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言い訳置き場

言い訳を書いていきます。誤字の報告などあればありがたいです。 ※唐突にみゅネタややぎゅにおの外の人のかけ算が混ざるのでご注意下さい。 日常はリンクのブログから。

2024'05.18.Sat
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2015'01.25.Sun
手にしたときからすでに新品とはほど遠かったその本は、一気に風化してしまったように思えた。

それは大学生の頃、憧れの人がただ憧れであった頃に手にしたものだった。かつて理解しきれないまま辞書と首っ引きで読んだその本を開く。古書店を巡り歩いて探し、無数の人の手に渡ったであろう貫禄のあるこの本のすべてを、未だわからずにいる。

あの人が好きだと言った本を開いて、そこに何を見ていたのか、うまく思い出せない。

「あ……」

ページの端に、散らばる小さな穴。知らぬ間に、何ページも紙魚に食われている。途端に言いようのない虚無感に襲われて、アルミンは本を閉じた。もう開かないようにと、深く奥にしまい込んだ。



「お疲れ様です」

帰りの電車で出会った顔にアルミンは少しうんざりした。最近知り合った大学生は、こちらが応える気がないのを知りながら、何かとちょっかいをかけてくる。

「……君、週末に遊ぶ友達もいないの?」

「今日は帰るように言われてるんで」

屈託のない笑みを向けてくるのはジャン・キルシュタイン。そのフルネームを知るより早く、アルミンは行きずりも同然の彼に抱かれた。誘ったのはアルミンだ。何も弁解する気はない。一度離れてしまったものがもうこの手に戻らないとわかり、近くのものに縋ったのだ。彼が悪いわけではないが勢いに任せた自分の行動を忘れてしまいたいのに、ジャンはアルミンを気に入ってしまったようである。最寄りの駅を知られているということが厄介だ。

とはいえ、ジャンは話しかける以上のことはしてこなかった。電車が一緒になれば声をかけてくるが、アルミンが持ってきた本を開けばそれきり黙る。

――その、妙に物わかりのいいところも、アルミンの神経を逆撫でするのだった。

アルミンにはとても好きな人がいた。きっとあれ以上の恋をしないだろう。あの人の前で、必死で物わかりのいい振りをしていた自分の滑稽な姿を思い出す。精一杯背伸びをして、理解もできない本を開いて。

席が空いたのでジャンを無視して座り、本棚から適当に引き抜いてきた文庫本を開く。不規則に揺れる電車の中で、集中できないまま文字を追った。通勤の電車の中ではずっと本を読んでいたが、最近では読みたいという気持ちよりもジャンの視線から逃げたいという気持ちの方が強い。

後ろめたいのだ。相手に嘘をつかれていたのをいいことに、そこにつけこんだのはアルミンだ。そのくせ踏み込まれそうになると逃げ出した。

電車が次の駅で止まり、アルミンの隣の人が立ち上がった。そうかと思えば気づいたジャンがすぐに座り、ねぇ、とアルミンに問いかける。

「今度飯でも行きません?」

「……君とつき合う気はないよ」

「アルミンさん、ハンジ・ゾエの本読んでましたよね」

電車の中で読む本は、いつもカバーをかけているわけではない。何を読んでいるのかを知られていても不思議はないが、あまり気持ちのいいものではなかった。もしくは以前彼と会ったときに自分が口にしていたのかもしれない。アルミンは本から顔を上げなかった。

「新刊出るの知ってます?」

「……知らない」

「もらったんだけどオレあの人の苦手なんですよね。いりません?まあそのうち本屋に並びますけど」

「……待つからいいよ」

「今回は主人公が老人なんですよ。エルヴィン・スミスの『杖をつく人』読みました?あれのパロディなんです。タイトルは『杖を折る人』。出版社違うんで名言はしてないみたいですけど、読めばわかるって。興味があるなら差し上げますけど」

「……そんなことしていいの?」

「信頼できる人ならいいって言われてるんで」

少しだけ首を動かしてジャンを見た。目が合うと見透かしているとでも言いたげにジャンが笑う。

ハンジ・ゾエの作風は独特で、決して洗練された文章ではない。しかし世界観は突飛で理不尽で衝撃的でありながら説得力があり、彼女にしか描くことができないだろう。ジャンが言うようにあれを人を選ぶもので、アルミンは好きだったが彼女のファンと出会ったことがなかった。

一方、エルヴィン・スミスは大衆的な作家であると言えるだろう。時に時勢を反映して現代を風刺し、時には異世界を描く、読者の幅も作風の幅も広い作家だ。パロディ元の本はアルミンの好きな本のひとつだった。日常に混じる表現しがたい違和感を描いたもので、ジャンルのとらえがたいものである。

――エルヴィン・スミス。それはかつてアルミンが憧れ、慕い、今もなお、愛しいと思う人である。大学時代の教授を慕っていると言えばいい思い出のようだが、実際はもっと肉感的で、ただれたものだった。体の関係はあった。しかしエルヴィンにとっては、それだけだった。彼が何も言わずに突然大学を辞めて姿を消し、数年後にエルヴィン・スミスの処女作が発表された。次々と発行される著作の中にエルヴィンを見つけることは簡単で、アルミンは縋るように読み続けた。それが彼であることは作品からはっきりとわかったが、何もすることはできなかったのだ。

今でも好きなのかと問われると、正直なところはわからない。執着だと言われたら頷く。変化を恐れているのだと言われたら頷く。エルヴィンに誘われたら、頷くだろう。ジャンに誘われたら――それはまだ、頷けない。

返事をしないまま最寄り駅について、アルミンは何ページも進まなかった本を閉じて電車を降りた。ドアが閉まる前に振り返ると、ジャンは小さく手を振っていた。



*



大人になればもっと自然にできると思っていたことのほとんどは、アルミンにとってはまだ難しい。

終電間際の駅に着いて、アルミンはつまらない酒の席でこわばっていた頬をようやくほぐした。駅のホームの売店はとっくにシャッターを下ろしていて、自動販売機で水を買う。柔らかいペットボトルを握って何度もべこりと鳴らした。

社会は疲れる。無駄が多いと感じる。同僚との恋愛話に興じるのも、上司の大声をかわすのも慣れた。慣れたけれど、こなすのはつらく、スマートで物静かな男を思い出させる。

エルヴィンは素敵な男だった。本心を見せてくれない以外には――否、見せてくれていると思っていた。どこか感じるミステリアスさを追求しなかったのは、それを察していたからかもしれない。

アルミンは子どもだった。背伸びでは大人に追いつけないほどに。

思い出にしてしまいたいのに、声も体温も、体が覚えているのだ。

「アルミンさん?」

振り返るとジャンが立っていた。大学生らしいラフな服装が無性に羨ましくなる。アルミンが学生の時は必死だった。エルヴィンの隣に立つにふさわしい女であるようにと、外見も振る舞いも、いつでも意識していた。

「珍しいですね、こんな時間に。お仕事……ですか?」

少し迷いを見せたのは、アルミンが酒気を帯びているからだろう。会社の飲み会は仕事といえば仕事だ。学生に言ってわかるだろうか、と思ってから自嘲する。いつの間にか、自分は随分大人ぶっている。時が止まったようなふりでいたけれど、時間は誰にも平等だった。

「……ホテル行く?」

半ば無意識に口にのぼった言葉でぎょっとしたのはアルミンよりもジャンだった。あからさまに目を泳がせたがすぐに平静を装ってアルミンに視線を戻す。

「……酔った勢いってやつですか?」

「そうかもね」

肩をすくめてジャンを見上げた。ジャンは少し考えたが、やがてアルミンの手を取った。そのまま手を引かれて改札に戻り、駅を出る。ジャンの足が向かうのは繁華街だ。足取りはゆっくりと、しかし会話もない。自分たちがどう見えるのかが気になった。

少し辺りの雰囲気が怪しくなった辺りでジャンは足を止めた。もう数百メートル先には派手な装飾の看板のホテルが並んでいるのに、ジャンは困ったようにアルミンを見て、ゆっくり手を離す。

「ごめん、やっぱ無理」

「え?」

「一瞬それでもいいかと思ったけど、こういうのは違う。あんたがどんな男が好きか考えて俺なりに振る舞ったけど、やっぱりできねぇよ」

ジャンの言葉をすぐには理解できなかった。アルミンが何も言わないのをジャンはどう解釈したのかはわからないが、彼はアルミンを見て、息を吸って胸を反らす。

「俺はあんたの彼氏面したいんだ。だから、こういうのは違う」

耳に慣れない言葉にぎょっとする。しかし恥じたように頭をかくジャンを見て、アルミンは思わず頬を緩めた。

きっとアルミンも、エルヴィンにそう伝えればよかったのだ。

こらえきれず笑い出したアルミンにジャンはむっとしたようだった。こんなにも表情豊かだとは知らなかった。

「……送るから帰りましょう」

不機嫌そうなその声が愛しく思えて、アルミンは黙って手を取った。

紙魚はもう、恋の味を知っている。悔しいけれど、おいしいのだ。
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