言い訳置き場
言い訳を書いていきます。誤字の報告などあればありがたいです。 ※唐突にみゅネタややぎゅにおの外の人のかけ算が混ざるのでご注意下さい。 日常はリンクのブログから。
2013'09.09.Mon
「三郎次、買い出し行ってきてくれる?」
「わかった」
母親の声に、待ってましたとばかりに返事をする。丁度宿題に飽きてきたところだった。親しくなれる気がしない「夏休みの友」を投げ出して、三郎次は扇風機を止めて店に出る。夏の間解放しているオープンテラス――と、母親は言い張っているがすのこの上にテーブルを並べただけの簡易喫茶スペース――は今日も客で一杯で、アルバイトの学生が汗を吹きながら作っている焼きそばのソースの匂いが漂っていた。
夏の熱気に誘われて、この季節、浜は人で溢れている。さほど有名ではない海水浴場でもそれなりに人は集まって、この光景を見ると三郎次はいつも秋が恋しくなった。
「富松くんにいるもの聞いて」
「うん。帰りにアイス買っていい?」
「どうぞ」
母親から小銭入れを受け取って、ひも付きのそれを首から下げる。すぐにかき氷の機械の前に戻った母親はもうこちらを見ていない。調理場に入ってアルバイトの男を呼ぶ。隣の県から泊まり込みできている学生のひとりだ。みんな初日よりも随分焼けた。それは仕事ばかりではなく、休憩のたびに遊んでいるからだ。
「富松さん、買い出し行ってきます」
「おう、キャベツと人参頼む」
焼きそばの具を切り続けている汗だくの男はやはり振り返りもしない。山になった野菜の大きさは大体均一で、初日に手こずっていたのが嘘のようだ。
「今日多いの?」
「ああ。やっぱみんな穴場知ってんだな〜」
「……他にはいらない?」
「三郎次くん!ついでに割り箸頼む!」
叫んでいるような大声と共に入ってきた男に富松が顔をしかめた。どれほど働いても一切疲れを見せない彼は、他人を疲れさせるほど元気だ。
「うるっせぇよ左門」
「すまん!さっきぶちまけた!」
「最低だな!」
「行ってきます」
いちいち挙動の大きい男なのだ。しかしどこか憎めず、母親もその元気良さを気に入っているらしい。
店を抜けて砂浜、海水浴をする客が溢れていた。中も暑かったが日差しを浴びると更にぐっと暑くなる。もうひとりのアルバイト、次屋が店の前に出した鉄板で焼きそばを作りながら客と話しているのを横目に道に上がった。スーパーまでは5分ほどだ。最近ではスーパーで買い物を済ませて海へ行く人の方が多いので、母が半ば趣味でやっている海の家も昔ほど忙しくはないらしい。それでもやはり雰囲気を楽しみたい客が、何かしらを買いにくる。
浴衣の女性とすれ違った。こんなところでも、と思わず振り返る。今日は大きな花火大会がある。とは言え祭りの賑やかさが伸びてくるほど近くではないのだが、この浜からは花火がきれいに見えるのだ。去年フリーのライターが小さな記事で書いたせいか、今年はいつもより少しだけ人が多いようだった。
冷房のよく効いたスーパーに入り、頼まれたものをさっさと買う。海の家は店内には気持ちばかりの古いエアコンはあるが、奥の部屋にはやはり年代ものの扇風機しかない。名残惜しいが駄賃代わりのアイスも買ってしまったので、魅力的なスーパーからまた炎天下へ戻った。こうなると真っ黒なアスファルトよりも焼けた砂の方がまだましで、三郎次はアイスを食べながら海へ戻っていく。
海は太陽を受けて反射し、三郎次は目を細めた。波の動きでちらつく光はまぶしすぎて目が痛くなる。早々に汗をかき始めたアイスが指まで伝い、慌てて大きく口を開いた。
夏はいつでもやってくる。三郎次が待ち望んでいても、二度と受け入れたくなくても。
「ただいまー」
「おかえり」
帰るなり次屋に捕まって、直してと言われるままに頭に巻いたタオルを結び直してやった。汗が目に入る、とふうふう言いながらまた仕事に戻った次屋に特に何も返さず、三郎次は中に入った。母親に声をかけて調理場に向かう。
「三郎次、代わってあげて!」
「はーい」
割り箸はストック場所に片づけ、代わらず包丁を握っている富松に声をかける。初めこそ小学生に手伝われるということをためらっていた彼らだが、すぐにそんな余裕はなくなっていた。富松は助かったとばかりに包丁を置き、肩を回す。
「はー、握力なくなりそうだぜ」
「休んでいーよ」
「すまねぇな」
休憩に行く富松と代わってまな板の前に立った。包丁を取る前に、切れた分を店の外の方に持っていく。
「次屋さん、追加」
「せんきゅー。ひどくない?作ちゃんひとりで泳ぎに行っちゃったよ。水冷たいんだろうな〜」
「だって次屋さんひとりで行ったら迷子になるんだろ」
「道もないのにねえ。いらっしゃーい」
前に立った客の影に、三郎次は野菜の乗ったボウルを置いて中に戻った。
日が沈むにつれ、海から人は引いていく。しかし暗くなるほど今日は人が増えていき、いつもは全てを飲み込んでしまいそうになるほど暗い海が今日は賑やかだった。
三郎次は二階の部屋から海を見た。店はいつもは閉めている時間だが、今日は飲み物だけを外に出て販売している。ビールが売れていくのを見ながら、アルバイトの彼らは悔しげに接客をしていた。酒の味を知らない三郎次にはわからない感覚だ。下はまだ賑やかで、三郎次も目が冴えている。
「三郎次?スイカいる?富松くんたちがスイカ割りするんだって」
「……後で」
「早くね。なくなっちゃうわよ〜」
下から左門の威勢のいい声がした。いくつもの笑い声がするから、花火を待つ客も集まっているのかもしれない。
部屋に顔を出した母親はそれを笑い、三郎次の頭を撫でて降りていく。海風の流れてくる部屋は昼間よりはいくらか涼しいが、やはり夏の盛りではまだ暑い。いつか火を吹くのではないかと思うような年代物の扇風機が、部屋の隅でぎこちなく首を振っている程度では足りなかった。
夏が過ぎてほしいと思う。それでも、終わらなければいいとも思う。そうなれば、いつまでも待っていられるのに。
「っしゃー!」
窓から顔を出すと富松が顔からタオルを外してガッツポーズを決めていた。スイカはシルエットだけが見える。ぱっと窓を離れて階段を降りた。
「三郎次」
気づいた左門が手招きをする。差し出された欠片は大きすぎて、笑うと次屋がもうひと回り小さいものを渡してくれた。大きい塊は左門がかぶりついている。
母親は一足先に缶ビールを開けていて、それを見つけた学生たちが騒ぎだした。母はそれを待っていたかのように、笑いながら彼らにもそれを許した。温かい母の手が三郎次の肩を抱く。汗をかいている三郎次に構わず額を寄せる。恥ずかしいとは思うが、抵抗すると余計にからかってくるのだ。
「寝るね」
「おやすみ、三郎次」
「おやすみ」
学生たちにも挨拶をして、手を洗ってまた二階に上がった。花火見ないんですか、誰かが母に聞いている声が聞こえてくる。
カーテンをしっかり閉めて、三郎次は布団に潜り込んだ。頭までタオルケットをかぶり、蒸し暑いがそのまま耳を塞ぐ。間もなく、花火が始まった。夜空を彩る大輪に歓声が上がる。昔見た花火を瞼の裏に浮かべて、きつく目を閉じた。
*
「三郎次くん、蛍見たことあるか?」
次屋に聞かれて首を振った。生まれてからずっと海にいる。3人は顔を見合わせて、三郎次に向き直った。
「俺らの地元の方、蛍がいるんだ。ちょうど今が見頃だって地元の奴らが言ってたから、見に行かねえ?」
その日はアルバイトの最終日だった。夏休みも終わりに近づき、アルバイトの手が必要なほどの忙しさはすぐになくなる。今日の仕事を終えたら彼らは帰ることになっていた。
「……見たい」
夜の山にも興味が沸いた。光る虫は名前として知ってはいるが、三郎次の世界に今までいなかったものだ。よし、と笑った富松は三郎次の汗をかいた頭を撫でて、三郎次の母の元へ向かって言った。
「今日までありがとう!よかったらまた来年も来てちょうだい」
「もー是非是非、めっちゃ楽しかったです」
三郎次は少し緊張して母親を見た。富松の話を聞いた彼女の目がこちらを向く。
「いいな〜!お母さんも見たい!三郎次ずるい!」
「お母さんも行きます?」
「お店あるもの〜。三郎次、ちゃんとお礼言った?」
「あっ、ありがとう!」
「何の、まだ早い!」
盛り上がった左門が荷物をかつぎ上げた。もう出発するのだと、慌てて三郎次も立ち上がる。母親に色々と持たされている間に富松が車を取りに行き、予想外のドライブをすることになった。
*
夜の山は海と同じぐらい暗かった。それでも海は、月明かりを反射する。木々の合間から差し込む月光は柔らかく、目を細めることもない。
いた、左門のささやく声に顔を上げる。視界に突然、小さな明かりが灯った。ともすれば見失いそうなかすかな明かりは、求愛のためだと本で読んだことがある。それはひとつふたつではなく、点滅するのでどれほどいるのかはわからなかったが、無数に飛び交うそれを初めて見る三郎次は何も言葉にできなかった。
ぽかんとして光を追っていたら、肩をつつかれて振り返る。次屋に手を出して、と言われて手のひらを向けたが、富松が三郎次の手を取って両手で囲いを作らせた。その隙間から、次屋が手にしたものを中に移す。くすぐったいようなかすかな感触に緊張しながら、そっと透き間をあけると手のひらの中で蛍の光が点滅していた。温かいように見えた光はそんなことはなく、三郎次の手の中でかすかに息づいている。
「そう言えば、昔じいちゃんに蛍は死んだ人の魂だって言われたな」
「あー、そうそう。うちのひいばあちゃんの三回忌、蛍見たからみんなで帰ってきたなって話したわ」
富松たちの会話に驚いて顔を上げた。それが勢いづいたせいか、彼らの方も驚いて三郎次を見る。
「ごめん、怖かったか?」
「海で死んだ人も?」
「え?」
「海で死んだ人も、山で蛍になるの?」
返事を待たずに涙が溢れる。いつかあの暗い海から帰ってくるのではないかと思っていた。そんなことはないと、わかっているのに。
「いいや!そんな馬鹿な話があるか!」
左門に肩を叩かれて息を飲む。三郎次の体が揺れたので、手の中にいた蛍もまた飛んでいった。あーあ、と次屋が視線だけでそれを追う。
三郎次、力強く左門の手が肩を抱いた。母親とは違う温もりは、それでも同じようにあたたかい。
「死んだ人がみんな蛍になっていたら、蛍が減ることなんてないからな」
「お前なー、なんか他に言うことあるだろ」
「なあ三郎次、みんな好きな場所に行ったんだ。蛍になりたいやつもいれば、海に行きたいやつもいるさ」
「俺死んだら女子更衣室に行くわ」
「次屋くん最低」
けらけら笑う次屋の頭上を蛍が横切る。汗くさいかも、と言いながら、富松が三郎次の顔をタオルで拭った。母親から何か聞いたのかもしれない。しかし彼らは何も言わなかった。
あの日のことを、三郎次はきっと忘れないだろう。
「蛍もきれいだけど、夜の海もきれいだったな」
あの美しく恐ろしい海が恋しくて、顔を上げると涙の海を淡い光が漂っていた。
「わかった」
母親の声に、待ってましたとばかりに返事をする。丁度宿題に飽きてきたところだった。親しくなれる気がしない「夏休みの友」を投げ出して、三郎次は扇風機を止めて店に出る。夏の間解放しているオープンテラス――と、母親は言い張っているがすのこの上にテーブルを並べただけの簡易喫茶スペース――は今日も客で一杯で、アルバイトの学生が汗を吹きながら作っている焼きそばのソースの匂いが漂っていた。
夏の熱気に誘われて、この季節、浜は人で溢れている。さほど有名ではない海水浴場でもそれなりに人は集まって、この光景を見ると三郎次はいつも秋が恋しくなった。
「富松くんにいるもの聞いて」
「うん。帰りにアイス買っていい?」
「どうぞ」
母親から小銭入れを受け取って、ひも付きのそれを首から下げる。すぐにかき氷の機械の前に戻った母親はもうこちらを見ていない。調理場に入ってアルバイトの男を呼ぶ。隣の県から泊まり込みできている学生のひとりだ。みんな初日よりも随分焼けた。それは仕事ばかりではなく、休憩のたびに遊んでいるからだ。
「富松さん、買い出し行ってきます」
「おう、キャベツと人参頼む」
焼きそばの具を切り続けている汗だくの男はやはり振り返りもしない。山になった野菜の大きさは大体均一で、初日に手こずっていたのが嘘のようだ。
「今日多いの?」
「ああ。やっぱみんな穴場知ってんだな〜」
「……他にはいらない?」
「三郎次くん!ついでに割り箸頼む!」
叫んでいるような大声と共に入ってきた男に富松が顔をしかめた。どれほど働いても一切疲れを見せない彼は、他人を疲れさせるほど元気だ。
「うるっせぇよ左門」
「すまん!さっきぶちまけた!」
「最低だな!」
「行ってきます」
いちいち挙動の大きい男なのだ。しかしどこか憎めず、母親もその元気良さを気に入っているらしい。
店を抜けて砂浜、海水浴をする客が溢れていた。中も暑かったが日差しを浴びると更にぐっと暑くなる。もうひとりのアルバイト、次屋が店の前に出した鉄板で焼きそばを作りながら客と話しているのを横目に道に上がった。スーパーまでは5分ほどだ。最近ではスーパーで買い物を済ませて海へ行く人の方が多いので、母が半ば趣味でやっている海の家も昔ほど忙しくはないらしい。それでもやはり雰囲気を楽しみたい客が、何かしらを買いにくる。
浴衣の女性とすれ違った。こんなところでも、と思わず振り返る。今日は大きな花火大会がある。とは言え祭りの賑やかさが伸びてくるほど近くではないのだが、この浜からは花火がきれいに見えるのだ。去年フリーのライターが小さな記事で書いたせいか、今年はいつもより少しだけ人が多いようだった。
冷房のよく効いたスーパーに入り、頼まれたものをさっさと買う。海の家は店内には気持ちばかりの古いエアコンはあるが、奥の部屋にはやはり年代ものの扇風機しかない。名残惜しいが駄賃代わりのアイスも買ってしまったので、魅力的なスーパーからまた炎天下へ戻った。こうなると真っ黒なアスファルトよりも焼けた砂の方がまだましで、三郎次はアイスを食べながら海へ戻っていく。
海は太陽を受けて反射し、三郎次は目を細めた。波の動きでちらつく光はまぶしすぎて目が痛くなる。早々に汗をかき始めたアイスが指まで伝い、慌てて大きく口を開いた。
夏はいつでもやってくる。三郎次が待ち望んでいても、二度と受け入れたくなくても。
「ただいまー」
「おかえり」
帰るなり次屋に捕まって、直してと言われるままに頭に巻いたタオルを結び直してやった。汗が目に入る、とふうふう言いながらまた仕事に戻った次屋に特に何も返さず、三郎次は中に入った。母親に声をかけて調理場に向かう。
「三郎次、代わってあげて!」
「はーい」
割り箸はストック場所に片づけ、代わらず包丁を握っている富松に声をかける。初めこそ小学生に手伝われるということをためらっていた彼らだが、すぐにそんな余裕はなくなっていた。富松は助かったとばかりに包丁を置き、肩を回す。
「はー、握力なくなりそうだぜ」
「休んでいーよ」
「すまねぇな」
休憩に行く富松と代わってまな板の前に立った。包丁を取る前に、切れた分を店の外の方に持っていく。
「次屋さん、追加」
「せんきゅー。ひどくない?作ちゃんひとりで泳ぎに行っちゃったよ。水冷たいんだろうな〜」
「だって次屋さんひとりで行ったら迷子になるんだろ」
「道もないのにねえ。いらっしゃーい」
前に立った客の影に、三郎次は野菜の乗ったボウルを置いて中に戻った。
日が沈むにつれ、海から人は引いていく。しかし暗くなるほど今日は人が増えていき、いつもは全てを飲み込んでしまいそうになるほど暗い海が今日は賑やかだった。
三郎次は二階の部屋から海を見た。店はいつもは閉めている時間だが、今日は飲み物だけを外に出て販売している。ビールが売れていくのを見ながら、アルバイトの彼らは悔しげに接客をしていた。酒の味を知らない三郎次にはわからない感覚だ。下はまだ賑やかで、三郎次も目が冴えている。
「三郎次?スイカいる?富松くんたちがスイカ割りするんだって」
「……後で」
「早くね。なくなっちゃうわよ〜」
下から左門の威勢のいい声がした。いくつもの笑い声がするから、花火を待つ客も集まっているのかもしれない。
部屋に顔を出した母親はそれを笑い、三郎次の頭を撫でて降りていく。海風の流れてくる部屋は昼間よりはいくらか涼しいが、やはり夏の盛りではまだ暑い。いつか火を吹くのではないかと思うような年代物の扇風機が、部屋の隅でぎこちなく首を振っている程度では足りなかった。
夏が過ぎてほしいと思う。それでも、終わらなければいいとも思う。そうなれば、いつまでも待っていられるのに。
「っしゃー!」
窓から顔を出すと富松が顔からタオルを外してガッツポーズを決めていた。スイカはシルエットだけが見える。ぱっと窓を離れて階段を降りた。
「三郎次」
気づいた左門が手招きをする。差し出された欠片は大きすぎて、笑うと次屋がもうひと回り小さいものを渡してくれた。大きい塊は左門がかぶりついている。
母親は一足先に缶ビールを開けていて、それを見つけた学生たちが騒ぎだした。母はそれを待っていたかのように、笑いながら彼らにもそれを許した。温かい母の手が三郎次の肩を抱く。汗をかいている三郎次に構わず額を寄せる。恥ずかしいとは思うが、抵抗すると余計にからかってくるのだ。
「寝るね」
「おやすみ、三郎次」
「おやすみ」
学生たちにも挨拶をして、手を洗ってまた二階に上がった。花火見ないんですか、誰かが母に聞いている声が聞こえてくる。
カーテンをしっかり閉めて、三郎次は布団に潜り込んだ。頭までタオルケットをかぶり、蒸し暑いがそのまま耳を塞ぐ。間もなく、花火が始まった。夜空を彩る大輪に歓声が上がる。昔見た花火を瞼の裏に浮かべて、きつく目を閉じた。
*
「三郎次くん、蛍見たことあるか?」
次屋に聞かれて首を振った。生まれてからずっと海にいる。3人は顔を見合わせて、三郎次に向き直った。
「俺らの地元の方、蛍がいるんだ。ちょうど今が見頃だって地元の奴らが言ってたから、見に行かねえ?」
その日はアルバイトの最終日だった。夏休みも終わりに近づき、アルバイトの手が必要なほどの忙しさはすぐになくなる。今日の仕事を終えたら彼らは帰ることになっていた。
「……見たい」
夜の山にも興味が沸いた。光る虫は名前として知ってはいるが、三郎次の世界に今までいなかったものだ。よし、と笑った富松は三郎次の汗をかいた頭を撫でて、三郎次の母の元へ向かって言った。
「今日までありがとう!よかったらまた来年も来てちょうだい」
「もー是非是非、めっちゃ楽しかったです」
三郎次は少し緊張して母親を見た。富松の話を聞いた彼女の目がこちらを向く。
「いいな〜!お母さんも見たい!三郎次ずるい!」
「お母さんも行きます?」
「お店あるもの〜。三郎次、ちゃんとお礼言った?」
「あっ、ありがとう!」
「何の、まだ早い!」
盛り上がった左門が荷物をかつぎ上げた。もう出発するのだと、慌てて三郎次も立ち上がる。母親に色々と持たされている間に富松が車を取りに行き、予想外のドライブをすることになった。
*
夜の山は海と同じぐらい暗かった。それでも海は、月明かりを反射する。木々の合間から差し込む月光は柔らかく、目を細めることもない。
いた、左門のささやく声に顔を上げる。視界に突然、小さな明かりが灯った。ともすれば見失いそうなかすかな明かりは、求愛のためだと本で読んだことがある。それはひとつふたつではなく、点滅するのでどれほどいるのかはわからなかったが、無数に飛び交うそれを初めて見る三郎次は何も言葉にできなかった。
ぽかんとして光を追っていたら、肩をつつかれて振り返る。次屋に手を出して、と言われて手のひらを向けたが、富松が三郎次の手を取って両手で囲いを作らせた。その隙間から、次屋が手にしたものを中に移す。くすぐったいようなかすかな感触に緊張しながら、そっと透き間をあけると手のひらの中で蛍の光が点滅していた。温かいように見えた光はそんなことはなく、三郎次の手の中でかすかに息づいている。
「そう言えば、昔じいちゃんに蛍は死んだ人の魂だって言われたな」
「あー、そうそう。うちのひいばあちゃんの三回忌、蛍見たからみんなで帰ってきたなって話したわ」
富松たちの会話に驚いて顔を上げた。それが勢いづいたせいか、彼らの方も驚いて三郎次を見る。
「ごめん、怖かったか?」
「海で死んだ人も?」
「え?」
「海で死んだ人も、山で蛍になるの?」
返事を待たずに涙が溢れる。いつかあの暗い海から帰ってくるのではないかと思っていた。そんなことはないと、わかっているのに。
「いいや!そんな馬鹿な話があるか!」
左門に肩を叩かれて息を飲む。三郎次の体が揺れたので、手の中にいた蛍もまた飛んでいった。あーあ、と次屋が視線だけでそれを追う。
三郎次、力強く左門の手が肩を抱いた。母親とは違う温もりは、それでも同じようにあたたかい。
「死んだ人がみんな蛍になっていたら、蛍が減ることなんてないからな」
「お前なー、なんか他に言うことあるだろ」
「なあ三郎次、みんな好きな場所に行ったんだ。蛍になりたいやつもいれば、海に行きたいやつもいるさ」
「俺死んだら女子更衣室に行くわ」
「次屋くん最低」
けらけら笑う次屋の頭上を蛍が横切る。汗くさいかも、と言いながら、富松が三郎次の顔をタオルで拭った。母親から何か聞いたのかもしれない。しかし彼らは何も言わなかった。
あの日のことを、三郎次はきっと忘れないだろう。
「蛍もきれいだけど、夜の海もきれいだったな」
あの美しく恐ろしい海が恋しくて、顔を上げると涙の海を淡い光が漂っていた。
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