言い訳置き場
言い訳を書いていきます。誤字の報告などあればありがたいです。 ※唐突にみゅネタややぎゅにおの外の人のかけ算が混ざるのでご注意下さい。 日常はリンクのブログから。
2014'12.10.Wed
「数学オリンピック?懐かしいわぁ、高校の時テニスの試合とかぶって大変やったのよねぇ」
「へえ、結果どうやったん?」
「結果も何も、出てへんのよ。出る気もなかったし。数学の先生に出てくれってずっと言われとってんけどねぇ、アタシあの頃には文系に行くって決めとったし。顧問の先生にお願いして数学の先生説得してもらったり、大変やったわぁ」
「小春ちゃん男泣かせやなぁ」
「失礼な言い方せんといてくれる?」
「でも小春ちゃん理系のクラスやったんやろ?なんで文系にせんかったん?」
「理系のクラスの方がイケメンが多かったのよ」
ピッとパソコンからUSBを引き抜いて、金色小春は立ち上がった。清潔なシャツの襟の端まで丁寧にアイロンがかけられているのを見ていると、目の前にUSBが差し出された。短く切りそろえられた爪は健康的に艶めいて、しかし少し節ばった、男の手だ。
「村松くん用にデータまとめとったん、渡しとくわ。もし開けないデータやわからないことがあったらまたいらっしゃい」
「……ありがとうございます」
「芦田先生お元気?前は結構お食事誘ってくれはったんやけど、お子さんできたでしょう、もう要件って言ったらお子さんの写真送ってくるばっかりで」
「あ……はい。ゼミでもそんなんです」
「うふふ、あんなに怖い顔してはるのにかわいいこと。ああせや、英語の論文もデータにあるねんけど大丈夫?」
「英語と、ドイツ語と中国語は大丈夫です」
「あら優秀。ええ男やね」
眼鏡越しの目がにこりと村松に微笑んだ。
「……金色先生って」
「何かしら?」
「女の人だと思ってました」
「かわいい名前でしょ」
自分のゼミの女子学生と一緒にころころ笑う金色小春は、間違いなく男だった。
村松が金色小春の論文を見つけたのは去年のことだった。卒論の資料集めの最中に見つけた本の中に寄稿されていた、的確で斬新なテーマは純粋に読み物としてもおもしろく、そのとき村松が集めていた資料とはややそれたものだったが強く印象に残っている。
院の入試も卒論も落ち着いてからふと思いだし、金色小春の名前で検索をかけたが引っかかるのは古典文学の研究者ばかりで、しかもその研究者は村松の大学の文学科の教授であった。そうそうある名ではないが同姓同名かと諦め、何気なく自分の指導担当にこぼしたのが、村松が今日、文学科のある研究室へやってくるきっかけになった。
「それうちの文学科の金色先生が書いたやつやで。会いたいんやったら連絡したるけど。そういや君の興味のあるとこ、多分あの人の方が資料持ってんちゃうかな」
その言葉をすぐに信用できるはずがない。しかし教授が村松に嘘をつく理由もない。
次の日には教授が金色小春と連絡をつけていて、村松は初めて文学科に足を踏み入れた。村松を迎えたのはばっちりまつげが上を向き緩やかに髪を巻いた美人だった。偏見だと怒られるだろうが、文学科などもっと暗くて地味な学生ばかりだろうと思っていたので、イケメンがきた、と村松を迎える学生たちに驚いた。
「それアタシが抜粋しとるだけのデータやから、気になるのあったらちゃんと原本当たってね。一応図書館で取り寄せたりして揃うものしか入れてへんはずやから」
「わかりました。ありがとうございます」
「データのコピーしただけよ」
「小春ちゃんほんまにいろんなことしてんねんな」
「お陰様で本職がままならなくて、あなたたちが優秀で助かるわぁ」
「はぁい〜、頑張りますぅ」
女子学生と笑い会う姿に村松は何も言えなかった。
少なからず、自分が幻想を抱いていたことに気づかされ、同時にその幻想が打ち砕かれたことに誰に向けられるでもない憤りを感じていた。
あの洗練された文章に聡明な女性を見いだした。もちろんそれは名前のイメージが与えた先入観により村松が勝手に想像したもので、相手に憤りをぶつけるのはお門違いだ。それでも村松は感情を持て余し、彼から受け取ったUSBの中身をしばらく見ることなく放置していた。なよなよしたあんな男、ましてや専門でもない教授の何を信じられるというのだろう。
「村松」
教授に頼まれた作業をしていると同期に声をかけられた。同じ優男でもまだこの友人の方がきれいな顔をしている、などと勝手に値踏みする。
「どうした」
「前に金色先生紹介してもらってたやろ、文学科の」
「あ〜……行くには行ったけど」
よりにもよってその話か。村松はばちんとホッチキスで資料を綴じて興味のないまま応えた。
「僕もこないだお邪魔してん。そのとき村松が貰ったデータ、コピーしてもいいって言ってもらったから借りたいんやけど」
「……持ってへん」
「今やなくてええで」
「USBなくした」
「え〜?」
「探しとく。それよりこれ手伝えよ」
資料の半分を押しつける。友人は何か言いたげな素振りを見せたが、結局黙って資料を手に取った。
あのデータが一体なんだというのだろう。村松は自他共に認める優秀な学生だ。他学部の人間に教えを請わずとも自分で研究を全うできる自信がある。隣の友人だって同じことだ。
「……廣瀬、金色先生と何の話したん」
「あのときは資料の話やってんけど、ほとんど村松が持ってるみたいやったからそんなに。ああ……お笑いの話したわ」
「お笑い?」
「好きなんやって」
「……しょーもな」
村松がその日駅で金色を見かけたのは偶然だった。同じ学校にいるのだから同じ駅を利用していても不思議はない。それでも帰宅の時間が同じになったのは初めてなのだろう。駅のホームで文庫本に視線を落とし、その姿勢は背に定規でも入っているのかと思うほどぴしりとしている。村松が離れたところで立ち止まってその背中を見ていると、彼はポケットから携帯を取り出した。ディスプレイを見て頬を緩め、耳へ運ぶ。
「ユウくん?」
それは、村松が聞いたどんな声よりも甘かった。
「そう、帰るところ……いや、もう改札ん中や。……天王寺?せやなぁ……もう3分ぐらいで電車くると思うから……せやな、それぐらいには着くわ。うん?……ええわよ、たまにはアタシにさせてぇな。うん、ほな、気ィつけて。……はぁい、また後でね」
それは端的で、だからこそ親密さを感じるものだった。村松は小学校時代を思い出す。担任が産休に入るのだと報告した日。今まで漠然ととらえていた教師という存在が、明確に人間という枠を持った。村松が見ている金色小春という男は、あのとき得たはずの人間の形をした枠を越えてぼやけた何かになって見える。
通話を終えた金色は文庫本を鞄にしまい、代わりにタブレットを取り出した。迷いなくディスプレイを指が滑り、好奇心に負けて彼に近づく。
「金色先生」
「あら、村松くん」
彼がタブレットを立てる一瞬に見えたのは、料理レシピのサイトだった。何となく拍子抜けして途端に興味がなくなる。
「こんにちは。先日はありがとうございました」
「いいえ。よけいなお世話やったやろ」
「……少し忙しくて、まだじっくり目を通せてませんがそのうち」
「ええのよ、村松くんなら自力でてきるやろ」
見抜かれている。尤も、自分も態度を隠しきっていなかっただろう。こんな学生にも慣れているのかもしれない。
「料理されるんですか」
「ああ、これね」
金色はあっさりタブレットを倒して村松に見せた。演技がかって肩をすくめる。
「料理はあんまり向いてないみたいね。お菓子の方が得意やわ。色気のない表現やけど、理科の実験の同じね。分量や時間間違わなければおいしくできるもの」
「じゃあそれは?」
「たまにはね」
「……無駄なことは、しない人だと思ってました」
口をついて出た言葉に金色は少し驚いた表情を見せた。ううん、と小さく唸り、すぐに笑う
「……そうかも。だからアタシがする料理は、無駄にならないんだわ」
ならば、金色が村松に渡したデータは、無駄ではなかったというのだろうか。誰の目にも触れないまま、院生室の机の引き出しに眠るUSBのことを考える。
「来週、お時間ありますか」
「え?」
「データ確認して、質問に行きます」
「多分君ならわかる内容ばかりやと思うけど」
「いえ。絶対あります」
「ええわよ。この間の時間なら、いつも研究室におるわ」
「よろしくお願いします」
電車がホームに滑り込んだ。金色がそれに視線を遣るのとほぼ同時に会釈をし、村松は改札へ戻っていく。村松に与えられたUSBの意味を、今すぐ確認しなければ気が済まなかった。
「へえ、結果どうやったん?」
「結果も何も、出てへんのよ。出る気もなかったし。数学の先生に出てくれってずっと言われとってんけどねぇ、アタシあの頃には文系に行くって決めとったし。顧問の先生にお願いして数学の先生説得してもらったり、大変やったわぁ」
「小春ちゃん男泣かせやなぁ」
「失礼な言い方せんといてくれる?」
「でも小春ちゃん理系のクラスやったんやろ?なんで文系にせんかったん?」
「理系のクラスの方がイケメンが多かったのよ」
ピッとパソコンからUSBを引き抜いて、金色小春は立ち上がった。清潔なシャツの襟の端まで丁寧にアイロンがかけられているのを見ていると、目の前にUSBが差し出された。短く切りそろえられた爪は健康的に艶めいて、しかし少し節ばった、男の手だ。
「村松くん用にデータまとめとったん、渡しとくわ。もし開けないデータやわからないことがあったらまたいらっしゃい」
「……ありがとうございます」
「芦田先生お元気?前は結構お食事誘ってくれはったんやけど、お子さんできたでしょう、もう要件って言ったらお子さんの写真送ってくるばっかりで」
「あ……はい。ゼミでもそんなんです」
「うふふ、あんなに怖い顔してはるのにかわいいこと。ああせや、英語の論文もデータにあるねんけど大丈夫?」
「英語と、ドイツ語と中国語は大丈夫です」
「あら優秀。ええ男やね」
眼鏡越しの目がにこりと村松に微笑んだ。
「……金色先生って」
「何かしら?」
「女の人だと思ってました」
「かわいい名前でしょ」
自分のゼミの女子学生と一緒にころころ笑う金色小春は、間違いなく男だった。
村松が金色小春の論文を見つけたのは去年のことだった。卒論の資料集めの最中に見つけた本の中に寄稿されていた、的確で斬新なテーマは純粋に読み物としてもおもしろく、そのとき村松が集めていた資料とはややそれたものだったが強く印象に残っている。
院の入試も卒論も落ち着いてからふと思いだし、金色小春の名前で検索をかけたが引っかかるのは古典文学の研究者ばかりで、しかもその研究者は村松の大学の文学科の教授であった。そうそうある名ではないが同姓同名かと諦め、何気なく自分の指導担当にこぼしたのが、村松が今日、文学科のある研究室へやってくるきっかけになった。
「それうちの文学科の金色先生が書いたやつやで。会いたいんやったら連絡したるけど。そういや君の興味のあるとこ、多分あの人の方が資料持ってんちゃうかな」
その言葉をすぐに信用できるはずがない。しかし教授が村松に嘘をつく理由もない。
次の日には教授が金色小春と連絡をつけていて、村松は初めて文学科に足を踏み入れた。村松を迎えたのはばっちりまつげが上を向き緩やかに髪を巻いた美人だった。偏見だと怒られるだろうが、文学科などもっと暗くて地味な学生ばかりだろうと思っていたので、イケメンがきた、と村松を迎える学生たちに驚いた。
「それアタシが抜粋しとるだけのデータやから、気になるのあったらちゃんと原本当たってね。一応図書館で取り寄せたりして揃うものしか入れてへんはずやから」
「わかりました。ありがとうございます」
「データのコピーしただけよ」
「小春ちゃんほんまにいろんなことしてんねんな」
「お陰様で本職がままならなくて、あなたたちが優秀で助かるわぁ」
「はぁい〜、頑張りますぅ」
女子学生と笑い会う姿に村松は何も言えなかった。
少なからず、自分が幻想を抱いていたことに気づかされ、同時にその幻想が打ち砕かれたことに誰に向けられるでもない憤りを感じていた。
あの洗練された文章に聡明な女性を見いだした。もちろんそれは名前のイメージが与えた先入観により村松が勝手に想像したもので、相手に憤りをぶつけるのはお門違いだ。それでも村松は感情を持て余し、彼から受け取ったUSBの中身をしばらく見ることなく放置していた。なよなよしたあんな男、ましてや専門でもない教授の何を信じられるというのだろう。
「村松」
教授に頼まれた作業をしていると同期に声をかけられた。同じ優男でもまだこの友人の方がきれいな顔をしている、などと勝手に値踏みする。
「どうした」
「前に金色先生紹介してもらってたやろ、文学科の」
「あ〜……行くには行ったけど」
よりにもよってその話か。村松はばちんとホッチキスで資料を綴じて興味のないまま応えた。
「僕もこないだお邪魔してん。そのとき村松が貰ったデータ、コピーしてもいいって言ってもらったから借りたいんやけど」
「……持ってへん」
「今やなくてええで」
「USBなくした」
「え〜?」
「探しとく。それよりこれ手伝えよ」
資料の半分を押しつける。友人は何か言いたげな素振りを見せたが、結局黙って資料を手に取った。
あのデータが一体なんだというのだろう。村松は自他共に認める優秀な学生だ。他学部の人間に教えを請わずとも自分で研究を全うできる自信がある。隣の友人だって同じことだ。
「……廣瀬、金色先生と何の話したん」
「あのときは資料の話やってんけど、ほとんど村松が持ってるみたいやったからそんなに。ああ……お笑いの話したわ」
「お笑い?」
「好きなんやって」
「……しょーもな」
村松がその日駅で金色を見かけたのは偶然だった。同じ学校にいるのだから同じ駅を利用していても不思議はない。それでも帰宅の時間が同じになったのは初めてなのだろう。駅のホームで文庫本に視線を落とし、その姿勢は背に定規でも入っているのかと思うほどぴしりとしている。村松が離れたところで立ち止まってその背中を見ていると、彼はポケットから携帯を取り出した。ディスプレイを見て頬を緩め、耳へ運ぶ。
「ユウくん?」
それは、村松が聞いたどんな声よりも甘かった。
「そう、帰るところ……いや、もう改札ん中や。……天王寺?せやなぁ……もう3分ぐらいで電車くると思うから……せやな、それぐらいには着くわ。うん?……ええわよ、たまにはアタシにさせてぇな。うん、ほな、気ィつけて。……はぁい、また後でね」
それは端的で、だからこそ親密さを感じるものだった。村松は小学校時代を思い出す。担任が産休に入るのだと報告した日。今まで漠然ととらえていた教師という存在が、明確に人間という枠を持った。村松が見ている金色小春という男は、あのとき得たはずの人間の形をした枠を越えてぼやけた何かになって見える。
通話を終えた金色は文庫本を鞄にしまい、代わりにタブレットを取り出した。迷いなくディスプレイを指が滑り、好奇心に負けて彼に近づく。
「金色先生」
「あら、村松くん」
彼がタブレットを立てる一瞬に見えたのは、料理レシピのサイトだった。何となく拍子抜けして途端に興味がなくなる。
「こんにちは。先日はありがとうございました」
「いいえ。よけいなお世話やったやろ」
「……少し忙しくて、まだじっくり目を通せてませんがそのうち」
「ええのよ、村松くんなら自力でてきるやろ」
見抜かれている。尤も、自分も態度を隠しきっていなかっただろう。こんな学生にも慣れているのかもしれない。
「料理されるんですか」
「ああ、これね」
金色はあっさりタブレットを倒して村松に見せた。演技がかって肩をすくめる。
「料理はあんまり向いてないみたいね。お菓子の方が得意やわ。色気のない表現やけど、理科の実験の同じね。分量や時間間違わなければおいしくできるもの」
「じゃあそれは?」
「たまにはね」
「……無駄なことは、しない人だと思ってました」
口をついて出た言葉に金色は少し驚いた表情を見せた。ううん、と小さく唸り、すぐに笑う
「……そうかも。だからアタシがする料理は、無駄にならないんだわ」
ならば、金色が村松に渡したデータは、無駄ではなかったというのだろうか。誰の目にも触れないまま、院生室の机の引き出しに眠るUSBのことを考える。
「来週、お時間ありますか」
「え?」
「データ確認して、質問に行きます」
「多分君ならわかる内容ばかりやと思うけど」
「いえ。絶対あります」
「ええわよ。この間の時間なら、いつも研究室におるわ」
「よろしくお願いします」
電車がホームに滑り込んだ。金色がそれに視線を遣るのとほぼ同時に会釈をし、村松は改札へ戻っていく。村松に与えられたUSBの意味を、今すぐ確認しなければ気が済まなかった。
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