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言い訳置き場

言い訳を書いていきます。誤字の報告などあればありがたいです。 ※唐突にみゅネタややぎゅにおの外の人のかけ算が混ざるのでご注意下さい。 日常はリンクのブログから。

2025'03.14.Fri
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2013'10.08.Tue
「初めのお店に戻る?」

「あー、そうすっか……」

もう何を見たかも思い出せない。溜息をつくジャンを見てアルミンは肩を揺らして笑う。

「悪いな、つき合わせて」

「いいよ、僕は楽しい」

言葉通り楽しげな様子でアルミンが笑うので、ほっとしてジャンも少し頬を緩めた。職場の上司が結婚することになり、みんなでお祝いをしよう、というところまではよかった。どういうわけかお鉢が回ってきたのがジャンのところで、何だかんだと都合をつけて逃げられた結果、ジャンが休日を潰してお祝いを買いに行くことになったのだ。決して嫌いではないしお世話になった上司だ、祝いたい気持ちは本物である。しかし改めて祝いの品をと言われても、気を使うばかりでなかなか決められない。助けてもらうつもりでアルミンをつき合わせているが、決定打になるようなものに出会えないまま休憩となった。

頼んだ食事が届いて姿勢を正す。テーブルに並べられたランチセットにふたりで手を合わせた。よく行く店は満席で、休むことを優先して初めて入る店だった。旬のパスタにフォークを絡めて口に運ぶ。ひと口目で、ジャンは少しためらった。咀嚼もそこそこに呑み込んで、アルミンを見る。

「……アルミン、そっちは」

「うーん、とね……」

アルミンはドリアを崩したスプーンを手に、苦笑いを浮かべてジャンを見る。

「……た、食べられなくはない、かな」

「食べられなくは、ないな」

外れだ。後悔しても今更遅いが、食べられないというほどまずいわけではない。しかし空腹すらもフォローしてくれない食事はなかなか進まず、どうにか食べた後にはふたりも言葉少なになっている。食後のコーヒーはまだおいしいと思えたので、それだけが救いだった。アルミンがメニューを振り返る。

「……多分、ここ、甘いものは美味しいんだと思う」

「あー、なるほどな……」

ここでいいと思えたのは、人が入っていたからだ。店内を見回せば、それぞれのテーブルの注文はデザートがほとんどのようである。完全にしくじった食事を忘れようとコーヒーを口にし、ジャンは深く息を吐く。

「夜はうちで食おうぜ」

「賛成。もう今日は冒険したくない」

「今日つき合わせたし、オレ作るわ」

「和食がいいです」

「賛成」

そうと決まればあとはしなければならないことを終わらせるだけだ。ピッと伝票を取り上げ、立ち上がってレジに向かう。出遅れたアルミンが慌ててついてきて財布を出した。

「いい」

「いいよ、出す。今日はイーブンにさせて下さい」

「……だな」

素直においしいと言えたなら、ジャンとしても喜ばせ甲斐があるというものだ。会計を済ませ、気分を変えて、といきたいが、まだ仕事は何も終わっていない。

「やっぱ無難に食器にしとくか」

「いいんじゃないかなぁ。多分インテリア系はお嫁さんの方が結構もらうんじゃない?」

「だな。最初の店どこだった?」

「上の階」

素直に始めに目をつけたもので決めてしまっておけばよかった。シンプルな雑貨をそろえた店に戻り、さっき見ていたペアの食器をもう一度確認する。特に変わったデザインでもなく使い勝手もよさそうで、少し気になるのは重さだが、上司は車で持ち帰るだろうからこの際ジャンが持ち運ぶ手間は忘れることにしよう。

店員に声をかけて新しいものを出してもらっているうちに、アルミンは何か別の物に興味を惹かれたようで、ふらふらと離れて行った。

「こちらでお間違いないですか?」

「あ、はい」

丁寧な手つきで取り出された食器を確認する。欠けやヒビがないかも一緒に確認し、先に会計を済ませてラッピングも頼むことにした。それを待つ間にジャンも食器の棚をまた振り返る。使っていたカップの取っ手が取れてしまったことを思い出したのだが、いくつか見てもっと安物でもいいだろうかと考える。誰か客が来るわけでもなしに、とアルミンを思い出し、彼の姿を探すと何か熱心に見ているので近づいていく。

「何かあったか?」

「んー、マグカップ。見てると欲しくなるんだけど、うちにたくさんあるし別にいらないんだよね」

「……うちに置いとけば?」

「え?」

アルミンが手にしていたカップと色違いのカップを手に取った。重すぎないそれを手の中で遊ばせて黙ってしまったアルミンを見ると、ほのかに頬を染めている。どう答えるのか待とうかと様子を見ていたが、時間がかかりそうなのでアルミンの手の中のカップを奪い、ふたつ手にしてレジに向かった。

「ジャン!」

「あ、こっちも追加で、自宅用です」

「ジャン、待って、自分で買うから!」

「鯖の味噌煮が食べたい」

「……わかった。晩ご飯僕が作る」

どう見ても納得していない顔でアルミンが渋々手を下げた。すねたような反応に笑いをこらえ、改めて会計を済ませてプレゼントと一緒に受け取る。カップの方をアルミンに持たせて店を出た。その間ずっとアルミンは無言で、思った以上に機嫌を損ねたのかと少し不安がよぎる。そのつもりは全くないのだが、アルミンは時々子ども扱いされているようでジャンの行為が気になることがあるらしい。

様子を伺うように呼びかければ、こちらを見ないまま下げた手にそっとアルミンの手が触れてきた。滅多にない行動に驚いてアルミンを見る。

「アルミン?」

「……ジャンがかっこよくてずるい……」

「……お前ぐらいだぜ、それだけべた褒めしてくれるの」

「絶対嘘だもん」

突然すねたアルミンを笑い、つないだ手に力を込める。隣の恥ずかしがり屋は耳まで赤くして俯いた。

「あ、あと色紙も買わなきゃなんねえんだ」

「うん」

「お前も本屋行くって言ってたな」

「……う、うん」

「それからスーパー行って」

「……や、やっぱり手」

「離さない」

「うう……」

変な汗かく、と言うアルミンのぼやき通りつないだ手には熱がこもっている。しかし勿論その程度では逃がしてやる気にはならなかった。
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2013'10.07.Mon
「……おい、本を置け」

「うん」

さっきから何度、このやり取りをしただろうか。ジャンの言葉は彼に届く気配がなく、読書を続けるアルミンの前に並べられた食事も減る気配がない。班別の夜間訓練でエレンとミカサがいないだけで、彼はこんなにも面倒な存在になるのか。聞こえるように深く溜息をつくが、アルミンの耳には届いていないようだった。

「はぁ……」

もう食堂に残っているのはアルミンだけだ。さっさと退散していればよかったものを、雑魚寝の男部屋に戻るのが嫌で残っていればこのざまだ。アルミンが食事をとらないのは構わないが、ここは兵舎、団体行動が基本である。このまま放置して消灯時間にでもなれば連帯責任で叱咤が飛ぶのは目に見えていた。

「アルミン!」

「うん」

「……」

舌打ちをして立ち上がる。アルミンの隣に音を立てて座り、食事のトレイを引き寄せた。スープ皿とスプーンを取り、ひと匙すくってアルミンの口元に運ぶ。

「はーいアルミンちゃん、あーん」

唇にスプーンが触れるとアルミンは視線は本に向けたまま口を開けた。からかいにも反応しないアルミンに顔をしかめ、そのままスプーンを口に差し込む。もうやけくそになってパンとスープを口に運んでやれば、アルミンは何も言わないままどんどん食事を続けた。

もう半分ほどを食べた頃、惰性でアルミンの口に運び続けていたスプーンからスープのしずくが本に落ちる。

「あっ!ちょっと、気をつけてよジャン!」

「はぁ!?」

「あーあ、借り物なのに」

「テッメェ……」

「あ……」

ページを布で叩いたあと、アルミンはしまった、とばかりに肩をすくめた。ジャンが睨みつけていると恐る恐るこちらを見る。

「……ごめん、どうするかなと思って、思わず」

「思わずじゃねーよ!さっさと食え!」

「ごめん」

アルミンは観念したように苦笑して本を閉じた。黙って食事を押しつければ、今度は大人しく食べ始める。

「クッソ、遊んでんじゃねえぞ」

「意外と面倒見がいいね」

「下らねえことで怒られたくねえんだよ」

「大丈夫だよ。僕の経験したところだと、罰に関しては訓練兵より開拓者の方が辛い」

「……お前開拓地にいたのか」

「訓練兵になる前はね。うっかり時間に遅れでもしたら大変だった。だから今ここで食べる食事には感謝してる」

「……だったら早く食ってくれ」

丁寧にスープを口に運ぶアルミンは、今まで意識したことはなかったが姿勢よく、きちんと躾をされていたことが見て取れた。ジャンの家も決して裕福ではなかったが、世間的に見ればまだ余裕のある方だったので、こんなことになる前は食べ物で困った記憶などない。きっと土地のある頃は、アルミンのいたシガンシナ区であっても食事に困るということはなかっただろう。

「何か、食べたいものってある?」

「あ?」

「好きな食べ物」

「肉食いてぇ」

「あー、それはね、みんなそうだろうなぁ……」

「あと甘いもの」

「好きなの?」

「別に。全然食ってねえと食いたくなる。お前は?」

「うーん、食べたいものなぁ」

「自分で言ったのにないのかよ」

「どうしようもないものは、たくさんある」

「どうしようもないもの?」

「エレンのお母さんが焼いたパン、とかね」

アルミンは最後のパンを口に入れた。表情はいつも通りの穏やかなものだ。しかしなぜか少しぞっとして、ジャンはじっとアルミンを見る。

「まあ、でも、何でもひとりで食べるのは味気ないね」

「……だったら今度からくだらないことしてないでさっさと食えよ」

「でも本は読みたいから、またジャンが食べさせてくれると助かるけど」

「もう二度としねえ」

「ジャンは優しいね。エレンとも仲良くできたらいいのに」

口を開けばすぐエレン、だ。ミカサも同じく、誰も彼もがエレンを呼ぶ。

彼に影響力がないとは思わない。だけどそれはジャンが認めたくないことでもある。

「おい、食ったらさっさと片付けろ」

「うん。ありがと、つき合ってくれて」

「どーせオレは点数稼ぎしかしてませんよ」

「随分卑下するなぁ」

肩を揺らして笑うアルミンはとても兵士を目指しているようには見えない。教官たちも視線をくぐった猛者ばかりで、いつかアルミンもああなるのかと思うと全く想像ができなかった。多分ああなる前にくたばるんだろうな、と漠然と思う。

食器を手に立ち上がったアルミンが行きかけて、ふと戻ってくる。

「手を出して」

「は?」

「お礼」

不審に思いつつも手を出せば、アルミンがポケットから包みを取り出し、その手に乗せる。

「あげる。先輩にいただいたんだけど、実は苦手なんだ」

「何?」

「干しぶどう」

半ば押しつけるようにしてアルミンはそれを手放し、本を脇に抱えて出て行った。残った包みを開いてみれば、言葉通り小粒の干しぶどうが包まれている。ひとつつまんで口に運ぶと、甘酸っぱい風味が広がった。欲していた甘さとは少し違うが、いくらかは満たされるような気がした。

部屋に戻ると夜間訓練に行った班が戻ってきていた。疲れた、と仲間と笑いあうエレンを見ていると不愉快になって、眉を寄せて自分のベッドに向かう。しかし訓練の内容は聞きたいので聞き耳を立てていると、比較的スタンダードなものだったようだ。ジャンは来週だから同じ内容かどうかはわからないが、参考にはなるだろう。

手持無沙汰にさっきもらった干しぶどうを口にする。目ざとく見つけたコニーが寄ってきて、何も言わずに包みから取っていったが面倒で特に追求しない。

「いいもの持ってんじゃん」

「これどうしたの?」

「アルミンがくれた」

寄ってきたマルコにも分けながら答えれば、コニーから受け取っていたエレンが目を丸くする。

「ほんとにアルミンか?」

「あ?あいつがやるって言ったんだよ」

「お前が脅したんじゃないだろうな」

「そこまで好きじゃねえよ」

「……なんでだろ。アルミンぶどう好きなのに」

突っかかってはこなかったが、エレンはわずかに眉をひそめて呟いた。その言葉に驚くが、ジャンは顔に出ないように気をつけ、まだ残る干しぶどうを包み直す。

――あの、不器用が。

やがて消灯ぎりぎりにアルミンが部屋に戻ってきた。明かりを消してしまえば即座に寝入ってしまう野郎ばかりの中で、アルミンだけは窓辺の月明かりでまだ粘ろうとしている。一度は布団に潜ったジャンだが、いびきがいくつか聞えた頃布団から出てアルミンの側に立った。こちらを向きもしないがもう騙されない。その開いた本の上に包みを投げれば、ぱっとこちらを見上げる。

「お前の分」

「え、でも」

「何にでも感謝して食えよ」

「……ありがとう」

ふっと顔をほころばせるアルミンに無性に恥ずかしくなる。

「あとな、夜は寝ろ!」

「うん、もう少し」

「ベッドに投げ込んでやろうか」

「ごめん、行く」

アルミンは笑って本を閉じた。布団に潜りこむまでしっかり見届け、ジャンも布団をかぶって丸くなる。

――あいつの世話を焼くのはもう今日で最後だ。

決意をして目を閉じたジャンは、次の朝目の当たりにする寝癖のついた頭を放っておけないのだった。
2013'10.04.Fri
「嫌な天気になってきたな」

「うん、風が出てきたね」

マルコと窓の外を見て、ジャンは溜息をつく。これでは予定していた弓の練習は延期だ。するとなると面倒だと思うのに、できないとなるとどこか惜しい。

風で窓がカタカタと鳴り出した。授業を終えた教室で、解散しかけた生徒たちを教師が引き留める。

「台風が近づいてるって情報がきた!対策の配置をするから一旦待機!」

「マジかよ」

かったるいな、とジャンがぼやくのをマルコがたしなめた。ジャンは再び窓の外を見る。今朝は澄んだ秋晴れであったが、徐々に風が強くなると同時に厚い雲が垂れてきた。ひと雨来るかと思ったが、雨より厄介なことになりそうだ。

「参ったな、部屋の窓開けてきちゃったよ。窓辺で本読んでたのに」

マルコのつぶやきに思わず笑う。降り出すまでに部屋に帰れるといいな、とからかっていると、一度姿を消した教師が戻ってきた。

「水を扱える者はエルヴィンと共に川へ!あとエレン!君は医務室で待機だ!」

「またかよ」

「エレン」

露骨に顔をしかめたエレンをアルミンが慌てて制した。エレンの隣で私も、と立候補しかけたミカサはすかさず門の警備を言い渡されて仏頂面になり、やはりアルミンにたしなめられている。面倒な幼なじみを持つと大変だな、と横目で見ていると、マルコの名が聞き取れてそちらを見た。少し目を見開いた表情に、姿勢を直して顔をのぞきこむ。

「マルコ、どこだって?」

「……ジャン」

少し泣きそうになった親友の顔を見たのは初めてで、――きっとそうでなければ、ジャンは担当を代わってやることなどしなかっただろう。



*



「大丈夫か」

「う、うん」

マルコに割り当てられた仕事、それはアカデミーから遙か離れた壁の近く、食料備蓄倉庫の補強だった。対してジャンに与えられたのはいざと言うときの避難所の用意であったので、寮に帰る余裕ぐらいはある。大切な本を濡らすわけにはいかないと焦るマルコが珍しく動揺していたので、さほど能力との関わりがない仕事を割り振られていたため役割を交代したのだ。

――それがまさか、アルミンと一緒だとわかっていたら、もう少しためらっていたかもしれないが。

決して嫌いとまでは言わないが、ジャンはあまりアルミンをよく思っていなかった。頭脳は優秀だが実技は大したこともなく、足手まといになることもある。何より、ジャンと馬の合わないエレンにいつもくっついている存在であり、エレンの味方というだけで気に食わなかった。

そんなアルミンと連れだって、壁の近くの倉庫までようやくたどり着いた。馬は使えないので己の足だ。結局途中で雨が降り出し、たどり着いた頃にはすでにふたりは濡れ鼠だった。

「クッソ、さっさと片づけるぞ!」

「うん」

預かった鍵で倉庫に入ると、むっと埃の匂いが舞い上がる。定期的に人の手は入っているはずだが、多少は仕方ないのだろう。備蓄の食料には防水性のある布がかけられているが、建て直しを予定されていた古い倉庫ではすでに雨漏りが始まっている。

「わ、急がないとまずいね」

「誰かさんの足が遅いせいだろうが」

「だから置いていっていいって言ったじゃないか」

少し拗ねた様子のアルミンを急かし、梯子を取り出す。アルミンを見るとここまで来るだけですでに疲弊している様子が見て取れ、呆れて中からの処置を任せることにした。

そうしている間に風は強くなる。水や風を操ることのできる者もこの国には何人かいるが、ここまで大きな自然現象に人は太刀打ちできない。

ジャンは屋根に上がって壁を見上げた。この国は壁に囲まれている。その外は人間の驚異となる魔物がはびこる恐ろしい世界だ。人はどうにか自分たちの領分を広げようとアカデミーを作り、そこに外でも生き抜くことのできる技術を集めている。平和な壁の中で人口は増え続け、国は食糧不足に悩まされてきた。少しでも土地を広げることができれば、と誰もが思うことだ。アカデミーを卒業し、壁の外へ向かう者たちは未来の英雄だ。

屋根を掴んで強風をやり過ごし、目立つ箇所の修理をする。小さな穴はこの際無視だ。気にしていたらジャンが吹き飛ばされてしまう。

ひと通り終えて中から確認しようと振り返り、ジャンはそこに梯子がないことに気がついた。風の抵抗を受けなさそうな形をしているが、これほどの風ではそんな形も無意味らしい。吹き飛ばされて倒れた梯子に青くなり、慌ててアルミンを呼ぶ。声は風でかき消されてしまうので何度も呼ぶことになり、風と雨でむせ返った。ようやくアルミンが気づいて出てきた頃には梯子はかなり遠くに行っており、アルミンが梯子を取って戻ってくるのはひと苦労だった。

ジャンがようやく屋根から降りると彼は謝ってくるが、そのアルミンが飛ばされそうになってとにかく倉庫の中に入る。大まかに塞いだだけだが、雨漏りはもうほとんどないようだった。

「ありがとう、ごめんね、危ないのにひとりでさせてしまって」

「お前に上がられる方が落ち着かねえよ」

「うう……何も言い返せません……」

「中は?」

「少し濡れてる物もあったけど、ほとんど大丈夫」

ごうっと唸るほどの風が倉庫を軋ませて、ふたりで顔を見合わせる。

「……こりゃ帰れねえな。帰る途中でお前が吹き飛ばされる」

「流石にそこまで情けなくないよ……」

冗談も通じない堅物の濡れた髪を払ってやる。水滴が飛び散るのに慌て、アルミンは荷物から布を取り出した。ジャンもほとんど役に立っていなかった合羽を脱ぎ、水を払って髪を撫でつける。

「風がましになるまでここで待つか。おい、駄目になったやつ食っちまおうぜ」

「えっ」

「どうせ保存できねえんだろ」

「あ、うん」

幸い倉庫にはくつろげる程度のスペースはある。一時避難所も兼ねているのだろうか、毛布も見つかったので一枚アルミンに投げ、ジャンもそれを体に巻いて、倉庫の床に腰を下ろす。やや遠慮がちにアルミンもそばに座り、封の隙間から水の入ってしまった食糧をいくつか前に並べた。光源はアルミンが作業に使ったランプだけだが、どうせできることもほとんどない。

「……台風、久しぶりだね」

「最近これほど大きいのは来てないからな」

「ジャンは台風平気?」

「あ?怖いのか」

「ちっ、違うよ!怖くない。ただ、家がちょっと心配だなって。うち古いから、おじいちゃん、ちゃんと避難してるといいけど」

手持ちぶさたになのか、アルミンは話しながら濡れた包みを解いていく。保存食は大した味ではないが、時間つぶしぐらいの役には立つだろう。

「ジャンの家は王都の方?」

「ああ。新しくはないが、台風ぐらいじゃ何ともねえ」

「はは、そりゃ壁側の家とは違うよね」

「お前んちは?」

「シガンシナ区。裕福ではないけど住みやすいよ」

「ンなとこに好きで住んでるやついるんだな」

「失礼だな……僕の両親は冒険家だったんだ。あまり壁の中にいなかったから、いい家は必要なかったんだよ」

「ふうん」

渡された保存食のビスケットをかじる。マルコは無事大事な本を守れただろうか。どうせこんなことになるなら、女子と一緒の方がまだましだった。アルミンがライナーのようなむさ苦しいタイプではないのがまだ救いだ。そうなるぐらいならきっとこの雨でもアカデミーに帰っていただろう。

くちゅん、とおよそ男らしいとは無縁のくしゃみに思わず顔を上げる。自覚はあるのか、恥ずかしそうに鼻をすすってアルミンは毛布をかき集めた。見た目の通り貧弱なのか、と口にすれば怒るだろう。

しかし確かに体が冷えてきた。あまり気温の上がらなくなった最近は過ごしやすいが、これほど濡れると寒さを感じる。まだ毛布はあったはずだ、と腰を上げかけ、ランプの火が目についた。それを手に取り、炎に意識を集中させて傾ける。ほろりとこぼれてきた炎を手に受けて、食料を包んでいた包装に乗せた。アルミンが隣で目を丸くしたが、すぐに気づいたのか、ほう、と息を吐く。

「ジャンの家は、精霊の加護を受けてるんだったね」

「時代は浅いぞ。ひいじいさんが貴族の地位を失ってまで精霊ちゃんに貢いだ結果だからな」

「でもいいなぁ、羨ましい。精霊見えるんだろ?」

「ああ……」

視界の端にちらつく光を追う。見えるというほどのものではない。気配がある、というような程度だが、アルミンのように元々魔力もなく、精霊の加護もない家系から見ればまた違うのだろう。炎の大きさを調整し、心持ちアルミンの近くに下ろした。

ジャンの家は炎の精霊の加護を受けている。炎の力を使うと言うのは厳密にはそうではない。炎に関わる要素を扱う力だ。ある程度の知識や技量も必要で、実際ジャンの父は精霊を扱うのがあまり得意ではない。

しばらく見とれるように炎に見入っていたアルミンがはっと顔を上げ、慌てた様子でジャンを見る。

「ごめん!大丈夫、寒くないから」

「……いい。気にすんな」

「でも、大変じゃない?」

「お前の幼馴染みの魔法とは違うんだよ」

エレンの使える治癒能力は本人が生まれもって使える力だ。魔法が使える者は多少なりとも相応の影響があるらしい。簡単に言えば疲労感が伴う。アルミンはそのことを言っているのだろうが、精霊の加護はまた違うものだ。

炎のお陰で多少は暖かくなった。しかしアルミンはまたくしゃみをして毛布を抱いた。元々体調が悪かったのかもしれない。溜息をつき、アルミンの肩を抱き寄せる。慌てて引きはがそうとしたが構わず合羽を脱がしてしっかり抱いた。

「ジャン」

「乾かすからじっとしてろ」

「あ」

「応用できんだよ」

少し集中力はいるが、要は元素の話だ、いくらでも応用はできる。分解して蒸発させる。息を潜めるアルミンが体を小さくしているが、ただでさえ小さいので子どものように思えてしまう。

「……ねえ、ジャンは貴族になるためにアカデミーに入ったんだよね」

「ああ」

「ジャンならきっとなれるだろうね。魔物討伐の演習でもすごく優秀だもんな」

「お前は?」

「僕は、壁の外に行きたいんだ。両親が見た景色を見てみたくて」

「冒険家の?」

「うん。もうずっと前に魔物に殺されてしまったけど」

「……お前も、今のままじゃ同じ道をたどるだけだぞ」

「はは、わかってる。このままじゃ壁の外に出ることも許されないかも」

アルミンの体が温まってきたのがわかった。それでも何故か手が放せない。

「力がないのはわかってる。それでも諦められないんだ。おかしいよね、僕だけの夢だったのに、エレンも一緒に来てくれるんだって」

「……エレンも?」

「まあ……貴重な治癒能力を持つエレンを手放してもらえるかわからないけどね。昔はあんな力なかったからなぁ」

エレンの能力はずっと人類が求めていた力だ。微力ながら使える人は時折現れるが、エレンほどはっきりと強い力を使える者はそういない。国にとって重要な人物だ。

「……エレンが行かなきゃ、行かないのか?」

「そうだなぁ……ひとりでも行くかもしれない。僕にはもう、それしかないんだ」

視線を何もない宙へ向けたアルミンは、何を見ているのだろう。

「風、すごいね」

アルミンの声にはっとした。雨風が倉庫を叩く音など、すっかり意識から抜けていた。同時に自分がしていたことに気がつき、アルミンの肩を離した。服が乾いたことに気がつき、アルミンはジャンに礼を言う。その笑みにしばらく言葉を失った。屈託のない笑みは、きっと誰にでも向けられるものなのだろう。しかしジャンがそれを正面からとらえるのは初めてだ。

「早く台風過ぎるといいね」

「……ああ」

ざわめく胸をこっそり押さえる。それは風の音にあおられて、痛みさえも呼ぶようだった。

ちらりと炎が揺れる。
2013'09.27.Fri
「ジャン、話があるんだ」

座って、とアルミンに言われ、ジャンはお茶をついでいた手を止めた。少し困ってアルミンを見ると、後でいいから、と促される。その目は真剣で、眉は下がって悲しげにも見えた。

――俺は何かしただろうか。

ゆっくりグラスを置き、ジャンは言われるままアルミンの前に正座する。それに合わせてアルミンは俯いてしまい、ジャンが座っても何も言い出さない。

何も、何もしていない、はず、だ。昨日少しだけ、どうしてもかわいくなってしまって少しだけベッドで意地悪をしてしまったけれど、あれはアルミンだってわかってくれているはずだ。それとも本当は嫌だったのだろうか。泣かせてしまったことを、昨日ちゃんと謝った。それでも許されなかったのだろうか。

背中を冷や汗が伝う。ジャンもそれ以上アルミンの顔が見ることができず、ふたりで俯いたまましばらく黙っていた。

ええと、とアルミンが先に口を開く。

「あのね、これ、返す……」

アルミンがもてあそんでいた手の中から出したのは、ジャンの部屋の鍵、アルミンに渡した合い鍵だ。かたい金属がフローリングに置かれたことりという小さな音が、ひどく響いて聞こえる。

「あの、ジャン、僕、もうここには」

「嫌だ」

「あ」

「絶対に嫌だ」

「……だって、もう……」

「アルミン」

両手を取るとしゅんと肩を落とすアルミンに焦る。やはり自分が何かしたのか、それとも他に好きな相手でもできたのだろうか。アルミンはずっと女を好きになったことはないと言っていたけれど、やはりいい女を見つけたのだろうか。アルミンをのぞき込むと困った顔でジャンを見た。

「だって、やっぱりこんなこと、いつまでも続けていられないよ」

「嫌だアルミン、オレは離れたくない。悪いところがあれば直すから!」

「ジャンは悪くないんだ!僕が悪いんだ、臆病で、何も言えなくて……」

「なあアルミン、考え直してくれ。オレはもう、お前がいなくなるなんて考えられねえんだ」

「ジャン……僕だって!」

勢いをつけて抱きついてきたアルミンを強く抱きしめた。ジャンの耳元でぐすんと涙ぐむ彼をもう離さないと胸に誓う。慣れた心地よい体温を胸に抱いて、名前を呼ぶとアルミンは小さく体を震わせた。

「なあ、寂しいこと言うなよ」

「ジャン」

「ここにいてくれ」

「……ジャン、だって、僕……」

「アルミン」

「だ、だって、院の入試まであとひと月なんだッ!」

「……は?」

ジャンが硬直したことに気づいてないのか、アルミンはジャンにすり寄って首筋の匂いを吸い込んだ。そして嘆くような悲しい声で続ける。

曰わく、どうしてもジャンの顔が見たくなってここにきてしまう。部屋で勉強しながらジャンの帰りを待とうと思っていても、そわそわして集中できない。早目に帰って勉強しようと思っていても、ジャンといると時間を忘れて長居してしまう。

「だから、終わるまでここに来ないって決めたんだ。鍵を持ってると来てしまうから、その間だけ返そうと」

「ほんとにそれだけか?」

「え?」

アルミンを引きはがして正面から顔を見る。ジャンを見る目はきょとんとして、嘘をついているようには見えなかった。つき合い始めて半年以上経つ。アルミンが何か含んでいるのならわかるつもりだ。それでも不安が拭えずに、ジャンは恐る恐る口を開く。

「わっ……別れようとか、考えてるんじゃないよな?」

「そんなこと考えるわけないだろ!?えっ、もしかしてジャン……僕のこと嫌いに……」

「ない!ありえない!こんなにかわいくてエロい恋人手放すわけねえだろうが!」

「ジャン!」

「アルミン!」

再びお互いを抱きしめた。子猫のように甘えてくるかわいいアルミンと別れようなどと、考えたこともない。

「ったくよォ、早く言えよそういうことは」

「うう……だってもうちょっと自制できると思ったんだもん」

「いくらお前が頭いいったって、難しいもんなんだろ?俺には未知の世界だが……大体、お前が自制心があるとは思えない」

「うっ」

「……こんなエロい体になったのも、自制できなかったからだろ?」

抱いていた手で背中をなぞる。小さく声をこぼしてそらされた体に気をよくして、服の下に手を差し込んで直接肌を撫でた。腰から背中に触れただけだと言うのにアルミンは濡れた瞳でジャンを見る。

「……違うよ。ジャンのせいだもん」

「何言ってんだよ。全部自分で開発しちまったくせに」

「違うの」

「マグロみてぇになったこともなくてよく言うぜ」

「それは……」

アルミンの手が、するりとジャンの背を這う。狙いを持ったそれに口角を上げた。少し緊張した面もちで、ジャンに体をすり寄せる。

「ジャンがかっこいいのが悪い」

「……そんだけ煽るなら覚悟できてんだろうな」

「……好きにして」

我慢できるはずがない。そのままアルミンを抱き上げて、半ば投げるように一緒にベッドに崩れ込んだ。
2013'09.10.Tue
何かの気配を感じて目が覚めた。首の辺りを何かが掠め、その感触に反射的に体を起こして首を拭う。虫でも這っているのかと思ったが、悲鳴を上げて転がり落ちたのはもっと大きな塊だ。

ジャンは混乱したままそれを見る。ベッドの上でうごめいているのは、両手に乗るほどの毛玉だった。

――子猫を拾ったんだった。やっと思い出し、ジャンはどきどきとうるさい心臓を押さえて、起き上がれずにばたついている子猫を転がしてやる。離れたところに置いておいたタオルを敷き詰めた段ボールを見たが倒れている様子もなく、一体どうやって出てきたのか、どうやってベッドに登ってきたのか。

カーテンの向こうは既に明るくなっていたのでカーテンを開けた。しかし時間を見ると目覚ましをかけた時間より2時間も早い。昨夜うるさい子猫が眠るまで気にかかって見ていたせいで、やっとジャンが布団に入ったのは2時を過ぎていた。3時間ほどしか寝ていないことになる。

ほんのりと明るいが外は小雨が降っていた。一晩中振り続けていたのだろうか。

ベッドの上で体制を直した子猫は甲高い声で鳴きながら、ジャンの腿へと昇ってくる。登りきったと思えばまだ進み、股間までやってくるので掴みあげてまたベッドに戻す。顎の下を撫でてやるとぐるぐると喉を鳴らし、気持ちよさそうに目を細めた。

「……眠い」

座ったまま瞼が重くなる。構ってやる手も次第に力が抜け、すっかり止まってしまった指に抗議するように子猫はじゃれついて歯を立てた。遊んでいるような甘噛みは痛くもないが、ジャンはぼんやりと子猫を見てひっくり返してやる。毛の薄い腹を見て、ふと思いついて足の付け根の辺りを探ってみたが性別はよくわからなかった。

子猫がみーみー鳴き続けるのでずっとつついて構っていたが、もしかして餌だろうか、と思い立ち上がる。昨夜エレンが残して行ったドライフードの残りを同様にふやかして、水も一緒に用意して振り返った。歩き出した足元にいつの間にか子猫が転がっていて、危うく踏みそうになって大きくよろける。小皿の水は全てひっくり返ったが、子猫は知らんぷりでジャンの足にまとわりついた。踏み潰しそうになってしまったという衝撃にジャンの心臓はまた乱れ、フローリングに水が広がっていくのを気にするどころではない。

――心臓に悪い。学校の友人たちにも声をかけて、一刻も早く誰かに引き取ってもらおう。

水を入れ直して子猫の側に置くとそちらに向かっていった。さっき零した水をさっさと拭いて猫を見ると、水の皿に前足を突っ込んだのでまたひっくり返った。こいつは水難の相でも出てるのだろうか、と溜息をつき、皿をもっと重たいものに変えようと考える。

「あー……エレンが来る前に風呂……」

スーパーが開いたら来ると行っていた。そのときに一緒に引き取ってくれねえかな、思いながら全てをやる気がなくて、床の上に寝っころがる。もう満足なのか、子猫は餌の皿から離れてジャンの顔の側にやってきた。ふんふんと匂いをかがれて、触れるひげがくすぐったい。子猫の方に顔を倒したが、逃げもせずジャンの匂いを嗅いでいる。

「お前エサくせえなぁ」

猫を好きだという人の気持ちはわかる。しかしやはり世話をするということはできる気がしなかった。小さな舌が鼻をなめる。この野郎、と掴んで遠ざけると、またジャンの手にじゃれ付いて遊び始めた。

きれいな猫だとは思う。エレンが金髪碧眼と褒めていたのを思い出し、顔の前にまた戻すと熱心にジャンを見つめてきた。大きな瞳は透き通ったような青だ。この青を知っている。目を引く蝶の羽、雨上りの紫陽花、姉の指で光る青い石、どこまでも深い海。きっと、青い鳥はこんな青色をしているのだろう。



*



けたたましい携帯の着信音で目を覚ました。床の上で眠ってしまっていたらしい。どこかぎこちない体を無理に起こし、ベッドに置いたままの携帯をどうにか取り上げる。ディスプレイに浮かんでいるのはエレンの名前だ。

「……もしもし」

『おい!どこにいるんだよ!』

「あ?」

『今お前んちの前にいるんだけど!」

「……開ける」

チャイムにも気づかずに寝ていたらしい。のそりと立ち上がって玄関に向かう。ドアを開けるとエレンは仏頂面でジャンを睨むが、何もなくてもジャンに対してはこんな顔だ。

「いるんじゃねえか!」

「寝てたんだよ……」

「猫ちゃんは?」

エレンの甘い声にぞっとする。しかし部屋を振り返って更にぞっとした。

――どこだ?

ジャンが硬直したのを見て、エレンが黙って部屋に入る。勝手にベッドの布団を引きはがしたり棚の隙間を覗いたりしているが、わかりやすいところにはいないらしい。

「ちゃんと見とけよなー」

「寝てたっつってんだろ……」

「あっ、わかった」

部屋の隅に積まれた取り込んだだけの洗濯物を見つけ、エレンはそれを崩していく。何をする、と文句を言いかけたとき、小さな毛玉が布の山から顔を出した。

「おはよー猫ちゃん」

「なんつうとこに……」

「あんな男と添い寝しても楽しくないもんなー」

子猫は初めは寝呆けていたようだが、やがて目を覚まして鳴き始めた。かわいいなあとエレンは遠慮なく頬ずりする。今日はあの凶暴な黒猫は一緒ではないらしい。

「近所には聞いてみたけど、お前の貰い手まだ見つからねえんだ。もうちょっとこの馬面で我慢してくれよー」

「もう置くもん置いてさっさと帰れよ」

「やだ!今日1日猫ちゃんと一緒にいる!」

「キメェんだよ!」

「だってミカサにここにいるから昼飯持って来てって頼んじゃったもん」

「え」

「あ〜かわいいなぁ〜いいなぁ〜うちで飼えたらなぁ〜」

「ちょっと待て、ミカサが来るって?」

「うん」

「おっ、ま……」

ジャンははっと自分を見た。寝起きどころか、昨夜は猫に構っていて風呂も入っていない。

「おっ……オレ風呂入ってくるからそいつ見張ってろよ!」

「はいはい」

エレンはジャンを見なかったが、あの様子なら猫以外に目を向けることはないだろう。ジャンはすぐさま浴室に引きこもる。

ミカサはエレンの幼馴染だ。ジャンがエレンを気に入らない理由のひとつでもある。あの美しい幼馴染がどれほど献身的にエレンに尽くしていても、彼はそれに応えるどころか一切気に留めていないのだ。大学でひと目見たときから彼女に惹かれているジャンから見れば羨ましいことこの上ない。そのミカサが、この部屋に来るという。

シャワーを浴びながら、自分がするべきことを考える。あの洗濯物の山を片づけて、部屋の掃除をして、トイレや台所も――時間がない!

髪も乾かさなければならないのでのんびりはできなかった。早めに切り上げて浴室を出て、とにかく先に部屋を片づけることにする。

「お前何バタバタしてんの?」

「部屋片づけるんだよ!お前は猫構ってろ!」

「うるせえなぁ」

「おいミカサいつ来るんだ!?」

「さぁ、用意できたら来るっつってた」

なんと曖昧なんだろうか。しかしここでエレンともめている時間はない。バタバタと部屋を片付け、掃除機をかけたときに子猫が大騒ぎしていた以外にはスムーズに掃除は進んだ。大方片付いた頃にチャイムが鳴り、ジャンはほっと胸を撫で下ろす。まだ気にかかるところはあるが、概ね許容範囲だろう。

ドアを開けるとミカサが立っている。今日も変わらず美しく、いつもエレンと一緒にいるミカサが自分の部屋のチャイムを鳴らすなんて夢のようだった。彼女の目的がエレンであることを忘れてはいないが、しばらく浸ったって罰は当たらないだろう。

「おはようジャン。休みの日にごめんなさい」

「い、いや、上がれよ。汚いところだけど」

「こいつ今めっちゃ片づけてたから」

「うるっせんんだよお前は!」

余計なことを言うエレンを睨みつける。ミカサはふたりのやり取りにももう慣れているので、靴を脱いできちんとそろえた。ついでにエレンの靴までそろえる仕草が愛しくも憎らしい。

「これ、よかったらお昼に」

「あっ、ありがとな」

「いいえ、大したことは何も」

ミカサに渡された紙袋は、エレンの言っていた昼食らしい。タッパーに入ったそれは、まさか出来合いの品ではないだろう。まさかこんな形でミカサの手料理を食べられることになるとは思わず、昨夜の偶然に感謝する。

「ほら見ろよミカサ、可愛いだろ」

「ほんと、きれいな目」

エレンの側に座ったミカサが子猫に手を伸ばした。指先で猫の額を撫でるミカサはかすかに笑う。笑いかけられたことのないジャンは複雑な気持ちでそれを見て、ぐっとこらえて冷蔵庫を開けた。飲み物を用意して部屋に入ると、子猫はミカサの膝の上で丸くなってその背を撫でてもらっている。子猫になりたい。

「み……ミカサ、猫好きなのか?」

「ええ。……あのエレンにまとわりつく黒猫以外は」

「あぁ、あれすごかったよな……」

「リヴァイもなー、夜寝てるときは比較的大人しいんだけどな」

ジャンはやっとエレンの腕に気づいた。明らかに昨日より傷跡が増えている。あの猫が大人しい様子など想像できなくて、猫でも性格の差と言うのは大きいのだな、と子猫を見る。スカートに毛がつくのもいとわずに子猫を愛でているミカサをずっと眺めておきたい。そしてできればその子猫になりたい。

「うちの近所でもらえる人がいたら、また会いに行けるのになー」

「ジャンが飼うんじゃないの?」

「飼わないんだって」

「そうなの。部屋が駄目なの?」

「い……いや、部屋は大丈夫なんだが、動物を飼ったことがないし……」

「なー、もうジャンが飼っちゃえよ。こいついい子だと思うぜ」

「できる範囲でなら、私も協力するけれど」

ジャンが決断をしたのは一瞬だった。
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