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言い訳置き場

言い訳を書いていきます。誤字の報告などあればありがたいです。 ※唐突にみゅネタややぎゅにおの外の人のかけ算が混ざるのでご注意下さい。 日常はリンクのブログから。

2025'03.13.Thu
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2013'09.02.Mon
小学校最後の夏休みの宿題も終わってしまった。もうこれはいつものことで、兵助にとって夏休みは時間を持て余しながら過ごす日々でしかなかった。

厳密に言うならば、あとは毎日書く絵日記と自由研究だけが残っている。去年は自由研究に手作りで豆腐を作ったが、今年はそれだけに限らず、市販の豆腐との比較研究をするつもりであった。今はまだ防腐剤について調べている途中で、豆腐好きの兵助にとっては心苦しいが豆腐が駄目になっていく経過を観察中である。



毎日暑さを更新していく炎天下。静かに汗をかきながら、兵助は縁側で昼寝をしていた。日の当たらない場所にさえいれば風のよく通る縁側は絶好の昼寝の場所で、実際隣には猫がだらしなく四肢を伸ばしている。明るいところで見れば茶色がかって見える真っ黒な猫は、この春学校帰りに兵助が見つけた猫だった。見つけたというよりは黒猫が兵助を見つけたというべきか、野良猫にしては人懐っこく兵助の足元に絡みついてきて、どうしたものかと思いながらそのまま帰宅したところ、家人がねずみに困っているから丁度いい、などと言うのでそのまま飼うこととになった。名前は勘右衛門という。時代劇の好きな祖父がつけたものだ。

「兵助ー!山行こうぜ!」

縁側までやってきて大きな声で兵助を呼んだのは、虫取り網を担いだ幼馴染の八左ヱ門だ。幼馴染というが、この地区に子どもは兵助と八左ヱ門しかいない。学校にはもう少し集まるが、あとはお盆の時期ににわかに増える程度だ。兵助の家でももうすぐいとこが子どもを連れて帰省してくることになっている。

「兵助ー、寝てんの?」

「いや、起きてる。八左ヱ門、宿題は?」

「今日の分は終わらせた!」

「ほんとか?つき合うと俺までおばちゃんに怒られるからな」

「いいんだよ、明日やる」

「ほんとかよ」

夏の太陽のように笑う幼馴染を笑い飛ばす。家の奥の親に八左ヱ門と山に言ってくると叫び、兵助も今朝ラジオ体操から帰ってから縁側に置いたままだったサンダルを引っ掛けて、太陽の下に飛び出した。家の裏に回り、そこから山へ登っていく。山と言ってもさほど気が密集しているわけでもない明るい山で、何より兵助の祖父の持つ山だ。昔からの遊び場なので、今更富める者は誰もいない。

「もうすぐ赤ちゃん来るからさー、蝉捕まえてみせてやろうと思って」

「赤ちゃん蝉好きかなぁ……」

八左ヱ門の家にも親戚が帰省してくる。兵助のいとこはもう名前を言えるぐらいには大きいが、八左ヱ門のいとこは少し前に生まれたばかりだ。まだ赤ちゃんを見たことがないという八左ヱ門は夏休みに入る前から興奮していた。

去年の夏にはまだ赤ちゃんだったいとこのことを思い出す。ふるふると桃のように柔らかいほっぺたはいい匂いがした。猫の肉球のように柔らかい手が蝉に触ることを考えて、兵助は少し顔をしかめる。

「やっぱり蝉は赤ちゃんは好きじゃないと思う」

「じゃあ何が好きかな。ざりがに?」

「もっと駄目だ!」

「めだかは?」

「うーん、めだかぐらいならハサミもないし、いいんじゃないか」

「じゃあめだかにする」

虫取り網はこの瞬間、魚を取る網になる。引き返してバケツだけ取ってきて、蝉の大合唱の中をどんどん登っていくと小さな池がある。もっと小さいときにはこの池に落ちたこともあるが、小六にもなってそんなみっともないことはしない。何よりも、もうこの池の底に足が着くぐらいに背が伸びていることを知っている。

水面に浮いた水草を少しどけてから、水が穏やかになるのを待った。水草の上にいた蛙が飛び込んできて、驚いた八左ヱ門が尻餅をつく。更にこけたときに手をついたところに渇いた菱の身が落ちていて、しばらく痛みに悶える八左ヱ門を見て笑った。

「そういや、兵助自由研究やった?」

水面を覗き込むと、ぷくぷくと小さな波紋が生まれている。よく見るとそれはめだかが水面に上がってきている証拠だ。影で逃がさないように八左ヱ門が網を構える。

「まだ途中。八左ヱ門は?」

「俺、朝顔の観察」

「去年もそれやってたな」

「去年はへちま」

「兵助だってどうせ豆腐だろ?」

「お前の三日坊主の観察日記と一緒にすんなよ」

「よっ!」

八左ヱ門が網を振った。水面の水を弾いて、集まっためだかを一網打尽にしてしまう。生き物を捕まえることに関しては兵助は八左ヱ門にかなわない。実際一振りでめだかを五匹とおたまじゃくしも一緒に捕まえて、小さなバケツは既に満員御礼の様相だった。

「あ、俺自由研究おたまじゃくしの観察にしようかな」

「そっちの方がまだいいんじゃないか?変化もあるし」

「何食うんだっけ」

「去年はご飯やってたはず」

「あー、そうだ。ご飯とかパンとかやってた」

そのあとも二匹ほどおたまじゃくしを捕まえて、準備をしよう、と山を下りた。途中甲高い鳥のような声がして振り返ると、八左ヱ門が鹿だ、と言う。

「うちさー、こないだじいちゃんが軽トラで鹿とぶつかりそうになってさ」

「鹿とぶつかると大変らしいね」

「な、車の方が壊れるってよ」

兵助の家の前まで戻ると、庭先で誰かがうずくまっている。その前では猫の勘右衛門が腹を撫でられて喉を鳴らしていた。猫だから許されるが、これが犬なら番犬にもならない。足音で気づいて顔を上げたのは、近所の中学生のお姉さんだ。

「あ、伊賀崎さんちの」

「兵助くんお帰り。おばあちゃんいてはる?」

「畑出てる」

「そっか……うちのばあちゃんが、きゅうり持って行けって。縁側に置いてるから」

「ありがとう」

隣で八左ヱ門が緊張しているのがわかる。隣の家の伊賀崎さんちの孫兵は、元々かわいい子ではあったが中学に入ってからはぐっと背も伸び、すごくお姉さんになった。ふたつ上なだけなのにひどく大人に見えるが、兵助は八左ヱ門ほど緊張はしない。昔から風呂にも一緒に入ったことがあるようなつき合いだ。

「ねえ、勘ちゃん人懐っこすぎるよ」

「女の人は特に好きだから」

「毛だらけになっちゃった」

孫兵も動物は好きだから、すり寄ってこられて思わず抱きあげたのだろう。部活で学校に行っていたのか、セーラー服には勘右衛門の黒い毛が少し目立つ。

「八左ヱ門、何とったの?」

「めっ、めだか!あとおたまじゃくし!」

バケツを突き出すと勢いで少し水がはねた。しかし孫兵は嫌な顔もせずそれを覗き込み、へえ、と感心してみせる。

「全部八左ヱ門がとったんだ」

「兵助下手だもんね」

「ざりがに釣りは俺の方が得意だよ」

比べられるとつい張り合う。笑う孫兵に撫でられて、妙に子ども扱いをされた気がして首を振った。

「それにしても、夏休みは始まったばかりなのに、君たちは勘ちゃんに負けないぐらい真っ黒だね」

孫兵に笑われて、八左ヱ門と顔を見合わせる。大体は学校のプールの授業のせいだ、と言いたいが、毎日走り回っているのでそれだけではないだろう。孫兵は毎日自転車通学だというのに驚くほど白く見えて、中学生が大人に見えるのはそのせいだと思った。それでもよく見ると、素足のふくらはぎ辺りには靴下の日焼跡が残っている。白く見えるのは自分たちが黒いだけかもしれない。



孫兵が帰ってしまうと勘右衛門はさっさと縁側に戻ってしまう。人懐っこいので男の人も嫌いではないが、わかりやすぐらい女の人の方が好きだ。

昼も過ぎてしばらくすれば日差しの暑さもピークになり、さすがに外で遊ぶのもうっとうしくなる。八左ヱ門はおたまじゃくしとめだかを置いてくるために一度家に帰った。縁側に置かれたビニール袋にはたっぷりきゅうりが入っていて、台所まで持って行ったが誰もいない。どうやら母親もどこかで昼寝中だろうか、と思えば、仏壇の前で盆の準備に奮闘中だった。お供えの中にメロンを見つけて、いつ食べられるのかと期待する。

電話が鳴ったので忙しい母親に代わって出ると、泣き声交じりの八左ヱ門だ。どうやら宿題が終わっていないのがばれたらしい。さっさと終わらせておけばいいのに、と毎年思うが、毎年八左ヱ門は同じことを繰り返している。

八左ヱ門が来られなくなり、兵助は再び時間を持て余した。ひとりでゲームをしてもいいがあまり気が乗らない。また勘右衛門と昼寝でもしていようか、と思っていると、庭の方で車の音がする。父親はまだ帰ってこないし、畑に行った軽トラックは庭の方には回ってこない。

「おじちゃんだ!」

ばっと縁側から顔を出す。その後ろから母親も覗き込んだ。庭に止まった青い車は、いとこのうちの物で間違いない。車から降りてきた女性が、続いて小さな女の子を下ろす。去年までずっと抱っこされていた赤ちゃんが、写真で見ていた通り、自分の足で歩いていることに言葉にできない感動を覚えた。

「いらっしゃい、早かったのね」

「お姉さんこんにちは。もう聞いて下さいよ、うちの人すっごい急かすんですよ。出てきたのだってすごく早かったんだから」

「遅くなるほど道が混むだろうが」

しかめっ面の男も降りてくる。おじちゃんと呼ぶと怒るのだが、関係性としてはそれで間違いはない。母の弟だ。その奥さんと娘。今日から数日、大家族になる。

「兵助くん久しぶり〜。はい、ご挨拶」

「タカちゃん大きくなったわねー」

「よく食べるんですよー」

母の手によって靴を脱がされた女の子が、兵助を見て微笑んだ。勘右衛門に負けない人懐っこさだ。

「……ねえおばちゃん、タカちゃん蝉好き?」

「蝉?うーん、近くで見たことないんじゃないかな」

「とってきたら喜ぶかな」

「やめてよ!あんたこの前に家の中で逃がして大変なことになったじゃない!」

「俺じゃないよ、八左ヱ門だよ」

「男の子だなぁ」

「立ち話してないで入れよ」

「えらっそうに」

この家では女が強いということは兵助は既に理解している。不満そうにしながらも叔父が車から荷物を全部おろしてから、仏壇の前に手を合わせにいった。兵助は小さな手を取って合わせてやりながら、静かな鐘の音が響くのを聞く。

「兵助、このきゅうりどうしたの?」

「さっき孫兵姉ちゃんが持ってきた」

「すっごいいっぱい。どうしようかなー、伊賀崎さんち茄子は作ってたもんなー」

「にゃんにゃん!」

どこからか勘右衛門がやってきて、叔父のそばを通り過ぎて叔母にしなやかな体を摺り寄せた。おしめで膨らんだ不格好なお尻で歩く小さな女の子はすぐに黒猫を見つけ、母親に抱きついていって猫を撫でる。

「君が噂の勘ちゃんか〜!ほんとに人懐っこいねえ」

くたくたと柔らかい体で懐いていく姿に罪はないが、叔父が触っても叔母にばかりすりついている姿を見ると複雑だ。

お茶を入れて持ってきた母親が、一緒にビニール袋を提げて持ってくる。それを兵助に渡した。

「伊賀崎さんちに持って行って来てくれる?」

「これ何?」

「トマト」

ビニール袋にはいくつかみずみずしいトマトが入っている。きゅうりのお礼だ。よく冷えた麦茶を一気に飲み干して、袋を持って立ち上がる。

「勘ちゃん、孫兵姉ちゃんち行く?」

にゃあん、と甘えるような声で鳴いて、勘右衛門も立ち上がる。その様子に母親が笑い、訳がわからずにいる叔母たちに説明していた。

庭に出ると勘右衛門は大人しくついてくる。兵助を追い抜いたり追い越したり、寝転がったりしながらもそう離れずについてくるので賢いのだとは思う。

隣と言ってもうちの畑を伊賀崎さんの畑を挟んだ先、その家に向かう。開け放してある玄関から声をかけると、楽な格好に着替えた孫兵が顔を出した。

「これ、母さんが持って行けって。きゅうりありがとう」

「あ、トマト嬉しいな。うちのカラスにやられちゃって。勘ちゃんも来たの」

ぐるぐる喉を鳴らして孫兵に甘える勘右衛門に、連れてこなければよかったかなと少し後悔する。どうしてだかこの猫は、家人よりも孫兵の方が好きらしい。猫の頭をぐりぐりと撫でて、少し待ってて、と言い残して孫兵は中に入って行った。トマトの代わりにチューペットを持って帰ってくる。歩きながらパキン!と折って、その片方を兵助にくれた。

「はい」

「ありがと」

「暑いね。勘ちゃんも毛皮が暑そうだなー」

「こいつ寝るとき張りついてくるからもっと暑いよ」

「夏でも?」

「夏でも」

「変な子」

勘右衛門は孫兵にあごを撫でられて気持ちよさそうに目を細める。そのうちくたりと力を抜いて、土間に寝てしまったのを面白がって孫兵が腹を撫でた。

「なんでこんなに女の人が好きなんだろう。猫でもわかるのかな」

「わかるのかもね」

「来年の自由研究、猫にしようかな」

「兵助くん、来年は自由研究ないじゃない」

「……そうか」

孫兵に言われて思い出す。小学校の夏休みは今年が最後だ。来年からは中学生で、孫兵みたいに夏休みでも学校に行くことになるのだろう。

「中学は自由研究ないの?」

「ないよ。代わりにお勉強がたくさん」

「ふーん……」

アイスをかじって外を見る。高い夏の空は毎年同じなのに、来年の自分は全く違う気持ちで見上げるのかもしれない。

「猫はいいなぁ」

思わず零した言葉に孫兵が笑ったのが、妙に恥ずかしかった。
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2013'05.04.Sat
昼食を食べ終えた高坂は、いつものように缶コーヒーを片手に喫煙室に向かう。今日は人は少なく、その中に知った顔を見つけて近づいた。隈をたたえたうつろな目で煙草をくわえていた同期は、高坂に気づいて軽く手を上げる。隣に座ると煙草を離して灰を落とした。

「久しぶりだな」

「潮江も。まだ修羅場中か」

「いや、もう一踏ん張りだ」

「今年は倒れるなよ」

「うるせえ」

潮江をからかうと眉をひそめた。入社以来経理一筋の男の力でかなりの経費が削減されたときく。決算の時期は修羅場としか言いようがなく、去年の今頃は不摂生と疲労で寝込んでいる。今年は大丈夫だ、潮江は忌々しげに口を開いた。

「家政婦を雇った。俺は仕事だけしてりゃいい」

「へぇ、さすがの潮江も金より健康を取ったか」

「背に腹は代えられん」

潮江が相変わらずの仏頂面で、どうかしたのかと聞けば煙草の煙を溜息とともに吐き出した。言いにくそうに口元をもごもごさせるので促すと、しかめっ面で吐き捨てる。

「舌が肥えた。食堂の飯がまずい」

「素晴らしいな。大当たりじゃないか」

「当たりっつーか外れっつーか」

はぁ、と大きく息を吐き、潮江は頭を垂れる。そうかと思えば顔を上げ、高坂を見た。

「お前、煙草吸ったっけ?」

「いや」

「なんでわざわざ喫煙室に。打ち合わせか?」

「特等席なんだ」

「は?」

高坂は笑って喫煙所の外を指差した。食堂のテラス、いつもの決まったテーブルで、左近が弁当を広げている。見えるのは後ろ姿だが、もう食事は終えて読書をしているようだとわかった。

「……お前、まだストーカーしてんのか……」

「俺がいつストーカーなんか」

「どこをどう見てもストーカーじゃねえか」

潮江は呆れて顔をしかめ、左近と高坂を見比べながら灰を落とす。いつもぴんと伸びた背中が少し丸くなり、視線の動きに合わせてわずかに頭が揺れる。時折しおりを挟んで伸びをしたり持参の水筒に手を伸ばしたりする姿を見ているだけで頬が緩む。一緒に缶コーヒーをすすりながら、こうしているだけで高坂は幸せだった。潮江からぶしつけな視線を向けられていようが気にならない。

乱暴に喫煙室のドアが開けられた。しかしそれすら気にしない高坂に呆れながら潮江が視線を遣れば、またも同期の姿だ。潮江の姿を見るなりカツカツとパンプスのヒールも高らかに近づいてきて、隣に座って手を出した。

「1本ちょうだい!」

「……彼氏できてやめたんじゃなかったのか」

「今日は解禁!」

「荒れてんなぁ」

潮江がライターと一緒に煙草を渡せば、彼女は半ば奪うようにそれを引ったくった。慣れた手つきで火をつけて、潮江にライターを返しながら煙草をくわえる。髪をまとめていたコームを引き抜いて頭をかけば、豊かな黒髪が背中を流れた。

「あンのクソジジィ……」

「どうした」

「どうしたもこうしたも、また完全前に突然の思いつきだよ……」

「お疲れ」

深く吸った煙を吐き出し、四肢の力を抜く彼女は同期の久々知だ。いわゆるキャリアウーマンで仕事一筋であったが、最近にわかに周囲が華やかであるらしい。煙草じゃなくて彼氏に癒してもらうんだな、潮江が思わずこぼせば睨まれた。セクハラだとでも言うのだろうか。

「潮江くんこそ、繁忙期だってのにいい食生活だそうで」

「え」

「君んちの家政婦さん、高校時代の先輩なんだ」

「なっ」

「いいなぁ、久しぶりに立花さんのご飯食べた〜い。潮江くんち行こうかなぁ」

「来るな」

なんだか久々知に気力を吸い取られたような気分で潮江は溜息をついた。高坂は相変わらず、こちらを振り返りもしない左近の後ろ姿を見つめている。

「……あれ、高坂くん?」

「高坂と言われたら高坂だが、ありゃただのストーカーだ」

「まだ追っかけてんの?」

呆れた、久々知はまだ長い煙草を灰皿に落とし、高坂のそばに立つ。あれほど荒れていたのに、女の切り替えというものは潮江には理解できない。高坂もどれほど盲目なのか、まだ久々知に気づいていなかったようだ。潮江の同期ということは、当然ながら高坂と久々知も同期である。

「懲りずによく追いかけるね。高校のときからあの子変わらないよ」

「高校時代の左近さんもかわいかったんだろうなぁ」

「……ああ、かわいいのはかわいかったよ」

「まさか彼氏とか!」

「言い寄る男は大体高坂くんと同じようにあしらわれてたよ。君ぐらいだよ、こんなことしてるの」

「変わらない人って素敵だね」

「……触れるんじゃなかった」

高坂を置いて戻ってきた久々知に苦笑する。入社当時はこんな人物だとは思ってもいなかった。社内でかなりの美形に分類され、仕事面でも優秀、女子社員が憧れないはずがない。それがどうしたことか、気がつけば地味な女子社員に入れ込んでいる。

「高坂くん仕事はちゃんとしてるの?」

「らしいぜ。あの様子じゃまだ彼女の帰宅に合わせて定時上がりやってんだろうな」

「嫌味だな〜」

久々知は深く溜息をついた。きれいにネイルで飾った指先を見て、色変えたい、とつぶやく姿は普通の女子社員と同じだ。潮江はガラス越しの左近を見る。高坂はあんな地味な女のどこがいいのだろう。

そろそろ戻るか、と潮江が最後にするつもりで煙草に火をつける。高坂が立ち上がり、空き缶を捨てるために振り向いた。

「あれ、久々知さん久しぶり」

「……潮江くん、もう1本ちょうだい」

「全部やる」

「いい。あーもう疲れた〜」

「じゃあ、また潮江が落ち着いたら飲みにでも」

「おー。ストーカーもほどほどにな」

ひらひらと手を振って高坂は喫煙室を出る。その自然な仕草だけでも女を落とせそうな高坂があれほどアプローチしてもなびかないなら、本当に脈がないのだろう。顔がよかろうが人がよかろうが、恋愛は理屈じゃない。高坂に非がなくとも、万人が高坂を好きになることはないのだ。左近が数少ない一人であっただけのこと。

潮江が何気なく左近を見れば、高坂が近づいていくところだった。高坂は正面に回り込み、しゃがんで机越しに左近を見上げてにこにこしている。どうやら左近はうたた寝でもしているのか、まったく反応を見せない。鳥肌立った、潮江の隣で久々知が腕をさする。そのうち高坂は満足したのか、立ち上がって左近に声をかけた。それでも反応しない左近の肩を軽く叩く。身動きをした左近はのろのろと高坂を見上げた。話しかける高坂に返事をしているのかどうかはわからない。弁当の入ったバッグと文庫本を手に立ち上がった左近は姿勢良く歩きだし、高坂はやはり何か話しながらついていく。

「……どう見ても脈なしなんだから諦めろよ」

「いや」

髪を結い直し、久々知は大きく息を吐く。

「案外そうでもないかもしれない」

「どこが」

「少なくとも、睨まれたりはしていないようだから。あるいは、高校のときより左近が丸くなっただけかもね」

「女はわからん」

潮江は溜息と共に紫煙を吐いた。高坂の幸せそうな笑みを思い出す。

「……男もわからん」
2013'02.06.Wed
「高坂さん、今夜飲みに行きませんか?」

「あ、先約があるから」

会社内の女子社員の中でひそかに行われていたイケメン番付でナンバーワンを獲得したのは、高坂陣内左衛門という男だった。人当たりもよく、営業成績もいい。学歴も申し分なく、家もそれなりに裕福であるらしい。さっさと結婚して家庭に入りたい女性社員から見ると最良物件で、当然ながらアプローチも少なくない。しかし高坂がその誘いに乗ることはなかった。毎日ほぼ定時できっちり仕事を終えて、残業がつきそうな日は朝早くから出社する。上司に飲みに誘われてもめったに付き合うこともなく、この男が毎日時間通りに動くのは、当然ながらわけがあった。

「左近さんっ!お疲れ様です!」

「お疲れ様です」

タイムカードを切ったあと、高坂が顔を出したのは別の部署だった。ノートパソコンを閉じて顔を上げた左近と目があい、高坂はにこりと笑うが左近の方は無表情だ。とても歓迎されているようには見えないが、視線を合わせてもらえるようになるまで半年かかったのだから上等だ。眼鏡を外して帰り支度をする左近を、高坂はにこにこと待っている。

「高坂さんもこりませんねー。どこがいいんですか、あんなブス」

「君には左近さんの魅力がわからなくてけっこう!」

「あ、そーですか」

「三郎次、今朝渡した書類今日中だからな」

「はいはい、わかってますよ。さっさと帰れ」

「言われなくても帰ります」

もう何年使っているのかわからないバッグを手に左近が立ち上がり、タイムカードを切る。同僚にもう一度くぎを刺して、左近は職場を出た。左近が先に行ってしまうのももう慣れたもので、高坂は数歩で追いついて隣を歩く。

「鞄持とうか?」

「いいです。自分で持てますから」

「お腹すいてないかい。どこか寄らないか」

「いいえ。実家ですから、家で食べます」



「……あれ、何」

高坂と左近が歩く姿を見た女子社員は顔をひきつらせた。会社で一番のイケメンが、会社で一番地味な女にくっついて歩いている。

「ああ、まだ見たことなかったの?」

「は?」

「あれ、高坂さん毎日やってる」

「はぁ!?」



「じゃあ左近さん日曜日は?よかったら映画でも一緒に行かない?」

「今興味のある映画がないので」

「映画じゃなくてもどこか一緒にどう?」

「どうといわれても、あなたと行きたいところなんて特にありません」



「……イケメン番付の次点、誰だけ?」

「不運の塊、善法寺さん」

「この会社の男はみんな顔だけか!」

「さっ、合コンいこ合コン!」

そんな女子社員のやり取りを知ってか知らずか、高坂は駅までずっと左近に話しかけては冷たい返事を返されている。しかし高坂はずっと幸せそうな笑みだ。

「あ、そうだ、よかったら家まで送ろうか」

「結構です。高坂さん逆のホームじゃないですか」

「もう少し一緒にいたいんだけどな」

「明日も仕事なんですからまっすぐ帰ったらどうですか」

左近が改札にかざしたICカードがピッと鳴り、その瞬間だけわずかに高坂は顔を曇らせる。しかしすぐに左近に続いて自分もカードをかざして改札を通った。ホームをわける階段の前で、左近がいつものように待っている。

「ではここで」

「帰り道気を付けてね」

「駅につけば徒歩5分ですから。お疲れ様でした」

「お疲れ様」

くるっと踵を返して階段を上がる左近の後姿をしばらく追い、高坂も背を向けて階段を上っていく。ホームに上がり、電車の進行方向へ向かう。先頭車両の乗り口に立つ。正面を向くと、向こうのホームに左近がいる。文庫本に視線を落としている彼女の姿に、自然とほおが緩んだ。ホームに音楽が流れる。先に電車が来るのは向こう側のホームだ。左近が顔を上げる。まっすぐ高坂を見て、

「また明日」

電車が走りこんできて左近の姿を隠した。電車の中は人であふれていて左近の姿は見えなかったが、電車の走り去った後のホームには誰も残っていなかった。

「左近さん、また明日」
2013'02.06.Wed
「なんで女装で実習なんだ」

「なんでって、今回の実技は山田先生が担当だからだろ」



顔をしかめた竹谷に対し、久々知は涼しい顔で応えた。竹谷は深く溜息をつく。



「そんなことはわかってる。どうして女装限定なんだ。変化の術なら他になんだってあるだろ!?」

「今更だろ」



竹谷は隣を睨みつける。鏡を見ながら紅をさすその横顔を見ながら、お前はいいよな、と溜息をつけば、久々知は首をかしげる。その様子は竹谷から見れば嫌味にしか見えない。元々の整った顔立ちに、三郎が手を加えれば、どこからどう見ても女にしか見えない。それに対し、竹谷の方はといえば、どこをどう見ても「女装」にしか見えなかった。三郎には多少小奇麗にしたって無駄だ、と匙を投げられてしまったほどだ。

天然なのかわざとなのか、久々知は訳がわからない、といった顔をしている。三郎をあきらめて久々知を頼ってきたが、人選を間違えたかもしれない。



「竹谷は気にしすぎなんだ。伝子さんを見習えよ、なりきることが大事なんだ」

「そのなりきることができねーから苦労してるんだろうが。見かけだけでごまかせるやつとは難易度が違うんだよ」

「そこまで卑下することないだろ。こんなにかわいいのに」

「お前の目は節穴か」



下級生とは違い、体格はそうそう隠せるものではない。生物委員長として野山を駆け回っている竹谷は、女物の着物に収まるような体ではないのだ。



「そんなにか?」

「そんなにだろう。ちょちょっとするだけでかわいくなる兵子ちゃんとは違うんだよ」

「かわいいよ、竹子ちゃん」

「嘘つけ」

「信用ないなぁ」



ぐいと腕を引かれ、竹谷はそれにまかせて久々知と向き直る。くそ、なんでこんなにかわいく仕上がったやつにかわいいと言われなきゃならんのだ。馬鹿にされているとしか思えない。はっきりした目鼻立ちが、化粧でいつもよりも華やかになっている久々知が正面に迫る。こりゃ男性にお茶をごちそうしてもらう、なんて課題ちょろいだろうな、などとひがんでいるうちに、久々知の顔が迫った。



「え」



唇に触れるやわらかい感触。しっとりとまるでなじむようなそれは、実のところ、まったく知らないわけではない。しかし、これは。混乱しながらも思考よりも体が早く、久々知の体を突き飛ばす。しかし油断のせいかそこまで力は入らず、久々知の体が少し離れただけだった。



「な、え、おま」

「かわいいね」

「お、あ、おま」

「だからほら、容姿じゃないんだ。仕草や態度の問題だ」



にこりと笑う久々知は、なぜだか男らしく見え、それは言葉に恐ろしく説得力を与えた。



「嘘だろ……」

「嘘つきは竹子ちゃんの方じゃないか」

「はぁ?」

「おれがかわいいなんて、思ったことないだろ?」



きゅっと弧を描く、嘘つきだと言ったその唇の紅が乱れている。竹谷はばっと立ち上がり、着物の裾を翻して何も言わずに部屋を飛び出した。嘘つきは久々知の方じゃないか。このおれが、かわいいはずがない。廊下をがむしゃらに走った先で誰かにぶつかりそうになりたたらを踏む。それは学園では見たことのない美女だったが、竹谷、と呼ぶ声が鉢屋のものだった。



「お前も終わったのか。こっちはもういつでも出れるから……」

「な、なんだよ」

「……まーずいぶんかわいくしてもらっちゃって」

「はぁ!?」

「顔真っ赤。ま、その調子で男たぶらかすんだな」
2013'01.24.Thu
「うう〜、早く帰ってこないかなぁ」

タカ丸は首を伸ばして辺りを見渡すが、きり丸がここを離れてからさほど時間は経っていない。しかし不安で仕方ないタカ丸は、一時でも早くこの温もりから解放されたかった。腕に抱いたのは、すやすやと眠る赤ん坊。授業で助けられたお礼にアルバイトを手伝うとは言ったが、まさか子守を任されるとは思ってもいなかった。

「斉藤、今……何してるんだ?」

「あっ、久々知くん助けっ……」

親しんだ声に振り返れば、そこに立つのは委員会の先輩――に違いないが、その身を包むのは女の着物だ。質のいい着物にすぐに実習の関係なのだろうと気づくが、久々知の方はタカ丸を見て眉間にしわを寄せる。

「……まさか、お前」

「え?……ちっ、ちちち違うっ!違うよ!?」

「だよな、髪結いで忍者で父親なんてキャラ濃すぎて」

「キャラの問題じゃないと思うけど」

「きり丸か」

「うん。本人は犬の散歩中。まあ自分で手伝うって言ったんだから、しょうがないんだけど」

「ふうん……実習に出るから髪結いを頼もうと思ったんだが、これじゃできないな」

「えっ!するっ!やりたいっ!」

「……じゃあ、代わりに抱いてよう。任せていいか?」

「うんっ!」

タカ丸の前に回った久々知が手を差し出した。赤ん坊を預けると久々知は意外と慣れた様子でそれを抱き、眠る赤ん坊に優しい視線を向ける。

「じゃあ、道具取ってくるから」

「ああ、ちゃんと見てるよ」

久々知は赤ん坊から顔を上げずに応えた。その様子に少し戸惑ったが、タカ丸は道具を取りに部屋へ走る。普段の久々知はどうでもいいからとあまり髪を触らせてくれないのだ。この機会を逃してはならない。

急いで道具を集めて久々知の所へ戻ると、かすかだが歌声が聞こえた。見れば久々知が片手で抱いた赤ん坊の手を握り、小さな体を揺らしている。

「あっ、ごめん起きちゃった?」

「大丈夫だ」

歌声は久々知の子守歌だった。赤ん坊は久々知に揺らされて機嫌よくしている。庭を臨んで座り、赤ん坊を抱く久々知の姿はとても不思議な光景だった。面倒見のいい先輩ではあるが、無条件に優しいわけではない。後ろに回って髪に櫛を通しながら、なぜだか緊張してしまう。

「えーっと、どうします?」

「商家の娘なんだ。少しぐらい派手でもいい」

「メイクは?」

「あとで三郎に頼む」

「わかった」

「いい子だな、この子は」

久々知は赤ん坊の頬を寄せる。きゃっきゃっと無邪気に笑う赤ん坊に、久々知も柔らかい笑みを返した。

「……久々知くん、子ども好き?」

「おれ兄弟多いんだ。上にふたりと下に4人いる」

「えっ!意外!」

「みんなやんちゃばかりだ。こんな大人しい子はうちにはいないぞ」

笑顔で赤ん坊をあやす久々知を見ていると、抱くだけで精一杯だった自分が情けなくなる。

久々知の指を握る小さな手。あったかいな、久々知は胸に抱いた赤ん坊を揺らして笑う。それは女物の着物を着ているせいなのか、見たことのないほど柔らかい表情だった。

「なんか、久々知くん」

「ん?」

「お母さんみたいだね」

「……ほめ言葉ではないよな」

「えーん、なんて言えばいいのかわかんないんだけど。髪、これでいい?」

「ああ」

「……」

久々知は顔を上げずに応えた。よほど赤ん坊を抱けるのが嬉しいと見え、ずっと構っている。変な髪型にしてやろうか、とわずかによぎったが、彼が怒ると怖いことは知っているのでやめておく。手際よく終わらせて声をかけたが、久々知はやはり仕上がりの確認もせず礼を言った。

「斉藤は兄弟はないのか」

「うん、ひとりっ子」

道具を片づけ、隣に座って一緒に赤ん坊を覗き込む。つぶらな瞳がきょろきょろと世間を見回していて、タカ丸の方に手を伸ばすのでとっさき体を引いた。それを久々知がけらけらと肩を揺らした。

「ああ、こんなところに」

通りかかったのは鉢屋だった。すっかり落ち着いている久々知を見て溜息をつく。

「あとは私とお前だけだ。先に終わらせてしまうからとっとと戻ってこい」

「はいはい。いい子でな」

最後にもう一度頬を寄せ、久々知はタカ丸の腕に赤ん坊を戻した。慌てて姿勢を正すタカ丸を笑い、立ち上がった久々知が体を傾ける。

「お前もいい子にしてろよ」

こつん、と額がぶつかる。ぽかんとするタカ丸には目もくれず、久々知は赤ん坊に手を振って歩きだした。放心したままその後ろ姿をただ眺めていたが、鉢屋が溜息をついたのではっと意識を取り戻す。

「気の毒だから言っておく。あいつは堅物に見えて、相当ずるがしこいぞ」

「あいつって、兵助くん?」

「本気になったらどんな手だって使う。赤ん坊でもな」

「……そ、それは」

ぼくが単純だってことでしょうか。タカ丸が小さくこぼした言葉に応えるように、腕の中の赤ん坊が笑い声をあげた。
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