言い訳置き場
言い訳を書いていきます。誤字の報告などあればありがたいです。 ※唐突にみゅネタややぎゅにおの外の人のかけ算が混ざるのでご注意下さい。 日常はリンクのブログから。
2014'01.30.Thu
ジャンが時々、屋上から姿を消すようになった。
どうしたのかと聞けば、学校から出られるとわかったので街を見て回っているらしい。今はすごいんだな、と感心したようにジャンが口にすると、アルミンは何も言えなくなってしまう。自分が住む街を誉めてもらえることは嬉しかったし、ジャンたちの勇気によって得た人類の幸福を見てもらえたような気がした。しかしジャンと話ができないことは寂しくて、アルミンは思わず口をとがらせる。それを見てジャンはただ笑っていた。
「アルミン、お前は立体軌道装置はできないのか?」
「僕はまだ10歳だし、どのみち僕にはあんなことできないよ」
「逆上がりは?」
「……できない」
ジャンは笑った。だけどそれはアルミンを馬鹿にしたものではなかったので少し安心した。
「もう少し背が伸びればお前も使いこなせる」
「だってあれすっごく重いんだよ!」
「練習すればそこそこできるようになるさ。案外できるもんだぜ」
「嘘だぁ」
「嘘じゃねえよ。お前みたいな兵士もたくさんいたさ」
「ほんと?」
「ああ。諦めないやつは強い」
ジャンの声はまっすぐ響く。いつも彼の言葉には力があって、なんでも信じてしまいそうになった。しかしアルミンはすぐに、今日もいじめられっこたちに追いかけ回されたことを思い出す。エレンが助けてくれなければ、泣き出すまで逃げ回っていただろう。そんな自分があの勇敢なかつての調査兵のように、あの立体軌道装置を使いこなし力強く戦うことなど、ふりでもできるはずがない。
「ジャンもお父さんも、僕を買いかぶりすぎだよ」
「……言われたか?」
「うん」
「……お前の名前、つけたのは父親だろ」
「うん」
「すごいやつの名前だって言ってなかったか?」
「……名前だけだよ」
いじめられて帰って泣き止まないアルミンに、父が優しく言ったことがあった。歴史に詳しい父が語る「アルミン」は、一介の兵士から革命者になった人だった。その輝かしい業績をアルミンはまだ正確には知らない。それでも、そんな名前は自分にはふさわしくないと思っていた。
ジャンはしばらく何も言わずにアルミンのそばにいたが、ふと屋上から遠くに視線をやった。彼は時々そうして、空の向こうを見ようとするかのように首を伸ばす。
「なぁ、アルミン」
「……何?」
「オレ、海を見に行くことにした」
「えっ?」
「地理の授業も覗いたから、海がどれだけ遠いか知ってるんだ。だけどまぁ、疲れ知らずの体だしな」
なぜだか、もうこれきりジャンに会えない気がした。アルミンは慌てて手を伸ばすが小さな子どもの手は宙をかいただけで、ジャンはこちらに気づかない。
「ずっと、見たいと思ってたんだ」
その声はひどく穏やかだった。この人はいつも優しかったが、こんな姿は見たことがなかった。妙にざわめく胸を押さえて、ジャンを呼ぶ。
「いつ行くの?」
「そうだなぁ……明日の日の出を見たら、出発するか。ここから見る日の出はそんなに悪くないんだ」
不安が確信に変わる。ジャンはもうここへは戻らないだろう。
二度とジャンと会えないかもしれないと思うとアルミンの小さな心臓は落ち着かず、その晩はほとんど眠ることができなかった。
階段をかけ上がる。いつもより早い学校は静かで、まだ薄暗い廊下はお化けが出そうなほど不気味に感じた。しかし目的のあるアルミンの足は迷わない。通い慣れた屋上のドアを押し開ければ、目の前に広がるのは光にあふれた屋上だった。朝日を一身に浴びたアルミンはその光の洪水に声をなくし、ただ呆然とその光景に目を奪われて立ち尽くす。
やがてその光の真ん中に、人影が浮かび上がった。扉の音で驚いたその人は、アルミンを見てすぐに顔をしかめる。
「ったく……余計なこと言わなきゃよかったぜ」
アルミンと、その背中のリュックサックを見て、ジャンは溜息をついた。
「ジャン、お願い!僕も一緒に連れていって!」
「お前は学校もあるだろうが!」
「じゃあ行かないで!」
「誰だってお前のわがまま聞いてくれるいいやつじゃないんだぜ」
「だって……」
我慢しようと決めていたのに涙が浮かび、慌てて目をこする。ジャンがまた溜息をつくのが聞こえた。
「……お前のわがまま聞いてやるのはこれで最後だからな」
「ジャン!」
「おら、出発だ」
「ありがとう!」
アルミンは思わず感情のままジャンに飛びつこうとして、宙をかいて倒れ込んだ。ジャンがそれを見て声を上げて笑う。手のひらと膝はじんじんと痛かったが、言えば置いていかれる気がして、アルミンも同じように笑った。
学校を出てバスに乗った。海まではバスと列車を二回乗り継げば着くはずだ。きちんと調べてきたと言えばジャンは呆れてみせ、しかしどこか嬉しそうでもあった。ありったけのお小遣いをかき集めてきた。それで十分往復できることも調べ済みだ。アルミンが更にそう言えば、ジャンは諦めて笑い出す。
「そういうやつだよ、お前は」
朝早い、海の方へ向かうバスに始めは他に乗客はいなかった。アルミンは一番後ろの座席に隅に座り、ジャンはその隣に座る振りをする。座ろうとしても突き抜けてしまうのだ。
「立ってれば?」
「気分」
アルミンが小声で聞いたが、ジャンはそのまま窓の外に視線を向けた。流れる町並みを見て、速いな、とこぼす。
「立体起動装置と、どっちが速い?」
「あんなのと比べるなよ。巨人はでかいくせに素早いんだ。こんな家の形がわかるような速さじゃない」
「ふーん……でも、アンカー刺す場所ないと意味ないもんね」
「うるせえな」
現代技術を批判された気がしてわざと言えば、ジャンは顔をしかめた。昔は街を馬車が走っていたのだという。アルミンはまだ乗ったことはなかったが、田舎の方ではまだ現役の移動手段なのだと聞いたことがあった。
「馬車って、速い?」
「速いとその分、尻が痛い」
ジャンは吐き捨てるような言い方をした。思わず笑い声を上げそうになったが、バスの中だと思い出して口をふさぐ。それでも押さえきれず、声を殺して肩を揺らした。
そのうち人が乗ってきて、ジャンと話ができなくなった。祭りのときもそうだっが、ジャンは他の誰にも見えないらしい。どうして自分だけなのかはわからないが、自分だけの秘密も悪くなかった。
アルミンが話せないことがわかってからはジャンも何も言わなくなった。ただ窓の外の景色が流れていくのを珍しげに眺めていた。それはどこか昔を懐かしむような大人びたもので、ジャンは若く見えるが、やはり兵士はずっと大人だったのだろう。
結局海まではバスの乗客は減らず、ジャンと話をすることができなかった。
「ジャン、見えてきたよ」
アルミンが小さく声をかけると、ジャンはどこか緊張した面持ちでアルミンを見た。こっちじゃなくて、とアルミンは窓の外を指さしたが、ジャンは首を振った。
「ここまできたらお前と見る」
「……うん」
ジャンはいつもと変わらないのにどこか不安げに見える。どうしたのか聞こうとしたが、聞いてはいけない気がした。
ジャンはどんな人だったのだろうか。アルミンはジャンを見た。ジャンの体を通して、日の光を反射して水面を光らせた海が見える。まぶしさに目を細めてジャンを見ようとするのに、光はジャンをかき消すほど強かった。
アルミンたちは次のバス停でバスを降りた。もうすでに潮の匂いが風に乗って流れてきている。ジャンにそう言いかけたが、彼は匂いもわからないのだと思い出した。
バス停の前はもう、海水浴場だ。とはいえ今はシーズンではないので人の姿はない。降りたのもアルミンだけだった。
「ジャン、ほら、波の音が聞こえる?」
「波?」
ずっとうつむいていたジャンが顔を上げた。海は穏やかだったが、波は寄せては返して砂浜をさらっていく。アルミンが見上げるとジャンは呆然と海を見ている。弾けるような光の波、耳に心地よい波の流れ。彼にはどう感じられるのだろうか。
突然ジャンが走り出し、アルミンは慌てて追いかけた。ジャケットがはためく。背中に広がる、自由の翼。
アルミンはすぐに砂浜に足を取られて膝をついた。ジャンは気づかずに、砂を踏む感触も知らずに波打ち際まで走っていく。息も切らさず、波も立てず、彼は迷わず海に飛び込んだ。冷たい海も彼には意味がない。アルミンは砂浜に座り込んだまま、ジャンの背中を見ていた。彼は子どものように目を輝かせ、果てのない海に言葉もなく興奮している。しかしそれは、海のすべてではない。それを伝えなければと思うのに、突然こみ上げた涙が邪魔をする。どうしてだか、悲しみがアルミンを襲った。
ジャンは海の中で立ち尽くし、水平線を見ているようだった。そしてすっと背を伸ばし、彼は兵士の敬礼をした。もう鼓動をやめた心臓を、誰に捧げたのだろう。
怖くなって彼を呼ぶ。しかしそれは波の音にかき消され、ゆっくり腕を下ろした後は、ジャンはじっと海面を見つめていた。
アルミンは涙を止めようと、深く息を吸う。胸を震わせ涙を拭って立ち上がった。ジャンに笑われるのが恥ずかしい気がした。
――ああ。ずっと、この日を待っていたのに。
ジャンと見ている海なのに、ジャンは本当の海を知らないのだ。
やっと気がついたジャンが慌てた様子で辺りを見回し、急いでアルミンのところに戻ってきた。悪い、と謝った後、アルミンの涙の後を見つけて手を伸ばす。触れられないのに緊張して、ジャンも自分の動作に気づいて笑った。
「なあ、すごいな、お前の言ってた通りだ」
「僕?」
「きれいだ。お前の目の色みたい」
「……そうかな」
「これが全部塩水なのか……お前は見たのかな、海。オレが先に死んじまったからわかんねえ」
「見てるよ?」
「ああ……ああ、そうだな」
ジャンは複雑に笑った。アルミンには笑っているのかどうかわからなかったのだ。それがやはり悲しくて、こらえきれずまた泣き出した。ジャンが慌てたが、何を言われても止まらない。困ったジャンは、拳を握ってうつむくアルミンを黙ってのぞき込む。小さくしゃくりあげるたびに涙が落ち、ジャンが手を伸ばしてもすり抜けていった。
どうしたのかと聞けば、学校から出られるとわかったので街を見て回っているらしい。今はすごいんだな、と感心したようにジャンが口にすると、アルミンは何も言えなくなってしまう。自分が住む街を誉めてもらえることは嬉しかったし、ジャンたちの勇気によって得た人類の幸福を見てもらえたような気がした。しかしジャンと話ができないことは寂しくて、アルミンは思わず口をとがらせる。それを見てジャンはただ笑っていた。
「アルミン、お前は立体軌道装置はできないのか?」
「僕はまだ10歳だし、どのみち僕にはあんなことできないよ」
「逆上がりは?」
「……できない」
ジャンは笑った。だけどそれはアルミンを馬鹿にしたものではなかったので少し安心した。
「もう少し背が伸びればお前も使いこなせる」
「だってあれすっごく重いんだよ!」
「練習すればそこそこできるようになるさ。案外できるもんだぜ」
「嘘だぁ」
「嘘じゃねえよ。お前みたいな兵士もたくさんいたさ」
「ほんと?」
「ああ。諦めないやつは強い」
ジャンの声はまっすぐ響く。いつも彼の言葉には力があって、なんでも信じてしまいそうになった。しかしアルミンはすぐに、今日もいじめられっこたちに追いかけ回されたことを思い出す。エレンが助けてくれなければ、泣き出すまで逃げ回っていただろう。そんな自分があの勇敢なかつての調査兵のように、あの立体軌道装置を使いこなし力強く戦うことなど、ふりでもできるはずがない。
「ジャンもお父さんも、僕を買いかぶりすぎだよ」
「……言われたか?」
「うん」
「……お前の名前、つけたのは父親だろ」
「うん」
「すごいやつの名前だって言ってなかったか?」
「……名前だけだよ」
いじめられて帰って泣き止まないアルミンに、父が優しく言ったことがあった。歴史に詳しい父が語る「アルミン」は、一介の兵士から革命者になった人だった。その輝かしい業績をアルミンはまだ正確には知らない。それでも、そんな名前は自分にはふさわしくないと思っていた。
ジャンはしばらく何も言わずにアルミンのそばにいたが、ふと屋上から遠くに視線をやった。彼は時々そうして、空の向こうを見ようとするかのように首を伸ばす。
「なぁ、アルミン」
「……何?」
「オレ、海を見に行くことにした」
「えっ?」
「地理の授業も覗いたから、海がどれだけ遠いか知ってるんだ。だけどまぁ、疲れ知らずの体だしな」
なぜだか、もうこれきりジャンに会えない気がした。アルミンは慌てて手を伸ばすが小さな子どもの手は宙をかいただけで、ジャンはこちらに気づかない。
「ずっと、見たいと思ってたんだ」
その声はひどく穏やかだった。この人はいつも優しかったが、こんな姿は見たことがなかった。妙にざわめく胸を押さえて、ジャンを呼ぶ。
「いつ行くの?」
「そうだなぁ……明日の日の出を見たら、出発するか。ここから見る日の出はそんなに悪くないんだ」
不安が確信に変わる。ジャンはもうここへは戻らないだろう。
二度とジャンと会えないかもしれないと思うとアルミンの小さな心臓は落ち着かず、その晩はほとんど眠ることができなかった。
階段をかけ上がる。いつもより早い学校は静かで、まだ薄暗い廊下はお化けが出そうなほど不気味に感じた。しかし目的のあるアルミンの足は迷わない。通い慣れた屋上のドアを押し開ければ、目の前に広がるのは光にあふれた屋上だった。朝日を一身に浴びたアルミンはその光の洪水に声をなくし、ただ呆然とその光景に目を奪われて立ち尽くす。
やがてその光の真ん中に、人影が浮かび上がった。扉の音で驚いたその人は、アルミンを見てすぐに顔をしかめる。
「ったく……余計なこと言わなきゃよかったぜ」
アルミンと、その背中のリュックサックを見て、ジャンは溜息をついた。
「ジャン、お願い!僕も一緒に連れていって!」
「お前は学校もあるだろうが!」
「じゃあ行かないで!」
「誰だってお前のわがまま聞いてくれるいいやつじゃないんだぜ」
「だって……」
我慢しようと決めていたのに涙が浮かび、慌てて目をこする。ジャンがまた溜息をつくのが聞こえた。
「……お前のわがまま聞いてやるのはこれで最後だからな」
「ジャン!」
「おら、出発だ」
「ありがとう!」
アルミンは思わず感情のままジャンに飛びつこうとして、宙をかいて倒れ込んだ。ジャンがそれを見て声を上げて笑う。手のひらと膝はじんじんと痛かったが、言えば置いていかれる気がして、アルミンも同じように笑った。
学校を出てバスに乗った。海まではバスと列車を二回乗り継げば着くはずだ。きちんと調べてきたと言えばジャンは呆れてみせ、しかしどこか嬉しそうでもあった。ありったけのお小遣いをかき集めてきた。それで十分往復できることも調べ済みだ。アルミンが更にそう言えば、ジャンは諦めて笑い出す。
「そういうやつだよ、お前は」
朝早い、海の方へ向かうバスに始めは他に乗客はいなかった。アルミンは一番後ろの座席に隅に座り、ジャンはその隣に座る振りをする。座ろうとしても突き抜けてしまうのだ。
「立ってれば?」
「気分」
アルミンが小声で聞いたが、ジャンはそのまま窓の外に視線を向けた。流れる町並みを見て、速いな、とこぼす。
「立体起動装置と、どっちが速い?」
「あんなのと比べるなよ。巨人はでかいくせに素早いんだ。こんな家の形がわかるような速さじゃない」
「ふーん……でも、アンカー刺す場所ないと意味ないもんね」
「うるせえな」
現代技術を批判された気がしてわざと言えば、ジャンは顔をしかめた。昔は街を馬車が走っていたのだという。アルミンはまだ乗ったことはなかったが、田舎の方ではまだ現役の移動手段なのだと聞いたことがあった。
「馬車って、速い?」
「速いとその分、尻が痛い」
ジャンは吐き捨てるような言い方をした。思わず笑い声を上げそうになったが、バスの中だと思い出して口をふさぐ。それでも押さえきれず、声を殺して肩を揺らした。
そのうち人が乗ってきて、ジャンと話ができなくなった。祭りのときもそうだっが、ジャンは他の誰にも見えないらしい。どうして自分だけなのかはわからないが、自分だけの秘密も悪くなかった。
アルミンが話せないことがわかってからはジャンも何も言わなくなった。ただ窓の外の景色が流れていくのを珍しげに眺めていた。それはどこか昔を懐かしむような大人びたもので、ジャンは若く見えるが、やはり兵士はずっと大人だったのだろう。
結局海まではバスの乗客は減らず、ジャンと話をすることができなかった。
「ジャン、見えてきたよ」
アルミンが小さく声をかけると、ジャンはどこか緊張した面持ちでアルミンを見た。こっちじゃなくて、とアルミンは窓の外を指さしたが、ジャンは首を振った。
「ここまできたらお前と見る」
「……うん」
ジャンはいつもと変わらないのにどこか不安げに見える。どうしたのか聞こうとしたが、聞いてはいけない気がした。
ジャンはどんな人だったのだろうか。アルミンはジャンを見た。ジャンの体を通して、日の光を反射して水面を光らせた海が見える。まぶしさに目を細めてジャンを見ようとするのに、光はジャンをかき消すほど強かった。
アルミンたちは次のバス停でバスを降りた。もうすでに潮の匂いが風に乗って流れてきている。ジャンにそう言いかけたが、彼は匂いもわからないのだと思い出した。
バス停の前はもう、海水浴場だ。とはいえ今はシーズンではないので人の姿はない。降りたのもアルミンだけだった。
「ジャン、ほら、波の音が聞こえる?」
「波?」
ずっとうつむいていたジャンが顔を上げた。海は穏やかだったが、波は寄せては返して砂浜をさらっていく。アルミンが見上げるとジャンは呆然と海を見ている。弾けるような光の波、耳に心地よい波の流れ。彼にはどう感じられるのだろうか。
突然ジャンが走り出し、アルミンは慌てて追いかけた。ジャケットがはためく。背中に広がる、自由の翼。
アルミンはすぐに砂浜に足を取られて膝をついた。ジャンは気づかずに、砂を踏む感触も知らずに波打ち際まで走っていく。息も切らさず、波も立てず、彼は迷わず海に飛び込んだ。冷たい海も彼には意味がない。アルミンは砂浜に座り込んだまま、ジャンの背中を見ていた。彼は子どものように目を輝かせ、果てのない海に言葉もなく興奮している。しかしそれは、海のすべてではない。それを伝えなければと思うのに、突然こみ上げた涙が邪魔をする。どうしてだか、悲しみがアルミンを襲った。
ジャンは海の中で立ち尽くし、水平線を見ているようだった。そしてすっと背を伸ばし、彼は兵士の敬礼をした。もう鼓動をやめた心臓を、誰に捧げたのだろう。
怖くなって彼を呼ぶ。しかしそれは波の音にかき消され、ゆっくり腕を下ろした後は、ジャンはじっと海面を見つめていた。
アルミンは涙を止めようと、深く息を吸う。胸を震わせ涙を拭って立ち上がった。ジャンに笑われるのが恥ずかしい気がした。
――ああ。ずっと、この日を待っていたのに。
ジャンと見ている海なのに、ジャンは本当の海を知らないのだ。
やっと気がついたジャンが慌てた様子で辺りを見回し、急いでアルミンのところに戻ってきた。悪い、と謝った後、アルミンの涙の後を見つけて手を伸ばす。触れられないのに緊張して、ジャンも自分の動作に気づいて笑った。
「なあ、すごいな、お前の言ってた通りだ」
「僕?」
「きれいだ。お前の目の色みたい」
「……そうかな」
「これが全部塩水なのか……お前は見たのかな、海。オレが先に死んじまったからわかんねえ」
「見てるよ?」
「ああ……ああ、そうだな」
ジャンは複雑に笑った。アルミンには笑っているのかどうかわからなかったのだ。それがやはり悲しくて、こらえきれずまた泣き出した。ジャンが慌てたが、何を言われても止まらない。困ったジャンは、拳を握ってうつむくアルミンを黙ってのぞき込む。小さくしゃくりあげるたびに涙が落ち、ジャンが手を伸ばしてもすり抜けていった。
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