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言い訳置き場

言い訳を書いていきます。誤字の報告などあればありがたいです。 ※唐突にみゅネタややぎゅにおの外の人のかけ算が混ざるのでご注意下さい。 日常はリンクのブログから。

2024'05.18.Sat
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2014'01.12.Sun
「巨人ってどれぐらい大きかったの?」

「色々いたなぁ。三メートルぐらいから、……五十メートル」

「五十メートル?」

「ああ、壁よりでかかった」

ジャンは聞けば教えてくれた。わかることしか教えられない、と自分の憶測の範囲のことは何も言わなかったが、それでもアルミンの好奇心を満たすのには十分だった。

「ジャンはどうして調査兵団に入ったの?」

「……さぁな。気づけば入っちまってた」

「……調査兵団は、勇敢な兵士だって」

「ハッ、まさか。臆病者ばかりだったぜ」

「ジャンも?」

「……お前、ほんとに物怖じしねぇな」

ジャンは時々、アルミンを見て呆れた顔をする。まるで昔からアルミンを知る親戚のようだ。実際の親戚はアルミンの追求に嫌そうな顔をすることがあったが、ジャンはいつも苦笑をこぼすだけだった。

「まあ、そうだな、オレもそうだったかもな」

「泣いた?」

「……お前、泣き虫だろう」

ジャンに指摘されて唇を噛んだ。仕返しだとばかりに笑った彼を睨んだが、そんなときばかりは視線も彼の体を突き抜けるかのようでまるで手応えがなかった。

「何が怖い」

「……いじめっ子」

「ははっ」

「あと、にんじんと、お化け」

「オレもお化けだぞ」

「ジャンは怖くないよ」

「……そうか」

「うん」

ジャンは屋上に行けば決まってそこにいる。他の場所には行けないのかと聞いたことがあったが、行けないわけではないらしい。教室の後ろに立って授業を聞いていたこともあるのだという。今は行かないのかと聞けば、もう飽きたのだと言っていた。ジャンはこの学校ができる前からここにいるらしい。

「ジャンはどうして、ここにいるの?」

「……この場所な、昔は、訓練兵の兵舎があったんだ」

「ここで死んだの?」

「いや、壁外だ。……壁外って言ってもお前にはわかんねえよな、お前が生まれたときにはとっくの昔に壁なんてなくなってたんだから」

「でも僕、壁のあった場所知ってるよ。お父さんが連れていってくれたんだ。ぐるっと回ったよ」

「……そうか、マルコが」

「壁まですっごく遠いんだよ。お尻が痛くなるまで車に乗って、大きな岩を見に行ったんだ。知ってる?エレンの岩。公園の真ん中にあるやつ」

「ああ、知ってる」

「一番向こうの壁はそれよりもっと遠いんだよ。……それでも、人がもっと遠くに行こうとしたのはどうして?壁の中も、僕は十分広いと思うんだけど」

「……そうだよな。オレだって、自分が住む街だけで十分だったはずなんだ。……人間ってのは、欲張りだな」

「そうなの?」

「ああ。今のままでは満足できなくなっちまうんだ。……だから、歩くより早い馬車ができて、馬車よりも早い自動車ができた。お前、馬に乗ったことあるか?」

「お父さんがいつか乗せてくれるって。……でも、僕は自動車、好きだけど。ジャンは嫌い?」

「そうだな。多分オレも、乗れば好きになる」

「乗ったことない?」

「ないな。ここから出たことがねえ」

「行けないの?」

「さあ、試したこともない」

「どうして?」

「……死んでてもな、怖いことはあるんだ」

「……何が怖いの?」

ジャンは答えてくれなかった。家族が心配するから早く帰れ、と促され、アルミンはしぶしぶ立ち上がる。最近放課後は毎日のように屋上に通っていて、帰りの遅くなったアルミンに両親が首を傾げているのは事実だった。

最近できた友達と遊んでいる、と答えたアルミンを一応信じてはいるようだが、いじめっ子に何かされているのではないかとやや疑っているようだ。いつもアルミンを助けてくれるエレンは祭りのための練習が忙しい。アルミンがジャンのところにくる理由のひとつはいじめっ子と帰る時間をずらすためでもあるので、両親の推測は逆とも言えたし、正しくもあった。



帰宅して夕食後、父の書斎をノックすると笑顔で迎えてくれた。その部屋は見るたびに本が増え、まだアルミンには難しいものが多かったが、小さい頃から遊び場にしていたアルミンはこの部屋で文字を学んだ。

「お父さん、今日は何のお勉強?」

「もうすぐお祭りだからね、お父さんはみんなに歴史の話をするんだ。だからその準備だよ」

「お父さん、もう知ってるのに」

「そうだね。でももし、間違いしていたら困るから」

「お父さんなら大丈夫だよ」

「ありがとう。アルミンも聞きにきてくれるかい?」

「僕が知らない話する?」

「うーん、しないかも」

父は笑ってアルミンを膝に抱き上げて本を開いた。小さな文字の並ぶ分厚い本をエレンは嫌うが、アルミンは早く読めるようになりたいと思っている。まだ難しい言葉がわからないことが多くて、ひとりではなかなか読むことができなかった。

「そうだ、ねえお父さん、訓練兵の話を教えて」

「訓練兵?」

「僕の学校、訓練兵の兵舎だったんだって」

「よく知ってるね、誰に聞いたの?」

「えーと、先生」

「珍しい、知ってる人がいるんだね。そうだな、今はずっと遠くにあるけど、訓練兵の兵舎と訓練場は、昔はこの辺りにあったんだ。と言っても建物も残っていないから記録だけのことだけど、でも……そうだな、おじいちゃんのうちのある辺りと比べて、この辺はおうちが新しいのはわかる?」

「えー、うちもぼろだよ」

「はは、そう言われると困ったな。そうだな、じゃあ、今度エレンが出るお祭りがあるだろう?」

「うん」

「あのお祭りがこの地区で行われるのは、あの英雄たちがこの場所で訓練をしていたからだと言われているからなんだ」

「英雄たちが訓練をするの?」

「そりゃあするさ。英雄たちだって、アルミンと同じ、人間だ」

「……そんなすごい人と一緒って言われても、わからないな」

「そうだね、お父さんも信じられないよ。だけどきっと、彼らだって初めから強かったわけではないはずだ。泣いたり、苦しんだりしただろう」

「絵本にはそんなこと、書いてなかったけど……」

「うーん……そうだね、アルミンはもしかしたら怒るかもしれないけれど……子どもには難しくて、わからないだろ?」

「……まあね」

ふてくされるアルミンを父は笑った。アルミンの体はまだ父の体にすっぽり収まるほどしかなくて、お菓子がたくさん食べられないのと同じように、言葉もたくさん入らないのだと言うことは渋々ながら認めている。

「怒らないで。アルミンは賢いから、きっとすぐにわかるようになるよ」

「……お父さんも怖いもの、ある?」

「そりゃああるよ」

「お母さん?」

「……そうだね、時々怖いね」

父を見上げると困ったように笑った。その表情は子どもには読みとれないほど複雑で、ジャンのことを思い出す。

「……ねえお父さん」

「なんだい」

「お化けの怖いものって、何だと思う?」

「お化けかぁ……そうだなぁ、もしかしたらアルミンがお化けが怖いみたいに、お化けもアルミンが怖いのかもしれないよ」

「えーっ!僕怖くないよ!」

「もしかしたらだってば。お父さんもお化けのことはわからないなぁ。どうしたの?お化けの話でも聞いた?」

「ううん」

お化けの友達ができた、とはなんとなく言えなくて、父親もそれ以上聞かなかった。



祭りの日が近づいた。エレンは興奮の中にも疲労を見せていたが、父親はそれを懐かしそうに見ていた。

「立体起動装置か……懐かしいな」

アルミンの話を聞いてジャンは両手を見下ろした。その下からアルミンが手をかざし、重ねて見上げるとジャンが笑う。決して触れない手を合わせるように掲げてくれるジャンにアルミンも笑い返した。

「ジャンの手は大きいね!」

「お前はちっせえなぁ」

「すぐ大きくなるよ!お父さんも大きいんだから!」

「どうかなぁ?お前は小さいままって気がするぜ」

「何でわかるのさ!」

「さぁ?」

「ジャンは何歳?」

「あ?……あ〜……オレ、髭生えてるか?」

「ううん」

「……死んだときの姿じゃねえのか」

「鏡見たことないの?」

「写らねえ」

「へぇ、面白い」

「オレ、幾つぐらいに見える?」

「ん〜、お兄さんって感じ。おじさんではないかな」

「……まあ、この兵舎にいるってことは、オレは訓練兵時代の姿なのかもな」

「どうして?」

「……オレが聞きてえよ」

「ねえ、どうしてジャンはお化けになったの?」

「それもオレが知りてえな」

ジャンは苦笑して背を伸ばした。空を仰ぐ姿を見上げる。背の高い彼に並ぶと自分がまだまだ小さいのだと思い知る。父ぐらいはあるだろうか。そんなに高くないのかもしれない。

彼はどんな人だったのだろう。

「ねえ、一緒にお祭り行こうよ。エレンかっこいいんだよ!」

「いいよ、オレは」

「怖いの?」

「……お前、その性格って子どもの頃からなんだな」

「何のこと?」

「ハァ……マルコもちゃんと教育しろよな」

「ね、お祭りの日迎えにくるね」

アルミンが笑いかけると、ジャンは笑い返してくれた。それを約束してくれたのだと決めつけて、アルミンはいつも以上に祭りの日を待ちわびていた。



祭り当日、約束通りジャンを迎えに屋上に行くと、彼は呆れた顔をした。街全体が言葉通りお祭り騒ぎで、喧噪かここまで聞こえている。

「行こう、ジャン!」

「……オレほんとにここから出たことねえんだよ」

「大丈夫だよ。ね、早く!エレンの出番がきちゃう!」

手を引けないのがもどかしい。アルミンが足を踏み鳴らせば、ジャンは深く息を吐く。と言ってもその空気の流れがわかるわけではない。わかったよ、とぼやくように言ったジャンに気をよくして、アルミンは階段に向かった。ジャンは滑るように足を動かし、アルミンの隣を移動する。ブーツのつま先が交互に動くのを見て、嬉しくなってジャンを見た。苦笑する彼がアルミンに向ける視線が子どもに対するものだとわかったが、今日は気づかなかったことにした。

通りは人で溢れていた。賑やかな喧噪は街を大いに盛り上げ、人々の表情を見ているだけでも浮き足立つ。

学校の門を抜けてもジャンは確かにアルミンの隣を歩いていた。どこか心細い様子のジャンにいい気になって、アルミンは上機嫌で街を歩く。

まっすぐ立体起動装置のデモンストレーションの会場に向かえば、そこは既に多くの人で溢れていたが、どうにか人の合間をくぐってアルミンはよく見える位置を確保した。隣のジャンは人も突き抜けてしまうので、場所を必要としない。少し羨ましくなって彼を見上げれば、同じようにアルミンを見下ろしている。

「お前、大丈夫か?」

「うん。……まあ、こんなときは小さいのも悪くないよ」

「ははっ、違いない」

そう肯定されるといささか気に食わないが、否定はできないので仕方ない。大きな歓声が上がり、アルミンは正面を見た。

ガスをふかす音が心地よく響き、大きい鳥の影が横切る――否、空を舞うのは少年兵だ。風を受けたマントが広がり、ブレードが反射する。飛び交う少年兵の中で一際目を輝かせているのが、アルミンの幼馴染みのエレンだった。そう教えようとほとんど隣の少年と重なって頭だけになっているジャンを見たが、彼はまっすぐエレンを見ていた。

「ジャン?」

「……相変わらず、調子に乗るとガスふかしすぎるんだな」

「何が?」

「……あいつらみんななってねえな」

「そう?みんな上手だよ!すごく練習するんだ」

「オレはもっとうまく飛べた。……まあ、そうか。飛べなくたって、お前らは食われねえもんな」

アルミンはデモンストレーションから目を離さないジャンから目を離せなくて、ずっと彼を見上げていた。

――そうか。この人は死んでるんだ。

今更そんなことに気がついた。あまりにも優しいから、忘れていた。
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2014'01.11.Sat
初めて「彼」を見たのはアルミンがもっと幼い日、夏の天体観測の夜だった。その日の夜に流星群が見られると数日前から町のあちこちで繰り返され、どこか浮き足立った夏休み。アルミンが通うことになる学校が屋上を解放することになり、父親に連れられて見に行った夜のことだ。

何も遮るもののない夜空を見上げ、感嘆の声を上げる。父親が知人を見つけて立ち止まったことにも気づかず、アルミンはふらふらと足を進める。さっと空を切るように横切った流れ星に集まった人が声を上げ、アルミンも父を振り返って初めてはぐれたことに気がついた。代わりにそこに立っていたのは、ひとりの兵士だった。ずいぶん若いように思った。短く切った髪は兵士らしい。瞳の色がわかったのは、彼がアルミンを見て目を見開いたからだ。柔らかな榛色はどこか懐かしい。

「アルミン」

父の声に振り返る。少し焦った様子の彼はすぐにアルミンの手を取った。兵士は父の姿を見て更に驚いた顔をした。父の知り合いだろうかとも思ったが、それには若すぎるように思う。何か言いたげに口を開いた後、兵士はすぐに背を背けた。その背に広がる翼を見た気がして、アルミンは目をこする。

「アルミン、どうしたの?眠くなっちゃった?」

「ううん、違うの」

父に抱き上げられてその首にすがりつく。背の高い父に抱かれると視界がうんと高くなって少し怖い。ほら、と促されて夜空を見上げる。それが合図のように、ひとつ、またひとつと星が降り始めた。

「お父さん、流れ星はどこに落ちるの?」

「どこだろうね、よく見ててごらん」

「拾いに行こうよ」

「そうだね。どこまででも、壁を越えていけるのだから」

その夜があまりにも美しく、父が優しかったので、アルミンは兵士を見たことなど忘れてしまっていた。「自由の翼」を見るまでは。



「アルミン!見ろよ、衣装届いたんだ!」

その日、幼馴染みのエレンは祭りの衣装を身につけてアルミンの家にやってきた。もうすぐ大昔の兵士をたたえる祭りがある。それはこの国に伝わる伝説が関わっている一大行事だ。

――昔むかし、人類は巨人の恐怖におびえて暮らしていた。人類は身を守るために何重もの壁を築き、その中で暮らしていた。しかし巨人は時には知恵を使って壁を破壊し、人間たちを食らった。そんな中、勇敢な兵士たちが立ち上がり、襲いかかる巨人に向かっていったのだ。それは何年にもわたる長い戦いで、幾人もの兵士が命を落とした。しかし人類はついに巨人を追いつめ、最後の一匹まで倒し、人類は自由を手に入れた。

その兵士たちは、調査兵団と呼ばれていたらしい。この祭りの時期になると選ばれた子どもたちが、兵士たちが巨人と戦うために使っていたという「立体軌道装置」の練習を始める。祭りの儀式の中の、デモンストレーションのためだ。引き継がれた伝統の中でも、子どもたちが何よりも憧れるものだった。

幼馴染みのエレンはアルミンよりも少し年上で、ようやく体もできてきた今年、遂に「調査兵団役」に選ばれた。適正の必要な立体軌道装置は誰でも扱えるものではない。ひとえに、努力を怠らなかったエレンが自ら掴み取ったものだ。

――エレン。それは、英雄の名だ。巨人の最後の一匹を倒したと伝えられている英雄の名を冠したエレンは、いつどんなときも自分の信じた道を突き進む。今度もまたそうだ。

「すごい、かっこいいね!」

ミニチュアの兵士の制服を着たエレンは誇らしげに胸を張った。幼馴染みを応援していたアルミンも自分のことのように嬉しく、手を叩いて喜んだ。

「おや、エレン、よく似合ってるね」

アルミンたちの声を聞きつけて、アルミンの父が顔を出した。父も昔「調査兵団役」をやったことがあるのだという。難しい立体軌道装置を誰よりも早く使いこなしたのだと今でも祖父母の自慢で、エレンも何度もコツを聞きにきていた。

「どう?似合う?」

「ああ、エレンにはやっぱり自由の翼がよく似合う」

「自由の翼?」

「アルミン知らねえのか?調査兵団は憲兵たちとはエンブレムが違うんだぜ!」

さっと彼が背を見せた。アルミンの視界一杯に広がるのは、一対の翼。アルミンの知る憲兵は、馬の横顔か薔薇の花だ。しかし、どこかで見たことがある。何で見たのか考えて黙り込むアルミンをどう解釈したのか、エレンはいいだろ、と自慢げに胸を張った。

「アルミンももう少し大きくなったら『調査兵団』を目指そうぜ!オレが教えてやるからさ!」

「僕はいいよ。エレンみたいに早く走れないし、喧嘩も弱いもん」

「……エレン、また誰かと喧嘩したの?」

「えっ、えーっと……アルミン!黙ってろって言っただろ!」

「あ、ごめん」

「エ〜レ〜ン〜」

「ごめんなさいっ!」

父から逃げるエレンを笑いながら、アルミンは自由の翼をじっと見る。確かに見た記憶があるものだ、と考え、間もなく思い出した。あの、流星群を見た夜だ。

背の高い兵士の背中に広がる翼。あの夜会った兵士は、調査兵団のエンブレムを背負っていた。

「ねえ、お父さん」

「何?アルミン」

暴れるエレンを簡単に羽交い締めにしてしまった父は、そのままでアルミンを見た。びくともしない父の拘束に、エレンが諦めたように身を委ねている。

「あのね、調査兵団って今はいないの?」

「……うん。彼らの仕事は壁の外の調査だったから、壁のない今はもう、彼らはいないんだ」

父はどこか寂しげに笑い、エレンをおろす。ソファーに座った父について、アルミンとエレンもその両側に座った。幼いアルミンにはまだ具体的に父の仕事はわからないが、古いことをたくさん知っている。今日も何か話してくれるのだろうか、とエレンと一緒に父を見上げた。

「そうだな……調査兵団は、とても勇敢な人たちだ。エレン、君が名前をもらった、あの英雄も、とても勇気のある強い人だったんだ」

「でも、そいつも死んじゃったんだろ?」

「ははっ、そりゃあ人はいつかは死ぬさ。……彼が戦いの最中で死んだのか、或いは生き延びたのか……それはいろんな話があって、まだわからない」

「他にはどんな人がいたの?」

「アルミンもエレンも、絵本で名前を知ってるだろ」

「リヴァイ兵長!」

「ミカサ!」

「そうそう。……勇敢な人が協力して、巨人を倒したから今の僕らの生活がある。だからね、エレン、君はこの翼に恥じないように生きなさい」

ぽん、と背を叩かれたエレンは背筋を伸ばした。父は同じように、アルミンの背にも手を添える。

「君たちには英雄の血が流れている。強き者、正しき者、導く者――だからねエレン、力が強いのは喧嘩の為じゃない」

「はぁい」

話が説教に変わってエレンが飛び上がった。アルミンは父と笑う。ここ数年でぐんぐんと背を伸ばしたエレンに兵士の衣装はよく似合っていて、アルミンは素直にかっこいいと思った。父に伝えると、彼は笑ってアルミンの肩を抱く。

「父さんはアルミンにも似合うと思うなぁ」

「だって僕、背も低いもの。エレンも苦労したのに、立体軌道装置なんて怖くてできないよ」

「残念だなぁ」

父は笑って肩を揺すった。

エレンの背中を大きく見せる、エンブレム。自由の翼が目にやきついて離れない。



きっと本か何かで見たものとあの夜の記憶が混ざっていたのだろう、と自分の中で結論づけた。調査兵団がひとりもいないなら、あの夜アルミンがみた兵士は兵士ではないか、或いはただの見間違いだ。確かめることはできないが、何となくそのままではいられなくてアルミンは学校の屋上に上がった。あの日流星群を見た場所だ。

屋上は寒く、いつも人気がないらしい。アルミンも授業以外で上がるのはあの流星群の夜以外は初めてだ。ドアを開けるとそこに見えるのは何もないただ広いスペースで、こんなに広かっただろうか、と少し怖じ気づいた。

突然の羽音に飛び上がった。鳥が目の前を横切っていったのだ。音もなく残ったのは、宙に漂う小さな羽。風にあおられて踊るそれを目で追って、屋上に視線を巡らせた。そして。

――その先に、翼を背負った兵士がいた。

小鳥が彼に近づき、しなやかな腕が小鳥に伸びる。まるで操られるかのように鳥は彼に近づいたが、すいっとその指先から逃げていった――否、彼の指が、小鳥の体を突き抜けた。

アルミンが声を挙げたのか、または足下を鳴らしたのか、気配を感じた彼が振り返った。何気ないその表情は、アルミンを見て凍り付く。

――そしてアルミンは、やっと気づいた。彼が背負う翼の向こうが、透けて見えることに。

呆然として身動きをとれずにいるアルミンとは対照的に、彼はきょろきょろとせわしなく辺りを見回した。そして他に誰もいないことがわかると、恐る恐る、と言った様子でアルミンに近づいてくる。まるで吠える犬の前をこっそり通ろうとするかのように。

「オレが、見えるのか?」

それは、優しい声だった。今にもかすれて消えそうな声をしっかり聞き取って、アルミンは彼を見上げて頷く。それを見た彼は、深く溜息をついた。その透けた腹には空気も吸い込めないようで、肩が上下しただけだったが。

「あ〜……悪いもんじゃない、オレは」

「お兄さん、調査兵団?」

アルミンの口から飛び出たのは、自分でも思ってもみない言葉だった。ただ、彼を怖いとは思わなかったし、知りたいことは確かにそのことだった。驚いた顔をした彼は、少しの間考えるようにあごを撫で、笑った。その笑顔はどこかで見たような、いたずら小僧のようで、少し悲しげでもあった。

「そうだ。お前たちの未来を作った、調査兵様だ」

「じゃああなたがエレン?」

「……二度とその名前で呼ぶんじゃねぇ」

その次は、この世のすべてを憎むようなしかめっ面だった。

「いいか、オレは……一度で覚えろ。ジャン・キルシュタインだ」

「ジャン・キルシュタイン?」

「そうだ。……アルミン?」

「えっ、なんで僕の名前を」

「父親の名前は、マルコ」

「すごい!なんでもお見通しなの!?」

「ははっ、まさか。知ってることしか知らねえよ。……ほら、予鈴だ」

「え?」

彼が言った途端に予鈴が鳴った。驚いて見上げれば、彼はまた笑っている。

「あ、あの、ジャン、また後できてもいい?ここにいる?」

「さあな」

からかうような口調で言ったその人は、ちゃんとそこで待っていてくれた。
2014'01.08.Wed
「幾ら土地が十分あるからって言っても、もうちょっと本社の近くでいいんじゃないかなぁ……」

新しくできた工場の真新しい外観を眺めて、アルミンは深く溜息をついた。製品を運ぶために十分な道路に広大な土地、更に工場を運用するに十分な従業員の確保。諸々の条件が一致した上でこの山の奥に工場が新設されたことはアルミンも十分すぎるほどわかってはいるが、個人的な感情としては喜んで来たい場所ではない。背の高い木に囲まれた道は道路が舗装されていることだけが唯一現代を感じられるところで、信号もなければガードレールもなく、ただひたすら山の中を抜けて行った先に、まるで木々に隠されているかのように巨大な工場が姿を現す。そうでなくても車の運転は得意とは言えないアルミンがひとりでここまでくるのは、やや神経をすり減らすことでもあった。とはいえ、企画から関わったアルミンが、完成した工場を見に行かないわけにはいかない。

できればもう二度と来たくないものだ、と思いながら、責任者と別れて車に乗った。これからまた時間をかけたドライブをして本社に戻らなければならないのかと思うと気が重い。一本道がありがたいと思えたのは道半ばまでだ。カーナビでは道なき道を走っていることになってしまう山中は、それだけ刺激がなく、注意力が散漫になる。カーナビのラジオもテレビも入らず、会社の車には好きなCDも積んでいない。時間は倍に感じられ、極端な急カーブなどはなかったが、どうにも不安になるのだった。

「こんな場所、二度と来ないんだから!」

賃金格差が悪いのだ、生産過程にあれほどスペースが必要だろうか、とぐだぐだ思考しながら山を降りていく。考えることしか時間を埋める術がない。行けども行けども、道の両側に立派な木が立ち並ぶ風景は代わり映えしなかった。

こういうものは大抵行きよりも帰りの方が早く感じるものだ。しかしアルミンの感覚を裏切るように、道はどこまでも続いている。

永遠に続くのではなかろうか、とうんざりした頃、ようやく道の向こうで木の並びが途切れているのが見えた。やっと麓まできたか、と車を進め、フロントガラスいっぱいに広がった光景に、アルミンは思わず急ブレーキを踏んだ。がくんと大きく車体を揺らし、強引に止めた車のサイドブレーキを引いてアルミンは運転席から飛び出す。

――そこは、スタート地点であったはずの工場だった。

我が目を疑うアルミンは何度も目をこすったが、どう誤魔化そうとも、その門に掲げられたのは自社の看板に間違いない。アルミンはしばらく呆然と立ち尽くし、鳥の声にはっとさせられてすぐに車に戻った。車のエンジンを一旦切り、カーナビをのぞきこむ。そうしてから、自社の新設工場はまだ地図に反映されていないことを思い出し、ディスプレイに浮かぶ山中をさまよう図に頭を垂れた。

――一本道のはずだった。出発前にカーナビで検索して困っていたアルミンに、山に入れば真っ直ぐだからと教えてくれたのは直属の上司で、何より、来るときにそのことは自分で確認した。間違いなく、分かれ道のない道だった。

ふと頭をよぎるのは、地元に伝わる昔話。この辺りを地元の人間は「狐峠」などと呼ぶ。弧狸に化かされたという話がいくつも残っており、工事の際も不可解なことがあったのだという。それは大して支障のでるものではなかったので誰かのうっかりだろうと言うことになったが、もしかしたら狐に化かされたのかもしれないな、などと笑い話をしたらしい。

アルミンはゆっくり深呼吸をする。動揺で少し乱れた心拍が落ち着くのを待って、カーナビの電源も一度切った。改めて起動したカーナビに目的地を設定し直し、再びエンジンをかける。

――馬鹿馬鹿しい。

先ほどと同じように車を走らせる。代わり映えのない景色に目を走らせ、確かに山を下っていることを確認しながら。

カーナビに表示される目的地までかかる時間も確実に減っていて、相変わらず道なき道を突き進んではいるが問題なく動いている。

またしても永遠に道が続くのではないか、と心が折れそうになった頃、やっと道が開けた。緊張するアルミンの視界に映るのは、山の入り口にあった小さな喫茶店だ。感嘆の声を上げてアクセルを踏み、アルミンはやや強引に駐車場に滑り込む。カーナビにはやっと道が表示され、アルミンは肩を落として深く溜息をついた。

――そうだ、あるはずがない。きっとうつらうつらとしてしまったのだろう。この先は他の車も通るようになる。コーヒーでも飲んで休もうと、アルミンは車を降りて喫茶店に入った。

「いらっしゃい」

無愛想な声が飛んだが、アルミンは気にしなかった。カウンターから背の高い女が立ち上がり、エプロンも何もしていなかったが店員であるらしい。窓側の席にアルミンが座ると彼女は黙って水を持ってきた。アルミンもメニューを見ずにコーヒーを頼む。普段であれば気になるところだが、復唱も声かけもせずテーブルを離れた女に安堵した。改めて、アルミンは俯いて腹の底から溜息をついた。動揺も不安も吐き出してしまいたい。

女はやはり黙ってコーヒーを持ってきた。そばかすの浮いた化粧っけのない女は目つきも悪く、アルミンを睨むようだったが、今は田舎の人間の親しさに触れたくなかったアルミンには丁度よかった。

――もう二度と、こんなところに来るものか。

流し込んだ熱いコーヒーは思っていたよりもおいしかった。近所であればまた来てもいいと思えただろう。



――そんなことを考えたせいだろうか、二度目は二週間後だった。あの不可解なことをようやく忘れた頃、また行ってほしいと上司から呼び出しがかかったのだ。想定していたほどスムーズに作業が進まず、流れ作業の行程や作業場の位置を見直すことになるかもしれない、とのことだった。なぜ自分が、と言えるのならば、どれほどよかったか。自分が手がけたものを、これほど恨んだことはない。

しかし考えようによっては自業自得だ。従来の流れを基準にするだけではなく、もっと製品の特徴を考える必要があった。ミスとも言える。反省で自分を誤魔化して、アルミンは再びあの山の中の工事へ出発した。帰りにあのコーヒーを飲んで帰ろう、そう自分に言い聞かせた。



いざ行ってみると、生産の非効率は人の問題だった。今回の件で昇格した責任者が期待や仕事、慣れない環境に振り回されていたようである。休憩室で泣きじゃくる後輩に、これはもう何度か来ることになりそうだと、アルミンは窓の外の自然を複雑な気持ちで眺めていた。

ああ、コンクリートジャングルが恋しい。生まれも育ちも都会とは言えないが、大学入学と同時に家を出て上京したアルミンには田舎暮らしは考えられなかった。

どうにか立ち直りを見せた彼にプライベートの連絡先も教えておいた。こんな田舎まで再び来ることを考えれば、休日に電話がかかってくることなど些細なことだ。

彼のため、会社のため、そして何より自分の為に、アルミンは誠心誠意彼に応え、工場を出た。

車に乗り込み、エンジンをかける一瞬にためらう。しかし見送りのため後輩がそこで待っていて、発進しないわけには行かない。諦めてエンジンをかけ、窓の外に手を振ってアルミンはアクセルを踏んだ。

そしてまた、山を下る。来るときは何ともなかった道だ、帰りだって異変があるはずがない。今日は自宅から適当にCDを持ってきて、家族のものだが気晴らしにもなった。わからないなりに口ずさんだりガムを噛んだりして誤魔化していれば、やがてあの喫茶店が見えてくる。来たときよりもずっと早く感じる道に、ほっと息を吐いた。やはりあの日は疲れていただけに違いない。

先日よりは落ち着いて車を駐車場に止めた。今日は穏やかな気分でコーヒーを堪能することができるだろう。ドアを開けると、アルミンの耳に飛び込んだのは記憶よりもずっと明るい声だった。

「いらっしゃい!」

アルミンを振り返ったのは、笑顔のさわやかな青年だった。少し戸惑ったものの、田舎の喫茶店だって従業員ぐらいいるだろう、と考え直す。もしかしたらこちらが店長なのかもしれない。いかにも接客向きの笑顔だ。

他に客の姿はなく、アルミンはまた窓側の席に着いた。店員が近づく前に、コーヒーを、と声をかける。気持ちよく応じた彼はそのままカウンターに向かった。

今日は帰ったらゆっくり風呂に入ろう。疲れを取ることも仕事のうちだ。そんな当たり障りのないことを考えていると、コーヒーが運ばれてきた。カップから立ち上る湯気がいい匂いを広げている。

「どうぞ」

「ありがとう」

涼しげな目元はそばで見ると印象より鋭い。しかし榛の瞳は柔らかく、アルミンの視線に気づいた彼はにこりと笑う。どこか枯れ草にも似た髪の色は、しかしあたたかそうだ。すらりと背が高く、こんな田舎にいるには勿体ない。

さぞかしモテるのだろうな、とテーブルを離れる後ろ姿を何となしに目で追って、アルミンはぎょっとして目を見開いた。彼の薄い尻を隠すかのように、黄金色のたっぷりとした尻尾が揺れている。しかしそう見えたのは一瞬で、まばたきをした後にはもうデニムをはきこなした尻しか見えなかった。

――早く帰ろう。

誰にでもなく頷いて、アルミンはコーヒーカップを手に取った。波打つ液体は深い色でアルミンを落ち着かせる。カップに口を付け、――次の瞬間吐き出した。口の中に広がる泥臭さにどこか呆然とコーヒーカップを見下ろせば、そこに沈むのはどう見ても泥水だ。縁の欠けたカップを見て呆然とするアルミンのそばで、弾けるような笑い声が響く。ぎょっとして顔を上げ、アルミンは更に目を疑った。

視界いっぱいに立派な木が連立している。尻の下には冷たい石、そこには喫茶店など影も形もなく、男もいない。

「あんた、何してんの?」

「わあっ!」

声をかけられて飛び上がった。慌てて振り返ると、車のそばに、前に喫茶店で見たそばかすの女性が眉をひそめて立っている。アルミンははっとして汚れたカップと彼女を見比べた。その様子に、彼女は呆れた様子で溜息をつく。

「久しぶりに見たよ、狐に化かされたやつ」



助手席に乗せた彼女はユミルと名乗った。ユミルが言うには、狐に化かされる話は昔話ばかりではないらしい。ユミル自身は経験したことはないのでよく知らないが、とからかわれるように付け加えられ、アルミンはハンドルを握りながらまだ土臭さの残る唇を噛む。

アルミンが最低限認めなければならないのは、自分は喫茶店など何もない道の途中で車を止め、汚れたコーヒーカップて泥水を飲もうとしていたといえ現実だった。

「山売るときに随分ジジババに言われたぜ、狐に祟られるとか何とか」

「……山、とは、あの工場ですか」

「そう。ま、狐じゃ飯は食えないからな」

ちなみにユミルは薪を取りに行った帰りだという。この間は気づかなかったが、あの喫茶店には暖炉があるらしい。

――つまり、彼女がこの山の地主であるらしい。土地交渉は代理人と行ったので知らなかった。あの喫茶店は暇潰しだという。

間もなく、件の喫茶店が見えてきた。今度は間違いないだろうか、と疑うアルミンの隣でユミルが笑う。

「生まれてからずっとここにいるけど、狐に化かされたことなんかないよ。ありがとな、乗せてくれて。口直しにコーヒー入れてやるよ」

ありがたくいただくことにして、アルミンも車を降りた。トランクから下ろした薪を手に、ユミルが喫茶店のドアを開ける。

「ただいま!ジャン、コーヒー落としてくれ」

「お帰りユミル」

ユミルに続いたアルミンは、店内から帰ってきた声に息を飲んだ。ぎこちなく首を回し、ユミルを迎えて出てきたその人を見る。榛色の瞳が、アルミンを見つめた。

「お客さん?いらっしゃい」

笑う彼に、泥の味を思い出した。硬直するアルミンをユミルが怪訝な顔で振り返り、慌てて平静を装う。

窓側のテーブルでアルミンが待っていると、ユミルの代わりにコーヒーを持ってきたのは彼だった。目の前に置かれたカップを見つめるアルミンに、彼は笑って顔を寄せる。

「今度はちゃんとうまいぜ」

顔を上げたアルミンの視界の端に、狐色の尻尾が踊った。
2013'12.24.Tue
「うわぁっ!」

「わっ」

アルミンが叫び声と共に布団を跳ね上げて飛び起きて、隣で携帯を見ていたジャンは驚いて体をのけぞらせた。息を乱したアルミンはきょろきょろと辺りを見回し、ジャンも体を起こして腕を取れば、こちらを見てほっとしたように息を吐く。

「どうした?」

「……変な夢見てた」

アルミンは顔を強張らせ、怖い夢だったのだろうと肩を抱き寄せる。そのまま撫でてやれば、甘えるように頭を預けてきた。

「パンケーキを見せびらかされる夢……」

「何だそりゃ」

ジャンが肩を揺らして笑うと、アルミンもようやく落ち着いたらしい。そうだよね、と頬を緩ませ、ジャンを見上げる。

「おはよう、ジャン」

「おはよう」

斜め下から顎に触れた唇がくすぐったい。お返しにこめかみに唇を返した。

「腹減ったな」

「うん。パンケーキ食べに行こうよ。夢に出てきたせいですっごく食べたい」

見えないパンケーキを睨むようなアルミンの視線を笑い、寝癖のついた頭を撫で回す。まずは身支度を整えなければならない。気づいたアルミンが慌てて髪を撫でつける。

「夢に見るほど食べたいならさっさと支度しろよ」

「そんなんじゃないよ!」

拗ねたように唇を尖らせるアルミンにちょっかいを出したくなるが、今は空腹感の方が勝る。ひとり暮らしのジャンの部屋に洗面所は当然一つしかなく、寝癖直しに占拠される前にベッドから降りた。



ジャンの住むアパートの近くにある喫茶店はパンケーキが美味しい店としても有名だ。ジャンはそれよりもしっかり食べたいので頼んだことはないが、アルミンが時々注文する。

シンプルなパンケーキとサラダのセットを前に、アルミンはいただきます、と頬を緩ませてナイフを通す。ざっくりと大きく切ったひと口を口に運んで、満足げに咀嚼した。

「おいしい」

「そりゃよかった」

「なんだかすごく我慢させられた気がするせいかも」

「ははっ、しかしすげえ夢だな」

食事が運ばれてくる間、アルミンの夢の詳細を聞いたが、アルミンも明確に覚えているわけではなかった。しかし断片を聞く限りでもなかなか不思議な夢だ。

食べ始めてからのアルミンは食事に集中してしまい、言葉もなく食べ続けている。よく考えれば昨夜、ジャンの部屋を訪れたアルミンの文句も聞かず、彼をベッドに引きずり込んだのはジャンだ。夕食もまだだったはずだ、と思いだし、少しばつが悪くなる。食べ物の夢を見たのはそのせいなのかもしれない。

「あぁ、アルミン、オレ旅行からだから」

「あ、うん。いいなぁ〜一週間ヨーロッパ旅行!優雅だなぁ」

「旅行じゃねえよ」

「仕事でも羨ましいなぁ」

「やだよ、何時間かかると思ってんだ、めんどくせえ。オレが一週間いないからって泣くなよ」

「泣きませーん。浮気はするかもしれないけど」

「してみろ」

「ははっ、知らないよ〜?そんなこと言って」

軽口を叩いて笑いあう。もうつき合いもそこそこ長く、こんな冗談も慣れたものだった。



次の日からジャンは海外へ旅立った。時差の関係もありアルミンとはほとんど連絡を取ることはできなかったが、元々メールや電話をまめにするようなつき合いではない。予定が合わなければ一週間会わないことなどもあるので、口で言うほど大したことではない。

それでも海外で過ごす時間にジャンも疲労が溜まり、帰国するとすぐにアルミンの顔が見たくなって連絡を取った。しかし電話の向こうのアルミンの声はどこか乗り気ではなさそうだ。都合が悪いのかと聞けば否定する。首を傾げつつもその様子が心配で、半ば強引に会う予定を取りつけた。

夜になってジャンの部屋にやってきたアルミンはいつも通りで、特に変わったことはなさそうだった。ただひとつだけ、気になることはあった。

「飯は?」

「あ、食べてきた。ジャンまだだった?ごめん」

「あー、軽く食うから待っててくれるか」

「お茶だけもらうね」

ひとり分なら手間をかけることもない。袋ラーメンをゆで始めたジャンの隣で冷蔵庫を開けるアルミンを盗み見る。丸みを帯びた頬は柔らかそうだ。

「……プリン入ってるし食っていいぞ」

「あ、……ううん、大丈夫。お腹いっぱい」

「ふーん」

ぱっと飲み物だけ取って先にテレビの前に戻るアルミンを少しだけ目で追い、ジャンは鍋に視線を戻した。

――太ったような気がする。

元々もう少し太ってもいいほどの体つきであったが、それにしても一週間で見た目にわかるほど太るだろうか。それともジャンの勘違いだろうか。

具も入れないままのラーメンを丼に移し、ジャンも部屋に向かう。手持無沙汰にさして興味のなさそうなバラエティ番組を見ているアルミンをまじまじと見るが、彼は気づいていないのか振り返りもしない。

結局ジャンが確信したのは、ふたりでベッドに入った時だった。

「アルミン、お前、太った?」

腕の中に抱きしめた体が強張った。怒るか、と思い、少し体を離してアルミンを見るが、動揺したように瞬きを繰り返しているだけだ。安心してアルミンの服に手をかけると、アルミンからは逆に不安げな声が降ってきた。

「……わ、わかる?」

「なんかやらけーんだけど。別に抱き心地いいから構わねえけどさ」

「……ちょっと、最近食べ過ぎちゃって。すぐ戻るよ」

「いいよ別に」

アルミンの柔らかい頬に口づけて、更に体を引き寄せる。美味しそうな弾力だ。どこか甘い匂いさえする気がして、ジャンは首筋に顔をうずめて匂いを吸い込む。

「……ん?お前なんかつけてる?」

「え?」

「甘い匂いがする」

この匂いを知っている。これは、とジャンが口を開こうとした瞬間、ジャンを見たアルミンがぼろぼろと泣き始めた。

「えっ、ちょ」

「ジャン、僕おかしいんだ」

「どうした?」

「もうバターもミルクもメープルもお腹いっぱいなのに!」

「あ、そう、それだ」

とろりと甘い、メープルシロップの匂い。アルミンが涙を零すたび、更に甘い匂いが広がる気がした。甘えるように、ジャン、と縋るアルミンはもっと幼い子どものようだ。

「なぁ、泣いてちゃわかんねえよ」

「笑わないで聞いてくれる?」

「ああ、そんなに泣いてるお前を笑えねえよ」

アルミンは落ち着こうと深く息を吐き、鼻をすすってジャンの胸に額を当てる。その背を子どもをあやすように叩いてやると少し力が抜けたようだ。

「あのね」

「うん」

「……パンケーキの夢の話、したでしょ」

「あ?……ああ、オレが行く前か」

「うん。あの日から……僕、おかしくて」

アルミンは身を震わせて両腕を抱いた。なぜ夢の話が出てくるのかわからないが、水を差すのはやめてジャンも体を抱いてやる。

「パンケーキが、食べたくて仕方がなくて」

「……別に、食べたらいいんじゃねえの?」

「違うんだ!」

がばりと顔を上げたアルミンにの頭に顎をぶつけそうになり、慌てて体を引く。ジャンを見上げるアルミンの目には涙が浮かび、いたって真剣であるようだ。

「は、初めはそれで済んだんだ。だけど、日が経つにつれて、……パンケーキしか食べられなくなって」

「……は?」

「本当なんだ。他のものには食欲がわかなくて、無理に食べても吐き気がして……」

ほろほろと涙を零すアルミンはとても嘘をついているようには思えない。しかしはいそうですかと信じることができる内容でもなく、ジャンは困惑したままアルミンを見る。落ち着かせようと背を撫でるが、アルミンはジャンが信じていないと思ったのか、きっと涙目でジャンを睨みつけた。

「ジャンがいなくなってからパンケーキしか食べてないんだ。と言うよりも四六時中パンケーキを食べている。仕事中も食べたくて仕方なくて支障が出るほどで実はずっと仕事を休んでいる。

その間は一度行った店には行き辛くて調べてあちこちのお店に食べ歩き、きっと今ならパンケーキ店紹介本が今すぐ書ける。お店も開いてないような深夜にも食べたくなって我慢できなくなるから、ここ数日で僕はパンケーキを焼くのがものすごくうまくなった。自分の納得が行くまで研究しておいしいパンケーキを作れるようになったから今なら完璧なレシピ本が出せると思う。自分で言うのもなんだけど沢山食べ歩いた中でも僕が作るパンケーキがきっと一番おいしい。実はこうしてジャンと抱き合っている今でもパンケーキが食べたくて仕方がない」

「わ、わかったから!」

「……怖いんだ。考えたくないけど自分がおかしくなったとしか思えないし、こんなことで病院に行くわけにもいかないし……ジャン、僕どうしたらいいの?」

濡れた瞳で縋られて、アルミンは真剣だとわかるのにジャンの理性とは別のところで体が反応してしまう。それを察したアルミンが、きっとジャンを睨みつけた。

「僕は真剣なんだ!」

「わ、悪かった!嘘だとは思ってねぇよ!」

「あ〜もうだめだ!我慢できない!」

ぱっとアルミンが立ち上がったかと思えば、服も乱れたままで台所に向かっていった。本気で起こさせたのかと思いきや、アルミンは自分のバッグを引き寄せてそこから何かを取り出す。ぞくぞくと出てくるのは、――白い粉、だ。

アルミンの行動について行けずにジャンがただ瞬きを繰り返す間に、アルミンはてきぱきと調理器具を取り出して何かを作り始める。アルミンの言葉通りなら、恐らくパンケーキを。

こちらを振り返ることなく作業を進めるアルミンに何も言えず、ジャンは硬直したままそれを見守る。気づいた頃には自分の息子も萎えてしまっていた。



バターのいい匂いが漂ってきた。額に汗してアルミンが焼き上げた一枚を皿に移した。ことりと音をさせてテーブルに置き、ジャンの家にはなかったはずのメープルシロップとバターを並べる。フォークとナイフを持つ手は少し急いていた。

「いただきます!」

表面はきれいに均一にきつね色に染まり、空気を含んでふわりと焼き上がった生地にとろりと褐色のみつが垂らされる。弧を描くそれは音を立てるように生地に沈み、アルミンがのどを鳴らしたのがジャンの位置からもわかった。

少しくすんだ銀のナイフとフォーク。そっと乗せられたフォークの先に沿うようにナイフが滑り、パンケーキの表面を軽く押す。メープルシロップで皿に柔らかくなった生地は崩れるようにナイフを受け、ざっくりと切られたそれに、アルミンは待ちきれないように口で迎えに行く。

大きく見えた破片はあっさりとアルミンの口に収まり、途端にアルミンは相好を崩した。ほのかに頬を染め、唇を緩ませて、笑うのを堪えているようにも見えた。じっくりと味わって咀嚼され、上下する喉に視線が誘われる。

はぁ、と、どこかうっとりとパンケーキを見つめるアルミンの表情は、見たことがないほど扇情的なものだった。

「……うまいか?」

「うん、おいしい」

それがジャンの声とも認識していないかもしれない。アルミンはパンケーキから視線を外さないまま、再びフォークとナイフを添える。

――なんだ、これは。

ジャンがベッドを降りて近づいても、アルミンは気づきもしていないようだ。ふた口目も堪能している様をじっと見て、ジャンはアルミンの手を掴む。驚いたアルミンからナイフとフォークを奪い、テーブルごとパンケーキを押しやった。何を、と言いかけたアルミンは勢いのまま床に押し倒して繋ぎ止める。

「ジャン、何を」

「エッロい顔しやがった。馬鹿にしてんのか?」

「だ……だから、違うんだって」

「オレなんかに構ってるより、パンケーキの方がいいってか?」

抵抗しようとするアルミンもジャンから逃れると言うよりもパンケーキを気にしているようで、更にジャンの機嫌を損ねていることに気づいていない。強引にズボンを下着ごと引き下げて、半端に脱がしたまま足を担ぎ上げる。

「あっ、ジャン、嫌だ」

「別れてえってならもっとうまい言い訳考えろよ」

「違う、ジャン!」

カッとなったジャンはもう止まれなかった。アルミンの抵抗も、泣く声も、ジャンを止めることはできなかったのだ。
2013'12.21.Sat
何か……そういう話とは多分違うんじゃねえかとは思うんだよ。……聞きてえってんなら話すけどよ。

うちのババァはやたらこだわることが多いんだ。やれ小麦粉はどこの、紅茶はどこの、ってさ。そんなんだからオレはやたらお使いに行かされてた。ひとりで乗合馬車に乗れるようになったのも、ババァがお使いさせるために教えたからだ。

だから、もう慣れたことだった。紅茶だか花だか……なんだか知らねえけど、どこそこに買いに行けって使いだ。行ったことのある店だったし、オレはオレでお釣りの駄賃目当てにその日もお使いを頼まれた。



その日の乗合馬車に、オレ以外で乗っていたのはひとりの女だった。ちょっと目を引くぐらいの美人で、おまけにこんな乗合馬車に釣り合わないような、いい着物を着た女だった。まぁ、ガキの目でそう見えてたんだから相当だったんだろうな。

オレは女の向かいに座った。女は膝に宝石箱を乗せていた。……とにかく、細かく細工された箱だった。ガキのオレには宝石箱と言う表現しかできなかったんだよ。

馬車が動き出すときには手を添えて、愛おしそうにそれを撫でるんだ。手袋をした華奢な手だ。始めは見ないようにしてたけど、目的の場所までは子どものオレにとっては結構長い時間で、結局手持無沙汰でオレはその女を見ていた。女もすぐに気づいて、オレに笑いかけた。

瞬きをすると星が零れるような美人だった。

何か、そんな感じなんだよ!でもただの美人じゃなかった。ぞっと、鳥肌が立ったんだ。



女は宝石箱を開けた。中から何かを摘まみだして、それを口に入れたんだ。食べ物が入ってるような箱には見えなかったけど、オレにはそう見えていただけなのか、金持ちの趣味なのかはわかんねえ。

口の中で何かが砕かれる小さな音に、オレも小腹がすいていることを思い出した。それに好奇心が加わって、女に聞いたんだ。何を食べてるのかって。

それまで微笑をたたえていた女は少し驚いた顔をして、でもまたすぐに笑った。だけどそれはさっきまでとは違っていて、なんつうのか、目が笑ってない感じだった。オレでもまずいことを聞いたのかとわかるぐらいだった。

「内緒」、と、女はささやくように言った。すごく小さな声だったけどなぜか耳元で聞こえたような気がしてぞっとした。

女はまたひとつつまみだして口に運んだ。でも改めて意識すると、変なんだ。噛む音が、なんというのか……ものすごくかたいものが砕けるような、バキ!ゴリ!っていう、とても美しい女がさせていい音じゃなかった。それでも女は涼しい顔で、それをかみ砕き続けた。

居心地が悪くなってきて、怒られてもいいからお使いも放棄して帰ろうかと思い始めたオレに、今度は女が話しかけた。どこに行くの、って聞かれて、素直に行き先を答えた。女はあまり興味がなさそうだったけど、ひとりで行くと危ないとか、なんかそんなことを言った。

ああ、思いだした。そう。



「ひとりで行くと死んでしまうわ」



ああいうのを、鈴が転がすような、っていうのかな。とにかく声はものすごくきれいなんだ。歌うような調子で口にした言葉は物騒だったけどよ。

オレは多分慣れてるから大丈夫だとかなんとか答えた。でもその時はっとした。

もうそろそろ、ついていてもおかしくない時間だった。馬車は一度も止まらないまま、一定の速度で走っている。だけど普段ならそんなことはないんだ、オレが使っている乗合馬車は、誰もが適当なところで引き留めて乗ってくる。

乗る馬車間違えたかな、とか、乗り過ごしたかな、とか、オレは少し不安になった。

それを知ってか知らずか、女はまた口を開いた。



「これからパーティに行かない?」



多分女はそんなことを言った。

意味わかんねえし、ちょっと怖くなってきてたし、オレは首を振った。女は笑って、また宝石箱の中身を食べた。相変わらず、ワイルドな音をさせて。

それをすっかり飲み込んだ後、女はまたオレを見た。何を食べているか教えてやろうか、って言うから、首を振ろうとしたけど、好奇心に負けて頷いた。



「骨よ」



オレは耳を疑った。聞き間違いじゃないかと考えていたけど、一体どんな言葉と聞き間違えたのか全く思いつかなかった。女はその時だけ楽しそうに笑い、また「骨」をひとつ、口に運んだ。だけど今度はさっきのようなかたい音はしなくて、もう少し脆いものが砕けた音がした。女は顔をしかめて、ハンカチを口に当ててそれを吐き出したようだった。



それから間もなく馬車が止まって、オレはとにかくこれ以上この女と一緒にいるのはよくないような気がしていたから、すぐに飛び降りる気でいた。

でも、オレより早く女が立ち上がった。ドアに手をかけて、大きく開く。女の肩越しに見えたのは、墓地だった。勿論、オレがいつも乗る馬車は墓地になんていかないし、そもそもここらの墓地は馬車が入れるような場所にはない。

女がまたオレをパーティに誘ったけど、オレは必死で首を振った。女は変わらず口元だけで笑い、馬車を降りて行った。

しばらくすると、オレひとりになった馬車はまた動き出した。



そこからどうやって帰ったのか覚えてないけど、とにかくものすごく疲れていたことは覚えてる。なんせ帰るなり、ババァの説教を聞く間もなくぶっ倒れて二日ほど寝込んでいたぐらいだ。熱が出て、妙な発疹が出てたらしい。

それから、後で知ったことだけど、オレのシャツのポケットにお守りの石が隠されてたらしいんだ。オレは全く知らなかったけど、何かそういうものがあるらしい。

オレの熱が引いてから、ババァが何があったのかって妙に神妙な顔で聞くから話したら、そのお守りの石が粉々に砕けてたって教えてくれた。

だからさ、多分、あの女が最後に噛み砕いたのは、その石だったんじゃねえかな。
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