが、アルミンとユミルの組み合わせが珍しかったからだろう。人懐っこいメアリーはユミルに気づいて手を伸ばす。ユミルはジャンの腕に抱かれたメアリーと手を合わせた。
「メアリーは相変わらずかわいいな。ベルトルさんは子どもほしいか?」
ユミルが振り返るとベルトルトはぱっと顔を赤く染めた。その様子をいぶかしがるジャンに簡単に説明すると、メアリーをアルミンに託してジャンもテーブルに向かってライナーと共にベルトルトを囲い込む。アルミンはメアリーをユミルとの間に座らせた。
「ユミルなにたべてるの?」
「サンドイッチ」
「メアリーはもうすぐご飯だからだめ」
「え〜」
ユミルは誤解されがちだが面倒見がよく、子どもも好きである。メアリーもユミルが好きでよく懐いていた。
「幼稚園で今日は何したの?」
「おえかき!」
メアリーのジュースだけ注文し、背負ったままの幼稚園のバッグや帽子をとってやる。メアリーはユミルの食べているものに興味津々で、仕方なくアイスクリームを頼んだ。テーブルではライナーとジャンに囲まれたベルトルトが隠しようもないサイズの体を小さくし、問いつめられる言葉に頷いたり首を振ったりしている。
「クリスタには?」
「ちゃんと言ったさ。当然だろ」
「怒らなかった?」
「怒ってたな」
けらけら笑う彼女に悪気はなさそうで、実際そうなのだろう。やられた方はたまったもんじゃない、と他人事のように思う。
「なんのおはなし?」
「ユミル結婚したんだって。ベルトルトと」
「ほんとに?すごい!」
目を輝かせたメアリーの反応を笑うユミルの表情に、アルミンはやっと信じることができた。メアリーの手放しの感動をくすぐったそうに受け止めて、口元を緩めて幼い子どもの祝福を受けている。
「……式挙げるならメアリー貸してあげるよ」
「挙げねえよ」
スレンダーな彼女ならどんなドレスも似合うだろうと思うが、返事は予想通りだった。
「ユミルいいなぁ。メアリーもはやくおっきくなりたい」
「メアリーも好きな子いんのか。ませてんなぁ幼稚園児は」
「あ〜、それね……」
「結婚したいのはパパか?」
「メアリーはマルコと結婚するの!」
「マルコ?マルコって、マルコか?」
アルミンが頷くとユミルは弾けるように笑いだした。そして勢いよく立ち上がったかと思えばジャンにちょっかいを出しにいく。マルコはジャンの親友だ。娘が父ではなくその友人を選んだというこの話は、ジャンを落ち込ませるのでそこそこ手加減してあげてほしいが、ユミルはそうしないだろう。案の定ターゲットはベルトルトからジャンに移った。からかわれている夫を見るのは見慣れてしまって、フォローする気にもならない。自分の言葉が父を傷つけているとは少しも知らず、メアリーは届いたアイスに夢中だった。
*
「あ〜楽しかった!」
靴を脱ぎ捨てて部屋に入り、ユミルは真っ先に広いソファーに飛び込んだ。鍵をかけてゆっくり続いたベルトルトは溜息をつき、長身を持て余すように揺らしながら近づいてくる。ソファーの下に座り込み、ユミルの腹に頭を預けて再度深く溜息をついた。
「疲れた……」
「お前がライナーに何も言ってなかったからだろ」
「ユミルがクリスタに話したって言ってたから、伝わってると思ってたんだよ」
本当に疲れた声のベルトルトを笑い、ユミルは手を伸ばして乱暴に髪をかき回す。されるがままのベルトルトは低く呻いただけだった。
「アルミンには漏らしたから教えてやろう」
「何?」
「実は、私は高校のときからベルトルさんのことが好きだ」
一拍考え、ベルトルトはがばりと頭を上げる。目を丸くしてこちらを見る表情は心底驚いていて、ユミルは陽気に笑った。
「あんたがアニのことを好きだったことも知ってる」
「あ、う」
「だからまぁ、なんだ。別に私は、この結婚が酒の勢いでのやけくそだったとしても構わないよ」
「ちょっと、どういう……」
「人を求めるのはあまり得意じゃないんだ。好きだっていっても、あんたが幸せでいるなら別に私のものじゃなくていい。ただ、私のものだってんなら拒む理由はないってことだ」
ベルトルトは言葉をなくし、ぽかんと口を開けたままだ。いい年をした男が子どもに見えて、ユミルは笑う。体を起こして顔を寄せ、開いたままの唇の端にキスを落とした。
「ああ、そうだ」
店員として会計をしている最中に、ユミルは釣り銭を渡しながらアルミンを見た。顔見知りではあるが今はあくまでも客と店員で、ユミルがそうしたことはあまりしないので珍しい。彼女の同僚がやや顔をしかめたことも気にせずに、ユミルは事も無げに口にする。
「結婚したわ」
「誰が?」
「私」
「えっ!?」
アルミンが驚くよりも先に声を上げたのは、ユミルの隣に立つ店員だった。ユミルの腕を掴んで何か言いたげに口を開くが、はっとアルミンに気づいて手を離した。アルミンも聞きたいことは沢山あるが、何よりも動揺している店員が気の毒になる。
「ユミル、あとで詳しく聞かせて!」
「ああ、もうそのうち上がるんだ。ライナーの店に寄るんだが」
「先に行って待ってる!」
商品を受け取り、アルミンは足早に本屋を後にした。高校の時からの友人であるユミルは自由な人で、およそ社会の仕組みとは馴染まない生き方をしている。高校を卒業してから半分以上は海外で暮らしているのではないだろうか。一所に落ち着くのは性に合わない、と言っていた彼女が、一体どうした心境の変化だろう。
――いや、それよりも、相手は一体誰なんだ!
ユミルの浮いた話などこれまで聞いたことがない。アルミンは事情を聞けそうな人を求めて、共通の友人であるライナーが店長をつとめるカフェバーへ急ぐ。少し重たいドアを押し開けて中に入ると、カウンターの中にライナー、その前にベルトルトの姿がある。ライナーが気づいて挨拶をするその返事ももどかしく、アルミンは簡単に挨拶をしてベルトルトの隣に座った。彼もやはり高校時代からの友人だ。立派な体格に似合わず少し気が弱いように感じることもある。普段は大学の研究室に引きこもっている彼が出てきていることは珍しいが、アルミンはそれどころではなかった。
「ねえライナー」
「いつものでいいか?」
「うん。それよりも、ユミルのこと知ってる?」
「ユミル?あいつまだ国内で資金調達中だろ?」
「そうじゃなくて、ユミルにはさっき会ったんだ。そのときに、彼女に結婚したって聞かされて」
「はぁっ!?」
ライナーの声が大きくなり、彼はすぐにはっとして声を潜めた。どういうことだ、と静かに聞かれるが、アルミンもただ首を振る。
「そもそもつき合ってる人がいることも知らなかった。ライナーは?」
「いや、オレも初耳だ」
アルミンに水を差し出しながら、ライナーは動揺を隠せていないようでグラスは濡れている。しかしアルミンもそれを気にすることなく手に取った。
「クリスタは?何も言ってなかった?」
「いや、何も……ユミルにはしょっちゅう会ってるはずだが」
ライナーの妻はユミルの親友だ。過去にはつき合っているのではないかと噂されるほどの関係であったので、彼女が知らなければ誰も知らないだろう。
「あっしまった、お迎え」
動揺のあまり忘れていたが、買い物の帰りに幼稚園に娘を迎えに行く予定だったのだ。アルミンは慌てて携帯を取り出し、家にいるはずの夫へ連絡する。娘を溺愛している彼は少しも嫌がらず、それどころか喜んでお迎えを頼まれてくれた。その間にライナーがコーヒーを入れてくれる。
「それはなんだ、どういうことだ」
「僕もわからない。ユミルは仕事中だったし、結婚したとだけ聞かされて」
「わからんやつだな……こっちに帰ってきてたのは先月か?それなら旅先で知り合ったってこともないか」
「どうだろう……ユミルの交友関係が全くわからない」
ユミルはアルバイトで資金を貯めて海外に旅行に行き、金が尽きれば帰ってくるということを繰り返している。結婚をした、ということは、その生活もやめるのだろうか。どれほど考えても結局は彼女が来るまでは何もわからず、ユミルを待つ時間がもどかしい。
グラスの氷が半ば溶けた頃、やきもきするアルミンたちの前にようやくユミルが現れた。ユミルの挨拶はあっさりしたもので、こちらの気持ちなど気にも留めずに大きな体をちぢこませているベルトルトの背中を叩いてその隣に座る。
「あー、つっかれた!あれから店長に捕まっていろいろ聞かれてよ、なんか書類も書かされて」
「ユミル、その結婚の話を詳しく聞きたいんだけど」
「あ、書類に書かなきゃなんねぇからベルトルさんちの住所教えてくれよ。家電も引いてたよな」
「う、うん」
「あとなんだったかな、振込先の名義変更か。めんどくせぇな」
「ユミル、……え?」
ユミルを追求しかけ、アルミンははたと気づいて間に挟まれたベルトルトを見上げた。アルミンの視線から逃げるように顔を逸らしたベルトルトは、しかしライナーの視線とぶつかって俯く。
「ベルトルト、どういうことだ?」
「何?ベルトルさん言ってねえの?」
ユミルが隣の肩を叩いてくつくつ笑う。
「これが旦那様だよ」
ユミルの言葉から一拍。ライナーがすうと息を吸う。
「言えよ!オレとアルミンの話聞いてただろ!?」
「だ、だってあの状況で言ったら僕が問いつめられるじゃないか」
「当たり前だ!」
ベルトルトの幼馴染みであるライナーはアルミン以上の衝撃だろう。カウンター越しではまどろっこしくなったのか、店の奥に姿を消したと思えばすぐにエプロンを引きちぎるように外してカウンターから出てくる。ベルトルトを捕まえて開いているテーブルに押し込む姿を、ユミルはげらげら笑い飛ばした。アルミンは状況を理解しきれずに頭を抱える。
「えーっと……まず、ユミルがベルトルトとつき合ってたなんて知らなかったよ」
「そりゃあ先月からだしな」
「……は?」
「帰ってきてからだから丁度1ヵ月ぐらいか」
「なんでそれで結婚……」
「借りてたアパートがさぁ、大家さんが年だからもう潰すって言っててよ。流石にこっちでホテル暮らしはコスパ悪すぎるし、ベルトルさんちに転がり込んでたんだ。荷物なんてあってないようなもんだしな」
「な、なんか途中を省略された気がするけど」
「そしたらベルトルさん来年海外の大学で教える予定あるらしくてさ、妻って名目なら便乗してついていけるかと思って」
「う、うーん」
どう控えめに聞いてもユミルの都合に合わせて強引に押し切ったようにしか聞こえない。ライナーに問いつめられるままこちらには聞こえない小さな声で返しているベルトルトを振り返り、アルミンは精一杯頭を働かせる。明るいニュースであるはずなのに真っ青になっているベルトルトを見て、ユミルはにやりと笑った。そしてアルミンにも同じように笑いかけ、顔を寄せて小声で囁く。
「片思いが得意なのは自分だけだと思うなよ」
「えっ」
ユミルはそれ以上何も言わず、ライナーの代わりに出てきた店員に飲み物と軽食を注文した。瞬きを繰り返すアルミンを見て、ユミルは再び笑う。アルミンはゆっくり溜息をついた。
「久しぶりにこんなにびっくりした」
「そりゃ何より」
「……それ、ベルトルトは知ってる?」
「さあな。10年後ぐらいに聞いてみるわ」
「……おめでとう。お幸せに」
「どーも」
まもなく出てきたサンドイッチとコーヒーを受け取るユミルはいつもと何も変わったところは内容に見える。アルミンは自分の夫がかなりのロマンチストであったことは理解しているので、みんながそうだとは当然思っていない。それでも、結婚と言うものはこれほどあっさりしたものだっただろうかと考えてしまう。
賑やかな客が入ってきて視線を向ける。アルミンに気づいて駆け寄ってくるのは娘のメアリーだ。続いて入ってきたジャンがすぐメアリーを捕まえる。
「ジャン、ごめんありがとう」
「いや。でも急にどうした?」
アルミンに声をかけてから、ジャンはユミルに気づいてやや眉をひそめた。仲が悪いわけではないが、アルミンとユミルの組み合わせが珍しかったからだろう。人懐っこいメアリーはユミルに気づいて手を伸ばす。ユミルはジャンの腕に抱かれたメアリーと手を合わせた。
「メアリーは相変わらずかわいいな。ベルトルさんは子どもほしいか?」
ユミルが振り返るとベルトルトはぱっと顔を赤く染めた。その様子をいぶかしがるジャンに簡単に説明すると、メアリーをアルミンに託してジャンもテーブルに向かってライナーと共にベルトルトを囲い込む。アルミンはメアリーをユミルとの間に座らせた。
「ユミルなにたべてるの?」
「サンドイッチ」
「メアリーはもうすぐご飯だからだめ」
「え〜」
ユミルは誤解されがちだが面倒見がよく、子どもも好きである。メアリーもユミルが好きでよく懐いていた。
「幼稚園で今日は何したの?」
「おえかき!」
メアリーのジュースだけ注文し、背負ったままの幼稚園のバッグや帽子をとってやる。メアリーはユミルの食べているものに興味津々で、仕方なくアイスクリームを頼んだ。テーブルではライナーとジャンに囲まれたベルトルトが隠しようもないサイズの体を小さくし、問いつめられる言葉に頷いたり首を振ったりしている。
「クリスタには?」
「ちゃんと言ったさ。当然だろ」
「怒らなかった?」
「怒ってたな」
けらけら笑う彼女に悪気はなさそうで、実際そうなのだろう。やられた方はたまったもんじゃない、と他人事のように思う。
「なんのおはなし?」
「ユミル結婚したんだって。ベルトルトと」
「ほんとに?すごい!」
目を輝かせたメアリーの反応を笑うユミルの表情に、アルミンはやっと信じることができた。メアリーの手放しの感動をくすぐったそうに受け止めて、口元を緩めて幼い子どもの祝福を受けている。
「……式挙げるならメアリー貸してあげるよ」
「挙げねえよ」
スレンダーな彼女ならどんなドレスも似合うだろうと思うが、返事は予想通りだった。
「ユミルいいなぁ。メアリーもはやくおっきくなりたい」
「メアリーも好きな子いんのか。ませてんなぁ幼稚園児は」
「あ〜、それね……」
「結婚したいのはパパか?」
「メアリーはマルコと結婚するの!」
「マルコ?マルコって、マルコか?」
アルミンが頷くとユミルは弾けるように笑いだした。そして勢いよく立ち上がったかと思えばジャンにちょっかいを出しにいく。マルコはジャンの親友だ。娘が父ではなくその友人を選んだというこの話は、ジャンを落ち込ませるのでそこそこ手加減してあげてほしいが、ユミルはそうしないだろう。案の定ターゲットはベルトルトからジャンに移った。からかわれている夫を見るのは見慣れてしまって、フォローする気にもならない。自分の言葉が父を傷つけているとは少しも知らず、メアリーは届いたアイスに夢中だった。
*
「あ〜楽しかった!」
靴を脱ぎ捨てて部屋に入り、ユミルは真っ先に広いソファーに飛び込んだ。鍵をかけてゆっくり続いたベルトルトは溜息をつき、長身を持て余すように揺らしながら近づいてくる。ソファーの下に座り込み、ユミルの腹に頭を預けて再度深く溜息をついた。
「疲れた……」
「お前がライナーに何も言ってなかったからだろ」
「ユミルがクリスタに話したって言ってたから、伝わってると思ってたんだよ」
本当に疲れた声のベルトルトを笑い、ユミルは手を伸ばして乱暴に髪をかき回す。されるがままのベルトルトは低く呻いただけだった。
「アルミンには漏らしたから教えてやろう」
「何?」
「実は、私は高校のときからベルトルさんのことが好きだ」
一拍考え、ベルトルトはがばりと頭を上げる。目を丸くしてこちらを見る表情は心底驚いていて、ユミルは陽気に笑った。
「あんたがアニのことを好きだったことも知ってる」
「あ、う」
「だからまぁ、なんだ。別に私は、この結婚が酒の勢いでのやけくそだったとしても構わないよ」
「ちょっと、どういう……」
「人を求めるのはあまり得意じゃないんだ。好きだっていっても、あんたが幸せでいるなら別に私のものじゃなくていい。ただ、私のものだってんなら拒む理由はないってことだ」
ベルトルトは言葉をなくし、ぽかんと口を開けたままだ。いい年をした男が子どもに見えて、ユミルは笑う。体を起こして顔を寄せ、開いたままの唇の端にキスを落とした。
2014'02.05.Wed
ドアが開くと、迎えてくれたのはふたりの笑顔だった。客人であるマルコはその贅沢な歓迎に笑顔を返し、母親に抱かれた娘の頬に手を伸ばす。それは予想以上の柔らかさで男の指先を受け、ドレスの手触りを思い出させた。娘はくすぐっそうに、しかし拒まず笑みをこぼす。
「久しぶり、メアリー。見ない間に随分お姉さんになったね」
「だって、メアリー。よかったね」
「アルミンも相変わらず元気そうでよかった」
「毎日この子に振り回されて、疲れている間もないよ」
どうぞ、と促され、マルコは部屋に招かれた。久しぶりに訪れる友人夫婦の家は何も変わらず……とはならず、あちこちに娘のためのものが増えている。まだ結婚の予定も相手もいないマルコには少しまぶしい光景だ。
「よう、ちょっと久しぶりだな」
「久しぶり、ジャン。今日のシェフはジャンですか」
台所から親友が顔を出す。比較的なんでもこなしてしまう彼は嫌味なことに努力している妻よりも料理がうまい。何度かそれで喧嘩をしているのを知っている身としては、結果的にはアルミンにとっても育児は随分楽だろう。
もうできているからとマルコは先にテーブルに座らされた。手伝うように言われたアルミンも台所に行ってしまい、マルコは手持ち無沙汰に部屋を見る。ふと小さな女の子がこちらをじっと見ていることに気づいて、笑いかけて手招きをした。彼女はぱっと花が咲くように笑い、小さな手足を動かしてマルコの膝までやってくる。
「わかるかな?マルコです」
「あう」
「マルコ。よろしくね」
幼い手を取って握手をする。わからないなりに何かおもしろかったのか、メアリーは笑い声を上げた。
ジャンの料理はある意味では男の料理で、簡単に言えばアルコールがよく合った。と言うよりはジャンは初めからそのつもりだったようである。必然的にマルコも飲まされ、料理と酒を楽しんだ。先日まで仕事で海外にいたマルコは、決して口に合わなかったわけではないが、やはり慣れた料理というのは嬉しいものだった。
「メアリー、おいで」
上機嫌のジャンに呼ばれて、娘は彼の膝に引き寄せられる。子どもが嫌いだと聞いたこともなかったが予想以上の子煩悩で、昔からジャンを知っていると面白い。膝に乗せた娘に額を寄せて、紅葉のような手でぴたぴたと頬を叩かれている。
「そんなんじゃメアリーがお嫁に行くとき大変じゃない?」
「誰にもやらねー」
「すぐそれだ」
ジャンの言葉はおきまりらしく、アルミンはあきれた素振りをしながらも笑っている。あの悪人面が父親なら挨拶にくるまだ見ぬ旦那様はさぞ怯えることだろう、と考えて、マルコも思わず口元を緩めた。
「メアリー、パパにちゅーして」
ジャンが頬を指させば、娘は愛らしい唇でそれに応える。へらへら笑ってジャンが娘を抱きしめるのにさすがに驚けば、アルミンも苦笑していた。
「なんかジャンが変なこと教えちゃったんだよね」
「あんなジャン見たらみんな驚くだろうなぁ」
「お義母さんは大笑いしてた」
「だろうね」
「あーもー誰にもやらねー。パパが一生養う。メアリー、パパと結婚しような」
「あーあ、出来あがっちゃって」
アルミンは立ち上がって台所に向かった。すぐに水を持って戻ってきて、ジャンから娘を引きはがして代わりにグラスを押しつける。
「だってな、お前、あんなにかわいいんだぞ」
「はいはい」
「うーん、見てはいけないものを見た気分」
マルコが今まで知らなかった親友の姿は、恥ずかしいほどだが憎めない。父親から解放された娘はテーブルに興味を持ったので、マルコは慌ててひっくり返されそうになった皿を捕まえた。アルミンは酔っ払いに絡まれて適当になだめている。
でもまあこれほどかわいければ仕方ないか、と思うほどに、彼らの子どもは愛らしい。マルコをじっと見上げる瞳は宝石のように輝いて、無垢な視線はくすぐったいほどだ。
ふと、ちょっとした悪戯心がわいてくる。
「メアリー、オレにもちゅーして」
先ほどジャンがそうしたように、マルコも彼女に頬を見せた。賢いメアリーはにこりと笑い、柔らかいそれでマルコに祝福を贈る。しっとりと柔らかいキスは人を魅了するには十分だ。
笑って顔を上げれば、――彼らの両親が、目を丸くしてこちらを見ている。これはさすがに怒られるだろうか、と先に謝れば、アルミンがまだ戸惑いを残したまま首を振った。
「人見知りはしないんだけど、さすがにそれはエレンにもおじいさまにもしなかったんだよね」
「お前いつの間にメアリーたぶらかしたんだよ……」
「え〜、挨拶しかしてないよ」
マルコの前で、メアリーばかりが何も知らずに笑っている。マルコが困ってメアリーを見たが、無邪気な、意味の取れない言葉が返ってくるだけだ。
「パパ以外には初めてのキスになっちゃったねぇ。マルコのお嫁さんにしてもらう?」
「オレは許さねえからな!」
「久しぶり、メアリー。見ない間に随分お姉さんになったね」
「だって、メアリー。よかったね」
「アルミンも相変わらず元気そうでよかった」
「毎日この子に振り回されて、疲れている間もないよ」
どうぞ、と促され、マルコは部屋に招かれた。久しぶりに訪れる友人夫婦の家は何も変わらず……とはならず、あちこちに娘のためのものが増えている。まだ結婚の予定も相手もいないマルコには少しまぶしい光景だ。
「よう、ちょっと久しぶりだな」
「久しぶり、ジャン。今日のシェフはジャンですか」
台所から親友が顔を出す。比較的なんでもこなしてしまう彼は嫌味なことに努力している妻よりも料理がうまい。何度かそれで喧嘩をしているのを知っている身としては、結果的にはアルミンにとっても育児は随分楽だろう。
もうできているからとマルコは先にテーブルに座らされた。手伝うように言われたアルミンも台所に行ってしまい、マルコは手持ち無沙汰に部屋を見る。ふと小さな女の子がこちらをじっと見ていることに気づいて、笑いかけて手招きをした。彼女はぱっと花が咲くように笑い、小さな手足を動かしてマルコの膝までやってくる。
「わかるかな?マルコです」
「あう」
「マルコ。よろしくね」
幼い手を取って握手をする。わからないなりに何かおもしろかったのか、メアリーは笑い声を上げた。
ジャンの料理はある意味では男の料理で、簡単に言えばアルコールがよく合った。と言うよりはジャンは初めからそのつもりだったようである。必然的にマルコも飲まされ、料理と酒を楽しんだ。先日まで仕事で海外にいたマルコは、決して口に合わなかったわけではないが、やはり慣れた料理というのは嬉しいものだった。
「メアリー、おいで」
上機嫌のジャンに呼ばれて、娘は彼の膝に引き寄せられる。子どもが嫌いだと聞いたこともなかったが予想以上の子煩悩で、昔からジャンを知っていると面白い。膝に乗せた娘に額を寄せて、紅葉のような手でぴたぴたと頬を叩かれている。
「そんなんじゃメアリーがお嫁に行くとき大変じゃない?」
「誰にもやらねー」
「すぐそれだ」
ジャンの言葉はおきまりらしく、アルミンはあきれた素振りをしながらも笑っている。あの悪人面が父親なら挨拶にくるまだ見ぬ旦那様はさぞ怯えることだろう、と考えて、マルコも思わず口元を緩めた。
「メアリー、パパにちゅーして」
ジャンが頬を指させば、娘は愛らしい唇でそれに応える。へらへら笑ってジャンが娘を抱きしめるのにさすがに驚けば、アルミンも苦笑していた。
「なんかジャンが変なこと教えちゃったんだよね」
「あんなジャン見たらみんな驚くだろうなぁ」
「お義母さんは大笑いしてた」
「だろうね」
「あーもー誰にもやらねー。パパが一生養う。メアリー、パパと結婚しような」
「あーあ、出来あがっちゃって」
アルミンは立ち上がって台所に向かった。すぐに水を持って戻ってきて、ジャンから娘を引きはがして代わりにグラスを押しつける。
「だってな、お前、あんなにかわいいんだぞ」
「はいはい」
「うーん、見てはいけないものを見た気分」
マルコが今まで知らなかった親友の姿は、恥ずかしいほどだが憎めない。父親から解放された娘はテーブルに興味を持ったので、マルコは慌ててひっくり返されそうになった皿を捕まえた。アルミンは酔っ払いに絡まれて適当になだめている。
でもまあこれほどかわいければ仕方ないか、と思うほどに、彼らの子どもは愛らしい。マルコをじっと見上げる瞳は宝石のように輝いて、無垢な視線はくすぐったいほどだ。
ふと、ちょっとした悪戯心がわいてくる。
「メアリー、オレにもちゅーして」
先ほどジャンがそうしたように、マルコも彼女に頬を見せた。賢いメアリーはにこりと笑い、柔らかいそれでマルコに祝福を贈る。しっとりと柔らかいキスは人を魅了するには十分だ。
笑って顔を上げれば、――彼らの両親が、目を丸くしてこちらを見ている。これはさすがに怒られるだろうか、と先に謝れば、アルミンがまだ戸惑いを残したまま首を振った。
「人見知りはしないんだけど、さすがにそれはエレンにもおじいさまにもしなかったんだよね」
「お前いつの間にメアリーたぶらかしたんだよ……」
「え〜、挨拶しかしてないよ」
マルコの前で、メアリーばかりが何も知らずに笑っている。マルコが困ってメアリーを見たが、無邪気な、意味の取れない言葉が返ってくるだけだ。
「パパ以外には初めてのキスになっちゃったねぇ。マルコのお嫁さんにしてもらう?」
「オレは許さねえからな!」
2014'01.17.Fri
客観的に自分を見るならば、モテる、と言っていいのだと思う。上司には嫌々対応する女性社員もジャンには率先してコーヒーを入れてくれたし、ジャンの弁当が母親が作ったものから妻が作ったものに変わったことに目ざとく気づくぐらいには意識されていた。カフェのオープンテラスに座れば視線をもらい、同僚や友人からは結婚してからでも合コンに誘われ、同じ安物を着てもそこらの男とは違って見えるスタイルを維持している。
それは当然、そうでなければ困るのだ。それは生まれついてのものではなく、ジャンが意識して作り上げた自分だった。
美しく聡明な彼女の隣に立つにふさわしい自分に、と。ともすればつまらない男よりも女に人気のあった彼女も結局はひとりの女で、今はつまらない男の妻である。
それにしても、不毛な恋をしていた。微塵もジャンを意識しなかった女のことなど、彼女が好きな相手とつき合い始めたときにさっさと諦めていればよかったのだ。それなら、――それなら、もっと早く、自分に向けられる視線の中に、ひときわ真摯なものが紛れていることに気づいたかもしれないのに。
早く帰りたいと思ったときに限って電車にトラブルが発生しているような気がして、ジャンは世の中を恨みながら駅構内を歩いていた。と言っても早く帰りたくない日など、結婚してから一度もない。優しい妻とおいしい料理が待っている。ついでに今日は金曜日、少しばかり羽目を外してもいい日だ。先週一緒に選んだ酒など飲みながら体を温め、ついでにそのままアルコールに身を任せたっていい夜なのだ。
復旧はするのだろうか、いっそ別の路線で回った方が早いだろうかと人の流れを伺っていると、ふと目の前を花束を抱えた人が横切った。どこか緊張した面持ちで花束を抱えた男は、これからどこに行くのだろうか。ピンクのリボンなら女だろうなぁ、と冷やかし混じりの視線を送り、ジャンは彼が来た方を見た。そういえば、この駅には小さいが花屋がある。構内に響くアナウンスを聞けば、電車はまだ動きそうにない。特にあてもなくジャンは花屋へ足を向けた。
冬の寒さに彩りで競うのは、華やかに着飾った女性ばかりではないらしい。店先の視覚を楽しませる鮮やかさは春が恋しくなるほどだった。花言葉どころか花の名前も知らないが、単純に美しいと思う。何気なく見ていただけだったが、店員に声をかけられ、ジャンは改めて花を見回す。
「プレゼントですか?」
「いや……」
花なら正月の花が、この寒さのお陰でまだ鮮やかさを保っている。妻は以前生け花を少し教えてもらったのだという。じゃんにはわからないが、同じくお茶もお花もたしなんだ母がほめていたからうまいのだろう。少し考えたが、ジャンは店員を振り返った。
「……あの、適当に作ってもらっていいですか」
「はい。お誕生日ですか?」
「いや、……何でもない日です」
口にしてから、店員の驚いた顔に、そういうことにしておけばよかったと後悔する。しかし流石の客商売、店員はすぐに笑顔に戻った。三千円ほどの予算でさほど大きくない花束が、駅ナカらしい素早さで作られる。以前繁華街で見た花屋とは大違いだな、などとこっそり思う。結婚するまでは上司がときどき連れていってくれる店につき合ったこともあるが、今は飲み会すら許されるなら出たくないほどだ。それを遅れた時間を取り戻すようだと親友は言う。意識してはいないが、その通りなのかもしれない。
花束ができた頃には電車は復旧していたようだが、駅の中は電車が止まっていた分待ちぼうけを食らっていた人で溢れている。ジャンは花束を受け取って、さっさとタクシー乗り場へ向かった。
タイミングがよかったのか、さして待たずにタクシーに乗ることができた。乗ってしまえば家まではすぐだ。
ドアの鍵は閉めておくように言ってある。マンションの入り口はオートロックだが、安心だと信じきることはできない。鍵を開けて中に入ると、ドアの音で気がついたらしい足音が近づいた。
「ただいま、アルミン」
「お帰り……それどうしたの?」
靴を脱ぎかけ、それより先にアルミンに花束を渡した。困惑する彼女に笑いかける。
「アルミンに」
「えっ、何の日?」
「なんでもないけど」
「え〜、何それ……」
困ったようにそれを受け取ったアルミンだが、隠そうにもその頬が少し緩んでいることに気づいてつついてからかった。しかしアルミンははっとして、すぐにジャンの手を握る。
「冷たい。部屋あったまってるから入って」
「ああ」
着替えている間にアルミンはキッチンで花を花瓶に生けていた。鼻歌を歌いながらと上機嫌で、怒ることはないだろうと思ってはいたがどこかほっとして隣に立つ。丁寧にはがされた包装はやはり丁寧に畳まれてそばに置かれていた。
「きれい、ありがとう。でも急にどうしたの?」
「電車止まってて時間潰しに冷やかしてたら店員に声かけられてな」
「ふふ、じゃあ何でもない日のお祝いだ」
「何それ」
「知らない?ディズニー映画の、『不思議の国のアリス』の中の歌。何でもない日のお祝いのティーパーティーにアリスが巻き込まれるんだけど、お母さんが好きでよくおやつの時間に歌ってた。子どもの頃だからわからなかったけど、贅沢したおやつだったのかも」
「ふうん」
「僕も好きだな、何でもない日。僕の何でもない日は、誰かの特別な日なんだよ」
アルミンが頭を傾けて、小さな頭がジャンの胸にもたれ掛かった。その恐ろしくかわいい仕草に抱き寄せようと手を回そうとしたが、一瞬早くアルミンはジャンから離れてしまう。
「ご飯にしよう!」
「ああ……」
どうしてこうも、かわいいのだろう。ジャンがアルミンに告白したときは信じてもらうまでが一苦労で、その頃から考えるとこうして身を預けてもらうなど夢のような話だった。
花はテーブルに置かれ、アルミンはそれを見ながら上機嫌で箸を進める。
「毎日誰かのお誕生日だったり、記念日だったりするんだと思うと不思議だな」
「……お前、オレらがつき合い始めた日も覚えてないだろ」
「さぁ、どうでしょう?」
いたずらっぽく笑うアルミンに苦笑を返す。優秀な彼女が覚えていないことはないはずだが、およそ記念日ということにほとんど頓着しなかった。きっと意識しているのは結婚記念日ぐらいではないだろうか。
「不思議だなぁ」
「何が」
「今日は、何でもない日だけど、僕もケーキ買ってきてたんだ。だからジャンがお花買ってきてびっくりした」
「……へぇ」
「誰かのお誕生日みたいだね」
「そうだな」
そうか、とふと食事中のアルミンを見る。いつか、家族が増えれば、また特別な日が増えるのだ。ジャンの母親はまめな人で、息子がいい年になった今でも誕生日にはメールを寄越す。いやがることはわかっているはずだから半ば嫌がらせではないかと思っているが、「息子」には「母親」の気持ちを理解することはできないものなのかもしれない。
「あ、でも」
「何?」
晩酌のグラスを指先で弾き、アルミンはジャンを見上げて笑う。昔は見せなかった女らしい表情は、もしかしたらジャンが気づかなかっただけで他の誰かは見ていたのかもしれないと思うとやや不愉快だ。しかしそれはまた、ジャンがどきりと胸を鳴らすのとは別の話である。
「何でもない日じゃないかもしれない」
「何かあったか?」
「何もないけど、今の僕にとっては毎日が特別な日だから」
――それを、アルミンが狙っているのか、無意識なのかはもはやどうでもいい。えもいわれぬ色気にあおられてぐっとこみ上げるのと、幼少期のこととはいえいじめた過去と、何やら諸々に襲われてジャンはただ言葉を失った。
「……オレも」
「便乗はずるいよ」
アルミンが声を上げて笑った。すねて見せようとしたがジャンもつられて笑ってしまう。
これが毎日になったのだ。それがじわじわこみ上げて思わず顔を覆う。
「ジャン?」
「何でもない……」
「変なの」
ころころ笑うアルミンは、何を考えているのだろう。
――ああ、もう。
君のいない日々が思い出せない。
それは当然、そうでなければ困るのだ。それは生まれついてのものではなく、ジャンが意識して作り上げた自分だった。
美しく聡明な彼女の隣に立つにふさわしい自分に、と。ともすればつまらない男よりも女に人気のあった彼女も結局はひとりの女で、今はつまらない男の妻である。
それにしても、不毛な恋をしていた。微塵もジャンを意識しなかった女のことなど、彼女が好きな相手とつき合い始めたときにさっさと諦めていればよかったのだ。それなら、――それなら、もっと早く、自分に向けられる視線の中に、ひときわ真摯なものが紛れていることに気づいたかもしれないのに。
早く帰りたいと思ったときに限って電車にトラブルが発生しているような気がして、ジャンは世の中を恨みながら駅構内を歩いていた。と言っても早く帰りたくない日など、結婚してから一度もない。優しい妻とおいしい料理が待っている。ついでに今日は金曜日、少しばかり羽目を外してもいい日だ。先週一緒に選んだ酒など飲みながら体を温め、ついでにそのままアルコールに身を任せたっていい夜なのだ。
復旧はするのだろうか、いっそ別の路線で回った方が早いだろうかと人の流れを伺っていると、ふと目の前を花束を抱えた人が横切った。どこか緊張した面持ちで花束を抱えた男は、これからどこに行くのだろうか。ピンクのリボンなら女だろうなぁ、と冷やかし混じりの視線を送り、ジャンは彼が来た方を見た。そういえば、この駅には小さいが花屋がある。構内に響くアナウンスを聞けば、電車はまだ動きそうにない。特にあてもなくジャンは花屋へ足を向けた。
冬の寒さに彩りで競うのは、華やかに着飾った女性ばかりではないらしい。店先の視覚を楽しませる鮮やかさは春が恋しくなるほどだった。花言葉どころか花の名前も知らないが、単純に美しいと思う。何気なく見ていただけだったが、店員に声をかけられ、ジャンは改めて花を見回す。
「プレゼントですか?」
「いや……」
花なら正月の花が、この寒さのお陰でまだ鮮やかさを保っている。妻は以前生け花を少し教えてもらったのだという。じゃんにはわからないが、同じくお茶もお花もたしなんだ母がほめていたからうまいのだろう。少し考えたが、ジャンは店員を振り返った。
「……あの、適当に作ってもらっていいですか」
「はい。お誕生日ですか?」
「いや、……何でもない日です」
口にしてから、店員の驚いた顔に、そういうことにしておけばよかったと後悔する。しかし流石の客商売、店員はすぐに笑顔に戻った。三千円ほどの予算でさほど大きくない花束が、駅ナカらしい素早さで作られる。以前繁華街で見た花屋とは大違いだな、などとこっそり思う。結婚するまでは上司がときどき連れていってくれる店につき合ったこともあるが、今は飲み会すら許されるなら出たくないほどだ。それを遅れた時間を取り戻すようだと親友は言う。意識してはいないが、その通りなのかもしれない。
花束ができた頃には電車は復旧していたようだが、駅の中は電車が止まっていた分待ちぼうけを食らっていた人で溢れている。ジャンは花束を受け取って、さっさとタクシー乗り場へ向かった。
タイミングがよかったのか、さして待たずにタクシーに乗ることができた。乗ってしまえば家まではすぐだ。
ドアの鍵は閉めておくように言ってある。マンションの入り口はオートロックだが、安心だと信じきることはできない。鍵を開けて中に入ると、ドアの音で気がついたらしい足音が近づいた。
「ただいま、アルミン」
「お帰り……それどうしたの?」
靴を脱ぎかけ、それより先にアルミンに花束を渡した。困惑する彼女に笑いかける。
「アルミンに」
「えっ、何の日?」
「なんでもないけど」
「え〜、何それ……」
困ったようにそれを受け取ったアルミンだが、隠そうにもその頬が少し緩んでいることに気づいてつついてからかった。しかしアルミンははっとして、すぐにジャンの手を握る。
「冷たい。部屋あったまってるから入って」
「ああ」
着替えている間にアルミンはキッチンで花を花瓶に生けていた。鼻歌を歌いながらと上機嫌で、怒ることはないだろうと思ってはいたがどこかほっとして隣に立つ。丁寧にはがされた包装はやはり丁寧に畳まれてそばに置かれていた。
「きれい、ありがとう。でも急にどうしたの?」
「電車止まってて時間潰しに冷やかしてたら店員に声かけられてな」
「ふふ、じゃあ何でもない日のお祝いだ」
「何それ」
「知らない?ディズニー映画の、『不思議の国のアリス』の中の歌。何でもない日のお祝いのティーパーティーにアリスが巻き込まれるんだけど、お母さんが好きでよくおやつの時間に歌ってた。子どもの頃だからわからなかったけど、贅沢したおやつだったのかも」
「ふうん」
「僕も好きだな、何でもない日。僕の何でもない日は、誰かの特別な日なんだよ」
アルミンが頭を傾けて、小さな頭がジャンの胸にもたれ掛かった。その恐ろしくかわいい仕草に抱き寄せようと手を回そうとしたが、一瞬早くアルミンはジャンから離れてしまう。
「ご飯にしよう!」
「ああ……」
どうしてこうも、かわいいのだろう。ジャンがアルミンに告白したときは信じてもらうまでが一苦労で、その頃から考えるとこうして身を預けてもらうなど夢のような話だった。
花はテーブルに置かれ、アルミンはそれを見ながら上機嫌で箸を進める。
「毎日誰かのお誕生日だったり、記念日だったりするんだと思うと不思議だな」
「……お前、オレらがつき合い始めた日も覚えてないだろ」
「さぁ、どうでしょう?」
いたずらっぽく笑うアルミンに苦笑を返す。優秀な彼女が覚えていないことはないはずだが、およそ記念日ということにほとんど頓着しなかった。きっと意識しているのは結婚記念日ぐらいではないだろうか。
「不思議だなぁ」
「何が」
「今日は、何でもない日だけど、僕もケーキ買ってきてたんだ。だからジャンがお花買ってきてびっくりした」
「……へぇ」
「誰かのお誕生日みたいだね」
「そうだな」
そうか、とふと食事中のアルミンを見る。いつか、家族が増えれば、また特別な日が増えるのだ。ジャンの母親はまめな人で、息子がいい年になった今でも誕生日にはメールを寄越す。いやがることはわかっているはずだから半ば嫌がらせではないかと思っているが、「息子」には「母親」の気持ちを理解することはできないものなのかもしれない。
「あ、でも」
「何?」
晩酌のグラスを指先で弾き、アルミンはジャンを見上げて笑う。昔は見せなかった女らしい表情は、もしかしたらジャンが気づかなかっただけで他の誰かは見ていたのかもしれないと思うとやや不愉快だ。しかしそれはまた、ジャンがどきりと胸を鳴らすのとは別の話である。
「何でもない日じゃないかもしれない」
「何かあったか?」
「何もないけど、今の僕にとっては毎日が特別な日だから」
――それを、アルミンが狙っているのか、無意識なのかはもはやどうでもいい。えもいわれぬ色気にあおられてぐっとこみ上げるのと、幼少期のこととはいえいじめた過去と、何やら諸々に襲われてジャンはただ言葉を失った。
「……オレも」
「便乗はずるいよ」
アルミンが声を上げて笑った。すねて見せようとしたがジャンもつられて笑ってしまう。
これが毎日になったのだ。それがじわじわこみ上げて思わず顔を覆う。
「ジャン?」
「何でもない……」
「変なの」
ころころ笑うアルミンは、何を考えているのだろう。
――ああ、もう。
君のいない日々が思い出せない。
2013'11.21.Thu
「メアリー出るぞー」
「はぁい」
浴室からの声に片づけの手を止めて、アルミンは立ち上がった。アルミンが向かうより早くびしょ濡れのまま飛び出してきた娘に、慌ててバスタオルを広げて元気な体を捕まえる。じっとしていられない小さな娘はけらけら笑い声をあげて、アルミンの手から抜け出そうと身をよじらせた。
しかしアルミンも逃がしてやるわけにはいかなかった。濡れた足で走り出した彼女が、滑ってころんでたんこぶをこさえたことはまだ記憶に新しい。
「待って、メアリー。また頭ごっちんするよ」
「やぁー」
「もう、ちょっと!」
翻弄される母親の様子に、浴室から笑い声がする。笑い事じゃないんですけど、とドアを見るが、加工されたガラスの向こうをいくら睨んでも仕方ない。
「あっ!」
油断した隙に娘が裸のまま走り出した。足の裏は拭いたが、テンションの上がった彼女を自由にさせるわけにはいかない。すぐに追いかけ、柔らかい体を抱き上げる。どうにか服を着せてるうちにジャンも風呂から上がってきたようだ。
「お先!」
「はーい、ありがとう。メアリー!もうちょっと待って!」
逃げ出した娘にオムツは履かせたがズボンがまだだ。ジャンが笑いながら捕まえて、その間にアルミンがじたばたしている足を押さえて無事にパジャマを着せた。
アルミンと違ってジャンは風呂の間もよく遊んでくれるので、ジャンが入れたときはいつもこうなる。パジャマを着てもなお暴れているメアリーをくすぐっているジャンもまだ上半身は裸のままだ。
「風邪ひくよ」
「遊んでたらのぼせた」
「ちょっと、せっかくお風呂入ったのに汗かいちゃう」
「ママはうるさいなー」
「何それ」
いちゃいちゃしてる父子に呆れ、アルミンはテーブルの片づけに戻った。メアリーの食事のあとは壮絶だ。
泣くことが仕事だった頃から考えると、メアリーは随分人らしくなった。自分の手足で動き回れるようになってからはそれが顕著に現れ、好き嫌いも見せるようになっている。
「あーあ、いつまで一緒に風呂なんか入れんのかな」
「あっという間かもね、女の子だし」
「やだなー」
「気が早いよ」
「わかんねぇよ、幼稚園なんか行くようになったらすぐに好きな子ができてさぁ、紹介されたらオレ泣く自信あるわ」
「早いって。……まあ、誰かさんみたいな意地悪な子にいじめられることはあるかもしれないけどね?」
「メアリーは誰かさんみたいな泣き虫でもないし鈍くさくもないから大丈夫だ」
「もう!」
アルミンが怒ってみせるとジャンは笑い、一緒にメアリーもけらけらわらった。
ジャンとアルミンは幼稚園からのつき合いだ。とはいえアルミンにはジャンにいじめられていた記憶が何よりも濃く、どうして彼を好きになったのか、結婚した今でもわからなくなることがある。ジャンの方はといえば、成人してしばらく経つまでアルミンを女として見ていなかった。
「アルミンも行ってこいよ」
「うん」
ジャンが見てくれている間にアルミンもお風呂に向かう。ゆっくり湯船につかり、深く息を吐いた。メアリーと一緒だと忙しなく、なかなかじっくり湯に浸かることができないのだ。
部屋からメアリーの声が聞こえなくなった。はしゃぎ疲れたのだろう。
子どもは日に日に成長する。ジャンではないが、きっとあっという間に大きくなるのだろう。
「アルミン」
「何?」
ガラスがノックされたかと思えば、すぐにドアが開けられた。アルミンがぎょっとしたのはそれだけではなく、ドアを開けたジャンが裸だったからだ。
「ちょっと!」
「しっ!寝たから!ちょっとだけ!」
「何がちょっと!?」
アルミンの制止も聞かずに浴室に入ってきたジャンは、アルミンの背を押してそそくさとバスタブに侵入する。逃げようとしたアルミンはすぐに長い腕に絡めとられ、結局ジャンの足の間に座らされた。背中側から抱き締めてくるジャンの唇がうなじに触れ、太股をつねって抵抗する。
「いいだろたまには」
「あのねぇ……」
「何のための広い風呂なをだよ」
「体を伸ばすためだよ」
そっけなく答えるがジャンは気にした様子もなく、アルミンの膝を撫でた。
「……何もしないからね」
「わかってるよ」
言いながら胸をまさぐってくるジャンの手を引きはがす。ただのいたずらとばかりに無邪気に笑うジャンを睨むがあまり効果はなさそうだ。わざと大きく溜息をつく。
どきどきしていることを悟られぬよう、アルミンは精一杯振る舞っていた。
「はぁい」
浴室からの声に片づけの手を止めて、アルミンは立ち上がった。アルミンが向かうより早くびしょ濡れのまま飛び出してきた娘に、慌ててバスタオルを広げて元気な体を捕まえる。じっとしていられない小さな娘はけらけら笑い声をあげて、アルミンの手から抜け出そうと身をよじらせた。
しかしアルミンも逃がしてやるわけにはいかなかった。濡れた足で走り出した彼女が、滑ってころんでたんこぶをこさえたことはまだ記憶に新しい。
「待って、メアリー。また頭ごっちんするよ」
「やぁー」
「もう、ちょっと!」
翻弄される母親の様子に、浴室から笑い声がする。笑い事じゃないんですけど、とドアを見るが、加工されたガラスの向こうをいくら睨んでも仕方ない。
「あっ!」
油断した隙に娘が裸のまま走り出した。足の裏は拭いたが、テンションの上がった彼女を自由にさせるわけにはいかない。すぐに追いかけ、柔らかい体を抱き上げる。どうにか服を着せてるうちにジャンも風呂から上がってきたようだ。
「お先!」
「はーい、ありがとう。メアリー!もうちょっと待って!」
逃げ出した娘にオムツは履かせたがズボンがまだだ。ジャンが笑いながら捕まえて、その間にアルミンがじたばたしている足を押さえて無事にパジャマを着せた。
アルミンと違ってジャンは風呂の間もよく遊んでくれるので、ジャンが入れたときはいつもこうなる。パジャマを着てもなお暴れているメアリーをくすぐっているジャンもまだ上半身は裸のままだ。
「風邪ひくよ」
「遊んでたらのぼせた」
「ちょっと、せっかくお風呂入ったのに汗かいちゃう」
「ママはうるさいなー」
「何それ」
いちゃいちゃしてる父子に呆れ、アルミンはテーブルの片づけに戻った。メアリーの食事のあとは壮絶だ。
泣くことが仕事だった頃から考えると、メアリーは随分人らしくなった。自分の手足で動き回れるようになってからはそれが顕著に現れ、好き嫌いも見せるようになっている。
「あーあ、いつまで一緒に風呂なんか入れんのかな」
「あっという間かもね、女の子だし」
「やだなー」
「気が早いよ」
「わかんねぇよ、幼稚園なんか行くようになったらすぐに好きな子ができてさぁ、紹介されたらオレ泣く自信あるわ」
「早いって。……まあ、誰かさんみたいな意地悪な子にいじめられることはあるかもしれないけどね?」
「メアリーは誰かさんみたいな泣き虫でもないし鈍くさくもないから大丈夫だ」
「もう!」
アルミンが怒ってみせるとジャンは笑い、一緒にメアリーもけらけらわらった。
ジャンとアルミンは幼稚園からのつき合いだ。とはいえアルミンにはジャンにいじめられていた記憶が何よりも濃く、どうして彼を好きになったのか、結婚した今でもわからなくなることがある。ジャンの方はといえば、成人してしばらく経つまでアルミンを女として見ていなかった。
「アルミンも行ってこいよ」
「うん」
ジャンが見てくれている間にアルミンもお風呂に向かう。ゆっくり湯船につかり、深く息を吐いた。メアリーと一緒だと忙しなく、なかなかじっくり湯に浸かることができないのだ。
部屋からメアリーの声が聞こえなくなった。はしゃぎ疲れたのだろう。
子どもは日に日に成長する。ジャンではないが、きっとあっという間に大きくなるのだろう。
「アルミン」
「何?」
ガラスがノックされたかと思えば、すぐにドアが開けられた。アルミンがぎょっとしたのはそれだけではなく、ドアを開けたジャンが裸だったからだ。
「ちょっと!」
「しっ!寝たから!ちょっとだけ!」
「何がちょっと!?」
アルミンの制止も聞かずに浴室に入ってきたジャンは、アルミンの背を押してそそくさとバスタブに侵入する。逃げようとしたアルミンはすぐに長い腕に絡めとられ、結局ジャンの足の間に座らされた。背中側から抱き締めてくるジャンの唇がうなじに触れ、太股をつねって抵抗する。
「いいだろたまには」
「あのねぇ……」
「何のための広い風呂なをだよ」
「体を伸ばすためだよ」
そっけなく答えるがジャンは気にした様子もなく、アルミンの膝を撫でた。
「……何もしないからね」
「わかってるよ」
言いながら胸をまさぐってくるジャンの手を引きはがす。ただのいたずらとばかりに無邪気に笑うジャンを睨むがあまり効果はなさそうだ。わざと大きく溜息をつく。
どきどきしていることを悟られぬよう、アルミンは精一杯振る舞っていた。
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